平成20年 子年 | ![]() |
平成20年12月31日 | 大晦日 |
今年も残すところ今日一日。 今年は一年間とても忙しかった・・・・。穴窯を焚くために窯を築き、山小屋を造り、薪を割り、作品を作った。 そして6日間かけた窯焚き。 時間は万人に平等だが、時間は創意工夫で自分でつくりだすものだと思う。 今年は多くの人に巡り合い、そして助けられた。 杜甫の詩 「人生相(あい)見ざること動(やや)もすれば参と商の如し」。 参は冬空のオリオン座、商は夏空のさそり座、常にすれ違い、常識的には住む世界が違う。 しかし、世の中には不思議なご縁があり、何にでも興味を持つ多才な人々と邂逅した。 今年は、ボランティアで陶芸教室の講師をした。 三十人の生徒さんと共に「楽陶の会」を立ち上げた。 そして、インターバル速歩(サッサカ歩き)、ブリザーブドフラワー(保存するという意味で生花を着色し何年ももつようにしたもの)の講習会に行った。 人生の有為転変を悟る年代なのか、事実の深奥に目を向けようという気持ちになったのか。 自分自身の変化に気づいた。 今年の文字は変。 日本も世界も、政治も経済も、そして団塊の世代も変革の時を迎えている。 定年退職した元同僚に会った。町内会の役員、神社や寺の役員をやっていると自慢する。もともと上昇志向というか出世がしたい人だった。陶芸の講師だと言うと、儲けられていいなぁと ! 私はボランティアだと言っても信じない。金で幸せになれると言っていた人だが変わらない。 山では夕方になれば温泉に行く。露天風呂、サウナに入り、ロビーでのんびりと休息。 夕食後暫くして寝る。山では本当に早寝早起きになる。 別荘地近くのスーパーマーケットは、高額な肉や珍しい生鮮食品など、別荘族のためなのか自宅近くの店と品揃えが違う。 山での散歩 林の中に 「あれ 何の実 きれいだな」 「まゆみよ」 見上げる先に、赤い実が 植物に弱い私は 妻に聞く 今年は穴窯焚き1回、本焼12回、素焼5回と陶芸教室のものが大部分 |
12月30日 | 年越し 吉井由吉 |
人はおのれの寿命を知らず、まして終りの年と時刻まで定めようもなく、それに、年が尽きましたとは、すでに新年を迎えたということではないか、と理屈は言える。しかし生涯という言葉があり、本来は一生の涯という意味のはずであり、多くは故人について使われるが、人はまだまだ生きるつもりの自身に関しても、過去への感慨が深くなる折に、その言葉を口にするのではないか。生涯を振り返るとき、人はおのずと、かりそめにも一生の涯に身を置く心になっている。すでに幾分か、故人になっているのかもしれない。年越しとはそんな折の一つである。 我が国では古来、仏名会と称して、陰暦の十二月に寺々で、諸仏の名号を唱えて一年の罪障を懺悔する法会が行われていた。 人はいさおかしや すらむ冬来れば 年のみつもる雪と こそみれ 平兼盛 これなどはありがたすぎるほどだが、それはともかく、年ばかりが降り積もるとは、実感である。人が生涯を振り返るとき、いつでもどこでも、年越しになる。 |
12月29日 | 川柳うきよ鏡5 小沢昭一 |
去年今年 貫く棒はへの字なり (横浜市 岡田話史) 2002.12 ご存じ高浜虚子の名句「去年今年貫く棒の如きもの」の、ケッコウなもじりです。まったく世の中、政治家も役人も商人も、金にからんだ曲がったことだらけ。去年今年を貫く、棒は棒でもへの字に曲がった棒。しかも悪銭食べてる屁で、クサイ、クサイ。 外務とは 外れた務めと読むそうな (日立市 神山清) 2002.9 ムネオ先生はエライ。腐った外務省に目を付けた。腐っている所はユサブリ易い。日本大使館の庭になんでプールが必要なの ? 「務めを外れて」 腐り果ててますよ。ODAってのも、「オかねの、デかたが、アやしい」の略ではないか、なんてネ。 |
年金の社会保険庁、汚染米の農林省、守屋事務次官の防衛省、C型肝炎の厚生省。上は事務次官・大臣から下は市町村役場のヒラまで、今年もまた腐った話題を提供してくれた。また、来年は話題になりそうな地方議会。市町村県会議員はほとんどが、農業、土木の自営業者で、サラリーマンなどはいない。そしてまともな人間はいないそうだ。給料をもらうのを目的として、世襲もあるという。監視が行き届かないのをいいことに、お手盛りで議員歳費を上げてもいるようだ。人類始まって以来、人民の敵は役人・議員の構図は永遠に変わらない。 |
12月28日 | 川柳うきよ鏡4 小沢昭一 | ||
ドクターに 死ぬほど呑めとおどかされ (東京都 南川光男) 1998.6 いいドクターです。「酒は少しなら百薬の長。飲み過ぎがいけません、程々に」なんて言われたって止める奴はいません。「もうガブガブ飲みなさい、飲んでで死になさい」で効き目があるんです。・・・・でも、それでも飲む人もいるか。いたなぁ。合掌。 長生きの 秘訣を語り先に逝き (町田市 須山晶子 1999.4 「お気の毒にねえ。あの方とても健康法には詳しくてね、みのもんたさんの番組なんか欠かさず見て、私にもあれを食べろ、これを食べちゃいけないって、いつも注意して下さってたの。どうしてお亡くなりになったのかしら、悲しいわァ」 |
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雪の木道 | 庭も一面の雪 | 薪置場 | 赤松 |
12月21日 | 川柳うきよ鏡3 小沢昭一 | ||
小便へ 代理は利かずこたつ板 (奈良県 井藤清 1996.1 年をとると何事も億劫で、まして炬燵は別名「無精穴」。でも、実はトイレばかりでなく、もう一つ代理の利かないことが・・・・むしろそっちは、まだ結構マメで、ときどきネ。「今はただ小便だけの道具かな」なんて、ウソでしょ ? 知ってますよ。 また男 哀れに思うバイアグラ (京都市 志賀うらら 1998.9 沢山のバイアグラの句からご婦人の投句を頂戴しました。高い金払って薬を入手して、ムリヤリ立たせて長持ちさせるのもメスへの奉仕のため。その奉仕がオスの喜びなんですって。かねて哀れとは思ってましたが、ひとしお哀れ、バイアワレ。ホホホ。 |
12月14日 | 俵萠子さんを悼む 吉武輝子 | ||
友逝きて冬天雲のかげりなし 人は誰でも若い時にこうなりたいとさまざまな夢を抱くものである。人生五十年時代は、優等生たらんと努力するうちに、夢は夢のままに消え果ててしまっていた。しかし倍生きられる百年時代は、女は母親という役割から解放された後、そして男は定年後、かっての夢を花開かせることが可能になったのである。 なんと俵さんは五十代で群馬・赤城の山すそに俵萠子美術館を作り、少女時代の夢だった陶芸家へのスタートを切り、モネの絵に勝る庭を見事に作り上げたのである。七十代に入ってからは、自分のためではなく人に役立って生きることに全力を挙げていた。乳房をえぐり取られた女たちが、人目にさらすことを恥じて入りたくても入れなかった温泉を、心ゆくばかり楽しもうよと「一、二の三で温泉に入る会」をスタートさせた。「ねえ、いい時代に生まれ合わせたわね。青春時代の夢が実現でき、老いては人に役立っているという実感を抱きながら生きられるのですもの」と言った俵さんの言葉がよみがえった。 評論家 俵萠子さんは11月27日死去 七十七歳 |
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雪の朝 | 巣箱の雪 | 散歩 | 倒木 |
12月7日 | 川柳うきよ鏡2 小沢昭一 |
死ぬ時に欲しがるものはただの水 (宇都宮市 黒田誠介) 1994.2 「人間、生きておると、あれも欲しい、これもしたい。欲に限りはないのじゃが、けれどもな、~死ぬ時にィ、欲しがるものはァ、ただの水ゥ・・・・・」なんて、お坊様のお説教のまくらにも、この句は使えますなァ。 年金で細ぼそ暮らす鶴と亀 (前橋市 鎌田洲見雄) 1995.3 鶴爺と、カメ婆がささえあって細々と生きる長寿社会。鶴は千年亀は万年。しかし、長生きばかりがいいのかどうか。なるほど「寝たきりも入れてて今年も長寿国」なんですが、しかし元気で長生きできれば、鶴さん亀さん、まずはおめでたい。 |
11月30日 | 川柳うきよ鏡1 小沢昭一 |
今だって越後屋さんと御代官 (大府市 木下昇) 2002.11 時代劇によくありますなぁ、悪徳商人(企業)と悪代官(官僚)が組んで私腹をこやし、ワリをくうのはいつも下々の者。よく黄門さまがそれを裁いたりもするけれど、当節は、黄門さまも上前をはねてるんじゃないか・・・・・~金だ金だよ金金金だ・・・・・添田唖蝉坊の「金金節」。 あいつ等と呼んで呼ばれて官と民> (宇部市 久村耕二郎) 2001.7 「官の連中は、腹ン中ではさ、民は衆愚で、あいつ等には、゛由らしむべし゛だけでいいと思ってるのよ。民はね、官の野郎、あいつ等、陰でウマイ汁ばかり吸いやがってと思ってても、オトナシイの。そろそろやっつけようよ、なぁ純ちゃん、まきちゃん」もちろん小泉純一郎、田中真紀子のこと |
