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W−2 放置か現状保護か (17)

 遷移する自然現象がある。例えば海岸砂丘地帯及びその周辺の生態系は砂の移動状況により微妙に変化する。私のかっての仕事の対象であった宮城県蒲生海岸は、砂丘背後の干潟が渡り鳥の休息地として貴重な地形とされていたが、近くで行われた港湾工事などにより、海浜の漂砂移動条件が変わり、砂丘が背後に拡大し、干潟が砂で埋まりつつあった。この事態を放置するのか、それとも人工的に現状維持を図るのかが議論の対象となった。私の仕事となったのは、その人工の手段として、二級河川七北田川の河口導流堤改築にあたり、その高さあるいは透過タイプにするかの検討が、自然保護サイドから要請されたからだ。それによって河川水が導流堤裏の干潟にどの程度補給されるかが決まり、蒲生干潟が保全できるかどうかに重大な影響をもたらすのである。土木事業により自然の保護を図ろうとする検討がなされたわけである。

 鳥取砂丘では砂丘への植生が自然に進み、砂丘としての状態を保護することが課題となっていると聞くが、これは、蒲生干潟の現象とは逆の現象となっている。

 日本の各地で見られる湿原の保護の問題も同様だ。そもそも湿原は湖が流入土砂、富栄養化生産物などで埋まり、最終的に干陸化する過程の一時期の地形と理解できるが、その状態を固定するには、人工的に砂防あるいは地下水位維持工などの努力が必要だ。

 セイタカアワダチソウなど帰化植物に占拠されつつある日本の野の状態とか、在来魚種がブラックバスなどの外来魚に駆逐されつつある湖の現状を、是認するのが「放置」で、駆除して日本古来種を守るのが「現状保護」という例もある。ちなみに、ブラックバスなどを駆除する努力は、自然保護というより、漁業という産業からの要請だと理解する方がわかりやすい。

 前項で述べた自然保護の価値観からすると、いったんは人間の影響で変わった自然といえども、その後は人間の(たとえ良かれと思う行為でも)影響をなくし、あるがままに放置するのがその神髄だと思うのだが、この項で例を挙げたように、人間によって現状保護される自然の考え方も一方で主流となっている。

 アメリカロッキーの自然公園では、山火事の消火も人為ということで避けていると聞くが、その対象となっている(原始)自然と、日本で言う人間に都合の良い自然とを分けて考える必要があろう。蒲生も鳥取も湿原なども、その地域では稀少だから守りたい、という人間の欲求に基づいており、人為でないと守れないことからすると、人間の都合によるものに違いないと考える。

 人間によって保護の努力が必要ということは、「特別天然記念物」の考えに似ているとも思う。レッドデータブックなどに記載の絶滅危惧種などの貴重種(絶滅種、絶滅危惧種、危急種、希少種などの総称として筆者が便宜的に使用している、以下同じ)も、全世界的に絶滅の恐れがあるときは、その遺伝子情報の確保ということがあり、過去に絶滅した日本オオカミ、トキなどが永遠に復元できないことを考えると、十分すぎるほどその意味が分かる。しかし、ある地域での存在が珍しい(南限北限などの理由もこれに含まれる)とする貴重種は、この「特別天然記念物」の「学術的に貴重だから残し、後の学問の発達に資したい」という考えで説明された方が、私には理解が早い。

 この地域版貴重種の保護のもう一つの理由として「その地域の生態系を守る指標になるから保護する」という考え方がある。例えば、食物連鎖ピラミッドの頂点に位置するワシタカなどの猛禽類が棲息していることは、その地域の健全な生態系が保持されている結果であり、それらの保護が地域全体の生態系を守る指標にもなる、というものである。しかし、もし放っておいて絶滅してしまう、生存力の弱いものなら、この項での「放置」する自然という考えで見直してみる必要がありはしないか、とも考える。この「放置」の意味だが、「放置」に矛盾するものは、巣箱の設置、稀少樹木の植林などで、矛盾しないものは、盗獲盗掘などの監視であろうが、いずれも人間の関与を排除することに詰まる。生息域への人間活動の侵入も場合によってはこの関与になるが、狭い日本で既に奥地まで開発が進んでしまっている現状では、その動きを逆戻しするぐらいのことでなければ、絶滅の方向は変えられないのではないか。

 もし真剣に絶滅の動きを止めようとするなら、あとで述べるように、ゾーンに分けて、保護すべきと決断した地域からは、人間活動を撤退させるくらいの覚悟が必要と思われる。

 

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