平成23年12月31日 大晦日 
今年も残すところ今日一日。
今年も一年間とても忙しかった・・・・

工房と山の窯場と今年から老人施設でも陶芸を教え、研修バス旅行に行き、穴窯を焚いた。

定年後は
「楽しく生きる」しかないと、腹を決め、
出会いを求め、来る者を拒まず、去る者を追わず自由に生きる。
泣いても笑っても残り時間はあと二十数年?・・・・・だ。

東日本大震災と福島原発、そして台風、今年は大変な年でした。
  「セシウムの 雨降る街に並びつつ 水求めむと 幾時間待つ」  今野 金哉 (福島県福島市)
日本は人口減少だけでなく、すべてが
静かに衰退しているのは誰でも感じていることです。
誰もが自分たちや子どもたちの生活がきっと良くなると、明日へ希望を持っていた日本はどこに行ったのでしょう。
日本人は自分が原爆を持たなければ世界は平和になるという不思議な考えをしてきました。
原子力発電所は平和利用だから安全だと言うトンチンカンな思想もありました。
これで極楽とんぼの日本人も目が覚めるのでしょうか。
しかし、やめる総理が官房機密費を、使っちゃえ使っちゃえと連日料亭で豪遊。最後まで品性が疑われますね。
その人が北朝鮮系の政党にお金を渡す。
第二次大戦でイギリス軍を
「ライオンの群れを羊が率いている」と言ったドイツの将軍がいたが、
中国漁船に頭を下げてお引き取りいただく官房長官。
それに対し領海侵犯の中国漁船を凛として拿捕し続ける韓国、ベトナムの政府。
そして中国に気に入られようと日本を売り渡す外務官僚と政治家。
会社役員もオリンパスのように、会社や社会・国を考えず、自分の利益だけを考える悪人ばかり。
だいたい、あの子供みたいな民主党の先生方。
テレビでは調子のいいことを言って何も実行できないていたらく
公約は灰燼と化しました。

政府も政治家も役人も責任を取らない日本はどうなっているんでしょうか。
恥を知れと言いたいね。

秋の窯では、奥の段の備前がまずまずでした。

今年穴窯焚き2回、本焼15回、素焼12回でした

平成23年12月30日 恥 
今年もいっぱい恥をかいた。
思い出すたびに顔が赤くなる。
できれば記憶を消去したい。
誰にでも、決して明かしたくない失敗があります。
私はまあ自慢ではないが、恥ずかしかったことなど掃いて捨てるほどあります。
まさに
歩く恥の宝庫といっても差支えないと思います。
  「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃない」と小学校教師であった師匠の故山田先生は、よく皮肉っていました。
一人静かに反省する時、私は心の中で大砲をうちます。 
ドーン・・・・・と
今は謙虚に、卑屈にならずに、自分の持ち味を大切にしたい。
そして、
 「みずからの存在自体が恥である」 とは某大哲学者の言葉です。

平成23年12月25日 もち米代   七円の唄  誰かとどこかで  千葉県 綿貫寿子
師走に沼津の母より郵便が届きました。
封筒の中には二万円と、便せんには、
「もち米代、少しだよ!」と一筆書かれていました。
母八十五歳、娘五十歳。いくつになっても子供の事を思う母に感謝。
いつまでも、いつまでも元気で長生きしてください。お母さん。

平成23年12月18日 小さな旅   七円の唄  誰かとどこかで  山形県 津牟田武子
人の幸せもつらい話も、聞ける余裕がなくなって天台寺に行く。
岩手県浄法寺町まで往復七百キロ、車で行く行く。
すべてに対して、ポジティブ・シンキングできるようになれればと、考えながら走っていく。
しかし帰り道、
なにも無理にプラス思考でなくても・・・・・自分に厳しく、人に優しくなんて出来なくても
自分にはもっと優しく、他人の幸・不幸は聞き流し、マイナスもそのまま受け入れてしまえ・・・・・と。
お寺の本堂に瀬戸内寂聴さんが出てらした瞬間
「ウワァー」と大きな気持ちになれた。
一人の秋の小さな旅。大きな一日。

平成23年12月11日 捨てる  柳生博
人間がこれだけ長生きをするようになると、当然脳の細胞もさらに老化して壊れていく。そうすると人格までもが変わるのです。
これは恐ろしいことです・・・・・。 
 「僕だってもしかしたら認知症になるかもしれない」
かみさんが入院している間、
一人いろんなことを考えました。
それで、不安でいてもたってもいられなくなって、
「そうだ捨てよう!」と思い至ったのです。
鬱積した自分の人生の垢のような物たちを捨てることで、身軽になりたかったのかもしれません。
まず、僕は本に囲まれて暮らす人生だったので、たくさんの本を捨てました。次に洋服、書類、ビデオテープを捨てました。
そうしたら、家の広いこと、本当にスッキリしたのです。
かみさんは口癖のように
「家が狭い、狭い」って言っていましたが、それはゴミの中に棲んでいたからでした。
本なんかは、読みたかったら図書館へ行けばよい。
洋服も買うだけ買って三年、五年、場合によって十年も着てないものが大事にとってある。まったく意味のないことでしょう。
踏ん切りをつけて全部捨ててしまいました。
新しく生きていこうという思いが、一番現れるのが洋服と本だと僕は思います。
何十年も前の百科事典を片手に、蘊蓄を傾けたら笑われてしまうでしょう。

平成23年12月4日 焚き火   西場 栄光  静岡県 昭和二年生
 大焚火 つまらなくなるまで囲む
ある工事現場の休憩時間、廃材を燃やしての大焚火のところを私はたまたま通りかかった。
寒い日だったので仲間に入れてもらってしばらく暖をとった。
さすがの大焚火も次第に下火となり、職人さん達は一人減り二人減り、最後は下働きの青年を残して、皆工事現場に戻った。
青年は残り火と灰の始末をしている。
私はその時、はたと、人生を振り返ったのである。
年老いて友人、知人が一人減り二人減り、そして訪ねて来てくれる人もめっきり減った。
焚火も人間も盛んに燃えているうちが華で、離合集散、人生の縮図をこの大焚火に見る想いがした。
やがて私も灰になる、そんな思いにしばし佇んでいた。

平成23年11月27日 遺言川柳
若夫婦 待っている間に 老夫婦
大泣きの 順に手を出す 形見分け
今日は死ヌ 明日にも死ヌと はや五年

また会おう さらりと友は 手術台 

平成23年11月20日
「人と比較すると不幸になります」と藤村俊二(おヒョイさん)さん
生きていく上で、
「元気」「勇気」「陽気」の三つの「気」があれば大丈夫。それでもうまくいかないときは「時」という「気」を持つこと。

