![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年4月19日 | レンギョウ |
| 連翹や艶という文字書く思索 町春草 重たげな春野、あてなき春愁がみごとにとらえられている。だが、通常、連翹は春を告げる花と考えられている。それが春たけなわを思わせる句に詠まれるのは、花期が長いせいだろう。 山小屋のレンギョウは四株、鹿が食べるので少ししか咲かない。 お年寄りは、『世の中が、白くなって黄色くなりゃ、そって春だ』と言う。白は辛夷、黄は連翹、共に咲きほこるあたり一帯に、春をにおいたたせる。わけても連翹は姿が優しい上に、見る者の身を染めるほど黄の色が濃い。 行きすぎてなほ連翹の花明り 中村汀女 |
|
| 令和8年4月12日 | 桜 |
| 山小屋には小さくてまだ咲かないものを含めて12本の桜が、4月から5月に咲く。庭の道を行けば、小鳥のさえずりが聞こえる。 春の草の匂いを胸いっぱいに吸いながら、木々に覆われた細道をたどってゆく。 樹上ではウグイスの艶やかな声が、響き渡っていた。桜は蕾であった。 私は毎日開花の状態をつぶさに観察する。毎日が発見である。蕾は日ごとにふくらみ、色づいていった。やがて蕾がほころび出し、チラホラと花が咲き始める。少しづつ花の量が増えてゆき、やがて枝という枝が、花々で彩られるようになった。そうしてピークを迎える。樹は一週間ほどピンク一色に揺れ、爛塾の極みを謳歌していた。 そんなある日、突如として絶唱の時を迎える。枝々から夥しい花びらが、散り始める。 庭はハラハラと舞い散る、桜の精のトンネルのようであった。狂おしいほどの華麗な花の吹雪。 それでいてひっそりと哀しい、別れの宴であった。私は櫻花のシャワーを浴びて、しばしうっとりしていた。 |
|
| 「残花」は春の終わりごろ、咲き残った桜の花をいい、春の季語です。一方「余花」は、暦の上では立夏を過ぎ、夏になってもなお咲き余る花という意で、夏の季語です。 | |
| 令和8年4月5日 | 柳 |
| 猫柳湖畔の春はととのはず 五十嵐播水 柳は種類が多く、世界に数百種、日本に三、四十種もある。猫柳もその一種。黄色い雄花、銀色の雌花が春に先がけ陽光に耀き始める。 猫柳そのいぶし銀風が研ぐ 徳山冬子 寒風の中に芽吹く力を中国では生命の象徴と考え、輪に結んで旅人におくり無事に帰る祈りを表現した。 日本ではなぜかそれが幽霊に欠かせない木になる。目立つので境界の目印に植えられたのが原因らしい。 柳の種が綿毛で飛ぶのが柳絮。大陸では楊も加わり雪さながらに降る。 咲く静と飛ぶ動を思わす次句は、気性の烈しい句を詠んだ人の作。 猫柳女の一生火のごとし 三橋鷹女 |
|
| 令和8年3月29日 | 三椏(みつまた) |
| 百円硬貨、一万円札が高知県の景観を変えたといわれる。いや、誇張ではない。かって四万十川の春は三椏の花で華麗に彩られたのだそうだ。 鮎止めの滝に三椏浸り咲く 本田静江 黄色い房状に下垂する三椏の花はこれぞ春と際立つうえに、芳香を放つ。三椏は繊維が短い特性が加工やスカシを入れるのに適し、しかも、折り曲げる力に無類に強い長所を持つ。単純計算でも、一万円札は千円札の紙の需要を十分の一にしてしまう。百円が硬貨に変わったのも、深刻な打撃だった。だが現実は現実、高知の春は次第に三椏の花を失い、その分、特に美しい赤花種も現地で見ることが少なくなったと高知県民は嘆く。 海棠の寺に三椏いそと咲く 安達智恵子 |
|
| 令和8年3月22日 | 浅田次郎 |
| たとえば小説を読んでも、一巻の長篇を通じて一輪の花も見当たらぬものが多くなった。芸術は天然の人為的模倣である。そのほかに特段の意味はあるまい。つまり桜の花がその天然の荘厳によってあまねく人の心を幸福で満たすように、芸術は人為によって人の心を幸福へといざなわねばならない。具体的に言うなら、花鳥風月の心を欠いた芸術などありえず、一輪の花も咲かぬ小説は少なくとも芸術としての価値がない。 そうした小説が多くなったということは、人の世全体に、銭金や打算的愛情の秤でしか幸福を求める術を失った心の貧困が、はびこってしまったのだろう。 吉野山 こぞのしをりの道かへて まだ見ぬかたの 花をたづねむ 西行法師は幸福な人である。 |
