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令和3年12月31日 | 大晦日 |
十二月になれば私達の周りからは、どんどん色が消えていきます。 日々寒くなり、乾いた風が吹きつけます。 そうすると、裸になった木の枝がヒューと細い声を出す。 森の小屋を建ててから十四年の歳月が通り過ぎて行った。 遠い過去の、夢のように思える。 長い道であった。 春風秋雨十四年の旅路は楽しく、また淋しく遠い過去と消えていきました。 冬の庭は、木の葉がなくなり赤い実の木々が目に付くようになりました。 翌は元日が来る仏と私 尾崎放哉 |
令和3年12月30日 | 蘇東坡 細川護煕 |
赤壁懐古 人生如夢 (人生を目の如し) 人樽還酹江月 (人樽還た江月に酹) 官途の栄達から一転して罪を得た身には、まさに「人生夢の如し」であったに違いない。 あれほどはなばなしく活躍した三国の英雄 (赤壁は三国志で有名) たちも、今や時のかなたに没し去っているではないか。 しかし、彼は黄州で貧困に苦しみながらも「閑」のある生活を楽しんだ。 「人生夢の如し」であるからこそ、一樽の酒を月に捧げて自らも酔おうという、そんな東坡の心情はなんとも慕わしい。 |
令和3年12月26日 庭 山小屋の庭は春夏秋冬のうち、いつが一番美しいのだろう。
ダンコウバイ・サンシュウの庭。
桜の庭。
青葉のむせかえるような庭。
レンゲツツジの庭
石楠花の庭。
紅葉の庭。
冬枯れの庭。
みなそれぞれに美しいが、強いて私の好みをいえば、真っ白な雪の庭が第一です。
ただ残念なことに最近雪が少ない、そして雪が降ったとき山小屋を訪れる人はいない。
令和3年12月19日 | 河井須也子 |
父(河井寛次郎)は樹木を愛し、和花が好きで、ことに一日花を好みました。芙蓉、むくげ、山茶花、くちなし、藤・・・など。 仕事も室内でするより藤棚の下ですることが多く、特に夏は大好きでした。 父が亡くなってから、父の愛した花も咲かなくなり、庭も華やぎが失せました。 が、日がたつにつれ、初めてほんとうに、空ゆく雲の美しさ、枯草の哀しさの見えてくるようになった私です。 身辺に いろどり絶えてひさしきを 夜目にしろじろ花うかびきぬ はなやぎて 庭をみせたし日の花を わが父と今生にふたたび見ず |
令和3年12月12日 | 茜雲 |
高山寺の明恵上人の座右の銘「阿留辺幾夜宇和」(あるべきようわ)。 つまり、建物も何もかも、間に合えばそれでよいという事、これこそものの本来あるべき姿である。 茜雲を背にたそがれている山小屋は、すぐに茜雲が黒い紫色になっていった。 |
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12月8日10㎝の積雪です。 |
令和3年12月5日 | 加門七海 |
もともと、仏教は性欲を否定しているので、実際、恋愛にご利益のある仏様は、あまりいない。 でも愛欲を悟りに導く仏が、縁結びに転化されるなら、私は烏枢沙摩明王を個人的にはおススメします。 髪を逆立てた明王様だが、なんたって、この方は「性欲が強すぎて悩んでいた時に、性欲には何の実態もないことを悟った」という御仏だ。 うーむ。何と、コメントしたらいいのか・・・・・。 が、この方は不浄の物質を喰らい尽くすと記されたため、今はトイレの神サマ、そして下の護り神になっている。 実際、静岡県の可睡斎というお寺のトイレには、日本一立派な烏枢沙摩明王の立像があるし、高野山にはトイレの中に、この方の真言が貼ってあり、うひゃあ、と思った記憶がある。護っているからには、見ているんでしょうね。 ♪だぁれもいないと思っていても、どこかで誰かがウスサマが・・・・・というわけだ。ちょっと嫌かも知れないね。 以前、烏枢沙摩明王を本尊としている某寺に行ったら、売店がお寺のマークの入ったパンツやサルマタで埋まっていて、びっくり仰天したことがある。老後、他人に下の世話をかけないようにしたいというのが、訪れる方々の願いだそうだ。 気持ちはわかります。けれど、御祈祷済のパンツって、気になる。 「洗っても、ご利益は、そのままなのかな」 |
令和3年11月28日 | 加門七海 |
「お医者様でも草津の湯でも、恋の病は治りゃせぬ」 なんて歌があるけど、そういう病にこそ、神頼みが一番、力を発揮する。 恋愛を成就させてくれるの仏様で有名なのは、何と言っても愛染明王。この方が一番人気でしょ。 名前がいいよね。愛染・・・・・うっとり。 そのネーミングに頼ったご利益が、縁結び、恋愛成就、夫婦和合だ。 でも、この方、本来の性格は「愛欲の執着の中から、悟りを開くことをすすめる明王」なのよね。縁結びとは、まるっきり逆。 だから、この方にお願いをして、恋愛成就しなくても文句を言ってはいけません。 続く |
