窯焚き22に続く
平成30年12月31日
今年も窯焚きでは多くの人と出会った。
今年も大勢の人達とやきものを楽しんだ。
これから来春の窯焚き準備です。


平成30年12月23日 道には雪がありません
穴窯には雪が10p積もりました。

平成30年12月16日 山小屋を閉じる
穴窯が出来てから11年が経過しました。
私も、若かった生徒さんも年をとりました。
今年は母の介護があり、11日に水道を止めて山小屋を閉めました。
穴窯をブルーシートで囲みました。雪はありません。

平成30年11月18日 赤松
パレット2枚分の薪を割り、今年の薪割は終わりました。
薪割場に玉切り材は無くなりました。

平成30年11月11日 赤松
パレット5枚分の薪割終わりました。

平成30年10月30日 作品
作品を洗い、壺などは水漏れを確認しました。

平成30年10月25日
台風で傾いた楓の玉切をしました。。

平成30年10月24日 窯出し2
中の段は粉引と志野。奥の段は備前。
窯の内部を掃除して、コンパネで蓋をする。
作品に灰でくっついた道具土を取り、金剛砂でバリ取り。

平成30年10月23日 窯だし
テラスにブルーシート、鉄べら、タガネ、木槌など窯出しの準備する。
ロストルのレンガが灰でくっついた。
今回の大壺は割れずによい焼き上がりとなった。
前の段は灰がたっぷり融けている。

平成30年10月14日 5日目
10月14日 日曜日    AM8:00〜PM2:00 1300℃-1300℃。
               AM7:00 色見にいれたゼーゲルを見るともう少し。AM11:00、7番(1230℃)が倒れているので熱量は十分。
               温度を落とさないようにしながらねらし焚き。PM2:00窯を閉じる。
               焚口・ロストルを閉じて耐火モルタルを塗る。煙突を閉め、火がつかないよう周囲に水を撒いて終了。
                70時間ぶりに眠る。この夜は15時間、翌日の夜は12時間の爆睡。
               窯出しは一週間後の23日を予定。

平成30年10月13日 4日目
10月13 土曜日   AM8:00〜PM5:00  1100℃-11500℃ 応援 平林、宮下、長岡、原、井上。
              PM5:00〜10月14日 AM8:00 1250℃-1300℃   応援 無 

               曇りから午後少し晴れた。夜1時と3時に雨が降る。温度は順調で苦労せず。
              平林さんがチェエンソーの目立ての後、大量の薪割をしてくれた。
              今回の窯焚きは、金曜日に法事・ぎっくり腰、坐骨神経痛等で急に3人欠席。
              土曜日は肩痛で一人、夜は腹痛で一人欠席という最悪の窯焚きとなりました。
              私が2日目の徹夜なので妻が心配して一緒に徹夜。
              交代で寝ようとするがアドレナリンで結局一睡もせず。

平成30年10月12日 3日目
10月12日 金曜日  焙り焚き AM6:00〜AM9:00 300℃-450℃  ロストルで焚く。
             中焚き  AM9:00〜PM2:00 450℃-700℃  焚口開け、ロストルをレンガ5〜8個で詰める。
             応援 小松 真弓・林啓子・宮坂美奈恵・五味訓子夫妻。
             攻め焚きPM2:00〜10月13日 AM8:00 700℃-1250℃     応援 森元康仁

              朝は雨で開始を7時とする。一日中霧か霧雨で寒い。気温8℃、吐く息白い。
             朝の火前は210℃あり、窯焚きは順調。
             夜はブルーシートで囲い寒さを防ぐ。久しぶりに寒い窯焚きとなった。
             徹夜。一睡もせず。

平成30年10月11日 窯焚き開始
今回の窯焚きは曇りと小雨で寒い。
10月10日 水曜日  晴れ、PM4時から小雨
            神事 御神酒・塩・洗米  火入れ  
            AM*10年間窯を焚いて頂いた角坂さん夫妻が来た。奥さんの病気で苦労しているようだ。
              見学者 PM* 海老野さん夫妻
            捨て焙り・湿気抜き  AM7:00〜PM4:00   火前15℃〜400℃
            焚口を閉めロストルの前でぼよ(柴)を焚く。
             捨て間のドラフトレンガを左右一枚づつ抜き、暗くなったら窯を閉める。
            