|
| 令和8年3月15日 | 山小屋 |
| 朝から、たたきつけるような雨が降っている。 しかし、空を覆い隠すかのように生い茂る木々が雨をやわらかく受けとめる。 その生き生きとしたさまを眺めていると、雨もまたいいなあ、と思われてくる。 谷底から霧が漂いながら山を這い上がっていく。 雨が小降りになってきた。傘をたたんで、また歩きはじめる。 あと十日ほどか山小屋のはなだより |
|
| 令和8年3月8日 | 帰り花 |
| いつ超えし男ざかりか返り花 さいとうみのる 迂生などにも胸にこたえる述懐である。その点女性はどん欲でしかも強い。 返り咲くならばもっと朱の濃きを 野路斉子 振り向けば亡き人のいて返り花 大門麻子 |
|
| いま、山はまだ枯れ色の冬景色。新緑まで、あとひと月は待たなければならない。 | |
| 令和8年3月1日 | からたちの花 静岡県 松尾恵美子 (六十三歳) |
| 歌曲「からたちの花」をはじめて聞いたのは終戦の翌年、女学校二年の音楽の時間である。レコードに耳をかたむけていると、まざまざと甦るものがあった。「みんなみんなやさしかったよ」の歌詞に私は涙が溢れた。 幼いころ住んでいた町に、からたちの垣根を巡らした家があった。友達と遊んだ帰り道、枝のあいだに黄色い実を見つけてもいだ。その丸さをめでようと両手に転がしたとたん、「とったな!」と年上の子が立ちはだかった。この家に意地悪い子がいることを忘れていた。泣きべそをかき困り果てているところへ兄が探しに来た。黙って近づき、私の手をとると、男の子にはいちべつもくれずその場を後にした。 そのとき中学生だった兄は、太平洋戦争で死んだ。 からたちの花 作詞 北原白秋 作曲 山田耕筰 からたちの 花が咲いたよ 白い白い 花が咲いたよ からたちの とげはいたいよ 青い青い 針のとげだよ |
|
| 今年は雪が少ない。庭の雪は5p、もう雪解けです。 |
| 令和8年2月22日 | 春が来た 長野県 石塚弘登 (四十三歳) |
| 信州伊那谷の冬は厳しく、子供の頃は耳や手足にしもやけができ、春が来るのをじっと待っていました。三月になると、どこからか春が、「山に来た、里に来た、野にも来た」と聞こえてきます。これがどれほど嬉しかったことでしょう。 ある日、母に「春が野に来るって、どういうこと?」と尋ねました。母は近くの田の土手に私を連れて行き、ねこやなぎをさわらせて教えてくれました。柔らかい肌触りは、まさに春の暖かさでした。薄霜のなかで、確かに春を告げていました。 その母は、二十三年前の三月に亡くなりました。私はいまでも、春になると母とねこやなぎを思い出し、ねこやなぎを飾って少年の頃に帰ります。 春が来た 作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一 春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た 野にも来た |
|
| 令和8年2月15日 | 石川珠美 岡崎市 51歳 |
| 凍えるような寒い朝、悴(かじか)んだあなたの手から、猫柳の枝を受け取りました。 「今年は少し早いけど」とだけ言って、あとは何も言わないあなた。でも私にはわかるんです。早朝の堤防を、猫柳を探して歩き巡ったことも、冷たかったことも。そして働いている頃は、貴重な休憩時間を費やして採って来てくださったことも・・。 そんなあなたの、素朴な優しさが大好きです。 精一杯の一途な愛情表現がとっても嬉しいです。ありがとう。私にとっては、高価な銀の指輪より、あなたからプレゼントされる猫柳の、銀色の輝きの方がはるかに価値あるものなんですよ。 ねこやなぎ 夫(つま)より貰う 誕生日 |