令和3年11月24日 | 初雪 |
11月24日初雪です。 八ヶ岳はすでに真っ白でしたが、いよいよ山小屋まで雪が下りてきました。 |
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令和3年11月21日 | 小鳥 高橋貴香 20歳 |
私は小学校一年生のころ、可愛がっていた小鳥がいた。「パラ」と名付けたその鳥は、何にもまさる私の宝物だった。 或る日、水を取り替えようと鳥かごを開けた時、パラは空高く飛び去ってしまった。 私は暗くなるまで電信柱のかげで泣き続けた。もうすっかり暗くなったころ、私の手を握り、 「ほら、パラが戻ってきたよ、捕まえたんだ」 と鳥かごを差し出してくれたのが祖父だった。 私は安心し、張りつめていた気持ちが急に緩み、ただただ泣いた。 私は今年、成人式を迎えた。誰よりも私の成人を喜んでくれた祖父は、成人式からわずか十五日後の二月一日この世を去った。 祖父が亡くなってから、あの時渡された小鳥は、私の悲しむ姿を見かねた祖父が、店で買い求めたものであることを知った。 あの日、私は祖父から、一人では抱えきれないほどのやさしさと幸せをもらった。 遠く離れた金沢で祖父の死を知ったとき、成人式に祖父と一緒に撮った、たった一枚の写真を見つめながら、あの幼い日、私の手を握り締めてくれた祖父の手のぬくもりを思い出し、胸が熱くなった。 |
令和3年11月14日 | 野菊の如き君なりき 木下恵介監督 |
私が八歳の時の映画である。 何回見ても泣いてしまう。 私が竜胆を好きなのはこの映画を見てから。 |
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まつひとも、待たるる人も、かぎりなき、思ひ忍ばむ、北の秋風に 「政夫さんはりんどうの様な人だ」 「どうして」 「さアどうしてということはないけど,政夫さんは何がなし竜胆の様な風だからさ」 「民子はな、お前の名前を一言も言わなんだ。諦めきってることと思って一目も会わさんで・・・。許しておくれ。 だけどな、息を引き取った後で、枕を直そうと思ったら、左の手に布に包んだ物をしっかりと握って、その手を胸に乗せていた。 可愛そうな気もするけど、見ずにおくのも気にかかるので、皆で相談してそれを開いてみたら、 民子は嫁に行ってお前に会わす顔がないので、それでお前の名前は一言も言わなんだんじゃ。 布切れに包んであったのは、お前の手紙と竜胆の花じゃった」 渡し船を降りた老人は民子が好きだった野菊の花を摘んで、そっと墓前に供えるのだった。 今は老いた主人公が静かに墓前に野菊を手向ける。 それは少女の霊を慰めるとともに自らの純愛への鎮魂と過ぎ去った美しい時間への深い愛着を捧げたものでもあるだろう。 その余りにも美しくも悲しい一途な愛を知ったとき、やはり胸に迫るものがある。 平成14年「野菊の墓」の文学碑左側に、カントウヨメナ(関東嫁菜)・ノコンギク(野紺菊)・ユウガギク(柚香菊)が植えられ,右側にはリンドウ(竜胆)の苗が植裁された、とある。 「野菊」は果たしてどれなのか。名前のイメージからは柚香菊ではないのか・・・。 |
令和3年11月6日 | 誕生日 |
私は七十四歳になった。 いつ崩れてもおかしくない年齢である。 「年には勝てぬ」を、まさに身を以て感じている。 人間は老境に達して歳をとったら、歳をとったように考えたい。が青年のように考える者は多い。 歳をとらなければわからないことを考えなきゃならない。 歳をとって青年らしいのでは歳をとったかいがないと思う。 若い頃は誰でも元気がいい。 その頃が、私にとっていちばん幸せなときだったに違いないと、いまにして思う。 人生は働くだけでなく心を豊かにするために、また人と喜びを共有するためにあるのだ、と思い始めている。 たのしみは そぞろ読みゆく書の中に 我とひとしき人を見し時 |
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古本市で珍しい本を購入しました。 あとがきに 用紙、印刷等の大變な困難を乗り越えて此の書を出版された事を同社出版局の諸氏に厚く御禮申し上げる。 昭和二十二年十一月 初冬の風 竹藪を吹く。 大和國安堵村舊居にて 富本憲吉 とあります。 私は昭和二十二年十一月生まれ、その当時に出版された本でした。 表紙は手書きのようで、中身の紙は障子紙のようで、定価は二百圓です。 昭和二十二年の二百圓は今の金額にするといくら位になるのでしょうか? |
