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W−5 山小屋の論理とゾーン別棲み分け(20)

 山小屋の論理とは、自然の区域内に既に山小屋を建設し、自然を享受している人が、後発の山小屋建設を、自然破壊であると非難する理屈の(実はない)ことを言うのだが、先発だから良いのかという身勝手さと、自分の山小屋も少なからず自然に悪影響を与えているという事実を見過ごしているので、言う資格のない論理であることを端的に伝えている。

 このように解釈される対立は各所に見られる。例えば、純粋の自然の問題ではないが、二酸化炭素の排出枠の問題がつい最近あったばかりだ。これは地球規模の現象なので、各国の先発後発の議論があり、先発組である先進国(金持ち国)が、気持ちの上では、もう開発の利益を十分享受したので、あとは環境問題が重要だとしているのに対し、後発国(貧乏国)が、これから開発を進め、豊かになりたいとする気持ちが邪魔されることに似ている。山小屋を先に建てた人も金持ちだから、これらは金持ちの論理と言い換えることもできる。同様事例はローマクラブ、捕鯨(黒マグロも)反対運動、グリーンピースなど(同様の趣旨であることの完全な証明はここでは出来ないが、金持ち[国]の運動であることはすべて一致している)

 日本国内にかえって、国土の自然の太古よりの変遷を見ると、縄文式時代の昔は自然の中にその一部として人間が生活していたのが、弥生時代に稲作がはじまり、農地の開発が始まったときから、森林伐採、地形の改変などによる自然破壊がスタートした。その後都市の建設を経るなど、自然を侵食して現在の日本国土となっているのだが、ここで更なる自然破壊は絶対に駄目だと主張するのは、前記の「山小屋の論理」に似てはいないだろうか。

 開発が必要であれば、「開発ごり押しVS絶対反対」の不毛な議論は避け、国土をゾーン分けして、残すべき自然の区域を明らかにし、そこ以外の開発であっても、最小限の区域の自然改変にとどめ、無駄な自然破壊がないようにすべきだと思うのだが。  

多自然研究方法論の一提案(終わり)

 

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