11月23日 | 十一月 俵万智 |
晩秋から初冬へ。紅葉から枯れ木へ。夕焼けから雪へ。世界の色が抜け落ちて、モノトーンに近づいてゆく。そんな季節のうつろいの中、目に見えるものよりも、耳に聞こえるものよりも、匂いに敏感になってゆく私たち。香りには形がない。感じられるけれど目に見えない。だからだろうか。それはしばしば、人の記憶へとつながってゆく。 傷つきし柚子ほど強く匂ふなり 飛旅子 |
山小屋に初雪が降り、薪割りはもう出来ません。 散歩に出ると、落ち葉と霜柱がサクサクと音をたてる。 午後4時を過ぎるとすぐに暗くなる。 寒い雲がいそぐ 山のしづけさは白い花 山頭火 |
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雪の八ヶ岳 | 11月19日 | 窯の前の夜道 |
11月16日 | りんごの涙 俵万智 |
青森県でりんごを栽培しているという女性と、ある会合でご一緒した。「りんごの花で布を染めると、どんな色になると思います?」 ハンドバッグから取り出された一枚の木綿のハンカチ。広げると、うすい黄色にうすい黄緑色を混ぜてやわらかくしたような色だった。「私ね、これ、りんごのなみだ色って呼んでいるの」 その時、はかりしれない苦労がちらりと、「りんご園のおかみ」の顔を横ぎったように思われた。花の咲くよろこび、収穫のよろこび、けれどそこに至るまでには、数えきれない涙が流されている-----そういう意味だろうか、と思った。 私には、なみだ色のハンカチがあるだろうか、ふと思った。 りんごの花の咲く季節には、まだ遠い。 |
11月9日 | 誤用 |
外国人が日本語を覚えるときに不思議に思うのが、「湯を沸かす」「飯を炊く」などの重ね言葉。 湯は沸いたもので、沸かすものは水だ。米を炊くと飯になる。飯を炊くのでは粥になる。 しかし、以下は誤用です。 「後で後悔する」「余分な贅肉」「一番最初」「最後の切り札」「馬から落馬する」「日本に来日する」「頭痛が痛い」 おざなりとなおざりの違いがわかりますか。 おざなり(御座なり) その場逃れにいいかげんに物事をするさま 例 挨拶がおざなり・・・・・挨拶はしたがいい加減 なおざり(等閑) あまり注意を払わないさま 例 挨拶がなおざり・・・・・挨拶をしなかった |
11月2日 | いずこもおなじ 平成家族川柳 |
一心同体老夫婦の巻 黄昏に 夫婦互いに杖となる 男でも 女でもない老夫婦 貧乏の 過去も懐かし共白髪 熟年から老年へ 本当の 老いを鏡に教えられ 食うだけの 金でのん気に昼寝する 夫婦ワンペア 二人なら 長い道でも歩けそう 散歩道 笑顔の夫婦と今朝も会う 一病が 夫婦の仲を丸くさせ |
10月26日 | 産経抄5 |
珠玉 武蔵野の雑木林が黄ばんで、風が吹くたびに空気が高くざわめく。早くも散り始めた木々もある。そのやぶかげの茂みで、ムラサキシキブが結んだつぶらな実を野鳥がついばんでいた。 女性が耳につけるピアスほどの実だが、自然界では珍しい高貴な色を、神はこの木の果実に与えたもうた。それも宝石のように色鮮やかな濃紫の珠玉を。そのため一代の才媛の美しい名がつけられた。 斎藤裕さんのエッセー「源氏物語 愛と知恵」。「戦後の日本の最大の悲劇は、高い志をもった日本人の精神が失われたことではないでしょうか。『源氏物語』は゛情゛の文学だと思いますが、情より知を優先させた社会のひずみが、いま・・・・・」と語っている。 2000.11.16 開戦の日 昭和二十年四月鈴木貫太郎内閣が成立するが、その直後の十二日、アメリカのルーズベルト大統領が六十三歳で急死した。そこで興味深い事態がおきた。仇敵の親玉が死んだのだから普通は拍手喝采する。 しかしたとえ戦火を交えている仲とはいえ、国と国との間には礼節といういうものがある。そこで、鈴木首相の名をもってアメリカ国民に大統領逝去をいたむ弔電を打った。何しろお互いに相手を゛鬼畜゛呼ばわりし、憎悪をむき出しにして戦っていた最中である。それがアメリカを大いに驚かせた。 その時ドイツの作家トーマス・マンはアメリカに在住し、週一度ラジオ放送を受け持っていた。「日本はやはりサムライの国である。見上げたものだ。それに引きかえわが祖国は万歳、万歳と喜んだ。恥ずかしいことである。」・・・・・マンはラジオでそう述懐したという。 1998.12.8 |
10月19日 | 産経抄4 |
中西龍 NHKラジオ「日本のメロディー」の独特のナレーションで知られた中西龍氏が亡くなった。゛中西節゛といわれたユニークな語りは、どこか哀しく、どこか優しく、ゆうゆうとして迫るところがなかった。フリーになってからフジテレビ「鬼平犯科帳」のナレーションをやったが、その淡々として重厚な語りはいまも耳底にひびいているようである。 「有名になってどうなるというのです。過ぎてしまえば一炊の夢、生きてよかったと最後に思えるのは、一日一日を詩心を持って過ごしたかどうかでしょう」とも語っていたそうだ。そのようにして中西さんの歳月は静かに流れていったのだろう。 1998.10.31 石の心を 戦後という時代に背を向けて生きた流浪の歌人・山崎方代。「ふるさとの右左口郷は骨壷の底にゆられてわがかえる村」。 社会から遺棄されたように朝は山菜を採り、昼は草庵にこもり、夜は安酒屋に入りびたる生活を送っていた。「ふるさとには帰るまいぞい帰すまい五分の魂泣いてくるるな」。「手の平をかるく握ってこつこつと石の心をたしかめにけり」。方代逝って十五年、゛右肩上がり゛だった昭和も遠のいていく。 2000.8.31 |
10月13日 | 産経抄3 |
歴史は常に政治やイデオロギーの忠実な下僕だったという。三浦朱門氏によると、アメリカの独立戦争を記述した米英の教科書を比べると、ジョージ・ワシントンら独立派をアメリカの教科書は「愛国者」と書き、英国の教科書は「反乱者」とあるそうだ。朝鮮戦争をめぐる歴史認識でも北朝鮮と韓国ではがらりと違っていようし、十九世紀から二十世紀の歴史を中国と韓国が共同研究したという話も聞いたことがない。韓国にはまず”反日教育”をやめてもらうことが先決である。
1996.2.5 マザー・テレサ 亡くなったマザー・テレサさんがまだ87歳の”若さ”だったとは思わなかった。ノーベル平和賞を受賞したさい、報道陣に「晩さん会はいりません。そのお金を貧しい人たちのためにお使い下さい」と訴えた話は有名だ。山谷えり子さんは、マザー・テレサが貧民のために働くシスターたちに「笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うの。笑顔が人間には必要なのよ」と指導するフィルムを見たという。 「最も悲惨なことは飢餓でも病気でもない。自分がだれからも愛されていないと感じることです」というのが口癖だったという。 1997.9.8 |
10月12日 | 秋 |
山小屋では、朝晩散歩に出る。 雲の動きに見惚れ、風の音に驚き、霧が昇って来て道が見えなくなる・・・・・。山はすっかり秋の装い。 真っ赤な落ち葉は地面に落ちるとすぐに枯葉となり色あせる。 ポストを設置しました。 |
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10月5日 | 産経抄2 |
風のあしあと 日本の短詩型文芸は、俳句、短歌、川柳、詩・・・・・といろいろだが、どどいつは不当にさげすまれてはいないかという声がある。 「現代どどいつ十一人集」、日曜の一日を大いに楽しんだ。 「立てどすわれど美人にゃとおい だけどひと刷毛ちらす紅」(小林九里女)。女流画家だそうで"詩画一如"なのだろう。 「痩せたい気持ちがまけてる今日も ざっくり西瓜を切る暑さ」(山崎しおり) 「うすい縁にもしあわせすこし 軒のすだれをひくく吊る」(松本美穂) 生きていく人間の哀歓はさまざまである 1997.10.6 一山いくら 文学全集が一山いくらでほこりを浴びているのを見ると、涙がこぼれそうになる。教養としての読書が存在しなくなってしまった。「パルムの僧院」を読んでいないと恥だとか、「暗夜行路」ぐらい知っていないと仲間に入れない、といった教養主義は消滅した。読書とは人生の楽しみであり、人生を充実させる手段だといった"読書のすすめ"が通用しなくなった。 現代はバイト代を少し貯めれば、地球のどこへでもじかに足を運ぶことができる。しかしである、西洋の古諺に「ロバは旅に出たからといってウマになって帰ってくるわけではない」と。旅に出ればそれでいいというものではない。読書が与えてくれる想像力の翼には遠く及ばないのだ、と小さくつぶやいてみた。 1997.10.30 |