平成23年11月13日 ランセット吸虫
ランセット吸虫はカタツムリに寄生し、その排泄物に紛れ込む。
するとカタツムリの糞が大好物の蟻がそれを食べる。
蟻の体に入ったランセット吸虫は蟻の脳に寄生し、脳を支配する。
蟻は草の葉のてっぺんに登り、顎を葉に固定するようにプログラムされる。
そして、蟻は葉とともに羊に食べられる。羊の腸でランセット吸虫は繁殖する。
羊が排便すると、無数のランセット吸虫がこの世に出現する。
ランセット吸虫のライフサイクルは、蟻の体内に入り込み、蟻が自ら死に向かうようプログラムすることである。

平成23年11月6日 今は幸せ   七円の唄  誰かとどこかで  長野県 長谷川十代栄
今は幸せ。
子供の頃から、働いて働いて、お金はちっとも残らない。
つらい時でも、大口開けて、ワッハッハッと、六十年。
百歳の母を看取ってホッとしたら、ご褒美に乳がんをもらっちゃった。そりゃないぜ。
これは、休みなさいっと云う天の啓示と、入院生活を楽しんで、それから、五年。
六畳と、四畳半、隙間だらけの我が家、子猫のひたいの庭で、花を育てて、晴耕雨読の独身貴族。
きれいに咲いてくれてありがとうって、飽かず眺める。
あんまり見つめるもんだから、一輪ざしの花火菊がはにかんでます。

平成23年10月30日 私の宝物   七円の唄  誰かとどこかで  八王寺市 川福節子
息子より初めての手紙。
自分でも忘れていた誕生日。カードには、
「生き方の不器用なおふくろ。
これからも、おふくろらしく、体に気を付けて、おめでとう」

あの悪ガキからと思うとうれしく、本当に年を重ねたとつくづく思います。
私の宝物が一つ出来ました。

平成23年10月23日 母の雑記帳   七円の唄  誰かとどこかで  岩手県 桜井とき
母の手紙はいつも「こちらは心配ありません。あなたは忙しいのだから返事は無用です」と結んでありました。
横浜空襲で命からがら疎開したこの地に、生涯暮らすようになった私。
姑と主人との二人の病人を看取った苦労多い娘を、母は東京での生活を始めた中で、どんなにか案じていたことでしょう。
三度に一度、五度に一度は返事を出したでしょうか。書けば愚痴の一つも出るでしょうから。
母亡きあと、一冊の雑記帳が届けられました。
「何をするのも億劫な年寄りが、郵便受けの音に立ち行く」
の言葉に胸が痛み、涙がとまりませんでした。
今年は母の十七回忌です。
  
東京も近くなりました・・・・・。

平成23年10月16日 古い手紙   七円の唄  誰かとどこかで  豊橋市 高橋明子
実家の母から、古い手紙が送られて来た。
なんと、私が学生時代、母へ送った手紙だった。
封書十円とハガキ五円の時代。近況報告もあるけれど、ほとんどが、
「お金足らない、送って」の内容ばかり。苦しい家計の中から仕送りしてくれてたであろうが、どんな想いで読んだのであろう。
「今読んでも、涙が出てくる」と母は言う。
私は、ただただ、胸が痛くなるばかり・・・・・。

平成23年10月9日 涙と未来   七円の唄  永六輔
涙はどのくらい出るものなんだろうか。
水上勉さんにお伺いしましたが、本当に悲しいとバケツ一杯は簡単に出る。
涙が涸れるまでと言いますが、涙は涸れないよということもいっておられました。
命が終わるということに対する涙は、泣いても泣いても涸れることはないという事は何度聞いたことでしょう。
別な言い方で、我々には未来があると言ったときに、常に未来というのは明るいというイメージがそこに付き添いますが、本当はそうじゃないんですね。
未来は死であったりするわけです。
ですから死というものが自分の未来なんだと感じられたら、
覚悟はできますということをホスピスの先生から伺ったことがあります。  

平成23年10月2日 産経抄 2
三船敏郎  1997.12.26
三船敏郎さんの映画人生は、戦後日本の歩みにそのまま重ね合わされる。
この時代をともに生きた人たちの
哀歓や苦楽をそのまま反映しているといっていいだろう。
酔いどれ天使』のやくざの松永、『羅生門』の盗賊、そして『七人の侍』の農夫上がりの侍菊千代、『椿三十郎』のもちろん椿三十郎。
昭和二十一年の東宝第一回ニューフェース試験の時の伝説になったエピソード。
 試験官に「
笑ってみてください」といわれて、「いきなり笑えったって笑えるもんじゃありません」と答えたとか。
 野性味あふれる男くさい男を演じ続けてくれた。
七人の侍」のラストに「また負け戦だったな。勝ったのはあの百姓たちだ」というセリフがあるが、共演した千秋実さん(80)は
『七人の侍』も(元気なのは)俺一人になっちゃった」とつぶやいたという。
こうして時は流水のごとく去っていく。

平成23年9月25日 産経抄 1
金と銀  2001.3.1
長寿の双子姉妹だった姉の成田きんさんに続いて、妹の蟹江ぎんさんも旅立ってしまった。
笑いやユーモアが脳の老化を防ぎ、体を活性化させ、病気の治癒力を高めることはすでに医学的にも証明されている。
きんさんぎんさんがテレビに引っ張りだこになり、CMの出演料をもらって使い道を尋ねられた。その答え
 「老後のために貯金します」は一代の傑作だった。
日本人のユーモアは、古来、この世を去るにあたっての感慨で歌われたこともある。狂歌一首を詠んでもって辞世となした。
  「この世をば どりゃお暇(いとま)にせん香の 煙とともにハイ(灰) さやうなら」 (十返舎一九)
自分の生死さえだじゃれとユーモア精神で笑い飛ばした。
  「心あらば 手向けてくれよ酒と水 銭のある人 銭のない人」 (天広丸)
   「ニ三百 生きようとこそ思ひしに 八十五にて 不時の若死」
 (英一珪)  などなどと。
辛辣なぎんさんは、いまわのきわにどんな感慨を抱いていたか。できることなら聞いてみたかった。

平成23年9月18日 現代学生百人一首 3
あの時に ああしていれば こうすれば if を重ねる 僕の人生   神奈川県 慶應義塾普通部 3年安田 恒星
手のひらの 生命線が短くて
「強く生きよう」 ぼんやり思う    飯田女子高校 三年猪狩有里
夢を追う あなたの背中が美しい 努力という字が 見える気がする  千葉県 市川東高等学校 3年高橋 由佳。
人生は 自分が作者の物語 結末くらいは変えてみようぜ     東京都 小松川高等学校 1年五十嵐 健太
限界は 自分で作った逃げだから 超えられるのも私だけでしょ  沖縄県 高校生
高速代 公立学校無料化と お金の事しか言えない政党   神奈川県 横浜山手女子高等学校 3年白澤 佳菜

