穴窯を焚く11に続く

平成25年6月23日 ブロ
うまくなることを望むなら先生はいた方が良い。でも、楽しむという意味ではいなくてもいい。
うまくはなりたいけど、急いでうまくなる必要はない。
それより、いろんな失敗を重ねながら、自分で楽しく会得していく事に面白さがある。
プロを目指しているんじゃなくて、プロ気分、プロごっこを楽しむ。
レンゲツツジ、、細葉石楠花が咲きました



平成25年6月12日 窯出し2
長岡さんが窯出しの手伝いに来てくれた。
窯の内部を掃除して、コンパネで蓋をする。
作品に灰でくっついた道具土を取り、金剛砂でバリ取り。
中の段 奥の段ゼーゲル 奥の段 空の穴窯

平成25年6月11日 窯出し
今回も二晩完全に徹夜してしまった
昼も夜も、人が多く訪れて寝ている時間がない。
窯出しに参加された方は、「陶芸がやきものと言われる意味が実感できました」。と言います。
作品を入れている古川さんと佐原さんが窯出しの手伝いに来てくれた。
テラスにブルーシート、鉄べら、タガネ、木槌など窯出しの準備する。
ゼーゲルは前上 9番融ける。 前下 9・8融ける。奥上 9完倒  奥下 7番番完倒。
レンガを外す ロストル付近の作品 ロストル付近 前の段作品
大壺 前の段の作品 作品 中の段

平成25年6月2日 窯焚き 五日目
6月2日 日曜日    AM8:00〜PM1:00 1250℃-1250℃
              煙突のドラフトを1枚あける。
              
応援  
伊藤とし子、伊藤傳。
佐藤・中澤さん
              赤松を1バレット焚きお昼に窯を閉める。焚口・ロストルを閉じて耐火モルタルを塗る。
               煙突を閉め、火がつかないよう周囲に水を撒いて終了。65時間ぶりに13時間寝る。
               今回の窯焚きも見学者多数。窯出しは一週間後の6月11日を予定。
岩田さん 朝の窯場 引出口 伊藤さん夫妻
窯を閉める 佐藤・中澤さん 空の薪置場 翌朝

平成25年6月1日 窯焚き 四日目
6月1日 土曜日   AM8:00〜PM5:00  1000℃-1250℃  気温7℃  ロストルをレンガ3個開ける。
             煙道のドラフトを2枚あける。
夜に備えて薪を窯の周りに大量に用意する。
             
応援 角坂好昭
                 
永田陽一平林靖久・藤村修二林啓子・清水絹子
              PM5:00〜5月30日 AM8:00 1250℃-1250℃  
 応援 岩田信一・小池邦明
              
煙突から炎。PM8:00 色見にいれたゼーゲルを見ると、7・8番(1250℃)が倒れているので、熱量は十分。
              赤松を3バレット焚き、徹夜、一睡もせず。
朝煙突から煙 林・清水さん 角坂さん
清水さん 平林・藤村さん 林さん 深夜の窯場
深夜の窯 引出 岩田・小池さん 深夜の煙道

平成25年5月31日 窯焚き 三日目
5月31日 金曜日   朝から晴れていて暑いくらい。昨日から梅雨に入ったというが晴天。気温は朝13℃ 
              夜も窯焚き10回にして初めてというくらい暖かい。三日間徹夜します。
             
焙り焚き
AM6:00〜AM9:00 250℃-350℃  ロストルで焚く。
             
今回はゆっくりと温度を上げていき、前後の温度差をなくす予定。
             
朝の火前は250℃、窯焚きは順調。
             応援 角坂好昭
                 
島田博子・武井梢宮坂美奈恵・宮沢寿美子・加藤節子・浜典子・小松真弓
             中焚き  AM9:00〜PM4:00 350℃-600℃  焚口開け、ロストルをレンガ4個開ける。
            