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令和3年10月31日 | 晩秋 |
晩秋が急激に冬に向かいつつある朝、久々に裏山の小川の溜まりを訪れた。 もう晩秋の気配。空気がひんやりとしてきて、日中は爽やか、そして夕暮れには、人恋しいような肌寒さがやってくる。 風の匂いにも、季節が歌人に歌を「読ませた」と言った方が、あるいは適切なのかもしれない・・・・ 折からの夕茜。木々の梢が黒いシルエットとなり、遠く見える山々は美しく夕焼けている。 鉄紅とでもいいたいような深錆の紅茜が、見守るうちに色を移ろわせる。 もったいない天地の夕明かりに、わたしはひとり立っていた。 |
令和3年10月24日 | 紅葉 |
いちょうや櫟(くぬぎ)の黄葉は、ぱあっと空間を明るませ、楓林の紅葉明かりは、その下を歩む者を紅の余光に包む。 晩秋の十日ばかり、一本の楓から散り敷いた紅葉が足もとの贅になる。 晴天が続くと早く乾いて汚くなるので、水を撒いて収縮をふせぐ。 キラキラと水が光って、紅の色がいっそう鮮やかになる。 露そのものに虹がひそむ。 |
令和3年10月17日 | 遺言川柳 |
亡き父の 思いをくみたい 家族愛 モノよりも 思い出だけを 遺したい しがらみを 放棄で掃いて 身の整理 遺書の隅 「苦労かけた」を さがす妻 待ってるよ 単身赴任の 墓の中 |
令和3年10月10日 | 秋 |
秋とは名ばかりで、厳しい残暑が続いていた。しかし、さすがに十月ともなると、急に冷え込む日が増えた。 今日ひょいと山が恋しくて 山に来ぬ 去年腰掛けし石をさがすかな 石川啄木 山小屋の水は、原生林の下から滾々と湧き出してくる、が少し塩素消毒して配水されてくる。 「一口飲めば、寿命が一年延びる。二口飲めば、二年延びる。三口飲めば、死ぬまで生きる」と言われている。 私は毎日しっかり三口飲んでいる。これで、死ぬまで生きられる・・・。 人の一生で自然に最も近い時期は、幼児期と老年期ではないだろうか。 皆さんに八ヶ岳のさわやかな風の匂いを贈ります。 |
令和3年10月3日 | キノコ |
「きのこ」と「キノコ」の違いはなんでしょう。 まず、「きのこ」は、私達が見たり食べたりする部分で、これを植物の身体にたとえれば、花または果実にあたり、その本体、植物の根・茎・葉にあたる部分は、細長い胞子がたてにつながった、糸のような形をした菌糸である。 そして、「きのこ」と菌糸で、「キノコ」の身体は成り立っている。 本体である菌糸は、地中や他の生物の体内に伸長して養分を集め、ほとんどの生命活動を行う。 そして、「きのこ」は、繁殖のための胞子を作る時だけ、私達の目に見える大きさでその姿を現す。 したがって、「キノコ」が「きのこ」を作らなかったら、私達は、その存在さえ気付かないだろう。 「キノコ」は、光のない世界の生き物なのである。 |
令和3年9月26日 | 兼好法師 細川護熙 |
比叡の奥の横川に通ったことがある。 眼下の杉木立越しに琵琶湖が見え隠れする細い山道を上り下りしながら、朝早く古井戸から水を汲み上げて天秤で運び、日中は座禅に取り組んだ。そのころ、わたしも人並みに青春の惑いの中にいた。 鎌倉時代の終わりごろ、兼好法師もまた道を求めて修行に励んだのがこの横川である。 そんな地縁もあって、兼好はもともと懐かしい人だが、近年その想いはますます深い。 生涯の友ともいうべき書をあげるとすると「徒然草」はその最たるものだ。 日暮れて途遠し。吾が生既に磋?たり。 諸縁を放下すべき時なり 人が世に交わって生きていくのに、諸々の儀式や儀礼は避けて通れない。 しかし、それらを必ず果たそうとすれば、身も心も休まる暇がないまま雑事に追われることとなる。 だから諸縁を放下すべきだと兼好は言う。 横川を経て、兼好籠居を偲び訪れた秋の修学院道の紅葉はちょうど見頃だったが、楓葉を散らす無常の風をまだ苦悩の中にいた兼好も感じただろうかと、そんなよしなし事を思いつつ、踏むには惜しい落葉の上をそっと歩いた。 |
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令和3年9月19日 | お彼岸 |
霊園は普段ならあまり人がいないのだが、今日は彼岸を前にした日曜日。 花や供え物を手にしたりして思い思いに道を行く人の姿は、そのほとんどが老人や年配の男女で、若い世代は目にとまらない。 長年受け継がれてきた行事も、新世代の風潮は単に習慣として気ににとめることもなくなっているのだろうか。 『千の風になって』という歌で墓参りする人が少なくなったのだろうか。 |
