男の隠れ家
山小屋便り11に続く


      
   

平成30年6月16日 ふるさとの風の中には     俵万智
宮澤賢治記念館から南西の方角へ足を運ぶと北上川が流れている。
朝日橋から花巻大橋へ向かうあたりの岸辺を、賢治は「イギリス海岸」と名付けた。
そこに立ってみると、なるほどと思う。ゆらゆらと不思議なカーブを描いた岸辺に、さざ波のように川の水が寄せてくるのだ。
イギリスに行ったことなどなくても、世界地図のあのイギリスの海岸線を思い浮かべてみると、自分がそこにいるような気持ちになってくる。
「イギリス海岸」---なんて素敵な響きを持つ言葉だろう。
真似してみるのもいいな、と思う。旅先で出会った風景、印象に残った場所に、自分だけの名前を付けてみるのだ。
「風を待つバス停」「ひまわり道路」「ひなたぼっこの河原」
カバンの中の賢治の文庫本が、以前よりずっと親しいものに感じられた。
  水底に 貝の化石がつぶやいて
  イギリス海岸しずかに光る
ヤマボウシ ヤマボウシ赤 舞鶴草 野菊

平成30年6月3日 花が少ない時期
青葉の頃、残照が空に映え、いつまでも明るいように感じられる夕暮れ。
もっとも、そう思っていると急に闇がやってくる。
その明暗のあわただしい転換のなかを私は歩く。


大山れんげ、クリンソウ、ニリンソウ。

平成30年5月28日 多忙
「昼寝をする」「惰眠をむさぼる」「午睡」なんていい響きだろう。
私にはそんな生活が理想ではあるけど、現実はなかなかそうはいかない。

レンゲツツジ、黄色、丁子ガマズミ、ライラック、シャクナゲ、スグリ、野バト
四十雀はベランダの竹花入れに巣を作り餌の虫を一日中運んでいる。

平成30年5月20日 空き家
山小屋でも近所に空き家がある。
森はすぐに空き家から土地を奪い返しにくる。蔓草が古い石にひびを入れ、柱や壁を呑みこみ敷石を覆っていく。
私は万物は変化し、形あるものは必ず滅びることを知った。
仏教哲学によれば、苦しみは執着から生じる。我々は憧れや欲望に囚われることで生と死と生まれ変わりを果てしなく繰り返す。
利休梅 淀川ツツジ 山しゃくやく ライラック

平成30年5月13日 花が咲く
芝の枯れたところを補修しました。血汐もみじ、山吹、三つ葉ツツジ、シラネアオイ紫、白、白ミツバツツジ、雪柳。
八重桜、桜楊貴妃、桜ウコン。 大山レンゲが初めて咲きました、匂いがすごい。
タラの芽も沢山採れます。

平成30年5月6日 啄木
巡りゆく季節の中で、一番過ごしやすいのは五月ではないだろうか。
暑くも寒くもない太陽のぬくもり、たおやかな風、一歩森に入れば、気持ちが爽快になる。
  夜寝ても口ぶえ吹きぬ
  口ぶえは
  十五のわれの歌にしありけり
草に寝ころび、空を見上げ、口ぶえを吹く-----
啄木は、自分の思い出を歌っただけかもしれないが、口ずさんでいると、それは自分自身の少年時代のように思われてくる。


平成30年5月4日 猩々袴    岩木呂卓巳
春の野山を歩くと、木々の新芽の香りがしてとても気持ちがいい。頭上から降りそそぐ春光は、林床の花々が背伸びをして受け止めている。咲くタイミングを今か今かと待ちかねていることが肌で感じ取れる。これから訪れる季節に胸が躍る。
春の代表的な花にショウジョウバカマがある。この花を漢字で書くと「猩々袴」となる。
猩々とは中国の架空の動物で、猿に似て顔が赤い。
この猩々には不老不死の福酒を人間に授けるという伝説があり、日本では能楽の演目として知られる。ちなみに袴のほうは、葉がタンポポのように放射状に広がっていて、和服の袴に見えることに由来する。
花に目をやると、気持ちよく酔っ払った猿のようにも見える。

