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 以上の「常識」の誤りの指摘だけで多自然研究方法論の全貌に迫るのには限度がある。大切なことで抜けていたものは、やはり多自然研究方法の「そもそも論」に違いない。

 「そもそも自然とは絶対に保護しなければならないものなのか?」「そもそも自然を守ると言うが、自然をより良いように造り変えることはどうなのか?」「そもそも人間の存在自体が自然に影響を与えるのに、人間に優しい自然なんてあるのか?」など疑問は尽きないのに、解答は何も用意されていないように思える。

 河川事業の中に「多自然」の考え方が入って以来、土木屋も生物の勉強を重ね、もうだいぶ経っているというのに、確かに知識は増えているが、これら「そもそも論」に答える、両技術分野の間(広く言うと開発と保護との間)の全体の枠組みの整理が未だに初期の状態から抜け出せていないとも考える。そこで以下にW項シリーズとして、土木屋が素朴に持つ疑問を、対立(両立?)する2つの概念(価値観?)で比較する設問により、明らかにし、あるいは解答を試みたい。

 なお、それらは土木屋側の(少なくとも私の)思考パターンの特異性からこだわりが抜けず、本誌愛読の生物屋のみなさんには設問自体、「なぜこんなことが分からないのか、また、こだわるのか?」と、当たり前のことと考えられる方も多いと思う。私個人の勉強の整理もかねた設問となっていると理解してほしい。

 また、土木事業を本業とする立場から、専門外の生物学を耳学問した「机上の論」の域を出ない(机上の論にはしたくないが)ので、生物の勉強が足りないところは是非誌面などでご教授願いたい。



W−1 生態系保護の絶対性、相対性(16)

 「そもそも論」のうち自然保護の立場から他の価値観と競合する場合に関する設問である。

 自然生態系を何から保護するかというと、もちろん人間活動からであり、自然保護の立場だけからの理想は、人間が何もしないことにある。だからもともと自然の河川で、事業を実施する場合は、その事業がその本来の目的に照らし、本当に必要なのかという検証がまずなされなければならない。必要性に若干でも疑念があれば、納税者の立場からも指摘を受けることになろう。その意味では、無意味な行為からは自然生態系は絶対に守らなければならない。宇宙船地球号の乗客は人間だけではないからだ。

 その事業が必要であるなら、後は自然保護の立場との妥協をどこに見いだしていくかがその後の作業となる。可能な限り自然に対する影響を少なくする、と言ってしまえばその通りだが、かかる費用も考慮してのことである。費用がかかるということは、他の場所での資源を無駄にするとか、エネルギーを余計に消費することとかになり、地球環境に全体としてみると害になる場合もあり、広い意味での生態系の保護と矛盾するという見方もあるからだ。こちらの意味からは、自然保護は相対的な価値にとどまっていると言えよう。

 長良川河口堰の論争で、河口汽水域の生態系の破壊は絶対に許されない、という議論があった。その中には「汽水域でしか生殖できないシジミがいなくなるのはけしからん」という主張もあった。河口堰の第一の目的は淡水化にあるのだから、事業者は利水事業、あるいは治水事業に伴う塩害を防除するため、汽水域の環境を変えざるを得ない(汽水域が消滅する)ことをはっきり言い、水資源(※)を他に求める場合より、地域全体として自然への影響が少ないこと(ここでいう相対的な価値観)を主張すべきだ。実際はそのような経緯があったあと、議論が煮詰まり、事業の目的である治水事業利水事業の必要性(絶対性の議論)の方向に進んだ(順序から言うと戻ったことになる)のは当然といえよう。事業者は環境に対する影響を可能な限り軽減する、と言っていたので、攻める方は、この相対性の議論で、納得したのか、あるいは不利と見て、議論の攻め口を単に変えただけなのか、曖昧なところがある。(※河口堰事業が必要ないとする人たちの議論の中心は、水資源は需要の伸びがなく、節水等で対応できるというものであった)

 

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