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令和3年6月27日 | 秋の窯焚き |
他人のことに興味はないが、人は思ったほど他人のことを気にしていませんね。 毎日面白く暮らしたいものですが、でも、今私は毎日生きていくだけでやっとという気持ちです。(コロナ鬱でしょうか) 「人生はバランス」 悩みは次の希望へのステップアップ。 悪いことが起きた時に、クヨクヨせずにプラスマイナスゼロの発想を持つことは大事です。 秋の窯焚きに向けて準備開始。 |
令和3年6月23日 | 窯出し |
人間生産的になるとゴミを出しますが、私は燃えないゴミをたくさん作っています。 |
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令和3年6月22日 | 窯出し |
窯を開けると緋色が鮮やかに焼き上がっている。 灰はカサツキもなく、よく溶けている。 今までは灰が溶け過ぎて作品がはがれなかった。 緋色を出すにはこの焼き方がベストである。 |
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令和3年6月20日 | 無形の財産 志賀伸子 |
毎年のことだが、私は四季の巡りの中で春が一番好きだ、が春は18年前に父が逝った季節でもある。 父の死因は「癌」であったが、それ以上に人生の大半を苦しめ続けた病があった。 神経の一部が冒され、年とともに手足の自由が利かなくなる難病である。 私が教師として初めて卒業生を出した時、その感動を語る私の傍らで、「あの頃の体力にもどれたらなぁ・・・」と、ぽつんと言ったのを思い出す。その時の父の心をよぎったものは何だったのか、と心の奥を思いやることもなかった自分がなさけなく、春を迎えるたびに悔やまれるのである。 次第に歩行が困難になっていく父、中学生のころから私はそうした父を避けるようになった。 父は病身もてつだって、次第に気難しく怒りぽくなっていたが、父はどんなにか孤独で寂しかったことだろう。 そのころの父の心中に思いを馳せるだけで、私の春は哀しみに包まれる。 しかも、そんな思いになったのは父が逝ってからなのだから薄情なものである。 なかでも、父との対話が少なかったことは悔やんでも悔やみきれないもののひとつである。 私は今年、還暦を迎える。だんだん父の逝った年齢に近づくに従い、父の人生をかみしめるようになった。 そうして思うのは、子や孫に残せる生き方を私はしてきただろうかという事である。 人の生き方こそ、どんなものより一番の財産だと思うこの頃なのである。 |
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陶芸の師匠、山田先生が亡くなって十六年、師匠の奥様(96歳)から日府展での長野県知事賞の受賞祝いをしていただきました。 師匠に教えていただいたのは遥か昔のことなのに、弟子の私を、奥様がお元気で祝っていただけるのは本当にありがたいことです。 |
令和3年6月13日 | 窯焚き四日目夜 |
PM6:00 夕食後、何時に窯を止めれるのかと、妻と二人最終の薪くべです。 PM7:00にぐい飲みを引き出すと灰が解けている。 奥のゼーゲルを見ると8番が倒れている。 午後8時窯を閉め水を撒いて終わりました。 |
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令和3年6月12日 | 窯焚き四日目 |
AM6:00 1250℃まで上げました。 平林さんに、朝AM7:00から昼まで応援に来ていただいた。 鶯が鳴き、野兎が窯の周りを歩いている。 何の木か不明の樹はウラジロノキと判明した。 お昼はお世話になっているグリーンプラザホテルさんからテイクアウトしていただきました。すごく美味しい。 午後1時から5時まで武村さん夫妻に応援いただいた。 PM5:00に1300℃まで上げました。ゼーゲルを見ると7番が倒れていないので、妻と二人夕食にする。 |
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令和3年6月11日 | 窯焚き三日目 |
AM6:00 窯温度180℃、気温16℃、快晴で暑い PM5:00に 1000℃まで上げました。 捨て間を閉め、煙道を開ける。キビタキ来る。 今日は花岡さん、林さん、宮坂(美)さん、中沢さん、宮島さんにAM10:00〜PM3:00まで応援していただきました。 妻も焚きますので、お昼と夕飯は、お世話になっているグリーンプラザホテルさんからテイクアウトしていただきました。 とてもおいしくて、今回体重減はわずかでした。 夜7時から翌朝AM6:00まで岩田さんに応援いただきました。 夜はベッドに横になり四時間寝させていただきました。予定通り寒くない。 |