赤松の割木を手渡しで棚に詰め、窯の周りに薪を積む。煙道2枚あける。
             攻め焚きPM5:00〜5月29日 AM8:00 600℃-1200℃     応援 森元康仁

             
夜はブルーシートで囲い寒さを防ぐが寒くない。
             赤松を3バレット焚き、徹夜、一睡もせず。
応援の女性 つつじ
角坂さん 森元さん 夜の薪置き場 夜の窯場

平成25年5月30 窯焚き二日目
5月30日 木曜日  焙り焚き AM6:00〜PM4:00   火前600℃  
            
朝は曇り15℃  昼から小雨、1時から2時は土砂降り。
            
朝5時起き、2日目も小雨。
朝の火前は13℃
          焚口を閉めロストル内で長い枝2バレット焚く。煙道のドラフト2枚あける。
            
大量に用意した柴と枝で二日間焚き、昇温は快調。
            三日間の応援者用の食料を買い、温泉へ行き、九時就寝。
朝霧 朝の焚き始め 枝を焚く
パソコン 柴が無くなる 2日目終了

平成25年5月29 窯焚き一日目
昔の陶工の火入れの時期の決め方は、窯焚きは海の干満に関係にするからその時期に決めているという。

窯焚きに必要なものは、気力体力
注連縄が張られ、神酒が供えられ、窯に火を入れます。

焼成が始まります。あぶりに最も時間を費やします。まずロストルの前で小枝を燃やします。
あぶりは単に熱をつけるだけだから松に限らず、雑木でよい。
焼成は中性炎を目指しつつ実際は酸化炎です。

5月29日 水曜日  神事 (御神酒・塩・洗米)  火入れ  
              捨て焙り・湿気抜き  AM6:00〜PM4:00   火前300℃

            夕べから久しぶりの小雨。朝カッコーが鳴き9℃。雨は降ったりやんだりしている。
            
神酒を供える。
            
焚口を閉めロストルの前で柴を2バレット焚く。煙道のドラフトを1枚あける。
            短期間煙突のドラフトを開ける。夕方窯を閉め、
温泉へ行き、九時就寝。
朝5時 御神酒・塩・洗米 神事 火を付ける
御神酒 薪置き場 焚く
煙突の雨除け 焚く 温度管理 閉める

平成25年5月26日 今回の窯焚き方針
緋色窯の穴窯焚きも10回目です。
何事にも経験は大切で、いまはもうかなり自信がつきましたが、体力の衰えで徹夜が心配です。

赤い色に猛り狂うのは牛と陶芸家の特徴で、やきものに出てくる緋色は土にしろ釉にしろ追えば逃げるし、追わなきゃ手に入らない。
今回の窯焚きは赤い腰巻を追う牛のように突進です。


今回の窯焚きに関しては、
1..窯内の温度を上げるには十分に乾いた薪がいるが、赤松は一年、楢は二年の乾燥済み。
 薪は赤松が熱効率や総合力から見て一番です。
2..穴窯は前と奥では温度差が大きいのでじっくりと温度を上げる。
 炎は高温になるにつれ、赤、黄、白となり、1250℃では透明となる。
3..熾きができない窯だが堅木を使用して少量貯める。

準備
1..服装は木綿の長袖長ズボン。牛皮手袋の穴が開いたらすぐに交換する。
2..作品の乾燥は最低2週間。大きな作品、厚い作品はそれ以上の乾燥期間が必要である。
 やきものは一焼、二土、三細工ですが、形の悪いものは何をやっても駄目です。
 形が悪かったらいくら良いあがりでもやきものにはなりません。

窯を焚く
1.私の穴窯は火前の温度が上がりやすい。火前を押さえながら火裏を高くするように操作する。
 温度の上がる窯は温度の抑え込み調整ができますが、温度の上がりにくい窯はいけないです。
 私の穴窯は温度を上げるためロストルを付け、勾配を強めにしてある。

