日本人には独特な感性がある。 中でも、「侘び、寂び」は代表的な感性といえるだろう。
でも、「侘び」「寂び」の明確な違いはどうも釈然としない。
日本人として、「侘び」「寂び」の正しい意味を理解しておく必要がありそうだ。
侘び、《動詞「わ(侘)びる」の連用形から》
茶道・俳諧などにおける美的理念の一。簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識で、特に茶の湯で重視された。
閑寂な生活を楽しむこと。
思いわずらうこと。悲嘆にくれること。
つまり、落胆や失意の中に感じる、深い感情や情緒、味わいといったもの、それが「侘び」である。
芭蕉の句には寂しさや悲しみ、諦観といったものが表れている作品が多い。
「ものいへば 唇寒し 秋の風」 「夏草や つはものどもが 夢の跡」
さび 【寂《動詞「さ(寂)ぶ」の連用形から》寂び
古びて味わいのあること。枯れた渋い趣。
閑寂枯淡の趣。
俳諧で重んじられた理念。中世の幽玄・わびの美意識にたち、もの静かで落ち着いた奥ゆかしい風情が、洗練されて自然と外ににおい出たもの。
つまり、 「寂び」は侘びの概念を更に発展させたものとも考えることが出来る。
賑やかな様子や豊かなもの、美しいものが枯れたときに見いだす深いおもむき、それが「寂び」である。たんに寂しい、悲しい、孤独といった感情ではなく、そこに深い豊かさが伴わなくてはならなず、「侘び」と対をなす。
例えば、人が大勢出て賑わったお花見。やがて花が散ってゆき、それも終わる。ひところの華やかさは幻のように消えうせる。そこに漂う一種の哀愁、寂寥、閑静といった感情。これが「寂び」と言えるだろう。 ノスタルジーや懐古主義とは近似しながらも一線を画す。まことに奥深い、日本ならではの豊かな感情だ。
以上から、簡単に言えば「侘び」と「寂び」の違いは、 「侘び」は人の感情の中に情趣を見いだすもの。そして物事の様子から寂しさや深いおもむきを感じるのが「寂び」ということになる。
侘び、寂びを感じ取れる事象は身近に無数存在する。ただ見逃しているだけなのだ。
心のアンテナの向きをちょっと変えて、この深い感情を豊かに感じ取れる人間になりたいものである。
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