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彼岸花 | 地梨は初めて成りました | キィウイ |
9月28日 | 産経抄1 |
宇野千代 幸福のかけらを一つ一つ拾い集める。自分の周囲にそれを張り巡らして生きるのである。「人におかしく思われることでも自分では幸福と思うようにした」。それが宇野千代さんの幸福論だったのだろう。みごとな老年の人生観だわい、と敬服する。「老年も病気も私の人生です。病むことも、生きていく上での一つの経験として十分に味わい、楽しんで生きたいのです」そう語っていたという。 1996.6.12 江國滋 「残寒やこの俺がこの俺が癌」滋酔郎。滋酔郎の俳号をもつ随筆家、江國滋。闘癌俳句の洒脱に脱帽した。「春ともし遺書を書こうか書くまいか」「見をさめかと思うわが家を出れば春」「死神にあかんべえして四月馬鹿」。 俳句をよむということでは、こんなふうにアドバイスしていた。「まず、作ることである。句のよしあしなぞ気にすることはない。だいいち、あなた、よしあしをいえた身分ですか」 恐れ入りました、である。 1997.8.13 |
9月21日 | 山ろく清談 映画監督 山田洋次 |
僕と同じ世代は、共通する思いがあるのではないか。「この国は大丈夫か」って。再び不幸が訪れるのではないかと。無言の圧力みたいなものを、皆感じている。ますます激しい競争に向けて大きい号令がかかる。もうやめにして、立ち止って考えようじゃないか、という発言は小さな声になってしまう。ある国を指し、戦争を起こしてやっつけちゃえばいい。ーそんな乱暴な意見は割と平気にまかり通る。 寅さん(「男はつらいよ」の主人公)みたいな役に立たない男はどこかで首でもつって死んでしまえという時代になった。寅さんも家族の1人、地域の一員と認める寛容さを失っている。 |
9月14日 | 自殺大国 |
日本では年間33000人が自殺している。2年でベトナム戦争(15年間)で亡くなったアメリカ人に匹敵する国民が、自ら死を選んでいる。 男性が72%、40歳以上が73%、動機は健康問題40%、経済問題32%・・・・・。 物質的には豊かだが、心は貧しい国、日本。・・・・・今必要なのは人間らしい感情。 ある絵描きが「絵は魂の食べ物」と言ったが、音楽も、文学も、そして陶芸も魂の食べ物。 生きるためには、私たちの心に食べ物が必要だ。 この平和な、モノのあふれた日本に、今、心の戦争が起きている。 |
9月7日 | 一茶 |
人は人 我は我が家の 涼しさよ 世間の体裁に縛られて生きるのはもうごめんだ。人にはそれぞれかけがえのない持ち味がある。そうひらき直って生きてみると、こんなむさくるしい家にも涼しさが感じられる。 月花や 四十九年の むだ歩き 浮かれ過ごして気がついたら、もう来年は人の寿命が尽きるという五十歳である。いままでの自分の生き方にふと寒いものを感じたのだ。 |
8月31日 | 泥多仏大 |
東の魯山人、西の半泥子と謳われた川喜田半泥子は朝起きると、泥仏堂へ行き轆轤を廻す。夕方銀行から帰ると、再び泥仏堂にこもった。 百作れば百の悟り、千作れば千の悟りがある。という信念を半泥子はもつようになった。 「泥多仏大」は、「泥多ければ仏大なり」という意味。泥を多く積まなければ、大きな仏像はできない。人もまた同様である。 半泥子という号は、大徹禅師から授かったという。「半ば泥(なず)みて、半ば泥まず」という意味。何にでも没頭し、泥んこになりながら、それでも冷静に己を見つめることができなければならない、という意味である。 |
8月24日 | 吉村 昭著 「死顔」 桶谷秀昭 |
吉村昭は、生き方のスタイルを、かたくなに守る作家だった。卑近な例を挙げれば、講演を、どんなに頼まれても、拒否した。また、原稿のしめきりを、どんなことがあっても、かたく守った。しめきり日よりも前に、脱稿するのを常とした。そして、そのことを広言することがなかった。「気が小さいものだから」 と、恥ずかしそうに言った。 九男一女の八男に生まれた作家は、戦後、父の死をはじめ、兄や弟のつぎつぎの死を看取ってきた。なきがらを焼く前に、肉親縁者が棺を囲んで花を投じ、別れをする。作者はその儀式を拒否した。「死は完全な終結であり、別れはすんでいる」と思う。それが「死顔」の思想である。 作者自身の死ぬ時がきた。最後の意識において黙々と死を見つめ、深夜、点滴の管をはずし、カテーテルポートの針を引き抜いた。「もう死ぬ」 と言った、と夫人津村節子氏は後書に書いている。吉村昭は文士らしく生き、文士らしく死んだ。 |
8月17日 | 老いの哲学 山崎 努 |
ちょうど六十歳になったときの、新国立劇場のこけら落としでの「リア王」。 「リア王」という老人は「捨てていく男」なんですね。王国を捨て、肉親を捨て、最後は正気を捨てて命まで捨てる。六十を前に、とにかく自分が引きずっているものがうっとうしくてね。「もっと身軽になりたい」という気分が、役と合ったのかもしれない。 「二人っきりで籠の鳥のように歌を歌おう」。リア王が最後に末娘のコーディリアに言う、あれが一番しびれたせりふで、好きなせりふですね。 旅の終わりに境地に達したとか、新しい次元に上昇したとか、そういうことではないかもしれない。いや、よく分かんないんだよ。七十一歳なんていってもね、年取れば「何かが分かる」なんてもんじゃないんだね。考えてみれば人間いつも「初めて」で。もし来るとすれば、ボケもそう。当然死も。目の前のことはいつも初めての体験で、何も分かんないんだってことが最近、分りました。だから僕は老いにもゼロから、先入観なしに立ち向かうしかないんです。 |
8月10日 | 東京地検特捜部 共同通信社 社会部 |
建設族議員の井上孝が言うように、恐らくこの国にはムラ社会の要素が色濃く残っている。自由な競争より、身内同士が手をつないで共存共栄を図る。それで業界の利益が保証され、政治家のふところが潤い、官僚たちの天下りの特権が確保されれば、国民の税金が浪費されても構わない・・・・・。日本独特のムラ社会に根ざしたこの利権のシステムは、ゼネコン汚職が摘発されたからといって根絶されたわけではない。 東京地検特捜部検事 馬場俊行が副部長として指揮した二つの事件(共産党部長宅盗聴事件他)は灰色決着する。中間管理職にすぎない馬場が、検察首脳の判断に異を唱えることは許されない。馬場はどれほど苦い思いをかみしめなければならなかっただろうか。 89年7月 馬場は大腸がんと判明、医師は妻久美子に「六か月の命」と告げた。 死の二日前、検事正 山口悠介が病床を見舞った。「『頑張れよ』と声をかけたら、力いっぱい僕の手を握って『遠いところをすみません』と叫んだ。その手の力強さに、胸がはちきれそうだった」と山口。 16日未明。馬場は「悪い政治家をこの手で捕まえてやりたい」という夢を果たせないまま息を引き取った。 最期をみとった久美子が、ふと気付くと、窓の外はみぞれになっていた。 |
8月3日 | 俵万智 |
はつなつの公園を行くあんだんて あなたの二歩と私の三歩 書くほどに心を離れてゆく手紙 うそばっかりのブルーブラック 「不器用に俺は生きるよ」 またこんな男を好きになってしまえり |
7月27日 | 長野県 |
明治四年、廃藩置県で諏訪、伊那、筑摩、安曇の四郡と飛騨国を筑摩県としました。 明治九年、松本の県庁舎焼失とともに筑摩県は廃止され、信濃国四郡は長野県に、飛騨国は岐阜県に合併されました。 長野県の「四信」。東信は千曲川の上流域、北信は下流域、中信は塩の道と木曽、南信は諏訪湖と天竜川流域です。 信州・諏訪の方言。 語尾のつけ方 (〜ずら、〜だに、〜だじ、〜け等) 「ささらほうさら」 ふんだりけったり 「やぶせったい」 うっとうしい、邪魔だ 「まて」 ていねい 「つもい」 きつい 「ずく」 やる気、億劫がってなにかをやりだそうとしない状態 「なから」 だいたい、ほぼ 「ごしたい」 疲れた 「おつくべ」 正座する 「くれる」 物をあげる 「とぶ」 走る、「とびっくら」は「かけっこ」の意。 「かんます」 かき混ぜる 「いかざあ」 さあ行こう 「いいどこじゃねえ」 非常に良い 「うとんぽ」 中が空のこと 「おおせぎ」 大変苦労なこと 「きさんじい」 美しい 「げえもねえ」 甲斐もない 「ひどろったい」 まぶしい 「もげえ」 酷い 「やっくら」 わざわざ |
