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| 令和8年8月23日 | 川柳 |
| 川柳や句や歌には選者がいる。いろんな問題がある。たとえば盗作の問題。偶然に同じ句が出来る場合。 大正六年四月一日の、井上剣花坊選の会で「人」の出題に、なんと三人もの作者が同時に全く同じ作を提出したという。 その作品とは。「太陽は無駄に光れり無人島」というのである。三人同時に、というのが恐ろしい。 |
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| 令和8年8月16日 | 骨董からくさ主人 中島誠之助 |
| 人が変われば世も変わる。初代が子々孫々長く伝えろといったところで、せいぜい伝えられるのは三代目までで、大抵の道具類は再び娑婆の空気を吸うことになる。 以前にも越後の大庄屋某家の品物で明治維新の折に小松宮彰仁親王が旅営された際、ねり絹の反物に筆をふるわれた揮毫の大掛物、三重箱に納められてこれも子々孫々の当主の箱書き付きを、この家の三代目から買ったことがある。越後を引き払って東京の洋館暮らしでは、いくら小松宮が有難くっても、掛ける床の間はおろか三重箱の始末にも困るというもので、これは決して三代目が悪い訳ではないのである。 平民だの庶民だのといわれる階層が恐れ入ったのは、明治から昭和二十年の敗戦までで、その前の時代の文化文政期から幕末頃までは、江戸市民をはじめ人々の暮らしぶりは、結構いい気なものだったのではないか。 黒船がやって来るかもしれないが、これではいけないと思いつつも、とりあえず温泉でも入ろうかというのがご時世ならば、それはそれで結構なのであるが、江戸時代と根本的に違うことは、今の世に武士がいないことである。いざという時、立ち上がれるサムライを、ボランティアの人々に求めるのは、ちと荷が重いのではないだろうか。 |
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| 令和8年8月15日 | 花斗秀男 |
| 小田原で鋳物を作る柏木さんがこんな話をした。「昔の人はしあわせでしたねえ、何をするにも夢中になれる時代でしたからねえ。人目をひこうなどと変わったものも作らない、必要に応じて作った、それは人の目に美しく映ります。最近の私は、古いものだけしか信用しないのです」となる。 柏木さんたちによって日本の文化の一つが支えられてきた。あの鋳物をつくる時、仕事着は熱と汗で晒される。作業で真っ黒になった手をふきふき語る柏木さんの自信に満ちたもの腰に、わたしの中で大昔の"天下一"といわれた名工の話が二重写しになる。 |
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| 令和8年8月14日 | 花斗秀男 |
| 風鈴といえば、黒澤明監督の名作「赤ひげ」にでてくる。江戸は下町のほうずき市、よしず張りの店が浅草の観音さまの本堂まで並び、いなせな呼び込みの声の中に浴衣にうちわを手にする男女が行き交い、そこに人情のきびを描いていた。ほうずき籠の風鈴と短冊が風をさそい、境内のすべて風鈴はバッググランドミュージックとなって映画の中を流れ、名場面を作りだした。 監督は姿が古風で、音色が現代の音楽にも通じる風鈴はないかと探すうち、小田原の柏木さんが作る御殿風鈴と出会った。監督は"これだ"と喜び、柏木さんに風鈴数百個も注文し、そのねいろを編集した。映像にさらに魅力が増した。外国でクロサワファンは、彼をスクリーンの神様と賞賛する。続く |
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| 令和8年8月9日 | 骨董からくさ主人 中島誠之助 |
| 二十代の初めに海を去って、四十年になる。思い起こせば遠い昔のあの若き日に、六ヶ月にも及ぶ印度洋の航海を終えて、夕暮れの東京湾の灯りを眺めながら、操舵のラットを握っていた自分が、その将来に、骨董商になるだろうとは、夢想だにしなかった。 キャビンの窓から出迎えに来てくれた父親の姿を見つけ岸壁へ飛び降りたあの一歩が海との決別になった。 潮焼けした私の顔を見て、親父のいったひとこと「いい勉強したな」は、父が世を去って三十年になる今でも、昨日のことのように耳に残っている。まったく明治生まれの人間は、人生の切所において、名言をはくものであると、あのときの父の言葉のことを考える。 |
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| 別荘地で夏祭りをしました。スイカ、焼きそば、カレー、トウモロコシが食べ放題。そして生ビール・ジュースは飲み放題です。 皆さん小さなお店を出しました。私もお店を出しました。結構売れます。 若い頃は、それほど暑さが身にこたえなかったが、年ごとに暑さ負けをするようになった。 |
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| 令和8年8月2日 | 空蝉(うつせみ) |
