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V−13 森は海の恋人か

 前項と似ているが、三陸などのきれいな海で、山の森の植生が出す栄養分が川を伝って流れ、海の牡蠣を育てるという信念があり、それに基づいて山に植林をしたり、途中の川でのダム建設を阻止しようという運動がある。一見海に何の関係もない山が、実は海の生物の成育に重大な影響があるのだと主張し、それを「森は海の恋人」という名キャッチフレーズで広めたものだから、全国の環境保護運動家がとびついた。山(及び海とを結ぶ途中の川)の自然保護の理由がもう一つ増えたことになる。

 この信念は是非科学にしてほしいが、前項の磯焼けと同様の現象であり、かなり難しいのではないか。

 海産物というと、昔学校で習った世界の四大漁場の理由が思い出される。それによると、世界の海の大部分は、陸でいう砂漠のような状態である。なぜかというと、栄養分が極端に少なく、食物連鎖の底辺たる植物プランクトンが育たず、頂点たる魚も少ないというのだ。さらに大洋の真ん中では、深すぎて、有光水深内では付着藻類が育たないことも加わり、小魚が住めず、わずかにいるのはマグロ等の回遊魚だけだという。逆に、漁業が盛んなのは、大河川が流入する栄養分の豊富な沿岸域であり、かつ海流循環の特性である湧昇流(陸起源で深海にいったん沈殿した栄養分がまた海面に戻る)の見られる、四つの沿岸海域が大漁場になっているというのである。陸からの栄養分の補給が期待できない海洋の真ん中は、水はきれいだが、死の世界だということになる。このように栄養塩類全体をとらえて「は海の恋人」というのであれば理解できる。

 栄養分というと、陸水域では厄介者のN,P等の栄養塩類のことだが、海域では、赤潮などを起こすほどの「富」栄養でなければ、必要なのである。さらに、平均すると貧栄養の海洋をもう少し富栄養にしてやれば、今話題の二酸化炭素対策の切り札になるという説もある。

 海に面した下水処理場の放流口に魚がよく集まるとか(これは栄養分というより、下水処理の過程で発生する活性汚泥中の原生動物が、魚の餌になっているのであろう)、昔は盛んに行われていた、屎尿の海洋投棄の漁業に対する影響のうち、良い部分(極端な例だが、海苔漁場に屎尿をまくことがあった)などは栄養分補給の考えだった。

 今は海洋汚染防止条約で原則禁止だが、屎尿ないし下水汚泥は、十分に消化、分解して、病原虫などが駆除された後であれば、積極的に海洋「還元」して良いのではないか。

 さて、三陸の海に戻ると、そこでいう栄養分はN,Pのようなメジャーなものではなく、極微量の金属類であるらしい。この微量元素の種類と必要十分量及び陸での発生場所、補給経路あるいは森があるとなぜ良いのかを明らかにしないと、科学にはならず、一部の人だけとしか共有できない「ファッション」のようなものに終わる恐れがある。

 

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