第24回 2021年 春の窯焚きへ続く

令和2年12月31日 第24回 春の窯焚きへ
誰でも一人だけで生きてきたわけではない。
そして時の流れと人との出会いは誰にも予測できない。
生きていれば、必ずぬくもりのある人と人の縁に出会う、と思う。
生きるということは、未知の無数の駅が前途に待つ旅に似ている。
今、「線路は続くよどこまでも」と、吐息をつきたくなります。
前途は、はかり難いけれど、体調と相談しながら来年は後悔のない窯焚きをしたいと思います。

2021年春の窯焚きを目指します。

令和2年12月27日 井口昭久   医者
私はアメリカに渡って生活をしたことがあった。
アメリカに渡れば、それまで生きてきた青春の垢と後悔を洗い流して新しい生活が始まると思ったものだった。
私の汚れちまった悲しみを彼の地の住民は知らない。
ロッキー山脈を越える飛行機の中で初めてのアメリカに興奮した。
しかし、意地悪な人間は人種に関係なく存在し、隣に住む人が善人だとは限らないことがすぐにわかった。
正直者と嘘つきがおり、見栄っ張りと恥ずかしがり屋がおり、その中間にそれぞれのグレードがあって、そういう人たちが暮らしているにすぎなかった。
確かに隣の人が良い人とは限らない。
我が国の近隣にも嫌な国がある。
近くの国だから仲良くしろという話には、遠くの国とは仲良くしなくてもいいと聞こえる。
日本には戦争で迷惑をかけた国がある。モンゴル・台湾・ベトナム・タイ・ミャンマー・フィリピン・韓国。
そして中国や遠くオーストラリア・ニュージーランド・アメリカ・英国他とは戦火を交えた。
しかし、恨みを忘れないで政治に利用したり、お金にする一部の隣国を除き、今は皆、親日の国である。

令和2年12月20日 井口昭久   医者
どのような生き物でも、生きとし生きるものはすべて終末があり、終わりに近づくにしたがって活動が衰えをみせる。
その老化現象が、今、日本で注目を集めている。
その第一は、寿命が伸びていることである。日本人の寿命は百年前に比べて二倍になっている。
その第二は、老化による器官の衰えが、肉体の各所で表面化することである。
その第三は、社会が老齢者を疎外することである。
 この偏見は「肉体的な衰弱が知的能力にも及ぶものだ」と人々が信じこんでいるからである。
 肉体の衰えと精神の衰退は無関係であり、精神は老化するとむしろ進化する。
 しかし、何もせずとも進化するということではなくて、老後も脳を進化させるには、脳の使い方を知らなければいけないのだという。
 つまり、いくら優秀な道具を持っていても、使い方がわからない人には無用の長物であるということである。


令和2年12月13日 生きる
昨年・今年と、私は高齢化と持病で、気力体力が大幅にトーンダウンしていた。
でも、「今日のサケいつものより厚いな」
サケの切り身が一ミリ厚いという話題で夫婦は盛り上がる。
夫婦の幸せは一ミリの厚さに宿り、貧には貧の幸せがある。
これが私の暮らしのつつましさであり、欲のなさである。
これからも自然に、そのままに生きるしかない。
姫ネズミがドラム缶に干からびていました。焼き芋をおやつにしています。窯をブルーシートで囲い山小屋を閉めました。

令和2年12月6日 小野賢一郎
やきものは目に見る---そうして手に触れるということが大切である。触れて作ゆきを細かく見る。隅から隅まで仔細に鑑賞する。
そうして器物の持つ気格を受け入れるということはむろん大切な条件である。
すべての焼き物は手に触れた感じが大切であるということを逸してはならない。
「手を触る可ならず」などという制札が器物についていたとしたら、その器物の姿と装飾を見るに止まって、底部の大切なところは見ることができない。恰も博物館の陳列を見るのと同じで、高台の引き締まり、力、土味、そうした大切なところを見ることが出来ないのは実に一種の「残念物」である。
貧乏徳利でも番茶椀でも、手に触れるということが鑑賞上の大切な条件である。
重い、軽い、重量ばかりでなく、手で撫ぜして以て無限の愛着を感じ、手で捧げて以て無上敬親の念を生ずる。
これ焼き物を玩読するの条件である。「手を触る可ならず」ではない、「大いに手を触る可し」であらねばならぬ。