平成30年5月3日 荒城の月       高橋治
 二、秋陣営の 霜の色       鳴きゆく雁の 数見せて
   植うる剣に 照りそいし    むかしの光 いまいずこ
日本人がもし『花』『箱根八里』『荒城の月』の三つの歌に親しんでいなかったとしたら、どうだろう。
そんなことは考えられない。
それぞれに違った味を持つ三つの歌は、少年として少女として、情操を確立し始める頃に出会いを持つ。無論、作曲者の滝廉太郎がそう計画したわけではないのだが、後々まで日本人に無視し難い影響を与えることになっているような気がする。
滝廉太郎僅か二十四年の生涯が、日本人に与えた衝撃の大きさは、計り知れないものがある。
わけても『荒城の月』は、滅びの美をうたい上げている点で無視できない。
滅びは、明らかな四季を持つ日本では、年々規則正しく美しい形で繰り返される。
それを愛でて、かつ嘆く感覚は文学や市民感情に投影され、長く読みつがれる『平家物語』等の作品を生む。
滅びは、”哀れ”であり、”哀れ”を理解せずに、日本の美意識に近づくことはできない。
『荒城の月』はそうしたものを無言の中に教えてくれているように思える。

平成30年5月2日 樹を植えます
私は4月になると、植木屋さんに毎週顔をだし今年植える庭木を買う。そして、毎年5月2日に配達していただいている。
今年は、染井吉野3本、山桜、ゴテンバ桜、八重桜関山、オオヤマレンゲ、屋久島シャクナゲ、馬酔木(アセビ)、メグスリの木、ハクウンボク、アルプス乙女、レンゲツツジ、山もみじ、ダンコウバイを植えました。
自然相手の季節の作業は案外とせわしない。


平成30年4月29日 山鳥
庭に初めて山鳥が来ました。
山鳥はキジ科。斑模様のある赤茶色の羽毛と節模様のある尾が美しい日本固有の鳥。地上を歩いて採餌する。
山小屋の標高を計測しました。正確には1527mでした。

平成30年4月22日 岩木呂卓巳
「三月は三回、四月は四回、五月は五回以上は森に通おう」---これは自然を愛する人たちの合言葉だ。
これから迎える季節は自然散策が好きな人には一番楽しい季節である。
森は行くたびに違う表情を見せてくれる。朝、昼、晩と移ろいゆく時ごとに醸し出される美しさは、どれも見逃したくない。
イカリソウは漢字で書くと「錨草」船具の「錨」に似ていることから付いた名前らしい。
形が面白い。まるで鳥が翼を広げ中空で停止しているような印象を受ける。
しかし、特徴は葉っぱのほうだ。ハート型をしているのだが、どれも非対称で、ゆがんでいるように見える。だが、不思議なもので、イカリソウを眺めていると、その美しさを引き出しているのは、実はこのアンバランスな葉っぱではないかとも思う。
容姿端麗かつ頭脳明晰で完璧な人より、多少、欠点や短所が目につく人のほうが魅力的に見えるのと、似ているのかもしれない。
    美人の素顔より おかめの厚化粧
コブシ・ヒメコブシの花が咲き始めました。浅い春に色のない街に、灯をともすかのように咲くこの花は、季節の魁のひとつです。
山小屋のかすみ桜が2週間も早く咲きました。

平成30年4月15日 サンシュウ
今年はサンシュウが沢山咲ました。わさび、カタクリ、行者にんにく、山シャクヤク、クリスマスローズ。
フキノトウの横からワサビ大根が出てきました。
ソメイヨシノの苗木3本は工房で花が咲いていますが、山はまだ凍っていて植えることが出来ません。

平成30年4月8日 二人で花見         浅見節子
結婚して四十年、初めて二人で花見をしました。
主人は、若い頃は働くばかりで真面目な人でしたが、左半身不随になって二十一年、四年前からボケも始まり家の中だけの生活。
今日は天気もいいので、車イスで近くの航空公園に花見に。おべんとう、お酒を持って出かけました。
車イスを押しながら、主人はこの桜を見てきれいだと思っているのかどうか何も言わないが、でもお酒は美味しそうに飲んでいる。これが喜んでいる姿。もし元気だったらこんな事はなかったかも。
すきで病気になったわけじゃないからね。
お父さん、また来年も来られたらいいね。来られるよね。まだ若いんだもの。
マンサクの花が黄色くなる フキノトウは沢山出ます

