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V−15 ヘドロはそんなに悪くない

 長良川河口堰の直下流で底質調査をしている建設省のエリート課長が、TVに大撮しにされているのを見たことがある。あがってくるサンプルは画面で見ても泥なのが分かり、インタビュワーも「泥ですね」と課長さんに確かめているのに、彼は泥であるとは断言しない。泥が上がると何かまずいことでもあるらしい。

 少し専門的にいうと、河口堰を建設した場所は将来の河床高に合わせているため、前後より深くなっている。河口部で凹地の水の流れの少ない所では、塩分の作用もあって、流れの速い上流で沈殿しなかった泥分が、最後にここでたまって当然なのである。海底の浅い箇所の浮泥が干満流や潮流で流され、深いところに納まるということもある。だから河口部には場所によって砂地の所もあるし、泥質の所もあるのが当たり前なのだ。

 ここでヘドロと泥の違いを述べなければならない。粒径分布の違いでなく、含有有機物の多いのが前者という説明がよいだろう。日本人はこれをごちゃ混ぜにし、すべて悪者扱いにする場合があるかと思えば、一方で各地に残る干潟を保全せよ、とも主張する。干潟の土は泥質であるところに特徴がある。泥で、若干の栄養分を含んでいるから、渡り鳥の餌となる小動物の生息環境に適しているということだ。公害列島時代の田子の浦のパルプ排水によるヘドロは極端な例だが、それほどであれば底棲生物も生息できないから、除去処理する必要はある。

 少々の有機物を含むだけの「ヘドロ」を目の敵にして良いのか。それらヘドロの直上の水は嫌気性になり無酸素になるから、魚などが死んでしまうので良くないと言われる。しかし、魚は泳げるので、死ぬ前に逃げるであろう。シジミなどの貝は砂質地を好むので、もともとそこには居ない。あるいは嫌気性を好む生物が居るかもしれない。何しろ深海底で海底火山ガスを栄養にしている生物もいるくらいだから。

 河川河口域の生態系あるいは水質に関する研究は少ないが、好気性の場所と嫌気性の場所が併存して、生態系が成り立っている可能性がある。また水質の変化過程を細かく見ると、好気性の水塊で窒素分はアンモニアから硝酸に酸化し、それが嫌気性の水塊に移って、還元脱窒される窒素分の自然浄化作用も考えられるのである。(下水処理場の高度処理ではこの作用を人工的に再現する方式もある)

 ヘドロのあるなしを善悪の基準とするのはきわめて非科学的で、河川にとって何がよいのかというもっと掘り下げた議論がほしい。

 

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