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| 令和7年12月31日 | 除夜の鐘 |
| 私は、年中がたがた落ち付きなく暮らしているのだから、年の終りくらいは静かにしていようと思う。 お気に入りの壷に手を置いて、もう雪が来たという山小屋に行くことなどを考えている。 山小屋の辺りに自生するクマザサは、白い縁取りの葉に雪を載せて、そのまま年が変わるのであろう。 さりとて年の瀬になってもざんぶりと 湯のあふれ出て除夜の鐘 |
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| 令和7年12月28日 | 父へ 斎藤大仙 76歳 |
| 今年の冬、秩父は未曽有の豪雪に見舞われた。連日、雪掻きに明け暮れたが、その間私は、ずっと亡くなった父のことを思い続けていた。 大雪の大寒の朝父逝きぬ不肖の我の試練始まる 父は寺の住職だった。その傍ら、民生委員・教育委員などの役職に就き、地域のために貢献してきた。父の一生を表現するなら「清貧」の一語に尽きるような気がする。国中が貧しかった戦中戦後は勿論、バブルの時代になっても、その姿勢は変わる事はなく、慎ましく、慎ましくという生活だった。 清貧に生きたる父の歳を生き日々思い知るその難しき事 父が亡くなってから三十年、私も父の亡くなった歳となり、父のもとに旅立つ日も近い。父の一生には遠く及ばないけれど、あの世で父と会ったと時に、恥ずかしくない生き方をしてきたつもりだ。父よ、まだ足りないところがあったら、夢の中で良いから、私を叱ってほしい。その言葉をもとに、これからも、残された人生の中で、精一杯精進しようと思う。 |
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| たぎらざる 命をささげて 年ゆけり | |
| 令和7年12月21日 | 墨蹟 |
| 墨蹟とは書の中で、おもに禅僧の書いたものを指す。 弟子が悟りを開いたときに師が与える印可状、師の心境を詩であらわした偈、師が高弟に与える道号、寺の山号や寺号、室号などを扁額として掲げるための額字など、墨蹟の内容はさまざまだが、なかでひときわ印象鮮やかなのは雄渾な額字や道号の大字である。墨蹟の魅力は、傑出した僧の心のありようが、呼気のように直接伝わってくるところにある。 大晦日の晩に、あくる年の目標事項を書き留めるという習慣を私は持っている。 行く年の 息災の身を 洗いおり |
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| 令和7年12月14日 | 永六輔 |
| 沢村貞子さんとご主人は生前、どちらが先に死んでも、墓参りは老人にとって大変だしお墓はいらない、自宅の窓から見える海に遺灰を撒いて自然に還りたいと約束していた。 三年前ご主人が亡くなると沢村さんは約束どおり墓を作らず遺骨はきれいな風呂敷に包まれて傍らに置かれていた。 「葬式も墓もいらないって二人で決めたのよ。価値観が同じ亭主と一緒に暮らせたということが、どれだけ幸福だったか・・ねぇ、あなた」語尾が必ずご主人の遺影に向けられ、僕は沢村夫妻と話している形だった。ご主人の三回忌をすまされた後、静かに亡くなられた沢村さんの遺灰はご主人のそれと一緒にして、相模湾に撒かれたのだ。 |
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| 木漏れ日の下の、ひっそりと苔むした両親の墓石に掌を合わせたとき、幼い頃の自分を感じた。 私はあのころと、どこも変わっていない。 |
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| 令和7年12月7日 | 永六輔 |
| ホスピスへ行って話をすることがある。おもしろおかしく話をして笑わせ帰り際、もうまもなく亡くなろうという方に言われた。「永くん、君を若いね」褒められたのではない。 「われわれは泣きたいんだよ、笑いたくないよ、笑うと面白い。面白いと、ああ、もっともっと生きていたいと思うじゃないか。せっかく死ぬつもりでここにいて、あとは静かに泣きながら死ねればいいのに・・」 笑わせやがって・・この野郎! というわけである。 痛みや苦しみは薬で排除できる。だが「いてぇーいてぇー」と言いながら、「こんなにいてぇなら死んじゃったほうがいいや」という気持ちになれるほうが、もしかしたら神や仏に頼るより楽かもしれない。 |
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| 肌寒く七十路の 爪の白さかな | |