平成30年4月1日 野鳥
山小屋の巣箱でヒナを育てるのは、シジュウカラかコガラだと思います、で野鳥を調べました。
スズメ(雀)日本で最もなじみの深い小鳥。「スズ」は小さい、「メ」は鳥を意味する。
シジュウカラ(四十雀)、「ツツピー」とさえずり、巣箱をよく利用する。
ゴジュウカラ(五十雀)、「フィーフィー」とさえずる青灰色の小鳥。
コガラ(小雀)「ヒッツツヒー」とさえずる。
ヤマガラ(山雀)「ツーツーピー」とさえずる。縁日でおみくじを引く。
ヒガラ(日雀)「ツピンツピン」とさえずり、嘴のしたの黒斑は蝶ネクタイ、シジュウカラは棒ネクタイと覚える。
メジロ(目白)がいると、メグロ(目黒)もいる。
さえずりーーー繁殖期に、雄がなわばりの主張や、雌を誘うために発する鳴き声。
地鳴きーーーさえずり以外で、呼びかけや警戒など様々。
巣とねぐらーーー巣は、産卵と育雛の場所、ヒナが飛び立つと放棄される。ねぐらは非繁殖期に夜を過ごす決まった場所。

平成30年3月25日 春の雪
21日の春分の日に20pの積雪です。
前日と比較すると真っ白になりましたが、湿った雪ですからすぐに融けます。
下の工房で2月から咲いていた福寿草はおわり、今、小梅が咲いています。

平成30年3月11日 紅万作が咲きました
「山にもちゃーんと春はやってきているんだよ」と紅万作に話しかけられた気がしました。
ふきのとうが採れました。
  春風にさそわれて歩く花巻の 賢治の夢にしばしひたれり    横山直美

平成30年2月25日
今年の諏訪の雨量は例年の33%で、10年間の山暮らしで一番雪が少ない。
諏訪湖の御神渡りは消えましたが、全面結氷が長期に続いたのは今年とても寒かったから。
毎年2月には咲いている山小屋の紅万作の蕾はまだ固い。このまま暖かくなるとは思いませんが、着実に春に向かっています。
別荘地の道に雪はありませんが、庭には20pの雪があります。

平成30年2月18日 氷柱
こぶしの芽が膨らみました。雪は20pありますが、今年はとても雪が少ない。
   一夜にて 氷柱二尺の 山の神      猿橋統流子

平成30年2月4日 御神渡り
5年ぶりの御神渡りです。
毎日湖畔を歩いていますので、雪が降ったり暖かくなって氷が融けたりした御神渡りの出来る様を見ていました。
諏訪湖の周りは見物客で大渋滞です。関東はもとより名古屋、大阪、遠くは広島ナンバーまであります。

平成30年1月28日
最近同窓生に逢うと、皆、仲間づくり、仲間の集う場所作りに励んでいますが、みんな年をとりました。
男は定年過ぎると会社と縁がなくなり、老人介護施設に行くまでの10年から20年の過ごし方を模索します。
女性は今まで通りに生きていますが、男は妙に張り切り、仲間を集め、自分の人生は有意義だった、素晴らしいと思いたがっています。でも、何だか無駄なあがきのようで、寂しい。
諏訪湖に白鳥が今年はたくさん来ている。

平成30年1月7日 榎本勝起
   生きている だけの運でも 大感謝    黒岩三知夫
考えたら、私の人生、満更、捨てたもんじゃないや。
こうして、朝の光を浴びて、新茶も飲めて、花も咲いて、友達もいて、
そりゃ、上を見ればキリがないけど、これ以上、何を求めたらいいの。

平成30年1月3日 豊かな人生を目指す
八ヶ岳の寒さは厳しく辛い。でも、寒さを避けることは「貧しい人生」です。
八ヶ岳の冬を楽しく暮らすのは、精神的に豊かでないと出来ません。
私はこの年になって漸く物事が見えてきたようなのだ。