10月11日 木曜日  焙り焚き AM6:00〜PM4:00   火前170℃〜600℃  
             見学者 AM* 竹村さん PM* 平塚の山口さんが遠方から来てくれた。
             2日目曇り、 PM3:00から雨。ロストル内で柴を焚く。

       
    大量に用意した柴だけで二日間焚き、昇温は快調。

平成30年9月23日
薪窯焼成は常に予測不可能な自然任せです。
窯の中の器物が置かれた場所、炎の流れ、薪の種類、その日の天候によっても違うものが出来ます。
自然釉のかかり方も窯の神様が微笑んでくれるかどうかも運任せの世界です。
日本の焼き物の原点である「焼き締め」は、日本人だけが独自にそこに「美」を認めているのです。
作品は窯変を含めた自然釉の他に「ゆがみ」や「ひずみ」をともなう、これを「侘び寂」といい、それを「自然の面白み」として認め、高貴なもの、完璧なもの、そしい権威や富裕にたいするアンチテーゼでもある。

緋色窯の穴窯焚きも21回目である。
何事にも経験は大切で、いまはもうかなり自信がつきました。
窯焚きには楽しみが必要です。
秋の窯はキノコと紅葉。もちろん素晴らしい空気。美味しい食事、そして仲間との会話。
窯焚きは多くの人のお話を伺うことで、知的好奇心を満たされます。

今回の窯焚きに関しては、
1.窯内の温度を上げるには十分に乾いた薪がいるが、赤松は一年、楢は二年の乾燥済み。
2.穴窯は前と奥では温度差が大きいのでじっくりと温度を上げる。
3.温度の上がりやすい窯だから、火前を最高1300度として長時間焚く。
4.熾きができない窯だが堅木を使用して少量貯める。
5.焚口から黒炎が出なくても還元にはなっているので攻め焚きをせず、淡々と薪をくべる。
6.燠をかき混ぜて奥まで人工的に灰を飛ばさなくても必要量は飛んでいる。

平成30年9月16日 窯詰め4
灰被りの窯詰めが完了しました。
窯は煉瓦で閉め、煉瓦置場に薪を2パレット積みました。

平成30年9月12日 窯詰め3
前の段の窯詰めが完了しました。棚板10枚 6*6 6*6 12*12 10*10

平成30年9月6日 窯詰め2
棚板12枚 10*10 12*12 6*6 15*15 12*12
中の段の窯詰めが完了しました。

平成30年9月2日 窯詰め1
半年ぶりに穴窯を開け掃除し、補修をしました。これから窯詰めが始まります。
奥の段の窯詰め開始しました。棚板十枚 12*12 10*10 10*10 6*6。
ゼーゲルは奥の段の下左に7・8番、前の段の下に10番を置きます。

平成30年8月26日 作品完成です
7月から作品作りを始めて、350Kgの作品が出来ました、やっと完成です。
生徒さんと、窯焚き応援の人たちの カップ、ぐい呑み、麦酒コップなど作品も集まりました。
志野の釉掛けをしました。大物作品を35Kg作りました。

平成30年8月20日 赤松
ご近所で伐採した赤松を頂きました。お盆前に半分玉切りして薪割場に運んでおきました。
お盆に2リットルの水を飲みながら、シャツまでぶっ通る汗をかき2日間ですべて玉切し運びました。

平成30年8月19日 作品もう少し
20年前の作品を見る。変わっていないなぁ、進歩がないなと落胆した矢先、偶然目にした小冊子に「飽きず、焦らず、あきらめず、ただひたすらに歩む。進歩していないと感じている時が、進歩している時に違いない」
救われた気分です。
窯焚きで使うせんべいを作りました。
志野の作品を30Kg作りました。

