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平成23年12月31日 | 大晦日 |
今年も残すところ今日一日。 今年も一年間とても忙しかった・・・・。 工房と山の窯場と今年から老人施設でも陶芸を教え、研修バス旅行に行き、穴窯を焚いた。 定年後は「楽しく生きる」しかないと、腹を決め、 出会いを求め、来る者を拒まず、去る者を追わず自由に生きる。 泣いても笑っても残り時間はあと二十数年?・・・・・だ。 東日本大震災と福島原発、そして台風、今年は大変な年でした。 「セシウムの 雨降る街に並びつつ 水求めむと 幾時間待つ」 今野 金哉 (福島県福島市) 日本は人口減少だけでなく、すべてが静かに衰退しているのは誰でも感じていることです。 誰もが自分たちや子どもたちの生活がきっと良くなると、明日へ希望を持っていた日本はどこに行ったのでしょう。 日本人は自分が原爆を持たなければ世界は平和になるという不思議な考えをしてきました。 原子力発電所は平和利用だから安全だと言うトンチンカンな思想もありました。 これで極楽とんぼの日本人も目が覚めるのでしょうか。 しかし、やめる総理が官房機密費を、使っちゃえ使っちゃえと連日料亭で豪遊。最後まで品性が疑われますね。 その人が北朝鮮系の政党にお金を渡す。 第二次大戦でイギリス軍を「ライオンの群れを羊が率いている」と言ったドイツの将軍がいたが、 中国漁船に頭を下げてお引き取りいただく官房長官。 それに対し領海侵犯の中国漁船を凛として拿捕し続ける韓国、ベトナムの政府。 そして中国に気に入られようと日本を売り渡す外務官僚と政治家。 会社役員もオリンパスのように、会社や社会・国を考えず、自分の利益だけを考える悪人ばかり。 だいたい、あの子供みたいな民主党の先生方。 テレビでは調子のいいことを言って何も実行できないていたらく。 公約は灰燼と化しました。 政府も政治家も役人も責任を取らない日本はどうなっているんでしょうか。 恥を知れと言いたいね。 秋の窯では、奥の段の備前がまずまずでした。 今年は穴窯焚き2回、本焼15回、素焼12回でした |
平成23年12月30日 | 恥 |
今年もいっぱい恥をかいた。 思い出すたびに顔が赤くなる。 できれば記憶を消去したい。 誰にでも、決して明かしたくない失敗があります。 私はまあ自慢ではないが、恥ずかしかったことなど掃いて捨てるほどあります。 まさに歩く恥の宝庫といっても差支えないと思います。 「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃない」と小学校教師であった師匠の故山田先生は、よく皮肉っていました。 一人静かに反省する時、私は心の中で大砲をうちます。 ドーン・・・・・と 今は謙虚に、卑屈にならずに、自分の持ち味を大切にしたい。 そして、 「みずからの存在自体が恥である」 とは某大哲学者の言葉です。 |
平成23年12月25日 | もち米代 七円の唄 誰かとどこかで 千葉県 綿貫寿子 |
師走に沼津の母より郵便が届きました。 封筒の中には二万円と、便せんには、 「もち米代、少しだよ!」と一筆書かれていました。 母八十五歳、娘五十歳。いくつになっても子供の事を思う母に感謝。 いつまでも、いつまでも元気で長生きしてください。お母さん。 |
平成23年12月18日 | 小さな旅 七円の唄 誰かとどこかで 山形県 津牟田武子 |
人の幸せもつらい話も、聞ける余裕がなくなって天台寺に行く。 岩手県浄法寺町まで往復七百キロ、車で行く行く。 すべてに対して、ポジティブ・シンキングできるようになれればと、考えながら走っていく。 しかし帰り道、なにも無理にプラス思考でなくても・・・・・自分に厳しく、人に優しくなんて出来なくても、 自分にはもっと優しく、他人の幸・不幸は聞き流し、マイナスもそのまま受け入れてしまえ・・・・・と。 お寺の本堂に瀬戸内寂聴さんが出てらした瞬間「ウワァー」と大きな気持ちになれた。 一人の秋の小さな旅。大きな一日。 |
平成23年12月11日 | 捨てる 柳生博 |
人間がこれだけ長生きをするようになると、当然脳の細胞もさらに老化して壊れていく。そうすると人格までもが変わるのです。 これは恐ろしいことです・・・・・。 「僕だってもしかしたら認知症になるかもしれない」 かみさんが入院している間、一人いろんなことを考えました。 それで、不安でいてもたってもいられなくなって、「そうだ捨てよう!」と思い至ったのです。 鬱積した自分の人生の垢のような物たちを捨てることで、身軽になりたかったのかもしれません。 まず、僕は本に囲まれて暮らす人生だったので、たくさんの本を捨てました。次に洋服、書類、ビデオテープを捨てました。 そうしたら、家の広いこと、本当にスッキリしたのです。 かみさんは口癖のように「家が狭い、狭い」って言っていましたが、それはゴミの中に棲んでいたからでした。 本なんかは、読みたかったら図書館へ行けばよい。 洋服も買うだけ買って三年、五年、場合によって十年も着てないものが大事にとってある。まったく意味のないことでしょう。 踏ん切りをつけて全部捨ててしまいました。 新しく生きていこうという思いが、一番現れるのが洋服と本だと僕は思います。 何十年も前の百科事典を片手に、蘊蓄を傾けたら笑われてしまうでしょう。 |