7月20日 |
銷夏詩 しょうかのし 袁枚 |
不着衣冠近半年 水雲深処抱花眠 平生自想無官楽 第一驕人六月天 |
衣冠を着けざること 半年に近く 水雲深き処 花を抱いて眠る 平生自ら想う 無官の楽しみ 第一 人に驕る 六月の天 |
堅苦しい正装の役人生活をやめてから半年近くがたち、 今は清らかな水や雲の深いところで、きれいな花々に囲まれて眠る生活である。 毎日、官職のない気楽さを満喫しているが、 ことに人に威張ってやりたいのは、この炎天下の六月のわが生活のすがすがしさである。 |
袁枚は清朝の人、40才で官界から引退し、山荘(隋園)で悠々自適の生活をおくった風流人である。もちろん花とは美女のこと。そして、暑いさなか、仕事に汗を流している人々に「ざまあ見ろ」と言っている。 |
7月13日 | 封印された文書 麻生幾 |
金丸逮捕劇の知られざる真実 「小沢一郎はどうしてますか?」 東京小菅の拘置所。金丸信元自民党副総裁が、検察関係者の前で口にしたその言葉は、余りにも儚く、弱々しかった。 潮が引くようにーーーーーまさに、この言葉通りだった。経世会全員が金丸というダーティーイメージから離れようと必死だった。 その後の三年間。思い出すことさえ困難なほど猫の目のように政界では権力が移り変わっていった。 しかし、権力というものがいかに儚く、うたかたの夢であるかを一番良く知っていたのは金丸だった。いかに冷たい世界であるかもーー。 拘置中、金丸を面会に訪れた側近は申し訳なさそうに項垂れた。金丸が何を言おうとしているかがわかったからだ。 「小沢先生からは何も・・・・・」 金丸は大きなため息をつき、首を垂れてポツリと言った。 「そうですか。何もありませんか・・・・・」 |
7月6日 | 若山牧水 |
旅と酒を生涯愛し続けた歌人・若山牧水。 祖国の山河を愛し、旅の中に人生をみつめ、その思いを詠い続けた牧水のような生き方そのものが、否定される時代になってしまった。 人は、便利さと引き換えに、本当に大切なものをどんどん失っていくような気がしてならない。 枯野の旅 乾きたる 落葉のなかに栗の實を 濕りたる 朽葉(くちば)がしたに橡(とち)の實を とりどりに 拾ふともなく拾ひもちて 今日の山路を越えて來ぬ 長かりしけふの山路 樂しかりしけふの山路 殘りたる紅葉は照りて 餌に餓うる鷹もぞ啼きし 上野(かみつけ)の草津の湯より 澤渡(さわたり)の湯に越ゆる路 名も寂し暮坂峠 |
6月29日 | 俵万智 |
二十代、三十代のころは、前へ進むことに懸命だった。 会うまでの時間たっぷり浴びたくて 各駅停車で新宿に行く 今の私は、各駅停車どころか、木馬に乗っている毎日だ。が、一首に会うまでの時間が、いっそう長く深くなるのならば、これも悪くないと思っている。 揺れながら前へ進まず子育ては おまえがくれた木馬の時間 |
6月22日 | 夭折画家の叫び 福島泰樹 |
二十四歳で早世した詩人富永太郎の詩を口遊む。「私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去った」(秋の悲嘆)。この美しき自意識は、破滅への静かなる予兆か。大正13年11月。京都で喀血。 詩人はパイプを愛し、のんびりと紫煙を燻らせる自画像をよく描いた。しかし、この肖像は、鬼気迫る。左右の均衡を欠いた大きな目は異様で、不吉でさえある。馬糞紙と呼ばれる粗末なボール紙を用い、部分的に油絵具が塗ってある。死の前年大正13年春の作品だ。 この春、64歳を迎えた私は、死んでゆく若者が血を吐き、涙を流しながら歌った 「恥の歌」 に今日も励まされている。 「Honte!(オント) honte!(オント)」 「わが身を 曝らせ」 「Honte!(オント) honte!(オント)」 「おまへは 泥だ」 |
![]() 富永太郎「自画像」 |
6月15日 | お茶席の冒険3 有吉玉青 |
お茶は、それをまったく知らない人が思うほどには優雅なものではない、と私は思う。 ただ、お茶は、スノビッシュであるとは思う。茶人はスノップスだ。ただし辞書の言う、上品ぶる俗物といった意味ではない。俗物なのはそうかもしれないが、上品ぶって気取っているわけではなく、「わかる者」であろうとしている、そんな人々だ。 茶事は、無言にて始まり、無言にて進行する。その会の趣意は、開会にあたって特に説明のあることはない。それは茶席に入ったときに、わかる仕掛けになっている。 席に入ると、まず客は床の間を拝見することになっているが、そこで花入れが、床の中心から少しずらして置いてあれば、それはその日、さる人からいただいた道具が出てくる、というしるしである。正客は、大切な道具ゆえ、会の最後に、それを謹んで床の間に返すことになっている。それであらかじめ、その場所があけてあるのだ。その他、席に入ったとき、点前をするところに湯杓と蓋置が出ていれば今日のお水は名水。手前を少しあけた形でしめてあれば、それはまず食事が出るという合図。 そんなふうに、趣意を汲んで、楽しみに会の始まりを待つ。そして、そんなふうにわかられていることを前提に、亭主は静かに襖を開け、席に入って点前を始めるのである。実は私、この無言の「わかって、わかられて」が、けっこう好きだったりする。 しかし、スノップスな意地悪。わかっている者だけができて、わかっている者だけが傷つく意地悪がそれ。茶席でこんな意地悪を仄聞した。 水指は棚に置くこともあるが、そのままじかに畳において点前をすることがある。その場合、点前の最後、それを持って茶席からさがるのである。ところがひととおりの点前を終えてほっとして、つい水指をひくのを忘れてしまう。ベテランもしかり。 そんなとき、 「あら、もう還暦なのかしら?」 六十歳以上の人は、水指をひいてこなくてよいことになっているのだ! |
6月8日 | お茶席の冒険2 有吉玉青 |
やんごとなき客人には、茶碗に低い台をつける。すると客人は、台茶碗でたてていただいたことに、謝意を表す。 「ご丁寧にありがとうございます」。 そして、もう一言。たとえば、 「どうぞ、このようなご心配は、これからいただきませんように」とか何とか。礼に続いて恐縮の弁。これがとっさには、なかなか出ない。 私は、以前、自分の前に台茶碗が出てきたとき、思わず、 「私のような者に・・・・・」と切り出して、笑われてしまった。へりくだりがすぎたのだ。 また、 「このようなご心配は、もう結構でございます」も失敗だった。「ござる」をつければいいというものではない。これではまるで、丁寧にもてなされたことに、腹を立てているようだ。 「もう二度となさいませんように」これは、大袈裟すぎた。横で人がおなかを抱えて笑っていた。 本人、べつにウケをねらって言ったわけではない。丁寧にしよう、相手に敬意をはらいつつ感謝しよう、自分を謙遜しようとしたら、もう何がなんだかわからなくなってしまったのだ。敬語とは難しい。その上、ふだん使わないから、いざ使おうとしたときに、うまくいかない。 茶席でのやりとりは、ときに時代がかかっているようで、それがまた面白かったりするのだが、敬語を面白く感じることに、どこか寂しい気もする。 |
6月1日 | お茶席の冒険1 有吉玉青 |
名水だてというのは、その名の通り、名水を使う濃茶の点前である。 ふつう、点前には、湯杓と蓋置を持って出るが、名水だてに限って、この二つは初めから、出しておく。亭主が席に入ってくる前から、お客は、今日は名水でお茶がいただけるのだな、とわかる仕組みだ。 そうして濃茶が練られる。その点前は、ふだんと特に変わらない。正客が、出されたお茶を飲んで、隣にまわしてから、点前をした亭主に、お茶の名前と製造元を尋ねるのも同じ。ただし、そのあと、「ご名水のようなので、是非、お白湯をいただかせてください」と、所望する。 白湯を飲んだ後、正客は、どこの名水か尋ねる。ただしお稽古では、いちいち汲んできたり、ペットボトルで買ってくるわけにもいかないので、水はいつもの水道の水。それでもお尋ねはすることになっていて、そしてそれには、どこかの名水をもって答えることになっている。 私は、人が答えるのを聞いていて、京都は伏見のご香水。西宮の宮水など、名水をいくつか覚えた。けれども、いざ自分が名水の点前をしたら点前だけで精一杯で、 「どちらのご名水でしょうか」 と尋ねられたら何も出てこない。焦って、苦し紛れに、ペットボトルの記憶をたよりに、 「南アルプスで汲んでまいりました」 と言ったことがある。 「・・・・・まあ、それは、わざわざ」 と、言うしかなかった正客のおばさまであった。 |
5月25日 | 人口減 |