|
| 斧入れて香におどろく冬木立 蕪村 鼻の奥の方に木の香りがツーンとしてきますね。 |
|
| 令和8年2月8日 | 川柳 田辺聖子 |
| これほどの腹立ちを女『かんにんえ』馬場緑天 こういう京都弁を出しているところが、緑天さんのもう曲者の心憎いところです。これはね、大阪弁やったら、「かんにんやで」とか言えるんですけど、「かんにんえ」は京都弁で冷たく聞こえます。京都弁を出したところが女の曲者のところですね。男のほうは「腹立ちを」っていうのは、よっぽど何かあったんでしょう。だから、思ってるところを聞こうじゃないかと、男のほうはその覚悟で向かってるのに、かるく「かんにんえ」って言われたらどうする。肩すかしです。 この京都弁というのは、こういうときにほんとにしれしれと聞こえますからね。 「原稿できましたか」って聞かれて、「かんにんえ、まだやねん」っていうたら、怒らはるやろな。 (笑)まじめにやりましょう、なんて。電話線が火噴いたりしてね。(笑) |
|
| 午前中は一時間半ほど歩く。諏訪湖には白鳥が来ている。 | |
| 令和8年2月1日 | 川柳 田辺聖子 |
| 部分品がもうおまへんと言われそう 麻生路郎 この「おまへん」という大阪弁がよく効いていますね。やっぱり川柳は足取り軽く詠んで、面白いねと言って、一笑して、すぐ忘れてしまって、だけど、何かのときに、ふっとまたその句を思い出して、よう言うてるなと感心する。こういう人生の楽しみが川柳にはありますね。 ーーと、この句を鑑賞することができますが、実作の場ではこの句は、のっびきならぬ人生の淵に立たされたときの作です。亡くなられる数か月前の、入院中の句。路郎さんは迫りくる結末も予知しつつ、柳人らしく大阪弁で韜晦して微苦笑しています。男らしいブラックユーモア。ーーすてきです、この句。 |
|
| 令和8年1月25日 | 米 |
| 米にも芸名 この言葉の奥の深さに驚きます。 「ひとめぼれ」とか「どまんなか」 とか・・よくつけますよね。 |
|
| 遠き日の遠さ見つめる夜寒かな | |
| 令和8年1月18日 | 雪 |
| いつになく早い雪景色。シベリアから吹きつけてくる風が、野辺の雪を舞いあげている。 季節は凛として冬へ。穴窯の樋から下がる氷柱が、今朝は立派な剣になっている。 雪は好きですか。雪は凍った雲の白い結晶。雪は冷たい。雪はきれい。雪景色は明るい。雪は静けさを増幅する。 私は雪が好きです。子供は雪が好きだ。山小屋近くの人は雪を嫌う。雪は邪魔物、除雪をしなくてはならない。 雪は天然のダム、春には雪が溶けて、大地を潤す。 冬は少し哲学的になって、自分の人生の来し方行く末に想いを巡らせてみるとき。 |
|
| 休むというより幸福を確認するだけの時間をきちんと持たなければ、人生は灰色です。 | |
| 令和8年1月11日 | 寒 |
| いよいよ本格的な冬である。朝起きて新聞を取りに行くときに外の寒暖計はマイナス10℃、そう、寒い日は気持ちがいい。 冬の散歩。冬枯れた野山を歩くのは愉快だ。草は枯れ、木々はその葉を落として森は明るい。 夏には緑のバリケードで遮られていたところまで、冬には歩み入ることができる。 足もとに霜柱、吐く息は白く、深呼吸をすると肺が傷む。 滅多にないが、零下十五・六℃になると、雑菌が死ぬのか、空気はいちだんと清浄になる。 「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる船。人の齢(よはひ)。春夏秋冬」 清少納言 |
|
| 令和8年1月4日 | 夫婦 稲垣マユミ36歳 神奈川県 |