平成23年12月4日 | 焚き火 西場 栄光 静岡県 昭和二年生 |
大焚火 つまらなくなるまで囲む ある工事現場の休憩時間、廃材を燃やしての大焚火のところを私はたまたま通りかかった。 寒い日だったので仲間に入れてもらってしばらく暖をとった。 さすがの大焚火も次第に下火となり、職人さん達は一人減り二人減り、最後は下働きの青年を残して、皆工事現場に戻った。 青年は残り火と灰の始末をしている。私はその時、はたと、人生を振り返ったのである。 年老いて友人、知人が一人減り二人減り、そして訪ねて来てくれる人もめっきり減った。 焚火も人間も盛んに燃えているうちが華で、離合集散、人生の縮図をこの大焚火に見る想いがした。 やがて私も灰になる、そんな思いにしばし佇んでいた。 |
平成23年11月27日 | 遺言川柳 |
若夫婦 待っている間に 老夫婦 大泣きの 順に手を出す 形見分け 今日は死ヌ 明日にも死ヌと はや五年 また会おう さらりと友は 手術台 |
平成23年11月20日 | 気 | ||
「人と比較すると不幸になります」と藤村俊二(おヒョイさん)さん 生きていく上で、「元気」「勇気」「陽気」の三つの「気」があれば大丈夫。それでもうまくいかないときは「時」という「気」を持つこと。 |
平成23年11月13日 | ランセット吸虫 |
ランセット吸虫はカタツムリに寄生し、その排泄物に紛れ込む。 するとカタツムリの糞が大好物の蟻がそれを食べる。 蟻の体に入ったランセット吸虫は蟻の脳に寄生し、脳を支配する。 蟻は草の葉のてっぺんに登り、顎を葉に固定するようにプログラムされる。 そして、蟻は葉とともに羊に食べられる。羊の腸でランセット吸虫は繁殖する。 羊が排便すると、無数のランセット吸虫がこの世に出現する。 ランセット吸虫のライフサイクルは、蟻の体内に入り込み、蟻が自ら死に向かうようプログラムすることである。 |
平成23年11月6日 | 今は幸せ 七円の唄 誰かとどこかで 長野県 長谷川十代栄 |
今は幸せ。 子供の頃から、働いて働いて、お金はちっとも残らない。 つらい時でも、大口開けて、ワッハッハッと、六十年。 百歳の母を看取ってホッとしたら、ご褒美に乳がんをもらっちゃった。そりゃないぜ。 これは、休みなさいっと云う天の啓示と、入院生活を楽しんで、それから、五年。 六畳と、四畳半、隙間だらけの我が家、子猫のひたいの庭で、花を育てて、晴耕雨読の独身貴族。 きれいに咲いてくれてありがとうって、飽かず眺める。 あんまり見つめるもんだから、一輪ざしの花火菊がはにかんでます。 |
平成23年10月30日 | 私の宝物 七円の唄 誰かとどこかで 八王寺市 川福節子 |
息子より初めての手紙。 自分でも忘れていた誕生日。カードには、 「生き方の不器用なおふくろ。 これからも、おふくろらしく、体に気を付けて、おめでとう」 あの悪ガキからと思うとうれしく、本当に年を重ねたとつくづく思います。 私の宝物が一つ出来ました。 |
平成23年10月23日 | 母の雑記帳 七円の唄 誰かとどこかで 岩手県 桜井とき |
母の手紙はいつも「こちらは心配ありません。あなたは忙しいのだから返事は無用です」と結んでありました。 横浜空襲で命からがら疎開したこの地に、生涯暮らすようになった私。 姑と主人との二人の病人を看取った苦労多い娘を、母は東京での生活を始めた中で、どんなにか案じていたことでしょう。 三度に一度、五度に一度は返事を出したでしょうか。書けば愚痴の一つも出るでしょうから。 母亡きあと、一冊の雑記帳が届けられました。 「何をするのも億劫な年寄りが、郵便受けの音に立ち行く」 の言葉に胸が痛み、涙がとまりませんでした。 今年は母の十七回忌です。 東京も近くなりました・・・・・。 |
平成23年10月16日 | 古い手紙 七円の唄 誰かとどこかで 豊橋市 高橋明子 |
実家の母から、古い手紙が送られて来た。 なんと、私が学生時代、母へ送った手紙だった。 封書十円とハガキ五円の時代。近況報告もあるけれど、ほとんどが、 「お金足らない、送って」の内容ばかり。苦しい家計の中から仕送りしてくれてたであろうが、どんな想いで読んだのであろう。 「今読んでも、涙が出てくる」と母は言う。 私は、ただただ、胸が痛くなるばかり・・・・・。 |