平成23年9月11日 現代学生百人一首 2
「受験費用心配しなくて良いから」 と 父のメールに 涙こらえる  埼玉県 松山女子高等学校 3年小林 麻未
人込みの ホームで感じるむなしさを 父は何回味わっただろう   千葉県 市川東高等学校 3年佐藤 樹里
家事をする 母の背中を見ていたら ふいに声出た私がやるよ   埼玉県 松山女子高等学校 1年磯田 美優
おにぎりを 作る母の手見て思う 私はこの手に守られてきたと   広島県 総合技術高等学校 2年脇本 奈緒美

平成23年9月4日 現代学生百人一首 1
初任給で 何か送ると電話した 頑固な祖母が静かに泣いた      山口県 宇部工業高等学校 3年辻畑 真太郎
「よう来たね」 迎えてくれた祖母の手に 皺の数だけや さしさ見える 高知県 高知工業高等専門学校 4年小川 修平
あの時に 優しくすればよかったと 祖母の墓前で 何度も想う     千葉県 松戸六実高等学校 3年荒井 今日子
「帰るね」 と 言ったら急に話し出す 祖母の顔見て 「まだいようかな」 鹿児島県 鹿児島中央高等学校 2年内田菜月
会うたびに こぼれる笑顔むけられて 細く小さなしわの手にぎる  東京都 新宿区立看護高等専修学校 2年早川美喜子

平成23年8月28日 俵万知
サキサキと セロリ噛みいてあどけなき 汝を愛する理由はいらず
はなむけの 言葉を生徒に求められ 「出会い」と書けり 別れてぞいく

平成23年8月21日 ボーイズ・ビー・アンビシャス   柳生博
北海道・札幌の羊ヶ丘展望台に立つ像で有名なクラーク博士の「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という言葉があります。
「少年よ大志を抱け」という意味のこの言葉には、じつは続きがあります。
「柳生さん、その後のフレーズ知ってる」 僕はさっぱり聞いたことが無い。
「ボーイズ・ビー・アンビシャス!そしてクラーク博士はその後、小さな声で言ったんだ。ライク・ディス・オールドマンって」
本当だったら素敵なことです。
クラーク博士は明治時代初期に、高い志を持って日本の農業に西欧の科学を持ち込み、さまざまなことを伝えてくれた人です。

じつは僕は
、「生き物と自然短歌フォーラム」という会の委員長を務めています。今年、僕が選んだ大賞がこれです。
 「急行の 停まらぬ駅で少年は 満月見上げ 涙を流す」
僕らオールドマンは、大志を抱き続けています。
若者たちが
「あの老人のように」と感じ、一生懸命生きるためのお手本になれるように。

平成23年8月16日 荷物の中身   七円の唄  誰かとどこかで  尾鷲市 青木健斉
この地に引っ越して十年程の間、秋になると必ず、家内のお母さんが列車でやって来た。それも大きな荷物をつみ込んで。
乗り換えの新宮駅で親切な駅員さんが荷を運んでくれたという。
その重さに
「お婆さん、中に一体、何が入っているん?」
母は事もなげに
「親馬鹿が詰まってるんです」と答えたそうだ。
・・・・・畑の野菜がいっぱいだった。
今、私は五十二歳。月末に息子二人に電話するとちょっと生活が苦しいらしい。
バイトをしながら自分の好きな道を歩んでいる姿が見える。手紙にサイフから一枚入れることにした。
私も母と同じように親馬鹿を封筒につめこんでいることになるのだろうか。
くり返しなのですね。・・・・・母は八十をこしました。

平成23年8月15日 よく似ている曾孫   七円の唄  誰かとどこかで  藤沢市 駒崎充枝
桜島の目の前で、頑として一人暮らしを続けている父。
その父に、一歳一カ月の曾孫を見せに、次男夫婦と共に帰った。
曾孫は人見知りをするかと思いきや、ニコッと笑って寄って行くと、おじいちゃんはトーンの上がった声で
「おお、ようきた、ようきた」と抱え込み、「この子は"あたい"によお似とる」と崩れんばかりの笑顔。
鹿児島から藤沢へ嫁いで三十四年。

髪の毛の一本も無くなった八十四歳の父の、嬉しそうな顔を見た。  

平成23年8月14日 啄木の唄   七円の唄  誰かとどこかで  練馬区 西村京子
単身赴任した息子からの手紙です。
「天気が良いと洗濯ものがよく乾いてうれしい。
今までは夜空を見たこともなかったけれど、こちらは海が近いせいか星が綺麗でびっくりしました。
電話はもとより電気製品が一切ないので、夜は本を読んだり手紙を書いたり、
これが生活なんだなと自分だけの小さな喜びを実感しています。」

  
『まれにある この平なる心には 時計の鳴るも おもしろく聴く』
と、啄木の唄が書き添えてありました。
遠く離れたら、心の距離が近くなった気がします。
一人減って洗濯の回数が減ったのに、何故か私の手にはしわがふえました。  

平成23年8月7日 無期  「裁判官の爆笑お言葉集」16 長嶺超輝
無期懲役ってどういう意味でしょう。普通に思えば、「ずっと」「永久的に」という事ですね。
しかし実際には、10年以上服役した無期懲役囚は、刑法28条により「仮釈放」の対象になり、
改悛の状 (自分の過ちを悔い改め、反省する気持) 」を条件に社会復帰が出来ます。
この
「改悛の状」の甘さ、あいまいさがしばしば批判されています。
広島県で小学校一年生の女子児童を、わいせつ目的で誘拐し殺害したペルー国籍の男。 広島地裁の岩倉広修裁判官は
「残虐な犯行だが、計画性に乏しい」として、死刑の求刑を退けて無期懲役を言い渡し、その後に付け加えて。
  尊い一命を奪った罪は、被告人の一生をもって償わせるのが相当で、
  仮釈放については可能な限り、慎重な運用がなされるよう希望する。

ただ、全国の刑務所は軒並み定員超えの
「満室状態」で、終身刑の導入どころではないという現実があります。

平成23年7月31日 遺族は二度泣かされる  「裁判官の爆笑お言葉集」15 長嶺超輝
交通死亡事故で、業務上過失致死と道路交通法違反 (無免許運転・酒気帯び運転・救護義務違反)の罪に問われた被告人に、
横浜地裁の荒川英明裁判官は、懲役9年の求刑に対し、懲役6年の実刑判決を言い渡しました。
本件は、危険運転としての立件はされていませんが、前に起こした薬物犯罪の執行猶予中に起こした、飲酒無免許ひき逃げ死亡事故。
乗っていたのは盗難車なので窃盗罪も付ければ、最高で懲役20年まで科せるのに・・・・そのぶん、
「過失の態様極めて悪く、25歳で命を奪われた被害者の無念さは察するに余りある」
と、言葉でフォローなさっています。
交通事故の遺族は、その悲劇に泣かされた後、加害者に科される刑事罰の軽さにも泣かされるといいます。
やっぱり、犠牲者の命は「ポケットティッシュ」でしょうか。