令和3年9月12日 | 榊莫山 |
明日香への坂道をのぼった。左の土手には、マンジュシャゲが咲いていた。 真っ赤なマンジュシャゲのなかに、白いマンジュシャゲが咲いていた。 マンジュシャゲの、ほんとうの名は、ヒガンバナ。 赤いほうのヒガンバナは、地上に咲く曼殊沙華。 白いほうのシロバナヒガンバナは、なんと天上に咲く曼殊沙華といわれているのだが、明日香には、天上の曼殊沙華が、ひっそりと咲いていた。 |
令和3年9月5日 | 清里 小泉誠志 |
誰に言うでもなく「また、来るネエ・・」といって手を振って別れた景色が、ずいぶんあった。 「また、来るネエ・・」は「もういっぺん来られる」ということであり、自分はいつまでも元気だと思い込んでいる時だ。 しかし、「また、来ようネエ・・」という言葉を口の中で飲み込んでしまった、切ない思い出がある。 家内の病院生活も永くなり、気分転換に治療の合間を縫って、八ヶ岳の清里高原に出かけた。 彼女は大好きな冷たく甘いソフトクリームを無邪気にペロペロとおいしそうに舐め、とても満足しさあ帰ろうとエンジンを吹かしたその時であった。夕方近くにもなり、外の空気が少しひんやりとしてきた。 「また、来ようネエ・・」 私は、助手席の家内に語りかけようとして、その横顔を見た。 いままで子供のようにはしゃいでいた彼女が、遠くの一点を凝視している。 携帯の酸素を吸っていたが、口をキリリと結んで、少し険しい顔をしている。 彼女はもう二度と清里高原に来られないんだろうと思っているようだ。 彼女は、「また、来るネエ・・」と言えないでお別れをしているようだ。 私が「また、来ようネ」と言ったら、どんな残酷なことばになるのかと思うと、飲み込んでしまった。 私は家内の気持ちを乱さないように、静かにアクセルを踏んだ。 |
令和3年8月29日 | 雲 |
流れゆく雲を、飽かず眺める。 見ていると、雲には千切れて消えてなくなる雲がある。そうかと思うと、また時に太る雲がある。 それはまるで生きているようで雲は面白い。 また、雲を見ていると、風の流れがよく分かった。 咲き残りの花もひっそり夏がゆく---と風に揺れていた。 |
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8月26日ジコボウ、早 | 山百合 |
令和3年8月22日 | 山 |
山小屋は四季折々いろいろな変化があり、豊かな自然と肌を触れることができる。 春は山々が一斉に新緑になり、まぶしい若芽が芽吹く。 夏は林が暑い日差しを守り、秋には赤とんぼが夕焼け空に飛ぶ。 冬は陽の落ちるのが早く、粉雪の舞う日はあわただしく時間が流れる。 はやくも七十三歳を超えているのに心奧は子供になって、感傷と感動にひたりながら、いっときの別れを惜しむ。 |
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標高1500メートルを越えると、咲く花は限定される。 十年ほど前に植えた木槿がいつの間にか二メートル余りに育って純白の花をつけている。 夕方窓を閉めようとすると、薄明の中に咲きだしている木槿の花の周りだけがすでにほの明るく、何とも言えない気品が漂っている。 夏の日盛りに、淡紫、薄紅、純白と色とりどりに咲き誇る木槿は一見あでやかだが、どこかはかなさがあって、すぐそこまで秋が近寄ってきていることを示しているように思われたりする。 |
令和3年8月15日 | 輪廻 |
庭木は春になると芽吹き、茂って、つぼみを付けて、一年に一回きれいな花を咲かせる。 その間じゅう、見る人を楽しませ、なんと、惜しげもなく散っていく。それで、ちゃんと、次の年の芽を蓄えている。 こんな自然の摂理を見ていると「輪廻」という言葉が浮かんでくる。 そして私も、その輪の中に入って、動き続けているひとり、だと思えてきます。 身の回りの余分なものを削り落とし、もろもろの執着を手放し、身ぎれいに暮らしていこうと思うが難しい。 すがすがと洗われている鍋のごと 油気の無き我となりたし |
令和3年8月14日 | 夏目漱石 細川護熙 |