平成30年8月15日 流木に刻む 2      相沢木城
京都大学教授鰺坂二夫氏の「教育と感化力」にこんなことが書いてあった。
「窯からは、ゆがんでいたり、欠けたりして商品にならないものが出てきます。その役に立たないものの中に美を見つけ、お茶碗として使うのが、茶の心である。ところが最近は、わざわざ形をゆがめて作ったりしますが、それはゲテ趣味ではないでしょうか。役に立たないものでも生かして使っていくところに、思いやりというものが『もののあわれ』として出てくると思います」
この言葉は流木にも当てはまるような気がする。
黄瀬戸の作品を10Kg作りました。窯焚きの準備として、ツクと棚板を整備し柴を積みました。

平成30年8月12日 流木に刻む 1      相沢木城
上越市立城南中学校長を最後に三十九年間の教員生活を終わったのは、昭和四十九年三月であった。春浅い越後柿崎の海岸を散歩しながら、長い教師生活からの解放感もあって、鼻うたを歌って歩いていたようである。
これからの第二の人生をどのように過ごしたらよいかという思いが心をかすめた時、足にさわったものがあった。それは流木だった。よく見ると、どことなく魚の形をしている。
そこで考えた、これに字を書いて刻んだら「飾り物」にならないだろうか、私の心は躍った。こうして流木に刻むことが始まったのである。
この流木にはどんな語句が似合うだろうか、お茶の本を読んだり、「墨場必携」を見たり、案外時間がかかる。反対にそれに似合うような流木を選択するのも楽しみの一つである。
高村光太郎の文章で、彫刻十ヵ条の九にこんなのがある。
「木を彫る秘密は絶えず小刀を研ぐにあり、切れ味を見せんが為にあらず、小刀を指の如く使わんが為なり」というのである。
神経が指の先を通じて彫刻刀の刃の先までゆくような修練は、言うべくしてなかなかむずかしい。練磨あるのみ。
続く
古信楽と信楽の白土を40Kg使い、作品を作りました。毎日暑い日が続きますが、暑さに耐えて生徒作品の本焼きをしました。

平成30年8月5日 酷暑に薪割
粉引を10Kg作りました。
ご近所から頂いた赤松を玉切りして、パレット3枚薪割しました。
2リットルの水を飲み、シャツまでぶっ通る汗をかきながら二日間で薪割り終りました。

平成30年7月29日 作品2
7月から作品作りを始めて、赤土系100Kgの作品が出来ました

平成30年7月22日 作品
備前土20Kgの作品が出来ました

平成30年7月15日 粘土を用意する
7月から穴窯の作品作りを始めました。粘土は、大量にある在庫を使う。
固くなった粘土を練り直しましたが全部はとても使えません。釉薬をかける白土は200Kgあるので春まで持ちます。
備前土60Kg、赤土(赤7号・AR・KRH)110Kg、赤荒30Kg。
古信楽(細目・荒目)100Kg、五斗土10Kg、志野土40Kg、信楽土白60Kg。  計410Kg

赤土の作品が20Kg出来ました。

平成30年7月08日 辞世
明智光秀の婿明智左馬助は、天目山で父光秀が羽柴秀吉に敗れると、安土城から鎧兜に身を固め、黄金づくりの大太刀を帯びるという重装備で、馬上、陣羽織のまま琵琶湖を渡る。坂本城に入った左馬助は、天守に登り、火を放ち従容と自害をする。辞世は。
   依几臥龍術  横鉾千里行               机に寄りて臥龍の術を想い  槍を小脇に抱えて千里を行く
   幾英名如夢  終節帰清明               いくばくかの名声夢の如し   人生の終節、清明に帰る

平成30年7月01日 次の窯焚きを目指す
懸命に働いた実年の時代に本業を全うし、子を育て、家を建てるなどの社会的責任を果たした後、やがて老いて悠々の老後を手にしたら、それだけでも癒しも楽しみも実現できているではないか。
その上で、折角興味が湧いて始めた陶芸である。本気になったからといって、かって家族や社会のために我慢した好奇心を、老いて自分のために我慢する必要はない。存分に楽しむなら、本気で挑み徹底して上手くなる快感を味わってほしいと思う。
陶芸に限らず、上手くなることほど楽しいことはない。
夢中でやってきたことが形になって目の前にある。
「プロみたい」、密かにほくそ笑んでみたい楽しさである。