平成23年7月24日 憎まれるべきは真犯人  「裁判官の爆笑お言葉集」14 長嶺超輝
朝の通勤電車に響く「チカーン」の一声。教員だった四十二歳の男性は女子高生に腕を掴まれ現行犯逮捕されました。
捜査官は最初から「クロ」という色メガネごしに被疑者を見てしまいがちです。
一方で女子高生の供述は二転三転します。「胸を触られた」から「おしりを触られた」と変りました。
大阪地裁の山田耕司裁判官は、強制わいせつの罪に問われた被告人に対して「被害者証言の裏付け捜査が不十分」として、
無罪判決を言い渡して
  被害を受けたと申告した女子高生を、
  恨まないようにしてください。

大都市圏の鉄道に女性専用車両が導入されても、「痴漢」「痴漢冤罪」も、なかなか減らないのが現状です。

平成23年7月17日 義仲寺の道標  榊莫山22
三尺たらずのこの道標は、右肩をえぐられていかにも痛々しげである。〈右・義仲寺〉の文字がその痛みを訴える。
それにくらべて
〈はせを翁の墳〉の字は、晴れやかに見え、〈是より二丁〉ゆけば芭蕉さんの墓、という。
七十年ほど前に彫られた石の字は、そんじょそこらの書の先生の字のように、未練がましくもなければ威張りもせず、大人の恰幅は満点。端然たる表情で人を誘う。
その先二丁、また坂を下ると、
義仲寺だ。このあたりを粟津が原といっていた昔、ここで義仲は惨憺たる死をとげている。
巴・葵・山吹・冬姫・と義仲をめぐる女たちのもつれをのこして、馬もろとも沼田へはまりこんでの墳死だった。
時は過ぎ、琵琶の湖畔も静かになった頃、眉目美しい女が一人、粟津が原に庵をかまえた。
主は巴御前。女武人は尼になり、義仲追慕の庵暮らしをはじめたそうだ。
庵はその後寺になり、芭蕉はしきりにこの寺を訪れ泊っている。元禄七年死の枕辺に
「木曽殿の墓の傍に葬れ」と言い残した。
せせこましい伊賀よりも、茫漠たる湖畔がよほど気に入っていたのだろう。
義仲と芭蕉の墳墓を抱えた義仲寺の石鼎
(せきてい)和尚は、木曽から青い小さな石をはこび、義仲の墓のそばへ「巴塚」を作った。
ここを去った巴は、木曽で九十まで生きたという。石鼎和尚も、四年前に亡くなっている。

平成23年7月10日 清滝の哀歌  榊莫山21
 嵯峨に奥まる徒野(あだしの)から、細くて暗いトンネルをぬけると、小さな清滝の里がある。
家はわずか二十軒ほどで、水はとびきりつめたくて、岩をくぐって澄んでいた。
情熱の歌人・与謝野晶子もやってきて、歌集
「みだれ髪」には、嵐山も嵯峨も、この清滝もでてくる。
この晶子の清滝を訪ねようと、私は秋も深まる里へでかけた。
  
ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里
  水の清滝 夜の明けやすき

と歌は夜のみじかいホトトギスの季節。山の陽が暮れると
「ホッチョンカケタカ」。夜明けが来ると「テッペンカケタカ」と鳴きさけぶ。
声はまるで愛に飢え、恋に狂うているように、はげしくそして淋しげだ。
きっと晶子はその声に、みずからの性情をあずけるようにして、夜の明けやすい
清滝の哀歌をうたいあげたにちがいない。
たぐい稀なる岩壁の文字は、晶子の胸に棲む昂然たるナルシシズムを、ものの見事に形象し、夕闇せまる流れの音に堪えていた。
どれだけ岩肌が苔むそうとも、わたしの光は翳(かげ)るものか、とかがやいていた。
歌の字は、晶子を敬慕し続けた吉井勇の筆である。

平成23年7月3日 大蔵寺  榊莫山20
〈大蔵寺〉のこの額字、下手か上手かわからない。
良い字ですよと、と言われたら
「なるほど」と思うし、たいしたことはない、と言われたら「そうかな」と思う。
寺へは、バスの街道から細い野道をかきわけて、20分か30分か。
計ることさえ惜しいほど、野情蕭々
(しょうじょう)のはてに寺がある。
このあたり、自然も歴史も健在だ。ゆっくり歩いているだけで、心も体も洗われる。
かって用明帝や聖徳太子、さらに空海、嵯峨帝と、名だたる古人とゆかりは深く、秘仏を抱いて寺は眠る。
眠る姿は穏やかで、柿板(こけら)屋根の稜線といい、格子扉のリズムといい、楚々としたそのバランスは絶妙である。
そんな平安の豊穣は遠く、山は黄昏、人はいない。鐘楼の柱には
「一人静かに、一つだけついてください」と。
私は一つ鐘をついた。鐘の音は、誰もいない空と谷へ、ゆっくりゆっくり吸われていく。
山の黄昏は銀色に染まり、山鳥が二羽、仲良く塒(ねぐら)に帰って行った。

平成23年6月26日 博物館網走監獄     この博物館が見たい  桑原茂夫3
1960年代の東映映画「網走番外地」の網走刑務所がミュージアムとして公開されている。
この
「さいはての監獄」は厳しい自然環境で、冬ともなれば、廊下を伝わって入ってくる僅かな暖気を頼りに、厳しい寒気に耐えて生きなければならなかった。明治時代の監獄の恐ろしさを伝える話として、網走と旭川を結ぶ道路工事、携わった囚人1115名のうち、914名が病に倒れ、186名が死亡したという。
監獄というところは、一種の極限状況の中に人を置くことで、
人とはどういう存在であるかを考えさせる場所でもあるようだ。
明治十四年の監獄則に、
人と会話させないことを最も厳しい懲罰の一つとしているのは注目に値する。
周囲を壁で隔てられた
孤独が、人にとってどれほど残酷なものか、このミュージアムでは感じられる。
北海道網走市呼人 

平成23年6月19日 安江金箔工芸館     この博物館が見たい  桑原茂夫2
金箔の基本は金を薄く延ばすこと。ここで大きな役割を果たすものに「紙」がある。紙なくして箔打ちは語れない。
粗く延ばした金の一枚一枚を、箔打紙と呼ばれる紙に挟んで束ね、これを小槌で叩く。
それで金は0.1〜0.3ミクロンという薄さまで延ばされる。
この箔打紙は兵庫県西宮市で作られる
「名塩の紙」という手すき和紙。
使えなくなった箔打紙は、今では一般によく知られている祇園の舞妓さんが使う
あぶら取り紙なる。
箔打紙の埃を取るのは
「うさぎの手」。紙を挟んだ金箔を束ねるのは使い込まれた後の三味線の皮
凄みすら漂う伝統の技なのである。
石川県金沢市