少子化に歯止めがかかりそうにない。そして日本人は子供を持つことを望まない傾向にあるらしい。どうしてか。子育ては労力を要する。金も時間もかかる。だが今、その出費をしておけば将来が楽になる。反対に今、楽をしておくと先々労力を要する暮らしが待っているのは明白だ。 近年、当面の利益を追求する方へと、日本人は急激に傾斜しつつあるようにみえる。終身雇用制や年功序列賃金体系の高度成長期まではこうではなかった。だがバブル崩壊以降、様相は一変した。先のことは分らないから、ともかく当面、もらえるものはもらっておこうとの対応が多数派になってしまった。従来の日本型システムへの反動からか、振り子は大きく逆方向へふれてしまった。長い将来を見越した生活設計を立てるという作業を、放棄している感すら今の日本人にはある。我が子をもうけておかないと、老後に誰が自分の面倒をみてくれるのか、論理的には不安になるはずだ。しかし、深刻にとらえなくなっている日本人は多くなっている。 |
5月18日 | 話を聞かない男、地図が読めない女 |
人間も動物だと断定されると、たいていの人は難色を示すだろう。しかし、私たちの身体の九十六パーセントは、ブタやウマと同じなのである。人間にしかできないことは、ものを考えて、先の計画を立てることくらいだ。ほかの動物は、遺伝で決まった脳の回路にしたがって反応したり、一定の行動を繰り返すが、それはあくまでも反応であって、考えた末の判断ではない。また、どんな動物も本能を持っている。鳥はさえずり、カエルはゲコゲコ鳴き、オスの犬は片脚を上げて小便をし、ネコは獲物に忍び寄る。しかしこれらは知的行動ではないため、人間は自分たちに置き換えて考えられない。赤ん坊が最初にすることーーー大声で泣いて、おっぱいを吸うーーーが、本能によるものだということすら忘れてしまっている。 良し悪しに関係なく、祖先から受け継いだ行動が子供たちに引き継がれるという点では、人間も動物も変わらない。ただ、何百万年という進化によって野性的な衝動が洗練されていっただけである。そのことを承知しておけば、自分の欲求や衝動を理解するのもたやすいし、自分自身や他人をもっと楽な気持で受け入れられる。真の幸福に通じる道は、どうやらそこにありそうだ。 |
5月11日 | 三井記念美術館 |
三井記念美術館は三越の隣です(7F)。さすがは三井、重厚な美術館。 −数寄の玉手箱− 三井家の茶箱と茶籠 所蔵品の中核をなす茶道具には、国宝「志野茶碗 銘卯花墻」や重要文化財「黒楽茶碗 銘俊寛」、「大名物 唐物肩衝茶入 北野肩衝」をはじめとする名品・優品が含まれています。 持ち運びができる小型の箱や籠などに、喫茶用の茶道具一式を組み込んだものを茶箱および茶籠と呼んでいます。 茶人が自らの好みで選び仕立てた茶箱・茶籠は、茶の湯をたしなみつくした人が行き着く究極の趣味世界ともいわれます。 自らの趣味にあった箱や籠を茶箱にあつらえ、それに茶碗や茶器、茶巾筒、茶杓、菓子器など好みに合った道具を探し、それらをこだわりの袋や裂で包んで収めた茶箱・茶籠は、まさに「数寄の玉手箱」と呼ぶにふさわしい茶道具です。そのはじまりは桃山時代頃まで遡るようです。 ![]() |
5月8日 | 日府展 |
日府展が東京都美術館ではじまりました。 今回は、88才の阿部信一郎先生と出席しました。 久しぶりに日府展の先生方にお会いしましたが、芸術家は長生き、お元気な方が多いようにお見受けしました。 70才を過ぎてから作風がやわらかく枯れて、高い技術と相まって、素晴らしい作品をつくる遅咲きの陶芸家って多いと思います。 60、70洟ったれ小僧、80、90で一人前でしょうか。 陶芸は試作、試作を繰り返すうちに、ある日突然 名作 ができる。 となれば、長生きするのも芸のうち。気力、体力を高く長く保つ努力が必要です。 「後半は早足になる美術館」・・・・・でも。 私は作品を見るとき、作者の制作時の年齢がとても気になります。 ![]() |
5月6日 | ふるさとへの想い 日本一短い手紙 |
あの一本橋は、もう無いのでしょうね。 目を閉じれば、そこにあるのに。 37歳 昔、一生使おうと思っていたサッカーボール 今ではどこへ行ったのだろうか 15歳 今年は、父もあなたの一部になりました。 優しく、眠らせてやって下さい。 35歳 幼い頃、一等席だった松の枝。 そこから未知の世界を夢見たっけ。もう一度、登りたい。 50歳 氏神様の参道。小石をそっとポケットにしまった。 ふるさとの石だ。 73歳 意地で一こぎ、根性で一こぎ。 三年間ペダルを踏んだ山道。 県立高校は遠かったなぁ。 61歳 あれほどに、帰りたかったふるさとに、 帰ってみれば、 どこかやっぱり、私は異邦人。 41歳 けもの道のような急坂の通学路も今は広い道に。 でも子供は一人も。 過疎です。 69歳 |
5月5日 | 「山羊の歌」 中原 中也 |
帰郷 柱も庭も乾いている 今日もいい天気だ 縁の下では蜘蛛の巣が 心細さうに揺れている これが私の故郷だ さやかに風も吹いている 心置なく泣かれよと 年増婦の低い声もする ああ おまへはなにをして来たのだと・・・・・ 吹き来る風が私に云う |
5月4日 | 字 小沢 昭一 |
文学者でも、悪筆の方、多いですね。ドベタの人も沢山知っています。ところで、久保田万太郎先生の俳句には、ひごろから「ウメェもんだなァ」と感心しきりです。浅草の観音さま隣の浅草神社境内に碑が建っている 「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」 なんていう句は、俳句の中の俳句と、私などは仰いでおりますが、その碑の自筆の文字は、まるで下手というか、もう、小っちゃく、コチョコチョと書いてあって、なんともはやナサケナイ字です。 実は、むかし、私の結婚式の披露宴に、万太郎先生ご来駕下さいまして、その折、色紙を頂戴いたしました。 「菊が香やかたみに思ふことひとつ」 宝物として大切に保存しておいたのですが、この色紙、しばらくして紛失していることに気がつきました。いくら探しても、ない! おふくろに問い質しましたら、「ああ、そういえば、なんか、ポッポッポッと墨で汚れているのが一枚あったけど、あれ、破いて捨てたよ」 ・・・・・ああ! |
5月3日 | 父 俵万智 |
希土類元素(レア・アース)とともに息して来し父は モジリアーニの女を愛す |
4月29日 | 祈りの風景 中上 紀 |
アンコール美術は、世界における究極の宗教美術の一つだ。輪廻転生を軸に救済を求めるヒンドゥー教と仏教とが深層部で混合された、独特の信仰文化を育んできた古代クメールの人々の象徴でもある。 大寺院アンコール・ワットの第一回廊には、神々と阿修羅が巨大な蛇を軸に乳海を回す天地創造の様子が描かれた「乳海攪拌」がある。ヒンドゥー神話によれば、攪拌は不死の妙薬アムリタを抽出するまで、千年もの間続いたという。正と邪が蠢き続き、戦争の絶えない我々の世界は、いつしか攪拌によって泡となり、やがて海となって乳のごとく白く浄化されるのである。乳(母性)は新たな世界を生む。 アンコール王朝が高度な文化、国力を誇り、栄華を極めたのは、川と湖の治水のおかげに他ならない。普段は恵みをもたらすが、ともすれば魔物と化す水は、聖なる母乳でもある。攪拌の祈りに、我々は何を見るのだろう。 |
![]() アンコール・ワット「乳海攪拌」 |
4月27日 | 残酷な運命に震える 新藤兼人 |
「急性結核です。安静にして、きれいな空気を吸い、栄養のあるものを食べさせなさい」と水薬をくれた。二階へ薬を持って上がると、口を押さえて待っていた妻は、洗面器に顔を突っ込むと、どっと血を吐いた。続けて吐く。洗面器いっぱいに真っ赤な血。わたしは洗面器を持つ手がガタガタと震えた。妻が手まねで「書くものをくれ」と言う。血が咽喉に詰まって物が言えないのだ。「死なないから、心配しないで」震えるわたしを安心させるためだった。 鴨川の土手から朝顔の苗を拾って一坪ほどの庭に植えた。これを育てて四畳半に寝ている妻に見せるつもりだった。朝顔はすくすく伸びて、拾ってきた細竹に這わせた。妻は手鏡で朝顔を見て「これに花が咲く頃には良くなるから」と言った。 運命は残酷だ。効きもしない水薬を毎日大量に飲んで、次第に痩せ細り、8月7日の夜明けに死んだ。 朝顔が一輪咲いた。白い朝顔が。 隣の細君が入ってきて、「旅の空でな」と泣いた。 一切れの美味しい肉を食べさせることも出来なかった。金ピカの霊柩車がやってきて、妻を連れ去った。 |
4月20日 | 行路難 李白 | |
欲渡黄河冰塞川 将登太行雪満山 閑来垂釣碧渓上 忽復乗舟夢日辺 行路難 行路難 多岐路 今安在 長風破浪会有時 直挂雲帆済滄海 |