漱石が東京の胃腸病院での治療をひとまず終え、修善寺に静養に来たのは明治四十三年八月六日のことだ。 伊豆は連日の雨の中にあったが、旅館の部屋では渓流の音が聞こえ、雨戸を繰ると前後に山が見えた。 しかし、漱石の胃腸病はその間にも悪化していたらしく、死線をさまよい、修善寺滞在は二ヶ月の余にわたる。 再び東京の病院に帰ってきた漱石を迎えたのは、秋の空と人の死の知らせだった。 漱石は生きてある自分の幸福を感じ、危うい「命の綱を踏み外した人」の身に思いを馳せる。 逝く人に 留まる人に 来る雁 大患によって鋭い「生死二面の対照」を深く感じた漱石は、自他を改めて省察し、宇宙の中における人間の小ささに思い至る。 そんな彼の前に現れた赤トンボを見て日記に綴った。 人よりも空 語よりも黙 ・・・・肩に来て 人懐かしや 赤蜻蛉 修善寺は今や、漱石が病を養ていた当時とは大いに趣を異にしているに違いないが、早朝の湯の町は、伊豆の山々に囲まれて静かで、漱石が日夜聞いた桂川の水音が辺りを領していた。 |
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令和3年8月8日 | 老齢 富士正晴 |
ひと頃、老人期に入った知人が次々死亡したころ、げっそりしながら、死亡広告を熱心に読んだころがある。 そういう連続死亡が一応終わった後も、割合熱心に死亡広告に目を通す習慣がついてしまった。 私の父は八十をこえるかこえぬころから、家族はだれもわしより先に死んではならんと、力を込めていったものであったが、寂しがり屋の彼にとって、彼より年下の家族が自分をおいて死ぬのが、想像しても悲しくてたまらなかったのだろう。 世に 「父死、子死、孫死」 とかいうことを、めでたいこととするのは、こういう心情が基礎になっているわけだ。 彼は願望通り、一番先に死ぬことが出来て、悲しい寂しい思いをせずに済んだ。 |
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令和3年8月1日 | 夕焼け |
万緑や 吾にまつはる 風うまし 戸田明子 西の山に夕日が沈む。 同じ赤い落日なのに、地上が真っ赤になる時とそうならない日があるのに気が付いた。 そのわけをまだ知らない。 |
令和3年7月25日 | 夏 |
夏の間山野に咲く桔梗のように、端然と日常起居出来たらどんなにいいだろうと思う。 雨なれば それもいい日 晴なれば それもいい日 |
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春のセミほどではありませんが、夏セミが騒がしい。ノリウツギとセンノウ。 |
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令和3年7月18日 | 上杉謙信 |
林を通して洩れるほのかな光のなか、静かな庭の道を歩くと、わたしはいつもほっとした気分に包まれる。 山は陽の暮れるのが早い。 まだ夏の六時前だというのに人影もおぼろめいて見えるような暗さがあたりを包み始めていた。 四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒 上杉謙信の辞世 |
令和3年7月11日 | 天気 |
天気は全天を10に区切って、雲がその10等分のうち 0 から 1 しかなかったら快晴です。 2 から 8 の間だったら晴れです。9 以上だったら曇りです。 「晴れ一時曇り」「晴れ時々曇り」はどちらが曇るでしょう。 気象庁では 12 時間の予報時間のうちで、”一時”とはそのうちの四分の一未満 (つまり三時間以内) 曇りの現象をいいます。 一方”時々”とは四分の一以上 二分の一未満です。つまり、曇りが三時間以上六時間未満の現象です。 それは断続的であっても、連続でもいいんです。 |
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夏椿 |
令和3年7月4日 | 森の子供たち 尾崎喜八 |
山たちならぶ信濃の国 我は愛すこの国を 春風吹けば鬼つつじ咲く 八ヶ岳の裾野 ここに生まれて、ここに育ち 遠き他国は知らねども 愛す、うるわし我が里 |
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6月29日突然の豪雨。大粒の雹も降りました。 |
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大山レンゲ | 花筏 | 姫かんぞう | 雹 |
令和3年6月27日 | 蛍 |
初夏の夜空に星が見え始め、流れ星が大きく弧を描いて走っていった。 あの星は、地上に降って蛍になるんだ。 蛍たちは流れ星だったに違いない。 |
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都忘れ | ヤマボウシ | 赤ヤマボウシ | ハクウンボク |