2.急に温度を上げるのは危険。火前が倒れたり、肌がテカッと光ってしまう。
 ..水は高きから低きに流れ、火は低きから高きに流れる。これが窯焚きの基本である。
 ..窯は床を焼き奥を焼く。これが理想である。しかし、火は手前から天井を焼く。
 .この状態で窯焚きを進めると、焚口と天井はますます温度が上昇し、窯全体の温度は上がらず、薪だけが消費される。
 .ではどうするか。窯は休み休み焚く。朝火を入れて夕方止める。そのまま翌朝まで焚口と天井を冷やす。
 それを二日ほど繰り返した後火を入れれば温度は急激に上昇し、薪の消費は少なく、奥から平均して温度が上がり、器物の焼き割れもない。
3.温度が上がりにくくなるのは、1150℃くらい、温度上昇が止まった時は焦らない。
 温度が上がるのは夕方から明朝。寒くて晴れていれば温度は上がる。
4..明るい火色をねらうには、時間をかけずあっさり焼き上げればよい。穴窯は焼き色をあれもこれもというわけにはいかない。

平成25年5月25日 諏訪展
第66回諏訪展で3回目の諏訪美術会賞を受賞しました。

平成25年5月19日
あぶりに使う柴を運びました。柴置き場は空になりました。

平成25年5月12日 窯詰め4
8〜9日灰被りの窯詰めが完了しました。
煉瓦で入り口を塞ぎながら、上下二か所の焚口を作り、モルタルで隙間を埋める。
8日の強風で落ちた唐松の枝をまとめました。これで乾燥焚きをします。
穴窯も六年目で、窯を押さえていた周りの砕石が少なくなりましたので、約1トンの砕石を入れました。

灰被り 灰被り 煉瓦 窯詰め完了

平成25年5月6〜7日 窯詰め3
前の段の窯詰めが完了しました。棚板10枚プラス45×30を2枚
12×12 15×15 10×10 10×10  15×15
前の段一段目 前の段ゼーゲルを設置 前の段二段目 貝を道具土で覆う
前の段セ゛ーゲル 前の段四段目 前の段最上段 前の段完成

平成25年5月4〜5日 窯詰め2
中の段の窯詰め完成です。棚板11枚
15×12 10×10 10×10 10×10 0×10
今年の連休は寒波で朝は霜が降り氷がはりました。

中の段二段 水平 わら
道具土 中の段三段 最上段 中の段完成

平成25年5月3日 窯詰め1
玉切りは終了しました。
2日から窯詰めが始まります。
奥の段の窯詰め開始しました。棚板9枚。
15×12 10×12 10×12 0×12
ゼーゲルは奥の段の下(78番)と、上の真ん中(9番)、前の段下(8番)、上の真ん中(9番)の合計4ヶ所。

奥の段の窯詰め完了です。
薪割場は丸太が無くなる 窯詰開始 ゼーゲル 奥下
奥一段 奥の段二段 奥の段上ゼーゲル 奥の段完成

平成25年5月1日 窯焚き準備2
窯詰に使う材料をそろえました。
わら、貝。もみ殻、炭、灰、道具土、ツク、サヤです。
さま穴に備前の徳利をおいてみます。
藁・貝・籾殻・炭・灰・道具土 ツク 徳利

平成25年4月30日 窯焚き準備
棚板にアルミナを塗りました。
作品を山小屋に運びました。
今週は赤松の玉切りをする。
棚板 棚板 作品 赤松

平成25年4月28日 薪小屋
「薪に」、といただいた板がまだ余っているので、既存の三つの薪小屋の後ろに新たに薪小屋をつくる。
床と壁は部材として昨年12月に組み立てある。
薪小屋の大きさは、0.9m×5.4m。まず、土を固めるため「ドスン」で設置場所を整備する。

羽子板付きの束石を8個置き、重量ブロック8個を間に置く。90pほどの傾斜と、木の根などで蛇のようにくねった基礎。
朝8時から始め12時までに組み立て終わり、午後2時間でタキロン張り終了。