| 令和7年11月30日 | 一言絶句 永六輔 |
| 一本一本歯が抜けて おかしいかなしい老いた父 少しづつ親に似ながら老いてゆく 死ぬのは怖くない 老いるのが怖い |
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| それぞれの愚痴居並びて日向ぼこ | |
| 令和7年11月23日 | 聖徳太子 |
| 「世間虚仮(こけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」 は聖徳太子の言葉として大変有名です。 「世間は虚仮なり、唯仏(ただほとけ)のみ是(こ)れ真(まこと)なり」 つまり、この世は虚(むな)しいものだ。 生者必滅会者定離 |
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| 令和7年11月16日 | 仏像 |
| 仏像を拝見するとき、美術品のように鑑賞する方法もある。 しかし、私は故事来歴や、学問的なことや、美術批評的なものは、むしろ邪念になるのではないか、という気がしている。 ただその前に立ち、ああ、ありがたいな、という気持ちで拝むことが一番だろう。 いま、この仏さまに会えてよかった、このお寺に来てよかった、と素直に思えることの方が大事なのではないだろうか。 行く秋を 秋にしあげて 秋の雨 |
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| 令和7年11月9日 | 病院 |
| 病人になり、病院通いで薬を飲んでいる。病院は大繁盛。 待たされること、新郎新婦の初夜の如し。一向に晩(番)が来ない。文庫本なら一冊読めてしまう。 寒しんしん 気づけば金の ない寒さ |
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| 令和7年11月6日 | 誕生日 |
| 母が認知症で亡くなったとき、もちろん悲しかったが、ほっとしたのも事実だ。それはこれ以上介護が長引くと、自分も妻ももたないと思っていたからである。七年間母と共に走って生きてきたし、その役割をはたしてきた。しかし、妻は葬儀の一か月前、トイレで倒れ入院、救急車で運ばれる妻に付き添った私は病院で、私も一緒に入院を勧められるしまつ。 私の哲学は「死にゆく者を見送るのは、人の人たる義務だ。しかし、送る人の生活の質を低下させる事があってはならない」と思っている。親を看取る場合、子こそが幸福でなくてはならない。子の幸福こそ、親の希求する最大の幸福ではないか。 現代医学は、生きている期間を延ばすことは充分にしてくれる。しかし、死にゆく人が心静かに死ねるように、死者の国に旅立つようには仕向けてくれない。死の瞬間まで、管につないで、死者を生の奴隷にしている。 |
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| 令和7年11月2日 | 西村陽吉 |
| 「机の上に本が一冊載っている それを読み返す時間がほしい」 西村陽吉の口語短歌である。陽吉は明治二十五年、東京下町生まれ。東雲堂のの養子に迎えられ、若山牧水の第三歌集「別離」、啄木の「一握の砂」、茂吉の「赤光」、白秋の「思い出」など出版している。 「金儲けだだと毎日人は騒いでいる 神よこれが 本当の暮らしでしょうか」 「金を儲けて いい生活をする いい着物を着る それでその人は何をするのでしょうか」 大正八年ごろの作だが、歌の内容は、十分新しい。 |
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| 令和7年10月26日 | 秋 |
| 昼間は教室、行事、付合、良い季節は結構忙しい。 秋の夜長の楽しみは、酒も歌もパソコンもあるが、定石は月と読書がやはりいい。 腹立てぬ ことをきめたり 時雨るる日 いつもより ゆっくり歩む 秋深し |
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| 令和7年10月19日 | 出久根達郎 |
| 「なつかしき紺の表紙の黴の本」とは虚子の句だが、この間、あるお客さまにゆずっていただいた本が、まさにそれだった。もっとも、懐かしいと、顔をほころばせたのは、私でなく、そのお客様の祖母である。明治四十年に発行された「家の鑑」という上下巻二冊本である。定価が二冊で三円六十銭、当時の米価に換算すると、白米が二十二三キロ買える。高価な本である。 おばあちゃんが嫁入りの際、母親に持たされたものだそうだ。「お金というものは、いつか無くなるが、本は一生もの」そう言って買ってくれたという。 | |