| 大学四年の春、似合いもしない紺のスーツに身を包んで過した就職活動中のことだった。 大阪の地下鉄の暗い、陰気なトイレに慌てて入って驚いた。ねずみ色の服を着た年老いた男が、ひとり宙を見つめて突っ立っていたからだ。私はあからさまに嫌悪感を表し「ここは女子トイレよ。なんであんたがここにいるのよ」と、その気の弱そうな男をおもいっきり睨みつけた。思うようにならない現実にぶち当たっていたし、前日も痴漢に遭って、ほとほとうんざりしていたこともある。 そんな私に、思いがけずその男は、ペコンと頭を下げた。 「うん?」 そのとき、個室から「おとうさん、終わりましたよ」と、年配の女性の声がした。私の前を申し訳なさそうに過ぎて、男は個室に向かう。女性はふらつく身体を彼に支えられるようにして出て来た。肉がこそげ落ちた痩せた身体、、筋が走る細い腕の先にある杖。足もとが定まらず、一歩一歩進むのに哀しいほど時間がかかる。水道の蛇口も彼がひねる。洗い終わった手を、彼がタオルで拭いてやる。そして、二人は丁寧に私に頭を下げて、ゆっくりゆっくりとホームへ続く階段を下りていった。 私はただ、じっと見ていた。見続けていた。身体が動かなかった。 「夫婦とはこういうものなのか」 感動と激しい後悔が私の中で渦巻き、熱く火照りだす。 彼は、どんな気持ちで、この若い娘の侮辱に満ちた視線に耐えていたのだろう。気がついたら声を上げて泣いていた。 |
|
| 令和8年1月3日 | 妻から夫へ 中川曙美 68歳 |
| 今朝、あなたはセーターの袖に片足を入れて、困った顔で「母さん、このズボン、小さくなって足が入らないよ」と言った。私はびっくりして、「嫌だ、よく見てよ、それはセーターでしょ」と言って、無造作に着替えを手伝ってしまいました。 難病で脳の手術をしてから二年目、寝返りも食事もできず、生活のすべてに私の手を必要としていたあなたが、すごい努力をしてひとりで家の内を一歩、二歩と歩けるようになり、食事も流動食から普通食へと変わりました。 今朝は、きっと着替えを自分ひとりでやってみたかったのですネ。 あなたが「母さんを少しでも楽にしてやりたかったんだよ」と、ポツリと言ったとき、私はハッとしました。 あなたが私のことを思ってくれているやさしさに、私は応えていたでしょうか。ごめんなさい。 介護は、受けている人の方が辛いことを教えてくれたあなたに感謝します。 |
|
| 令和8年1月2日 | インド |
| 古いインドには、人生を四つの時期に分ける考えがあった。 学生期 若いうちに様々な物ごとを学び、経験を積む時期。 家住期 社会に出て一家をかまえ、仕事に励む実践の時期。 林住期 生きるための仕事からリタイアして、人生とは何かを思考する時期。人間のもっとも充実した季節。 遊行期 家を離れて旅に生きる放浪の季節。この時期にこそ、人間の一生の静かな輝きが見られる。 考えてみると、現在の私たちは、季節の流れのように順を追って人生を生きることが不可能な時代に生きているのかもしれない。現に私もそうだ、今現在も学ぶべきことは山ほどある。この町に陶芸の灯を消さないと始めた教室も長く続いている。はたしてこの年齢でいつまで続けられるのだろうか、気が遠くなるような感じがする。しかし、なにか見えない力が私をつき動かしている。山小屋の庭を真っ白にしている雪を見ながら、これからも出会うであろう生徒さんへの期待に若者のように胸ふくらむ感覚がある。この先に何が見えてくるのか、それが見えたとき、私は何処にいるのか、私の真の遊行期は、まだ始まったばかりなのかもしれない。 白湯一椀 しみじみと 冬来たりけり |
|
| 令和8年1月1日 | 有悠無憂 (ゆとりあればうれいなし) |
| 10年ほど前までの私は何でもきっちり、早く仕事をしていた。 私の考えが変わったのは八年ほど前に大きな病気をしてからのこと。 それからは、次にすることを決めて自分を追い込むようなことをしなくなった。 「今日できることは、明日に延ばせ」これが私の最近のモットーである。 でも、ぼんやりと考えていることがある。今年秋の 楽陶の会の美術鑑賞旅行 と、来年秋の??である。 快食快眠、よく動き、毎日笑って暮らしている。これが健康的生活であろう。 |
|
| 湯豆腐や 何の野心も なき世なり | |