令和2年11月22日 勅使河原蒼風
利休が、ある花瓶を古道具屋で探して、その耳をかき落として姿のいい花瓶にして見せた、という話は有名だが、私達にも籠の手をとったら花がいけられるようになったなんという覚えはしばしばある。
花いけを作る人が、とかく花いけだけですっかりまとまった形にこしらえてしまって、どこにも花をいける余地の無いようにしてしまうのは、しまつの悪いものだ。
○展などの工芸部というのへ行ってみても、大家といわれている人の作で、どうにもこうにも花のいけられない花いけがある。
そのままで飾って置いてもいいといえば欠点には聞こえないが、花瓶でありながら花がいけられない一種の無用物もたくさんある。
妙ないい様だが、もっとマノヌケた花いけが作られていいということで、花いけだけでコセコセとまとめてしまったり、くだらない説明や細工をもって飾ろうとするのがいちばんいけないと思うのだ。
これは花いけだけがそうなのではなくて、つまり下等な作者によるものがみなそうであるといわなければなるまいが、良い素質を持った人がいても、支配的な位置に不明な人がいるために、しかたなしにみんなそうなってしまう事もあると思われる。

令和2年11月6日 誕生日
大人は昔、みんな子供でした。
しかし、大人になるということは、子供の日のことをかなり忘れてしまうということです。
七十歳を超えてからは、心身ともにガクン。
ある日突然 「あ、そうだ、あれを片づけなくちゃ・・・・でも、明日でもいいか」 と思ったとたんに老いは始まる。
体力気力が衰えて、いわゆる老衰という自然現象ですね。
私はもうヨレヨレのじじいです。
でも、人は品格が大切、焼き物も品格が大切。
これだけはだけはしっかりと守りたい。

令和2年10月18日 小倉遊亀
昭和三十七年、芸術院賞を受賞した小倉遊亀は、天皇の午餐に招かれた。五分間だけ、お話を申し上げる決まりである。
 紹介状も持たずに安田靫彦を訪ね、弟子入りを願った思い出を語った。
安田は、絵の道には師弟はなく先輩後輩の関係だけだ、と語り、先輩にならせてもらう、と言った。
画家は五年に一度赤ん坊になれ、とも言われた。「日々に新たに」という意味である。
話し終わった時、汗がどっと噴き出た。着席し、そっと卓の下から扇子であおいだ。
同席していた久保田万太郎が、帰りがけに句を詠んだと遊亀に耳打ちした。
  「夏浅き扇づかいや小倉遊亀」

令和2年10月11日 焼物    高橋治
古来沖縄の焼物には独特な味があって、パナリと呼ばれる無釉土器などは舌なめずりしたくなるほど素晴らしい。
そんな土壌から、新しい芽が育たないのは、シーサーが原因なのだそうだ。
というのは、表現のギリギリの切所で苦しまなくても、若い人がシーサーを焼いていれば食って行けるからだという。
その話を聞いて、私は笑い転げたが、ふっと笑ってばかりもいられないものを感じた。
狸を焼いて食って行けるために、信楽焼きがとことん駄目になり、
布袋様やら醜悪極まる人型を焼いて食えるから、九谷焼が救いがたいほど低俗なものになった。
日本の焼物で、現在最高峰とされるのは、言うまでもなく備前焼である。
備前は土が良いために釉をかけない。かけないから絵が描けない。
この二重の足枷が、備前を造形、焼成、土味の三要素だけで勝負する焼物にしている。
これぞ本道である。

令和2年10月4日 七人の孫      詞・森繁久彌    曲・山本直純
どこかでほほえむ人もありゃ     どこかで泣いてる人もある
あの屋根の下 あの窓の部屋    いろんな人が 生きている
どんなに時代が移ろうと        どんなに世界が変わろうと
人の心は変わらない
悲しみに喜びに             今日もみんな生きている
だけどだけと これだけはいえる   人生とはいいものだ
ああ 人生とはいいものだ
テレビドラマの主題歌。白黒テレビの時代だったと思うが、本当に懐かしい。