| 蝉の幼虫は数年から十余年も地中にいてさなぎになる。地上に出てからの命は数日から一週間、その抜け殻を空蝉という。見事な造語と思えるが元来は流行語らしい。"うつそみ"
が現身(うつしみ)に転ずる途中、音も共通するので空蝉の当て字が出来たといわれる。一方の現身も仮の命の意だから、借用としては上々だ。 通り雨そっと握った蝉の抜け殻 夏目雅子 |
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| 山小屋も部屋に静かに居ると涼しい。薪を作ろうと日差しの中で力仕事をすると、もの凄い汗が出ます。薪割が終わりました。 薪割場は広々となりました。今回の薪は、窯焚き1.3回分あります。在庫の薪を考えると窯を二回焚けます。 |
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| 令和8年7月26 | 詫び寂び |
| この頃みんな詫び寂びしか言わないけれど、本当は、幽玄・詫び・寂びの三点セットです。 幽玄とは、ありえない美しさのこと。赤ちゃんのことである。なぜ赤ちゃんが美しいかというと、その肌理(きめ)が初(うぶ)の美しさを持っているからである。「蝉が羽化する時、その羽化した瞬間の蝉の色が幽玄です」 詫びは時間の経過、寂びは朽ちて消滅する寸前をいう。発生が幽玄で、経過が詫び、最後が寂びとなる。詫びは観察して愛でることだが、寂びは自身の空想を働かせなさい、ということ。もちろん経過としての詫びの裏付けがあっての寂びです。 |
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| 今年も暑いですね。こんな猛暑の中、大汗をかいて薪を作ります。四日間で三分のニくらいまで割りました。 |
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| 令和8年7月19日 | 花斗秀男 |
| 落語でもお馴染みの"井戸茶碗"をわが家でも手に入れた。この井戸茶碗は本物なのだが、格付けでいうと下の下だろう。 リンゴに喩えるなら、五百年ほど前に、数百個の実がなったとする。その中から型や色合いに応じて出荷されて、籠に残ったリンゴなのか。されどリンゴに違いない。わが家に来た茶碗も、そのたぐいものなのだろう。 さて、お茶を頂く時は、茶碗を五感で楽しむ、といわれている。姿やお茶との色どりや香、そして掌の中での大小のころあい、ぬくもり、口づけの感触と第一にお茶の味となる。 茶を飲み終わり、椀を伏せて高台(いとじり)を見る。高台の作行が価値を決めることがある。 それにしても、わが家の井戸茶碗には銘がない。そこにまた、いとおしさがある。 |
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| 令和8年7月12日 | 器 |
| 「菊祭り」を見に行った知人が、こんな話をした。色とりどりの、美しい菊花を堪能し会場を出た。 会場出口脇に、白くて小さな野菊が咲いていた。あれほど会場に陳列された見事な菊花に感動していた癖に、一輪の野菊を見たとたん、これぞ本物の美という気がしたというのである。 派手な美しさを、さんざん見た直後だったからだろう。それだから質素な野菊の存在に気がついたというわけだ。 「一隅に、ひっそりと、光っていたなあ」友人が述懐した。 それなりに光っているのだが、いかんせん、形が小さく、見栄えが悪く、大輪の菊と並べれば、どうしても見劣りがする。本物の美がこちらにある、と感じた知人の感性は、やはり特別だろう。 ひっそりと一隅に花を咲かせている野菊 のような作品・・。 |
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| 薪を作ります。猛暑の中、三日間で三分の一くらい割りました。 |
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| 令和8年7月5日 | 安曇野ちひろ美術館 |
| 4日、(社)日府展の長野県支部会員で北アルプス展望美術館に見学と話を聞きに行きました。北アルプスが目の前に。絵画の会員は午前中安曇野をスケッチ。私たち工芸部は、道の駅安曇野松川で買い物。安曇野ちひろ美術館は広い敷地に美しい絵が飾られていた。北アルプス展望美術館の貸しギャラリーは絵と陶器が展示出来る広い部屋でした。ただ、今年は一杯で、来年の7月以後の予約となります。 北アルプス展望美術館で日府展の塚田先生と合流して、中房温泉の湯を引いている塚田先生の別荘に行く。 まず全員が温泉に浸かり、宴会。日府展長野支部を充実させる話で盛り上がる。 |
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| 今日から第33回窯焚きに向けてスタートです。まず、薪を作ります。 夢で逢うふるさとの人みな若く 風天 |