黄河を渡らんと欲すれば 冰 河を塞ぎ まさに太行に登らんとすれば 雪 山に満つ 閑来たりて釣りを垂る 碧渓の上 たちまち復た舟に乗りて日辺を夢む。 行路難し 行路難し 岐路多し 今いずくにか在る 長風波を破るに かならず時有り 直ちに雲帆をかけて 滄海をわたらむ |
私が、黄河を渡ろうとすれば氷が川をふさぎ 私が、太行山に登ろうとすると雪がふって天が暗くなる そこで障害だらけの現実を見限り、のんびりと釣糸を垂れて谷川のほとりに坐ってみても 心中いつしかまた、舟を漕ぎ出して太陽の方角はるかかなたの花の都へ行くことを夢みてしまうのだ ああ、我が人生行路は苦しい ほんとに苦しい 行く手は迷路の如くわかれてわが前に立ちはだかる わが目標、わが理想はいったいどこにあるのだろうか しかし、かなたより吹き寄せる風に乗り、荒波を蹴立てて突進する、そういう時はきっと来る その時こそ、私は高い帆をかかげ、敢然と大海原をわたっていこ う |
宦官 高力士の讒言により長安を追われた李白は、またもや放浪の身となる。時に44才。そして洛陽で杜甫と出会い、各地をめぐり石門で別れたあと、杜甫とは二度と会うことはなかった。李白には、文学によって後世に名を残す、という青雲の志があったのだが、現実社会での障害と、奔放な性格さのために、苦難は免れなかった。この詩は、そうした鬱屈する李白の心をうたっているのです。 私は60歳。20代のころには、年をとれば落ち着いた大人になれるのだろうと思っていまし た。それが、ことごとく違ってきてしまった。あの奔放に生きた李白もまた、私と同じように、 齢を重ねるごとに、悩み深くなるばかりだったのです。やはり、いくら年を重ねても人生は判らなく、余りに路が多すぎます。だが、それでも李白は長風破浪會有時 直挂雲帆濟蒼海 と言っているのです。 |
4月13日 | アバンギャルド 明治学院大学教授 山下裕二 |
東京・駒場の日本民芸館で、この絵巻をはじめて見た時には、仰天し、絶句した。なんてヘタなんだ、でも、なんて清潔な美しさなんだ・・・・・と。 山からせっせと石を切り出す人夫たちが、なんとぞんざいに描かれていることか。右の方で見守る貴顕は、平清盛様ご一行。こちらの方は一人ひとり衣装の柄を変えたりしているのだが、それにしても・・・・・。 この絵を描いた人が誰なのか、まったくわからない。だが、プロフェッショナルな絵師でないことはもちろん、上手なアマチュアでもない。あえてこんなヘタな、でも「いい味」を出す人に絵を描かせる、という趣味が、四百年以上も前にあったのである。達者な筆跡の詞書きを記した人が発注者なのか。室町時代に、すでにヘタウマを尊ぶアバンギャルドな感性があったのだ。 |
![]() 「つきしま物語絵巻」 |
4月6日 | ひよっこ茶人の玉手箱 松村栄子 |
楽茶碗なんてどこがいいのか、ほんとうについ最近までわたしにはわからなかった。素人がみたら、手づくねで誰にでも作れそうな形に思える。ぼてっと厚くてゆがみ放題、細かな絵が描かれているわけでもない。だいたいは、ただ真っ黒でそっけない。今だってそう思う気持ちにあまり変化はない。思うに、わたしには物を見る目の下地となるものがない。感性というものは、豊かな土壌の上にこそ芽生えはぐくまれるものだという気がする。 素晴らしいと皆が言う道具を見ても、「どこが?」 と首をひねってしまうことのほうが正直にいえば多い。美的センスの欠如も問題だけれど、もっと問題なのは、茶道具というものは必ずしも美しさだけで測れるものではないという点だ。しいていえば<味わい>とでも呼ぶべきもの。これはそう簡単にわかるものではなさそうだ。 そしてさらに厄介なことに<味わい>を学ぶためにわたしは知識から入っていきたいとは絶対に思わない。由緒あるお茶入れを見せられて、こういうところが優れているとか、ここにはこういう工夫が凝らされていると教わることに意義はある。でも、「だからこれを素晴らしいと感じなさい」と言われても、「はいそうですか」とは頷けない。それをしてしまったら、<知識>を自分の<感性>と勘違いしてしまったら、すべてはそこでおしまいになってしまう気がするからだ。 わたしはプロのお茶人になりたいわけではない。だから知識はそれほど重要ではない。むしろ感性のほうを養うために、時間はかかってもたくさん物を見ていこうと思い始めたばかりなのだ。 そういうわけで、歴代の楽家の中でもとりわけ名工だったと目される三代道入、別名<ノンコウ>の名品を眺めながら「うーん、これはちょっと好みじゃないわ」とか、「ここがもう少しなんとかならなかったかしら」とか、目利きが聞いたら卒倒しそうなことをひとり心の中で呟いているわたしなのだった。 |
3月30日 | 税金 | ||
税金泥棒の役人が、またまた税金をとる法律を考えた。「長野県森林づくり県民税」 県民一人500円で5年間。ガソリン税と同じく5年たつとまた5年と、どこまでも延長すると思いますが。この税金は個人所有の山を整備するという間違いと、有識者とかいう、役人にいいなりの役人上がりの人間を集め、最初から結論ありきで答申させている。こんなものは、県税のムダ使い分を当てるなり、役人の首切り、賃下げで捻出できるものだ。英国の新聞に日本人はあんなに税金をムダ使いされているのに何故反乱を起こさないのか不思議だと載ったそうだ。ガソリン税は道路を使う人が負担すべき目的税だと言った政治家がいたが、国鉄退職者の高額年金の不足にタバコ1本1円の税金をかけているのはどう言い訳するのか。税金を払えば払うほど無駄な役人が増える。無駄な道路が作られ、国の借金も増える。しかし、これからも「年金目的消費税」「河川整備税」「福祉目的税」「環境税」「弱者救済税」「子供幸福税」などと庶民に耳障りの良い名前を付けた税金は出てくることだろう。 | |||
サンシュユ | クリスマスローズ | クリスマスローズ | ふきのとう |
3月29日 | 工房探訪 | ||
「工房 茅の實」さんは、里山の古民家を自分で改造してシンプル生活をしている。 「工房 こまくさ」さんは、山の中で陶芸教室をして、今年、穴窯を計画している。 共通しているのは、薪ストーブ、チェーンソー、薪割り機。私は、その生活姿勢を大いに賞賛する。 定年退職すると毎日気分爽快で、世の中にはこんな時間の過ごし方があるのかと、正直感激している。 きりきり舞いしていた日々から離れ、今のスローライフを大切にしたいと思う。 どのようにすれば、定年後の人生が充実するか、私流の生き方ができるのか、今、生き方探しをしている。 |
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工房 茅の實 | 窯 | 工房 こまくさ | 薪 |
3月23日 | 南アルプス | ||
本棚の整理をしていたら昭和51年(32年前)の「南アルプス登山計画」と写真がが出てきた。懐かしい塩見岳、大好きな山です。 7月22日 下諏訪5:54−甲府7:30−広河原10:05−白根お池小屋13:00泊 7月23日 白根お池小屋4:30−八本歯のコル7:00−北岳9:00−間ノ岳13:00−農鳥小屋14:00泊 7月24日 農鳥小屋4:30−農鳥岳6:00−農鳥小屋8:00−熊ノ平小屋9:30泊 (小雨) 7月25日 熊ノ平小屋5:00−雪投沢800−塩見岳9:00−三伏峠14:00泊 7月26日 三伏峠4:30−塩川小屋6:40−伊那大島−下諏訪10:35 食料にカップラーメン、即席カレー、フランスパン、ウィスキー等のほかに、ジュースの素があった。今は売っていないと思うが懐かしい。 |
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大樺沢の雪渓と八本歯のコル | 八本歯のコル | 八本歯のコルから北岳稜線への梯子 | 農鳥小屋の日の出 |
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北俣岳分岐から富士山 | 農鳥岳直下のテラス | 北俣岳分岐から塩見岳 | 三国沢のガレ場 |
3月20日 | 老境俳句あれこれ 小沢 昭一 |