令和2年9月30日 作品
作品の手入れをし、水洗いをして、乾燥しています。これで今回の窯焚きは終わりました。

令和2年9月23日 窯出し2
奥のゼーゲルの倒れ具合もいい。
窯内部を掃除して来年まで閉じる。
陶芸の薪窯焚きは悪老の知的道楽、高度の人生を楽しむことだ。

令和2年9月22日 窯出し1
今年は急に寒くなった。窯焚きを早めて正解。
窯を開けると緋色が鮮やかに焼き上がっている。
灰はカサツキもなく、よく溶けている。今までは灰が溶け過ぎて作品がはがれなかった。
緋色を出すにはこの焼き方がベストである。

令和2年9月11日の2 窯焚き四日目夜
PM7:00に一輪挿しを引き出すと灰が解けている。
ゼーゲルを見ると8番が倒れている。
午後8時窯を閉め水を撒いて終わりました。

令和2年9月11日 窯焚き四日目
朝、平林さんが昼まで応援に来てくれた。
お昼と夕食はお世話になっているグリーンプラザホテルからテイクアウトしていただきました。すごく美味しい。
午後2時から5時まで武村さんが応援してくれた。
PM5:00にゼーゲルを見ると7番が倒れていない。

令和2年9月10日 窯焚き三日目
AM6:00  窯温度180℃、気温16℃、曇り  午前、渡邉さん見学。
午後、ご近所の大葉さんと武村さんが来られて薪運びを30分していただいた。少し雷雨。
今回は妻と二人で焚きますので、お昼と夕飯は、お世話になっているグリーンプラザホテルからテイクアウトしていただきました。
とてもおいしくて、今回体重減はわずかでした。
夜11時まで妻が焚きました。夜はベッドに横になり火を焚きますが予定通り寒くない。
真夜中の1時半から2時半を妻が焚きました。

令和2年9月9日 窯焚き二日目
今年は残暑厳しい日が続きましたが、やっと涼しくなりましたので今日から窯を焚きます。
ロストルで一日火を焚きました。朝の気温18℃、夕方雷雨。
AM7:00〜PM5:00。500℃まで上げました。

令和2年9月6日 窯焚きの方針
私は定年後ボランティアみたいなもので陶芸を教えていますが、先日、ある新しく入った生徒さんに「先生の本業は何ですか?」と訊かれました。が、とっさに隠居人みたいなもの?ですと言えませんでした。
また、何焼ですが?と訊かれたこともありました。信楽や備前の土を使っていますが何焼かと言われれば、「莫迦正直焼」ですか?

前回までの窯焚きはひたすら灰を溶かし、作品を焼き抜きました。
でも、私の目指す緋色へのこだわりがなかったように思います。
そこで今、世間はコロナの自粛中ですから、今回は全員参加のお祭り騒ぎをやめて、私と妻とで四日間じっくりと窯を焚いてみます。

令和2年8月25日 湿気抜き 窯焚き一日目
窯は去年の春以来焚いていませんので湿気がすごいです。
ロストルで一日湿気を抜くため火を焚きました。
今日は残暑厳しく35度という猛暑日で汗びっしょり。
来週焚く予定でしたが、無理しないで涼しくなるまで延期します。
AM7:00〜PM5:00。450℃まで上げました。

令和2年8月23日 窯詰め4  灰かぶり
お盆に作った作品を灰かぶりにつめて、煉瓦で塞ぎました。
薪は4パレット分焚口に積みました。
新型コロナが流行していますので、納涼会、楽陶の会展、文化祭は中止です。たぶん忘年会もだめでしょう。

令和2年8月16日 窯詰め3  前の段
前の段の窯詰終わりました。焼き直しが入っています。
前の段  上   15×15   12×12  10×10    下10×10 の10枚

令和2年8月15日 出久根達郎
古本屋はお金を払って本の処分を引き受けるわけだが、逆に、金を出すからかたづけて欲しいと頼まれたのである。
それは本ではなく、新聞の切り抜き帳であった。一冊づつ茶封筒に納まっている。
私が怪訝がるのを見て、家人が説明してくれた。昨年亡くなったおばあちゃんが45年間にわたってこしらえたものだった。
戦時中、まずしかったおばあちゃんは、金がかからなくて、兵隊さんが喜ぶもの。
思案の末、「お国の便り」と題した、新聞の切り抜き帳を仕立てて送った。
戦争が終わった。彼女の大事な息子は、白木の小箱に入れられて帰還した。
しかし、彼女は信じなかった。彼女は再び切り抜きに精だした。
事情を知った郵便局が、彼女に気付かれないように、その「たより」を家族に返してくれた。
おばあちゃんは死ぬまで、自分の手工芸品が戦地」に届いているものと疑わなかった
私は改めて封筒をみた。
あて名は、たどたどしい文字で、たった一行、「大日本帝国軍たい兵士様」とあった。