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令和3年6月10日 | 窯焚き二日目 |
今年の梅雨は早まる予想が外れて遅れています。今回の窯焚きは雨の心配はなさそうです。 ロストルで一日火を焚きました。朝の気温18℃、昼は20度、郭公が鳴きレンゲツツジが咲く。 平塚の山口さんが遠いところを応援しに来ていただいた。 捨て間を開ける。AM7:00〜PM5:00。600℃まで上げました。 |
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令和3年6月9日 | 窯焚き一日目 |
今年もすでに六ヶ月が過ぎました。後半も十月になれば寒くなり寂しくなります。 今、世間は新型コロナの自粛中ですから、少数精鋭で四日間じっくりと窯を焚いてみます。 秋の窯焚きの頃は、新型コロナのワクチン接種が多分終わっていると思いますので、全員参加で窯焚きを行う予定です。 今回は私の目指す緋色にこだわって焼きます。 ロストルで一日湿気を抜くため火を焚きました。捨て間を開ける。 快晴で朝の気温10度、昼間は暑い。春ゼミが喧しい。焼き芋うまい。 温度管理のパソコン故障して、岩田さんからお借りする。 AM7:00〜PM5:00。450℃まで上げました。 |
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令和3年6月6日 | やきもの |
どうしたはずみであったか、私はやきものに憑かれて夢中になった、そしていつの間にか年老いた。 老いてふと顧みると やきもの歴四十年も過ぎていた。 そんな経験の中でいったい私は何を得たのか、何もない。しかし一つ、気付いたことがある。 やきもの好きな私は、やきものにはなんといやな物、嫌いなものが多いことかと知ったのである。 ほんのたまに、心をやるに足る好きなもの、素晴らしいものと見とれるものに出くわすことがある。 好ましい物に出くわした歓喜と感激。安物だからといって軽視はしない。 |
令和3年5月30日 | 第68回日府展 |
第68回日府展は審査・図録作成・展示の準備はされました。 が、国の緊急事態宣言期間が延長され、東京都立美術館は休館となりました。 第68回日府展(東京)はオンライン展示となります。 名古屋展は予定通りに行われます。 私は長野県知事賞を受賞しました。 |
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昨年は活動を停止した下諏訪美術会。 今年はコロナ対策を徹底して活動します。 下諏訪美術会小品展です。 |
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令和3年5月23日 | 窯 レンガで閉める |
徳光彩子 最近は抹茶の味に惹かれている。 NHKの日曜美術館で萩の板倉親兵衛が出演された。 我が家にある抹茶茶碗の作者は先々代の萩の板倉親兵衛に違いない、と思った。それでも私は、なつかしさに胸が熱くなった。 昭和の初め日支事変が始まったころ、父が山口へ出張して抹茶茶碗を土産に買い求めた。母がお茶をやっていたからだろう。 私はまだ小学生でくわしいことは覚えていないが、お茶をいただいている父の姿は今も鮮明に覚えている。 茶碗の話をしていた父母の姿は、おぼろげに残っている。 「ぼかしの濃淡のある肌の色が、とてもいいねえ」 「ところどころにはじけた模様があるんが、何とも風流でおもしろいよ」 そんな言葉を繰り返していたようだ。 茶をたしなむことによって、茶碗にたいする愛着も深まっていったのだろう。 そんな日々の中で、あまり仲の良い夫婦ではなかった父母の気持ちも和んでいったようだ。 静かな住宅地はガソリンカーの音が響くだけの、のどかな時間が流れていた。 わが家にとっても、平和でいちばんいい時代だった、という気がする。 |
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令和3年5月16日 | 窯詰め 前の段 灰かぶり |
最近考えます。やはりプロが作ったものは違う。 上手な素人とプロとは同等でなく、やはりその間には説明し難い何らかの差があるというのが私の結論です。 上 0×10 15×15 10×10 |