萍(うきくさ)のほぐれ身軽に流れけり 東京都 62才 この句意を、定年になって会社人間でなくなって身軽になった心境、というふうにとってもよろしいでしょうかな。もう今はゆったりの水の流れに身を任せて、のんびり人生の来し方行く末を眺めている。この身軽なお父さんは、きっと何か、老後の生き甲斐をもう見つけているのでしょう。これからのセカンド人生への楽しい船出の気持ちも伝わってきます。 どうみても妻が長生き冬瓜汁(とうがじる) 千葉 70才 この句も好きです。冬瓜は淡白で上品な味。でも冬瓜汁なんてものは、そうバクバク食べるものじゃないでしょ。ところが老妻を見ていると、ゲラゲラ笑ってお喋りしながら、冬瓜汁をまァバクバクズルズル食べたり、すすったりしています。その食欲旺盛な妻の姿を見ていると、 (やっぱりこの人の方が俺より長生きするんだろうなァ。でもまァ、年をとってから女房に先立たれるより、俺の葬式を出してもらった方が楽か) なんて考えるのです。身近にいっぱい例を見ておりますが、亭主を亡くした妻は、最初は涙にくれていても、間もなくケラケラ笑いながら、娘と旅行に出かけたりするんですよね。それに比べて、年をとってから配偶者を亡くした男は見るも無残、実に情けないのです。 |
3月16日 | 渥美清さんは隠者 小沢 昭一 |
はやいもので渥美清さんが亡くなって、もう半年の余も過ぎました。 風天という俳号だった彼の俳句は、やや破調ですが、温かみとペーソスの漂う句ばかりで、 土筆(つくし) これからどうする ひとりぽつんと ゆうべの台風 どこにいた ちょうちょ 彼は放浪の俳人などといわれた山頭火や放哉(ほうさい)の生涯を演じたくて、だから彼の俳句には、そんな俳人たちの句とどこか通ずるものを私は感じます。 若き日、彼が結婚したとき、私は心ばかりのお祝いに長崎三彩の壺を贈りました。実はそれは新式の骨壺で、私はシャレに、というか半分ふざけて献上したのですが、彼はキャンディなど入れて使ってくれて、彼が亡くなってから、夫人がやはり骨壺として使ってくれたということを、最近、夫人にお目にかかって伺いました。恐縮すると同時に、ありがたいことと手を合わせた次第です。 その時、夫人曰く、 「・・・・・だけど、あの人が亡くなったと思えないのです。いつものように、ふらっと何処かへ行っているようで・・・・・」 渥美清という人は「隠れる」ことの名人でした。私も「隠れる」ことは嫌いじゃありません。そのうち、二人で「隠れんぼ」でもやって遊びますか。 この家の主(あるじ)留守らし燕の巣 変哲 俳号「変哲」は小沢昭一さんのこと。ふつう「変哲」という語は特にとりたてていう程のこともないという意味ですが、本人は「変態哲学」の略だなんていっています。・・・・・が本当はお父さんの俳号をもらったのです。 |
3月9日 | 有酸素運動 日本ウォーキング協会 |
有酸素運動では、肺から吸い込んだ空気中の酸素が血液中に取り込まれ、代わりに体内で生産された二酸化炭素が体外に排出される。酸素は心臓の収縮によって全身の組織へ運ばれる。心臓の収縮する回数が心拍数で、歩き始めて歩行速度が次第に速くなると心拍数も増えてくる。ある水準を超えると酸素の供給が追い付かず、歩き続けるのが難しくなる。その時の心拍数を最大心拍数と呼び、酸素の摂取量も最大になる。 生活習慣病予防には最大酸素摂取量の50%の強さの運動がよい。最適な運動強度は心拍数で見ると四十代で1分間に110〜130、五十代で105〜125、六十代で100〜120が基準。 生活習慣病の改善効果は運動量に比例する。運動量は(運動の強さ)×(運動した時間)。速く歩くと短い時間でも同じ効果を得ることが可能だ。「一回20分以上、週三回」でなくても、週単位で同じ量であれば毎回の歩く時間を気にすることはない。 |
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春 俵万智 「クロッカスが咲きました」という書きだしで ふいに手紙を書きたくなりぬ 忘れたいことばっかりの春だから ひねもすサザンオールスターズ 古典とは無縁になりゆく十八歳 『奥の細道』 読み終えて春 |
3月2日 | 扶桑 杉浦 康平 | ||||||||||
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2月24日 | 恥 |
昔、政治家に倫理を求めるのは八百屋で魚をくれというようなもんだとほざいた政治家がいたが、今の役人も同じだ。天下り先を確保するために働いているとしか思えない倫理感。独立法人や第三セクターは官と民の悪いところを集めたゴミだめ。国民の税金を食いつぶし、この国を滅ぼすのは役人。水戸黄門のお代官様は今も実際の話である。 テレビに出演する代議士の政治家ごっこの軽薄。永田町の田舎芝居はお粗末、無能、無責任の極み。税金は酒、煙草から数限りなくかかり、特にガソリン税は役所にぼられ、声なき庶民は、自分は中流だからと考えていても実際は下流。公共のためにならない公共事業、住民に迷惑がられるダム工事・道路工事と世界に恥ずかしい無駄使いの数々。 名古屋の政治家が、国会は二世議員(ボンボン)と官僚出身者(カン)で、右も左もポンカンポンカン・・・・・だという。二世議員の場合苦労らしい苦労はなかったはずだ。公明党や社民党の代議士も組織に乗っかっていれば楽々当選。一般庶民がなめさせられている辛酸に比べれば政治家の苦労など屁のようなものだ。そして、今、衆議院の比例区と参議院を廃止すると、ものすごい改革になると思うのだが。どうだろう? 辛口川柳 役人 役人の子はにぎにぎをよく覚え にぎにきは言うまでもなく賄賂のこと 政治家 比例区は落ちてた屑を拾い上げ |
2月17日 | 富士山 | |||
2月14日は久しぶりに富士山が見えた。雪の諏訪湖に美しい。 40年くらい前に私が写真に夢中(山・D51)だった頃のものも掲載します。そして、白黒写真は当時自分で現像したものです。 富士山は忍野村で、C62は野辺山で撮影しています。 野辺山の上り坂で派手な黒煙と鉄橋の撮影ポイントは前日から場所取りで大変だったことを思い出します。 忍野村では水車や、朝焼けの富士を撮ろうと冬の早朝から待っていました。 |
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2月11日 | 世界の日本人ジョークC |
勤勉な人々 ・・・・・浮気現場にて 会社からいつもより早めに帰宅すると妻が見知らぬ男とベッドの上。 アメリカ人は男を射殺した。 ドイツ人はしかるべき法的処理をとらせてもらうと言った。 フランス人は自分も服を脱ぎ始めた。 日本人?彼は、正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。 ・・・・・遺品の行方 真夜中、寝ていたトニーはいきなり妻に起こされた。妻は言った。 「ねえ、私がもしも死んだら、あなたは再婚する?」 トニーは怒り心頭だったが、しばらく考えてから答えた。 「たぶんするよ、すぐじゃないけど、いつかはすると思う」 「あなたはその人をこの家に住まわせる?」 「そうだな、せっかく建てた家だし、ここに住むことになるだろうね」 「じゃあ、ホンダのオートバイもその人にあげる?」 「いや、あれはだめだ。あれはやらないよ」 「どうして?」妻は不思議そうに尋ねた。彼は答えた。 「だって彼女はバイクの免許を持っていないから」 圧倒的シェアの日本製バイク。しかし、会社人間と過労死は各国の嘲笑の的 |
2月10日 | 世界の日本人ジョークB |
ハイテク国家 ・・・・・不良品 あるアメリカの自動車会社がロシアと日本に「不良品は1000個に1個とする」仕事を発注した。 ロシアからは「1000個に1個というのは、大変困難な条件です。納期の延長をお願いします」 日本からは「作業は順調です。ただ、不良品用の設計図が届いておりません。至急送付してください」 ・・・・・青いキリン ある大富豪が言った。「もしも青いキリンを私に見せてくれたら賞金を出そう」 ドイツ人は図書館で文献を調べた。 アメリカ人は、世界中に軍を派遣して探し回った。 日本人は、品種改良の研究を昼夜を問わず重ねて、青いキリンをつくった。 中国人は青いペンキを買いに行った。 ・・・・・強盗 ある外国人が、東京の喫茶店でコーヒーを頼んだ。すると一杯が10ドル近くするという。たったコーヒー一杯で?彼は驚いてこう呟いた。「普通の国の強盗は頭にストッキングをしているが、日本の強盗は足にストッキングをしている」 最先端技術とお金持ちの国日本は物価高 |
2月3日 | 世界の日本人ジョークA |