       目つむれば  若き我あり  春の宵    高浜虚子    

平成30年1月2日 野菊      吉行和子
  わが欲よ 野菊のごとく 小さくあれ
こういうのは自分に言いきかせているわけですよ。そうそう、私のもっとうは『質素な性格』、というのです。生活ではなくて性格です。
性格を質素にしておけば、あれが欲しい、これが欲しい、あの人が羨ましいとか、思わなくてすみますからね。イライラもしません。
のんびり気ままに過ごせば心は平和です。
しかし、ぜんぜん欲がないのは駄目、だから野菊くらいは要ります。

平成30年1月1日 正月
昨年、私は古希になりました。
ふつうなら、もういい加減アブラも抜けて、趣味を楽しみながら孫の頭でも撫でている生活だろうに、まだまたそうはならない。
忙しい毎日を送っています。
私がいいなと思うお年寄りは、朝、下駄で町の温泉に行って、透き通って血管が見えるくらい薄くなった顔を真っ赤にしているおじいさんです。
もはや毎日の生活に何の屈託もない私は、すっかりいい人になって自然を愛で、友人知人を日々懐かしみ、自分を甘やかして平和そのものの気分です。
  
     もう急(せ)かぬ  齢(よわい)の中の 冬籠り    村越化石


平成29年12月31日
時の流れというものは、なんと不思議なものであろうか。
定年後、山小屋を建て、穴窯を築き、薪を焚いて陶器を作っているうちに、時は流れ、気がついてみれば、いろんなことが今は過去のものになってしまっている。時が経つということは、こういうことかと、今更ながら驚いている。
私は年をとりました。
人というものは、常にどこかに向かって漂流している存在なのかもしれない。

私は薄くなった髪に手をやる。
ロバート・ルイス・スティーブンソンという作家がかって言ったとおりだ。
『遅かれ早かれ、われわれはみな、いままでの行いの結果という宴席に連なることになる』

平成29年12月30日 小沢昭一
  その場しのぎに生きてきて また師走   
という私の駄作がありますが、駄作でもこれは正直な私の実感です。
攻めばかりで守りのない人生は、心に実りがありませんな。

平成29年12月24日 積雪
八ガ岳は真っ白、庭も白一色です。

平成29年12月17日 山小屋を閉める
今年の山は雪が早く、しかも朝晩は−10℃ととても寒い。
12月14日に山小屋の水道を止めて、小屋を閉め、山の活動は終了しました。
ピラカンサの雪、紅葉の樹に氷柱が美しい。

来年三月に開けます。

平成29年12月10日
12月9日朝、5センチの積雪です。やまぼうしの実に雪が。
雪の上には鹿やキツネの足跡があります。

平成29年11月26日 初冬
八ガ岳は晩秋がなく、いきなり冬になります。山小屋から南アルプスを見ると真っ白。飛行機が大きく見えます。

平成29年11月19日 漬物
我が家では11月から12月は漬物の季節。でも、最近は塩分を取りたくないと漬物を漬けない家が多い。
11月初旬にセロリの粕漬けに始まり干し柿を
100個ほど剥き、大根のビール漬け、白菜のキムチ、最後に野沢菜を50kg漬ける。

平成29年11月12日 落葉
落葉松の葉が落ちています。
楓と白樺が黄色に、どうだんつつじが真っ赤になって散っています。
我が家の庭に鹿が6頭顔を出しました。

平成29年11月6日 古希
古希の衣装は紫だそうです。
蓼科グランドホテル滝の湯で子供と孫に祝っていただきました。

平成29年11月5日 リンドウ   岩木呂卓巳
長かった秋も終わりに近づいてきた。
澄みきった秋空が見渡せる森の中で可憐なリンドウの花を見るとほっとする。
それは、去りゆく恵みの季節に感謝を捧げるとともに、新しい冬の季節の到来をじっと心待ちにしているように思えるからだ。
リンドウの名の由来は「竜胆」の音読みに由来する。竜胆とは文字通り、竜の胆である。
だんだん寒さがつのってくると、リンドウは可憐さよりも力強さのほうが目立ってくる。
シャンと背を伸ばしてお日様に向かって咲いている姿が、こう語りかけてくるように思えるからだ。
「寒い季節、風邪などひかず、しっかり生きて行けよ」
10月30日朝は今季一番の冷え込み。蹲の水は厚く凍りました。霜柱は10センチあります。
霜が降りて紅葉は終りです。