平成25年4月21日 穴窯を開ける
4月20日半年ぶりに穴窯を開け中を掃除しました。
異常気象で桜が二週間早く咲きましたが、21日は季節外れの雪が降りました。
作品はほぼ完成です。

平成25年4月14日 作品作り2
300Kgほど作品が出来ましたが、粘土が不足と思われるので追加しました。
古信楽細目20kg・赤大荒20kg

桜を玉切りして山に運びました。

平成25年4月5日 作品を作る
作品が少しできましたが、粘土が不足と思われるので追加しました。
槙山(大きい石入り)40kg・黒土40kg・黄の瀬:原土60Kg

八ヶ岳は雪解けです。穴窯は冬囲いがなくなりました。

平成25年3月31日 ディック・レーマン
高原昌治に見てもらおうと、作品と写真をいくつか持参した。
そこで私自身のそれまでの夢、情熱、限界についての考え方を永久に変えてしまった会話があった。
彼の反応は驚くほど単刀直入で、通常の会話につきものの丁寧さや曖昧さといったものはそっちのけだった。
薪窯の作品を見て
「素晴らしい。なぜこれだけを作らないのかね?ここには生命がある」私は高原先生にわけを話した。
「私は薪窯が好きです。できることなら薪だけでやっていきたい。
でも今関わっているすべての事柄の意に添うことはできないし、インディアナの北部では、薪だけでは食べてゆけないのです。」

彼は私の言うことなど意にも介さぬように、率直に反論した。
「さあて、」彼は同席したアメリカ人の陶工を名指ししてこう言った。「彼も君と同じような環境だが、薪だけでやっている。
その日の他のことはあまり覚えていない。駅までどうやって行ったのかも思い出せない。

平成25年3月24日 蹴ろくろ
使う時に物置から出していた蹴ろくろがやっと設置されました。茶碗を作ります。
今年はとても暖かく、山小屋付近の雪は、日陰に少しあるだけでほとんどありません

平成25年3月15日
伐採した桜の木を頂きました。
山に運んで薪にします。

平成25年3月10日 始動
3月7日は春本番の暖かさで、9日は初夏を思わせる18℃です。
冬眠から目覚め陶芸活動始動です。
黄の瀬60kg、もぐさ土20Kg、古信楽の細目60kgと窯炎(石入り)60kg・槙山(大きい石入り)40kg
備前の山土100kg、後は黒土30kg、赤土20kg、
昨年の窯に入らなかった作品は、大壺・大皿・コーヒーカップなど100kgほどある。
今回は軽い窯にする予定なので、これだけ作れは十分かと考えている。
山はこの暖かさで雪解けです。3b×3bの薪置き場も何とかつぶれず、ベンチが雪の中から出てきました。

平成25年2月26日
二月中頃に、降雪の後雨、その後冷えたので、山小屋へ続く村道はアイスバーンです。
薪置き場は雪に埋まりました。
雪は深い所で80p
あります。

平成25年2月17日 三味線のお稽古  石川市 伊藤恵美子
午後7時半、外は真っ暗である。
老化防止にと始めた三味線も五年経った。
一向にうまくならないけど続いている。
道のり三十分お稽古一時間
、帰りと合わせて二時間かかる。
仕事で疲れていたり雨の日や雪の日など「いやだなあ」と思っても、先生が待っていて下さると思うと休めない。
窓を開けると虫の声が励ましてくれる。
春の夜桜、夏の花火、信号待ちが楽しくなる。
あと六年で還暦。だけど、私はまだ六年も残っていると思おう。
運転だってゆっくり走ればいい。さあ今夜もハンドルさんお願いします。