平成23年6月12日 歯の博物館     この博物館が見たい  桑原茂夫1
江戸時代「木床義歯」を作ったのは仏像を彫る仏師だった。そういえば口を開け、歯を見せている仏像は少なくない。
館長の大野さんは「日本はやはり木の文化で、木を削って細かく仕上げた技術は大したものです」と語る。
今の歯ブラシにあたる江戸時代の房楊枝は、白楊
(どろのき)の枝の先を細かく裂いて房状にしたもので、この房状の部分を歯にあてて汚れを取っていたという。
横浜市中区 入館無料

平成23年6月5日 さら川
前向きに 検討しながら 後ずさり。
携帯の通話記録に会話なし
三億円 当てたプランは 立ててある

給食費 払わぬ親が トロを食い

疑惑出て 始めて解る 大臣名
気分良く100円ショップでムダ遣い

平成23年5月29日 伊東家の食卓  
超簡単な漢字なのに超難しい漢字
   
背黄青鸚哥        セキセイインコ              名は体を表す。背中は黄色、尾は青です。
   
初中後           しょっちゅう                 最初も途中も最後もつまりいつもと言う事
   
御御御付         おみおつけ                 お味噌お付けの意味。なぜ御味ではないのか。
   
天辺            てっぺん                  天の辺り(あたり)ということ
   
御八つ           おやつ                   八というのは午後二時のこと。何時から三時になった。
   
確り者           しっかりもの                まさしく確実な人のこと。
   
屁っ放り腰        へっぴりごし                自信なさ気な姿勢が、オナラをする姿勢に似ている。

平成23年5月22日 芙喜陶房
人間国宝荒川豊蔵さんのお孫さんが塩尻市北小野で作陶していると知り訪ねました。
「市民憩いの森ー地球の宝石箱」のすぐ近くです。日時計があります。
素敵なお皿を買いました。

平成23年5月21日 惜しまない  さだ まさし
今日出来ることは、今日しか出来ない。明日も出来る保証がない。特に、ある年齢を過ぎたら、体力も精神力も衰えていくのは避けられない。そう思ったら、惜しむ暇なんてないんですよ。
僕は、いつも
「惜しむな、惜しむな」って自分に言い聞かせながらステージに立っています。
かって対談させていただいた長嶋茂雄さんの素晴らしい言葉があります。
「今日の試合を見に来てくれたお客さんの中には、一生のうちたった一回だけ見に来たという人が必ずいる。
一生に一度だけ見に来てくれた人に、元気のない長嶋を見せたくない。調子のいい悪いはあるけれど、ダメならダメなりに、
『あの時の長嶋の空振り三振は綺麗だった』と言ってもらえるようなフルスイングを心掛けた」

平成23年5月15日 世界の中国人ジョーク集
世界の教育事情
 何年勉強しても絶対に身につかないものは?
 
「日本人の英語教育」
 「アメリカ人の反戦教育」
 「ロシア人の道徳教育」
 「イタリア人の性教育」
 そして
 
「中国人のマナー教育」

平成23年5月8日 茶の湯の不思議  小堀宗実
茶花(ちゃばな)と生け花はどう違う。茶花は、花を生けるとはいわず、「花を入れる」。花器ではなく、「花入」といいます。花入に入れるときも、生け花のように人工的に創作した美しさではなく、自然の美しさを尊ぶのが茶花です。
利休は、雪の日には雪を花と見なして花を入れず、花入れに水だけを飾ったという記録があります。

茶席では、お茶をいただいたあと、道具を拝見します。
道具の由来を聞き、意味を深く掘り下げることで、自分自身の心を豊かにできる貴重な勉強の場、とも言えます。
そうなると
、「焼き物の知識がないから、道具を拝見しても分からない」といった声が聞こえてきそうですが、何も難しく考えることはありません。最初のうちは、自分の感覚で、単純に「好き」「嫌い」と道具を見ていけばいいのだと思います。
そうしているうちに、
「最初は絵柄のついた華やかな茶碗が好きだったけど、最近は、備前のような渋い茶碗が好き」と、道具を通して自分の変化が分かってくるはずです。

平成23年5月5日 黄昏
アメリカ農民の実態を描いてベストセラーになったジョン・スタインベックの原作を映画化した『怒りの葡萄』(1940)と『十二人の恐れる男』(1957)でアカデミー主演男優賞にノミネートされたヘンリー・フォンダが、『黄昏』(1981)でついにアカデミー主演男優賞を受賞しましたね。もう三十年も前の話ですが!当時の私は映画狂でした。
しかし、ヘンリー・フォンダの病状は思わしくなく、娘のジェーンフォンダが代理で受け取り、その夜自宅の病床へ届けたが、その5ヶ月後にヘンリー・フォンダは亡くなってしまう。
「黄昏」共演は、アカデミー賞始まって以来唯一主演女優賞を四度受賞しているキャサリン・ヘプバーン。
年老いたフォンダは。
「俺はこんな情けない爺になってしまった。」と悔しがる。それをキャサリン・ヘップバーンはやさしく抱きしめながら言う。
「そうじゃない。あなたはどんなことがあろうと、ずっと私にとっては大切な王子様ですよ」

平成23年5月4日 お年玉   七円の唄  誰かとどこかで  愛知県 湯浅芳子
四十年ほど前、私は忘れられないお年玉をいただきました。昭和三十二年元旦、小学校では新年を祝う式がありました。
帰ろうとした時、担任の先生に呼び止められ、誰もいなくなった教室で
「お父さんの具合どうや、寂しいけどがんばりや、これお父さんの代わりに先生からや」と、お年玉でした。
それから十日後、三十七歳の父は胃がんで亡くなりました。

私の長男が生まれた時、男の子をほしがっていた父の代わりに先生に喜んでいただきたかったのですが、・・・・・
知らせることが出来ませんでした。長男は重度障害を持って生れて来たからです。
お正月が来る度に思い出しています。
昭和三十二年神戸市立池田小学校三年生担当だった松本嘉文先生。
今とてもお会いしたいと思っています。

平成23年5月3日 そば   七円の唄  誰かとどこかで  南安曇郡 曽山佐智子
春祭りの日、実家の父が招かれて遊びに来た。
私は覚えたばかりのそばを打って、父に食べてもらおうと張り切って作ったのに、不慣れのせいで思うように出来なかった。
帰りのハイヤーが迎えに来たのを幸いに、父にそばを食べてもらう事なく帰ってもらった。
下手なそばを食べてほしくなかったので内心ホッとしていた。
ほどなく父は胃ガンで他界した。
ある日、母が
「父さんが祭の日、お前のそばを御馳走にならず帰ってきて、とても残念だったと言っていたよ」と話した。
私は、愕然となり、あの時ハイヤーに待ってもらってでも、下手なそばでも食べてもらえばよかったと後悔した。
もう20数年も前のこと、いまだにそばを見ると父を思い出します。