令和2年8月14日 中村汀女
   朝夕に探し物のみ蝉かなし
夕暮れの秋蝉はたしかに心を急かせ、もの忘れさせる。
それにしても、いつかふるさとの老女の言った言葉をこの頃しきりに思い出す。
「忘れそこねた」というのである。
覚えていねばならぬことも沢山だが、忘れねばならず、忘れてよいものをなんと私たちは持っていることか。
忘れそこねたもののわずらわしさのなかに居る。
稀という長命でいてくれた母を送ったとき、母が私に身をいとえといってくれた感じを受けた。
母のしきたりにならい朝の梅干しと煎茶のうまさ、長生きのことはさもあれ今日はよしという思いになるのであった。

令和2年8月9日 作品
今年は梅雨が長く、やっと晴れ間が出ました。
穴窯の作品は作って無いのでと当然不足です。
去年から買ったり、頂いたりした粘土がトン単位であります。
新型コロナ第2波でどこにも出かけませんので、作品が良く乾くお盆にかけて大量に作ります。

令和2年8月2日 百日紅 
七月、渡る風に夏の匂いを感じ、緑の樹々に囲まれた山小屋で、私は、ひぐらしの声や小鳥の囀りを聞きながら、心身ともに恙なくまた巡り来た、まぶしい太陽の季節を生きる。
それは癒しや安らぎを運ぶ場であり、夏場には百日紅の花が、家族を優しく見守っている。
一面に立ち上がる夏の香りを感じる昼下がりの午後、真っ青な空に、ピンク色の美しい花を手向ける百日紅の木を見つめると、どこからか澄み切った風が吹いてきて、百日紅の木の枝を大きく揺らして通り過ぎて行った。

令和2年7月19日 窯詰め2  中の段
新型コロナが収まりません。
梅雨になれば夏になればという人もいました、2・3年駄目だという人もいますが、感染症はワクチンと治療薬が出来るまで罹からないようにするしかありません。
中の段  上  12×12    10×10   6×6  10×10     下15×15  の12枚

令和2年7月12日 窯詰め1  奥の段
秋の窯焚きが出来るかどうかわかりませんが、生徒さんの作品が集まってきましたので窯詰めをします。
奥の段  上10×12       15×15        下6×6  の8枚

令和2年7月5日 親父の話   谷崎潤一郎
石川淳氏の夷齊饒舌(いさいじょうぜつ)に、
「キキジョコというのがある。もっぱら酒をきくためにもちいる猪口である。猪口とはいっても、形状は小さい湯呑茶碗に似て、まっしろな円筒形のものだが、その内壁をめぐって、太いむらさきの線が一本いさぎよく通っている」と書いている。
形状はいろいろあって、私の親父が使っていたのは底の浅い、平べったい、真っ白な円筒形のもので、太い紫の線が底の方に渦巻になって描かれていた。親父は体の調子が悪いと時々酒を止めていたこともあるが、
「やっぱりまるっきり止めてしまうと、どうも食が進まねえな、少しは飲んだほうがいいのかな」
と云うようなことで、とうとう脳溢血で斃れるまで飲んでいた。
どうかすると、袢纏を引っかけて近所の朝湯に出かけて行って、戻って来ると大きな湯呑でグッと一杯朝酒をあおる。
まずこんな時の朝の気分なんかが、親父の最も幸福な瞬間であろう。

令和2年7月1日 秋の窯焚きをめざす
新型コロナの自粛で3月4月5月の教室は休みました。(*6月から再開しました)
4月の花見、5月の窯焚きと6月の旅行は中止しました。
老人ホームの教室再開はいつになるのか分かりません。
新型コロナが収まれば、秋の窯焚きをしたいと思います。

新型コロナにより春の窯焚きを断念しました
第23回を再び 秋の窯焚きへ