平成29年10月30日 ツノハシバミ     船越亮二
秋、十月ごろ人里離れた山林の縁の日当たりの良いところに、先端のとがった不思議な形のかたい木の実を発見することがある。
カバノキ科のツノハシバミだ。
欧米では同じ仲間のセイヨウハシバミを庭に植える。ヘーゼルナッツとして利用するからだ。
ナッツは木の実の総称だが、だいたいアーモンドナッツ、カシューナッツ、それにヘーゼルナッツの三種が一般的。
ツノハシバミは雑木の庭にも映えるし、ナッツも収穫できるので、今後は庭木としてもっと注目されても良い木といえる。

平成29年10月29日 俵万智
落葉が散り敷くころになると、都会のアスファルトが、あったかく感じられる。
花も紅葉もなくても、落葉のある風景は、素敵だ。花や紅葉とは違った魅力がそこにはある。
もちろん、永遠に散らない桜や、絶対に枯れない紅葉なんてつまらない。不安で不定なところが人をより惹きつける。
だとすると落葉は静かな老夫婦?いろんなドラマをくぐり抜けたあとの、落ち着いた優しさ。
冷たい風が吹きはじめる冬の入り口で、ふんわり積もった落葉に出会うと、なんだかほっとするのは、私だけだろうか。
八ガ岳山頂は二十五日の雪で真っ白になりました。
山小屋は窯焚きから3週連続で台風等により雨となりました。
  こんなよい月を 一人で見て寝る   尾崎放哉

平成29年10月22日 二週間雨ばかり
紅葉前線が一気に南下してきた。
野原では、ススキが白い穂を風に飛ばしながら揺れている。
野山を散策すると肌寒さを感じるが、まだまだいろんな花が咲いている。

秋の雲は流れるように早い。
天候が変わり、霧が降ってきて、景色は一変する。
いつもの裏山が水墨画を見ているようです。

平成29年10月15日 武蔵野   国木田独歩
「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの道でも足の向く方へ行けば必ず其処に見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただ其の縦横に通ずる数千条の道をあてもなく歩くことに由て初めて獲られる。ただ此路をぶらぶら歩いて思いつき次第に右し左すれば、随所に我等を満足させるものがある。これが実に又、武蔵野第一の特徴だろうと自分はしみじみ感じて居る」。
 国木田独歩は、茅ケ崎の結核療養所南湖院で療養生活を送っていたが、明治四十一年六月二十三日、身重だった妻の治と、妾の奥井君子 に看取られて逝った。独歩の多くの作品が評価されたのは、彼が亡くなってからであった。
白樺 やまぼうしの実 紅葉 伊藤さんのムクゲ白
イチイの実 コブシの実 霧の庭 霧の薪置き場

平成29年10月8日 散歩
十月の声を聴くと八ヶ岳は秋です。
木々が色づき、空気が澄んでいく秋は、一年でいちばん冴え冴えとした表情を見せる。
私は散歩に出る。
北風に赤や黄色に色づいた葉が舞うとき、ゆっくり歩く楽しさは何とも言えない。
とりかぶと、山しゃくやくの実、ニシキギの実、りんどう、山椒の実、ハシバミの実。

平成29年10月1日 十月桜
十月桜が咲きました。この桜は春にも咲きます。
マタタビとクリが採れそうです。

平成29年9月24日 小鳥の巣箱
八ヶ岳クラブの柳生さんの話では巣箱の掃除は必要ないようですが、巣箱そのものが傷んできましたので、掃除もかねて5年ぶりに修理しました。中は鳥の羽とコケなどでフワフワ、毎年多くの小鳥が孵化しています。

平成29年9月18日 台風
風の音がザーザーと雨の音のようです。
大木が大きくしなっています。ナナカマドは折れてしまいました。
地梨が黄色く熟しました。焼酎漬けにします。