平成25年2月3日 わらっちゃいます  渡辺譲
やきものの言葉はやさしさがあって良い.
窯の中で割れたり、ひびが入ったりすると
「器が笑った」と言って、傷跡を景色として楽しむ。
傷あるゆえに力強さが見えて、土物の作家には人柄の良い人が多い。
ロクロもあまり上達すると、作品が上滑りして面白くなくなる。
職人にならずにむしろ下手くそなくらいでいると、味わいが感じられるようになる。大家になってはそれは出来ない。
上手くはないんだが、なんとなく味があってほっとする。
ぬくもりを感じる器作りがテーマなら、やたら上達のみを考えず、
窯われもまた楽し」と、やきものの傷やボロボロになったあなたの心の傷をも、すべて笑ってしまったほうが、心安らぎ豊かに暮らせるってものだ。
雪の重みで薪が崩れそうです。少し融けたのか氷柱ができています。

平成25年1月4日 人生に定年はない 3  俵萌子
それまでも、私はかなり熱中して焼き物を勉強していたと思う。
にもかかわらず、売れるものを作らなくてはならないと思った日から、私の姿勢は微妙に変化していった。はっきり言って真剣になった。
「俵さん、線は、朝、引きなさい。夜はいけません。線は、体力も気力も、ベストコンディションのときでなくては引けません」
「この草の根元は、どうなっているんです。根元の弱い絵はいけません」
「どれもこれも、同じ調子の絵はダメです。強弱があって、はじめてどちらも生きるんです」

そう言った言葉を、一つ一つ胸にたたみ込む。
たとえ、十分、席を立つ時にも、作品にかならず濡れ雑巾やビニールをかける
ゴマ粒ほどの”釉はげ”でも、焼き直す入念さ。
プロの仕事の手際の良さと緻密さを、私は見て覚えた。
先生は、めったに教えてくれない。
焼きものは、口に出して教わるものではない。見て覚えるものですとはっきり言われた。

平成25年1月3日 人生に定年はない 2  俵萌子
老年期のお金を後生大事に握りしめて、退屈に、孤独に、ちんまりと暮らすより、面白く、賑やかに、大きく暮らすほうが楽しいじゃないか。
萌子は一代。私の稼いだ金は、私が使う。そう思うと、急に気持ちが楽になった。
よし、イチかバチか、大きな工房を立ててやれ。老年期のお金を使って、私は建坪70坪の工房を、別棟で建てた。
私にとっては、思い切って大きく、世間から見れば、小ぢんまりした建物である。
まァ、世間の目なんか、どうでもよろしい。
この建物が完成した時、私はがらんとした工房に、一人坐って泣いてしまった。
生まれ故郷の大阪を後にして、東京へ。東京からここ群馬赤城山へ。
その38年の歳月の中に、私の女の歴史があった。結婚。出産。二人の子供。そして夫との別れ。
一本の鉛筆で書いた50余冊の本。そして、一本の鉛筆で建てたこの工房。
何十回、何百回、いや何千回、私はへこたれそうになったことか。そのたびに、
〈萌子。がんばろう。もう少し〉。
小さな声で自分に言ってみた。

平成25年1月2日 人生に定年はない 1  俵萌子
どんな遊びも仕事になると、変わってしまうことがある。それだけは、避けたいと思った。
私はもう十二分に働いてきた。文章を書くという仕事で苦しみ抜いてきた。
焼き物だけは、苦しみにしたくない。
努力は、する。でも、苦しみにはしない。
私の場合、生活は、文章で支えている。老後の備えも済んでいる。子育ての責任も果たし終えた。
そこが、若い人と違うところだ。第二幕の人生の特権である。特権はフルに生かそう。
どんな場合も、
ぐい呑み一個でも、楽しんで、楽しんで、わくわくして、手塩にかけて、採算を無視して、作りたいように作ろう。
プロに比べて、少々下手でも、作者のこのわくわくする思いは、きっと買ってくれる人に伝わるに違いない。
五十五歳から始めた焼き物の武器はそれしかない。私はそう思うことにした。

平成25年1月1日 正月
ブルーシートで囲った穴窯に正月の鏡餅をに置きました。
今日から五月の窯焚きに向けてスタートです。