平成23年5月1日 記帳   七円の唄  誰かとどこかで  北九州市 樹寶
給料明細表、最後の頁に線を引いています。結婚してから記入を始め、主人はこの秋に定年退職となりました。
三十五年間記帳してきた大学ノートをパラパラめくってみて、いろーんな事が思い出されます。
昭和三十六年一月、一万七千円からスタート。
長男出産、転勤、昇格。二男出産と新築。両親との悲しい別れ・・・・・と、下の余白に書き込んだメモのあと。
二人で歩いてきた日々の記録。やっと月に二度、温泉にも行けるようになり、主人も元気で頑張ってくれました。
心より感謝しています。
この大学ノートの表紙に
「足跡」と大きく書きました。

平成23年4月24日 高齢化   さら川      
飲む話題 介護年金 定年後
老人が 老人看てる 三世帯
還暦も おらが村では 「若い衆」

高齢化 古希をすぎても 今だ嫁

俺だって 診断結果は チョイ悪だ
残り香は 昔シャネルで 今シップ
年金を もらえる頃には 法変わる
下諏訪、諏訪湖畔の桜です。

平成23年4月17日 民活のウソ  「世間のウソ」4 日垣 隆
国鉄(現在のJR)が、施設設置費用に国民の税金を湯水のごとく費やし、なおかつタダで国有地を使いながら、その後〈民営化〉という名の打ち出の小槌により、駅構内を民間に貸し出し莫大なテナント料をとっている。
こうした民間活力の奪取が皮肉なことに「民活」の名の下で行われ、不況に拍車をかけて来たのです。
小泉元総理は「民間でできることは民間で」と言いました。しかし、実際にやったことは、いずれも正反対です。
国家的詐欺 !
これこそが現代日本を読み解く最大のキーワードです。
NHKしかり、国鉄しかり、道路公団しかり、財政投融資を湯水のごとく浪費した郵貯と簡保しかり、日本列島ぼろぼろ土建しかり、年金どろぼうしかり。
日本の歪んだ〈民営化〉は結局のところ、JRや日航やNTTが、莫大な広告費を通して
メディア・コントロールに成功した、というのがその実態です。

平成23年4月10日 性善説のウソ  「世間のウソ」3 日垣 隆
私は、凶悪犯罪(殺人、放火、強盗)のその動機の如何によって罪を軽くすることは止め、あくまで被害者に与えた
「被害の深刻さ」によって裁くべきだ、と主張してきました。
加害者が語る動機を真に受けると、
絶命したため反論できない被害者の遺族は、ただただ打ちのめされます
語られる動機とは、たいてい犯罪者の自己弁護だからです。
文部省や教育委員会は、
「心の教育」を通じた「命の大切さ」の教育を強調しています。
少しは真面目に仕事をしろ、と言いたい。教育が必要なのは、君たちだとしか言いようがない。
命の大切さなるものを、人殺し以外の人間に向かって何度強調しても、何の意味もありません
そんなことはブッシュやブレアや小泉や金正日に言ってほしい。
人を殺してしまった加害者はたいてい、大切な自分を守るためには相手を殺してしまうしかない、と考えてしまったのです。
一言でいえば、
性善説では教育は成り立ちえない、ということになります。
そんなことにも気づけない文科省や教育委員会は廃止すべきでしょう。

平成23年4月3日 核査察のウソ  「世間のウソ」2 日垣 隆
IAEAでは核不拡散条約が発効する以前から核兵器を持っていた、米・ソ・中・仏・英のみが既得権があり、それ以外の国を対象に核疑惑の真偽を確かめるべく予算組されています。
核兵器を開発していると
疑われている、インド・パキスタン・北朝鮮・イラン・イラク・イスラエル・カナダなど疑惑国「日本こそ疑わしい」と言い募り、日本は馬鹿正直に「潔癖じゃ」と言張ってきたので、IAEA全体の二割もの予算を「日本の核査察」に浪費してきました。
このような次第で、エルバラダイ事務局長はこう言った、
「今後、日本に対する核査察は大幅に削減され、疑惑国の監視強化に振り向ける」と
日本が査察を長期間無為に受け入れて来たことによって、本来他の多くの疑惑国に使う予算を浪費してきました。
要するに核査察は、査察を
「受け入れる」国のみ厳しく行われ、「嫌がる国」では手を抜かれる、というまったく無意味な実態なのです。
日本はIAEAの理事国であり、唯一の被爆国なのに、なぜ核廃絶のイニシアチブをとれないのでしょうか。
理由は簡単です。

日本の政治家が馬鹿だからです。

平成23年3月27日 搾取のウソ  「世間のウソ」1 日垣 隆
日本て゜はギャンブル(賭博)は禁止されているにもかかわらず、他方で公営賭博は賭博でないと強弁されて白昼堂々と行われています。日本の公然たる賭博は、実際のところ省庁の既得権益としてだけまかり通っています。
 
宝くじ・・・・・・・総務省 (当せん金付証票法)
 競馬・・・・・・・農林水産省と地方自治体 (競馬法)
 パチンコ・・・・警察庁 (風営法)
 競輪・・・・・・・経済産業省 (自転車競技法)
 競艇・・・・・・・国土交通省 (モーターボート競走法)
 サッカーくじ・・・・・文部科学省 (スポーツ振興投票実施法)
 オートレース・・・・経済産業省 (小型自動車競走法)

そして、一万円を賭けて負ける平均額は

 
ルーレット(アメリカ)・・・・・500円
 スロットマシン(アメリカ)・・・・・420円
 競馬(日本)・・・・・2500円
 宝くじ(日本)・・・・・5200円

胴元(国・自治体)がこれほど暴利をむさぼれる日本の賭博は、世界的には実に異常な搾取率で、
宝くじを買う人は本物の馬鹿か、政府に寄付をする心優しい人かも。

平成23年3月20日 家族川柳
言い負けて よかった 妻の上機嫌
妻が居て 冬には冬の 花が咲き
倦怠期 勝手に花も 咲いて散り
長生きの 血筋時には 怖くなり

平成23年3月13日 アニータ  「裁判官の爆笑お言葉集」13 長嶺超輝
勤め先だった青森県住宅供給公社から、14億5900万円を横領した経理主幹
横領金のうち八億円をチリ人妻のアニータ・アルバラドさんに送っていました。
青森地裁 山内裁判長は懲役十四年の実刑判決を言い渡して。
  
還暦の前には刑期を終えるが
  その時には世間から後ろ指をさされずに 
  胸を張って生活していけるよう、襟を正してほしい。

気になるのは、14億円という巨額の資金を持ち去られても、青森県住宅供給公社はビクともしなかった事です。
青森県住宅供給公社は数十億円の利益を、特殊な会計処理で
隠していたことから、一部を職員がつまみ食いしても、バレないままになっていました。
青森県民はアニータさんに「金返せ」と怒っていましたが、
住宅供給公社に「溜めこんだ利益を還元しろ」と矛先を向けるべきかもしれませんね。