平成23年10月9日 | 涙と未来 七円の唄 永六輔 |
涙はどのくらい出るものなんだろうか。 水上勉さんにお伺いしましたが、本当に悲しいとバケツ一杯は簡単に出る。 涙が涸れるまでと言いますが、涙は涸れないよということもいっておられました。 命が終わるということに対する涙は、泣いても泣いても涸れることはないという事は何度聞いたことでしょう。 別な言い方で、我々には未来があると言ったときに、常に未来というのは明るいというイメージがそこに付き添いますが、本当はそうじゃないんですね。 未来は死であったりするわけです。 ですから死というものが自分の未来なんだと感じられたら、覚悟はできますということをホスピスの先生から伺ったことがあります。 |
平成23年10月2日 | 産経抄 2 |
三船敏郎 1997.12.26 三船敏郎さんの映画人生は、戦後日本の歩みにそのまま重ね合わされる。 この時代をともに生きた人たちの哀歓や苦楽をそのまま反映しているといっていいだろう。 『酔いどれ天使』のやくざの松永、『羅生門』の盗賊、そして『七人の侍』の農夫上がりの侍菊千代、『椿三十郎』のもちろん椿三十郎。 昭和二十一年の東宝第一回ニューフェース試験の時の伝説になったエピソード。 試験官に「笑ってみてください」といわれて、「いきなり笑えったって笑えるもんじゃありません」と答えたとか。 野性味あふれる男くさい男を演じ続けてくれた。 「七人の侍」のラストに「また負け戦だったな。勝ったのはあの百姓たちだ」というセリフがあるが、共演した千秋実さん(80)は 「『七人の侍』も(元気なのは)俺一人になっちゃった」とつぶやいたという。 こうして時は流水のごとく去っていく。 |
平成23年9月25日 | 産経抄 1 |
金と銀 2001.3.1 長寿の双子姉妹だった姉の成田きんさんに続いて、妹の蟹江ぎんさんも旅立ってしまった。 笑いやユーモアが脳の老化を防ぎ、体を活性化させ、病気の治癒力を高めることはすでに医学的にも証明されている。 きんさんぎんさんがテレビに引っ張りだこになり、CMの出演料をもらって使い道を尋ねられた。その答え 「老後のために貯金します」は一代の傑作だった。 日本人のユーモアは、古来、この世を去るにあたっての感慨で歌われたこともある。狂歌一首を詠んでもって辞世となした。 「この世をば どりゃお暇(いとま)にせん香の 煙とともにハイ(灰) さやうなら」 (十返舎一九) 自分の生死さえだじゃれとユーモア精神で笑い飛ばした。 「心あらば 手向けてくれよ酒と水 銭のある人 銭のない人」 (天広丸) 「ニ三百 生きようとこそ思ひしに 八十五にて 不時の若死」 (英一珪) などなどと。 辛辣なぎんさんは、いまわのきわにどんな感慨を抱いていたか。できることなら聞いてみたかった。 |
平成23年9月18日 | 現代学生百人一首 3 | ||
あの時に ああしていれば こうすれば if を重ねる 僕の人生 神奈川県 慶應義塾普通部 3年安田 恒星 手のひらの 生命線が短くて 「強く生きよう」 ぼんやり思う 飯田女子高校 三年猪狩有里 夢を追う あなたの背中が美しい 努力という字が 見える気がする 千葉県 市川東高等学校 3年高橋 由佳。 人生は 自分が作者の物語 結末くらいは変えてみようぜ 東京都 小松川高等学校 1年五十嵐 健太 限界は 自分で作った逃げだから 超えられるのも私だけでしょ 沖縄県 高校生 高速代 公立学校無料化と お金の事しか言えない政党 神奈川県 横浜山手女子高等学校 3年白澤 佳菜 |
平成23年9月11日 | 現代学生百人一首 2 |
「受験費用心配しなくて良いから」 と 父のメールに 涙こらえる 埼玉県 松山女子高等学校 3年小林 麻未 人込みの ホームで感じるむなしさを 父は何回味わっただろう 千葉県 市川東高等学校 3年佐藤 樹里 家事をする 母の背中を見ていたら ふいに声出た私がやるよ 埼玉県 松山女子高等学校 1年磯田 美優 おにぎりを 作る母の手見て思う 私はこの手に守られてきたと 広島県 総合技術高等学校 2年脇本 奈緒美 |
平成23年9月4日 | 現代学生百人一首 1 |
初任給で 何か送ると電話した 頑固な祖母が静かに泣いた 山口県 宇部工業高等学校 3年辻畑 真太郎 「よう来たね」 迎えてくれた祖母の手に 皺の数だけや さしさ見える 高知県 高知工業高等専門学校 4年小川 修平 あの時に 優しくすればよかったと 祖母の墓前で 何度も想う 千葉県 松戸六実高等学校 3年荒井 今日子 「帰るね」 と 言ったら急に話し出す 祖母の顔見て 「まだいようかな」 鹿児島県 鹿児島中央高等学校 2年内田菜月 会うたびに こぼれる笑顔むけられて 細く小さなしわの手にぎる 東京都 新宿区立看護高等専修学校 2年早川美喜子 |