集団行動 ・・・・・早く飛び込め ある豪華船が沈みだした。船長は外国人乗客に海に飛び込むように指示した。 アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」 イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」 ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則です」 イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」 フランス人には「飛び込まないでください」 日本人には「みんな飛び込んでますよ」 ・・・・・パリのブランド店 フランスはパリのブランド店。その店の売上一覧がこれである。 日本への輸出・・・・・45% 日本人団体旅行者が購入・・・・・55% ・・・・・スープに蠅が入っていたら ドイツ人・・・・・・「このスープは十分に殺菌されている」蠅を取り出してスープを飲む。 フランス人・・・・スプーンで蠅を押しつぶし、出汁を取ってからスープを飲む。 中国人・・・・・・問題なく蠅を食べる ロシア人・・・・・酔っ払っていて気付かない。 アメリカ人・・・・支配人を呼び、裁判に。 イギリス人・・・・皮肉を言い店を出ていく。 日本人・・・・・・周りを見て、自分だけなのを確認してから、そっとボーイを呼ぶ。 韓国人・・・・・・蠅が入っているのは日本人のせいだと叫び、日の丸を燃やす。 日本人のアイデンティティは集団行動・笑わない・ブランド馬鹿 |
1月27日 | 世界の日本人ジョーク@ 早坂 隆 |
政治・外交 ・・・・・日本を怒らせる方法 各国の政治家が集まって「どうしたら日本を怒らせる事が出来るか」について話し合った。 中国の政治家が言った。 「我が国は潜水艦で日本の領海を侵犯した。それでも日本は潜水艦を攻撃してこなかった」 韓国の政治家が言った。 「我が国は竹島を占領した。それでも日本は攻撃してこない」 ロシアの政治家が言った。 「我が国はもう長きにわたって北方の島々を占拠している。それでも日本は攻撃してこない」 それらの話を黙って聞いていた北朝鮮の政治家が、笑いながら言った。 「そんなこと簡単ですよ。我々が核兵器を日本に使いましょう。そうすれば、さすがの日本も怒るでしょう」 すると、アメリカの政治家が首を横に振りながらこう言った。 「無駄だね、それ、もうやったもの」 ・・・・・信頼できる政党 日本国民の安全と財産を守る三大政党とは? 三位・・・・・民主党 二位・・・・・自由民主党 一位・・・・・共和党 (アメリカ) 政治・外交分野で日本は凄くバカにされている。 |
1月20日 | アナ・メンディエッタ 早稲田大学教授 丹尾安典 |
人間の細胞は60兆くらいあるという。そのひとつひとつが、宇宙誕生以来の歴史を受け継いでいる。父母なくして自分という人間は存在しない。4人の祖父母がいなければ自分は生まれえない。8人の曽祖父母の1人でも欠ければ、自分はいない。はるか先まで遡ると、最初の細胞がなければ、また細胞を作る物質がなければ、自分は在りえないことになる。 この地平に立てば、森羅万象のすべてが自分と親類関係になる。宇宙のリズムに即して生きていることことは、人間でも植物でもあまり変わりはない。排卵は月の動きと呼応して訪れ、開花は季節とともにやってくる。細胞原形質には「遠い彼方」と共振する性能がそなわっているという。キューバ生まれの女性アナ・メンディエッタは、そういう初源的な共振感覚に身をゆだね、大地や海や植物と交接しながら、作品を生んだ。一枚の葉の内に共生する身体のデッサン。そこには、植物と人体の合一した和声が鳴る。これを見ていると、なんだか弥勒菩薩の前にいるような気がして、自然に手を合わせてしまう。 1985年、菩薩はニューヨークの高層ビル35階の窓から捨身した。 |
1月14日 | 病と歩む 叶 和貴子 |
病気とつき合っていくためには、生き方や性分といった自分を知ることが大事だと思う。仕事を休んだ三年間は、自分の人生を見つめた時期でもあった。振り返ると、すごいスピードで駆け抜けてきた。猛スピード過ぎた。これからは「いっぽ、いっぽ」行こうと考えた。漢字の「一歩」ではなく、ひらがなで「いっぽ」。痛みが激しいときに、ゆっくり右足、左足と前に進めていく感じだ。少し元気になると、いつの間にかスピードが出始めているので「いっぽ、いっぽ」と言い聞かせている。・・・・・自分らしく生きることに病気が気付かせてくれた。 |
1月13日 | 老人 |
砂漠の長い歴史の興亡を刻んだ乾いた顔の中に深く澄んだ目をはめこんで、悠々と茶を楽しんでいる老人たち。その時ぼくは、この静かな悠々はどこから来るのか、戦後の日本の老人たちの孤独と不幸を思いつつ、みずからの胸の内に繰り返し問い返した。 森 澄雄 老人のあるべき姿が老人自体に分かっていない。1960年代に『男らしさ、女らしさ』 が壊れ、70〜80年代に『主婦のありよう』 が壊れ、今は『老人』 の意味が解体され、寄り添う枠組みや、範を見失っている。その原因は、プロセスではなくスピードが大事とされる現代はショートカットと裏技の時代。それを知らない老人は意味のない存在とされてしまう。 |
1月6日 | 西行 |
「ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」 あまりにも有名なこの歌は晩年の作ではない。しかし、歌と現実の奇跡的な符合は人々に大きな感動を与えた。そして、西行の最高の追従者は芭蕉だろう。西行と芭蕉の足跡が重なる場所は多い。「草庵に暫く居ては打ち破り」。芭蕉は西行が貫いた生き方を見つめていた。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。死の形は違っても、二人の死生観は共通していたように思える。そして、西行や芭蕉にあこがれて旅をする現代の日本人も、それぞれに生と死を見つめているのだろう。 |
1月5日 | 芭蕉 |
平均寿命が43歳の時代、46歳の松尾芭蕉が江戸を後にして「奥の細道」の旅に赴いたのは元禄2年3月26日。 芭蕉にとって「旅」とは、旅をしたくなったから旅に出るというのではない。旅を栖に、という旅であった。 「奥の細道」 それは正しく“風雅の旅の道しるべ”である。 俳人芭蕉が綴った『奥の細道』の冒頭。 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらへて老いをむかふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて−−−−− 草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪 |
1月4日 | 岡本 太郎 |
芸術は本質的に、けっして教わることはできない。弟子になろうなんてやつは、それだけで芸術家失格だ。 どうして芸術によって傷つけられないのか。芸術に傷つくこと、それこそ生きることなのに。 ひとが「あらいいわねえ」なんて言うのは、「どうでもいいわね」と言ってるのと同じなんだよ。 |
1月3日 | 俵万智 |
街はもう 春の予感にふくらんで ふりむきざまのあなたの気配 「それだけです」と 書いた手紙の余白には それだけでない心がにじむ いつもより 心はなれているみたい 少しゆっくり歩いてみよう 手作りの パンによろこぶ君がいて 夏の一日ただエピソード 思い出と呼べば何かが嘘になる いま生きている いま愛してる うつむけば 答えのように出る涙 泣いて流れる何もないのに |
1月2日 | うれしいわ 宮城まり子 |
森ビル社長に、「子どもたちの絵、いいですね。どのように教えているのですか」と聞かれました。「教えません」「誰も教えないの」 「はい。学芸員や美術学校を出た教師がいますが、ただ付き添うだけ。環境や雰囲気をつくったり本物を見せることはしますが、教えるのはよくないような気がします」 森さんは「うーん」と言って 「絵を描いて持ってくるだろ。そのときなんて言うの?『上手いね』 とか 『ここがいい』
とか言うの」と質問されました。「言いません『これ上手く描けた』って言ったら、子どもはその場で終わるような気がしますから」「なんて言うの?」「私は『あーうれしいわ』って言います」「あーうれしい、か」 「はい。子どもは人を喜ばせたと幸せに思ってくれます」「うーん、うれしいわ、ね」 「森さんが『うれしいわ』はおかしいから『うれしいな』 がいいです」 |
1月元旦 | ||
明けましておめでとうございます。 皆様、よいお年をお迎えのことと存じます。 今年も緋色窯をよろしくお願いいたします。 ホームページを開設して8年、工房は12年目です。 今年は定年を期に、今までの生活を夫婦でリセットします。60才は早すぎず遅すぎず変化できる年齢ではないかと思う。 まだ何も書かれていない予定表 何でも書ける これから書ける 俵万智 2008年が皆様にとって、明るい年でありますよう祈念いたします。 |