平成23年3月6日 悪夢のゴールデンウィーク  「裁判官の爆笑お言葉集」12 長嶺超輝
被告人は愛車に妻子を乗せて走行中、改造オートバイ二十台に取り囲まれました。
一人の男が運転席に回り込み、被告人の首をつかんできたため、被告人は車を発進させ、車体にしがみついた男を振り落としました。
結果、男に大ケガを負わせたとして検挙されたのです。
地裁 (有罪 罰金二十万円) 高裁 (差し戻し) 地裁 (正当防衛で無罪) と四年の歳月を費やしています。
刑法三十六条は正当防衛を定めていますが、要件が厳しいため、実際の裁判で正当防衛が認められることはあまりありません。
甲府地裁の矢野裁判官は正当防衛で
無罪を言い渡して、
 
 今年のゴールデンウィークは、
  家族と平穏な気持ちで過ごしてください。 

一方、暴走族の男らは被告人の家族に反撃し、車の窓ガラスも割ったのですが、
不起訴処分、おとがめなしとなっています。

平成23年2月27日 万死  「裁判官の爆笑お言葉集」11 長嶺超輝
犯罪行為をした者を検挙する職責を負っている警察官が、犯罪行為を行った身内をかくまう。
この
「血迷った」としか言いようのない事件。
神奈川県警が組織ぐるみで、現職警部補の覚せい剤使用の事実をもみ消した事件で、元県警本部長に

執行猶予付きの有罪判決
を言い渡した横浜地裁の岩垂正起裁判長は
 
罪は万死に値する。
心情的には重い刑を言い渡したいのに、量刑相場がそれを許さないという「板ばさみ」に遭った時、担当裁判官は被告人に向けて、一段と痛烈な非難のメッセージを浴びせるような印象を受けます。
それによって量刑の軽さとのバランスを取ろうとしているのでしょうか。
執行猶予を付けたにもかかわらず、「万死」ですよ。
一万回も死ねと言っているんです。

平成23年2月20日 執行猶予  「裁判官の爆笑お言葉集」10 長嶺超輝
睡眠薬で眠らせて金品を奪う「昏睡強盗」は重罪で、情状酌量でもないと執行猶予はつきません。
遊び仲間だという三十歳男性の部屋に深夜上がりこんだ女たちが作ったのはインスタントラーメン。
その程度のことでも
「あぁ、オレは今モテてる・・・・」と単純に喜びを噛み締めてしまうのが、男ってヤツの悲しみです
被告人らは現金や貴金属を盗み、指紋を残さない用意周到さ。男性は完全にカモにされていたというわけです。
・・・かわいそう
松山地裁の前田昌宏裁判官は、執行猶予付きの有罪判決を言い渡して、
 
執行猶予を当然と思わないでほしい。 と言っています。
本件では被告男性が
「厳罰を求めていない」という理由で酌量減軽されたようです。
たとえ睡眠薬入りでも、20歳のムスメたちにラーメンを作ってもらった嬉しさをいまだに引きずっているのでしょうか。
 
早く目を覚ませ!

平成23年2月13日 国語教師  「裁判官の爆笑お言葉集」9 長嶺超輝
女子中学生の体に触るなどして、強制わいせつの罪に問われた元中学校教諭が、弁護人から反省の気持ちを尋ねられ
「被害者がどうしたら立ち直れるか考えたい」と答えたことに対し、富山地裁・手崎政人裁判官は、
 
立ち直らないといけないのは、あなたでしょう。
 国語の先生だったのに言葉を選べないのか。

事件が表ざたになると、女子生徒の自宅の前で
「ドアを開けろ、ばらしてんじゃねぇ!」と怒鳴り散らしたんだそうです。
こんなチンピラが、どうして教師になれたのか。 不思議です。

平成23年2月6日 俳句   円乗泰代 埼玉県
「人生、山あり谷あり」と申しますが、私にも人並みによい時代がありました。
夫が定年を迎えた頃、私も子育てから解放されて、一応、一つの人生に区切りがついて、ホッとしたものです。
ある日、夫がみちのくの旅に私を誘いました。
思えば、戦中戦後の窮乏のどん底を体験した私にとっては、夢のような想い出の幸せな人生の一ページでした。

あれから二十年近くが経ちました。
今は地方の俳句会に席を置き、数多く作るのが上達の道といわれる師の教えに従い、一日一句の努力を重ねています。
若い頃から山登りを何よりの楽しみにしていた夫も、寄る年波にすっかり健康をそこねて、昨今は入退院を繰り返す有様です。
唯一、有難いことに頭脳が極めてハッキリしていて、これが私にとって何よりの救いになっております。
  
足萎えし 夫にもあり 登山歴

平成23年1月30日 會津八一  榊莫山19
昭和二十五年、會津八一は古希を迎えた。門人知友は、そのお祝いに、東大寺と唐招提寺の山内に會津の文学碑を建立することを思いついた。
東大寺の碑は、背の高いノッポの碑。に、
〈おほらかにもろてのゆびをひらかせておほきほとけはあまたらしたり〉
唐招提寺のは、ずんぐりした石棺の古い石。で、
〈おほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ〉
という、共に懐かしい歌である。
文学碑にかな文字ばかりというのは、非常に難しい。きれいに平安朝ムードの字を彫れば、たいてい文字は石に負けてしまうのだ。
弱々しくて恰好がつかないのである。

ところが、會津八一のかな文字は、ちがう。自信満々、偉そうなことを言い放つだけあって、見る人をうならせてしまう。
文字は、ふところ大きく、おおらかに構えて、力強い。そして読みやすく、空間を制御する力は抜群なのである。
それが古風古色を追っ払って、スマートでモダンな造形となっているのである。
東大寺のは、大仏殿の前にある。土壁を背にして端正に、道行く人を眺めている。
唐招提寺のは、松の林の陰にある。古色蒼然、金堂のまろき柱をじっと見ている。文字の散らしは絶妙で、會津会心の作である。

會津は住まいを秋艸堂(しゅうそうどう)と呼び、号を
秋艸道人」といった。
晩年いよいよ書への境地を深めながら、昭和三十一年、惜しまれつつ世を去った。七十五歳であった。

平成23年1月23日 熊谷守一3  榊莫山18
最後は、熊谷芸術の極め付きとして天下無類の「円相図」でなくてはならぬ。
かってわたしは、たくさんの円相をみてきた。ところが、この熊谷の円相をはじめてみたとき、脳天をガアンとやられて、目から火の粉がちった。もちろん、かって見たことのないような痛烈な円相であったからだ。
熊谷の円相は、松煙墨で書いてあった。濃くもなく淡くもない円は、余韻嫋嫋とひびく鐘の音のようだった。
どこからともなくやって来て、どこへともなく消えてゆく、その美しさ。
この嫋嫋たる円相は、宇宙なのか太陽なのか月なのか。それとも光か、永遠の時か。力か、和合か。生と死のシンボルか。
左下の「守一」の字は、円相の墨の色とはうって変わって、濃い油煙の墨で書いてある。
円相の円が、虚空にふんわりと浮いたのを見て、熊谷守一は、純白のあごひげをちょっとなで、油煙墨を磨りだした、と思う。
水を一滴か二滴、ほんのちょっと硯に落とし、あの隅へ、漆黒のサインを入れよう、と思っていたにちがいない。
熊谷守一のこの「円相図」は、前後に人なき感を抱かせる名作である。

平成23年1月16日 熊谷守一2  榊莫山17
熊谷守一の九十五歳の隋筆に、
 人間だれでも裸で生まれてくるんだから、無一物なんて言葉は当たり前ですよね。
無尽蔵
という言葉は、そんなことあるもんか、と思っているので、頼まれても書かないようにしています。
まえに棟方志功さんに
無尽蔵と書いてくれと頼まれて、それは書きたくないっていったら棟方さんが、無尽蔵無一物は同じことなんだというのです。とうとう無尽蔵と書かされてしまいましたが、無一物無尽蔵が同じなんて、一体どうなっているんでしょうね。
と首をかしげているのである。
だいたい無一物だの無尽蔵だのというのは、熊谷のようにストレートの解釈が一番よい。
だが、棟方志功には禅の解釈が、からんでいたのだろう。
禅家の言葉に
無一物中無尽蔵〉というのがある。熊谷ならずとも「一体どうなっているんでしょうね」と言いたくなる。
そこで熊谷の「無一物」を眺めてみたら、ここには何の理屈もなかった。
つぶれたハブラシみたいな筆に、淡い墨を付けて、ぎいぎいぎっと、
無一物とやってある。
下手も上手も超越して、熊谷の世界はやっぱり高天が原の風光であった。

平成23年1月10日 熊谷守一  榊莫山16
明治十三年に岐阜に生まれた熊谷守一は悠然そして自若の九十七年を生きて、昭和五十二年なくなっている。
何事にせよ、熊谷守一は
達観と脱却の名人であったと思う。
昭和四十二年、文化勲章受章者に内定した時、熊谷は
「めんどうで煩わしい」といって「いらん」と言った。やっぱり凄い人である。
かって芸術院会員を辞退した人はあっても、
文化勲章の固辞は、それまで例のない事だそうである。
 完璧ともいうべき自由人であったのだ。
この熊谷の書に
「一去一來」というのがある。何が去って何が来るのか、人の一生というのは、一去一來のくり返しである。
中国の史記に
〈禍福は糾える縄のごとし〉というのがある。よく似た漢語に〈一喜一憂〉とかあるが、一去一來がいちばん詩的である。
語感の響きもさわやかだ。熊谷守一という超越した人の書に、これほどふさわしい作品はない。

平成23年1月9日 村上華岳  榊莫山15
わたしは、近世でもっとも凄い芸術家は、村上華岳(むらかみかがく)と熊谷守一(くまがいもりかず) だと思っている。
思っているから、大好きで、そしてこわい。
村上華岳は、細いシャープな字をかいて「書をなさむとするとき、先ず正気を喚起すべし」といっている。
正気というのは、いきいきとした気力のことだろう。
そして、「人と仕事の価値は死後に判定される。棺を覆うてからでないと決して本当のことはわからない」といった。

熊谷守一は、この村上華岳のように、難しい理屈をいう人ではなかったが、芸術に向かう気分はよく似ていたと思う。
守一が九十六歳のときの言葉を拾ってみよう。
 
  絵を描くより、ほかのことをしているほうが楽しいのです。欲なし、計画なし、夢なし、退屈なし、それでいていつまでも生きていたいのです。石ころ一つそばにあれば、それをいじって何日でも過ごせます。
 *

この無用心さと裸のつぶやきに、こちらの心が洗われて、風呂上がりの風の心地よさのような気分にさせてくれるのである。
だから、熊谷のかく絵は、ことごとくやさしい。

平成23年1月3日 年はいい先生  みのもんた
年をとるというのは、本当にいい先生。60過ぎて初めて分かる、還暦まではぐちゃぐちゃ言わず、一生懸命やればいい。
60を過ぎると年が教えてくれます。
僕は病気をきっかけに、
「残りの人生でやれることは限られている。」
「だったら、今の自分が本当にやりたいこと、やるべきことをやろう」
と、仕事についてシンプルに考えるようになりました。
どうせ残り少ない人生なのですから、言いたいことを好きに言って、干されたとしても、それはそれでいいやという気になりました。
一度覚悟を決めると、今まで散々振り回されてきた視聴率とか、人様の目といった世間体がほとんど気にならなくなりました。
こうして僕は、次第にしがらみから解放され、自由になっていったのです。


平成23年1月2日 男の幸せは女房しだい  みのもんた
僕はこれまでの人生、トコトン人に恵まれました。中でも、女房に恵まれました。
以前にこんなことがありました。女房と超有名ブランド会社のディナーパーティーに行った時のことです。
超高級なホテルで高級なお客様をぎっしり集めた盛大なパーティーでした。
皆どこそこの大メーカーのオーナーご夫妻。まさに日本のハイソが大集結。
しかし、その実態は実にお粗末でした。地位もお金もある方々が、話題とくれば、服の話、宝石の話、バカンスの話くらいしかない。
やれ子供がいっている学校がどうだの、三人のお手伝いさんがどうだの、実にくだらない。
翻って、ウチの女房は話題に参加もせず、黙々と食事をしていました。

ふと、その手を見るとあかぎれだらけ。子供を三人育てた、家事労働をきちんとやっている手です。しかも、指輪一つしていません。

しかし、態度は堂々たるもの。誰に恥じるでもなく、毅然
(きぜん)としていました。
彼女だって、きっとこういったパーティーでは指輪の一つでもして、オシャレをしたかったと思います。
堂々としている彼女の姿を見て、僕はなんだか
グッときてしまいました。
そして、同時に名前を呼びつけにされたり、名前をバカにされたりして、
一々怒っていた自分に腹が立ちました
このとき、二度惚れとでもいいますか、女房に惚れ直してしまいました。

 平成23年1月1日 元旦
明けましておめでとうございます。
皆様、よいお年をお迎えのことと存じます。
今年も
緋色窯をよろしくお願いいたします。

    何となく
   今年はよい事あるごとし
   元日の朝、晴れて風無し
    石川啄木

自分らしく躍動することが第一、収入は二の次という定年文化
まずは、わが人生に乾杯し、来し方ゆく末を見つめてみたい。


「熟(な)っている柿の実を、採ろうと思ったら、最初にやることは、立つことである。」
たとえば八十歳になった時、それまでの人生を振り返って、こう言えたならば、
定年後の生活が充実していたということであろう。
  「サラリーマン時代は
”リハーサル”、その後の人生が”本番”だった」と。
とりあえず、新年のお喜びを申し上げます。

 ろくろ引く 土に声あり 水ぬるむ  川喜田半泥子

*ホームページを開設して11年、工房は15年、穴窯は4年目です。
2011年が皆様にとって、明るい年でありますよう祈念いたします。