平成29年9月17日 オミナエシ   岩木呂卓巳
秋の空ほど都会と田舎とで違うものはない。前者は薄いブルーで後者は本当に濃い紺碧なのだ。この紺碧の空を背景に生えている黄色いオミナエシは実に美しい。
万葉集に、「女郎花 咲たる野辺を 行きめぐり 君を思ひで たもとほり来ぬ」と詠まれている。
意味は、「オミナエシの咲き乱れている野原を歩いていると、美しいあなたを思い出して回り道をしてしまいました。またお会いしたいですね」となる。万葉の人々の自由奔放に恋する様子が映像となって瞼に映し出されてくる。でも一方的な情熱だけの恋ではなく相手の置かれた立場への配慮と気遣いがつぶさに表現されている。情熱的な中にも儚さが同居しいっそうの純愛を感じてしまう。
この花は秋の七草の中では唯一の黄色で、小さな花が集まって花を形成しているのも面白い。
難点があるとすれば香りだ。独特のにおい(猫のトイレ臭に近い)に驚く人もいるくらいだ。

平成29年9月16日 敬老会
原村から70歳以上の高齢者(私も対象です)に敬老会の招待が来ました。
村の温泉施設「もみの湯」の入浴券5枚と、お菓子などをいただき、フラダンスを見、楽しいひと時を過ごしました。
台風18号の影響で霧雨、庭でキノコ(じこほう)がたくさん採れました。

平成29年9月10日 ツユクサ  岩木呂卓巳
まだまだ残暑が厳しいが確実に秋の気配がする。短くなった日は私の影を細長くしながら、西の空を赤く染めていく。
ツユクサは古来、ツキクサと呼ばれ万葉集では「月草」と記されている。
奈良、平安時代には花弁の汁を衣類にこすり付けて染物に使われていたそうだ。
時は流れ江戸時代になると名前がツユクサに変わった。この花は、朝露に濡れているときは美しいがお昼頃になると萎れてしまう。
よって、「月」より朝の露が似合うのでツユクサと呼ぶべきだ、と申し合わされたらしい。
特に手を掛けなくても毎年花を咲かせ、注目を浴びることのないツユクサ。
色鮮やかな紅葉を前に、こんな健気な花をじっくり眺めるのも楽しいかもしれない。

平成29年9月3日
   妻触れて 我も触れゆく 旅の萩   郡司野鈔

今年もムクゲが咲きました。蝶、トンボ、紺菊、タラの芽の花、吾亦紅、オミナエシ。山百合は終わりです。

平成29年9月28日 祭り
私の日府展受賞の新聞記事を見た原村在住の先輩から、30数年ぶりに連絡をいただき、原村八つ手地区の祭りに参加しました。
菩薩様のお寺にお参りしました。長持ちを見て、屋台を見て宝投げでいろいろの物を拾いました。

平成29年8月27日 秋の気配
山の朝晩は寒いくらいです。
ウドの花、ユリ、吾亦紅、ひまわり。

平成29年8月20日 山百合
やっと山ユリが咲きました。キキョウ、ヒオウギ

平成29年8月13日 初秋
山小屋の夜は寒くなりました。もう秋の気配です。
いろいろなキノコが出てきました。コオニユリ、萩、タイマツ草。

平成29年8月6日
今年の諏訪はとても雨が少ない。
だから草木が弱っている。
8月になって、八ヶ岳から吹き下ろす風が強くなり、雨のにおいがしてきた。
雨か。
真夏は花が少ないので山アジサイはとてもうれしい花です。くれない、タチアオイ、たいまつ草、月見草、ホタルブクロ、アナベル。

平成29年7月22日 小鳥
静かに自然の中で暮らすのは素晴らしい。
庭の岩に水がいつもあるからか、小鳥がたくさんいます。コガラ?
花が少ないこの時期に咲く山アジサイはうれしい、へびいちごと、マツムシソウ。

平成29年7月12日 もぐら
モグラの穴にオルトランを入れて臭いで追い払おうとしましたが、道に飛び出して死んでしまいました。庭の隅に埋葬しました。
物置の中に蜂が巣を作りました。殺虫剤で駆除しました。
マツモトセンノウ、ピンクシャラと頂いたシャラ、野菊。

平成29年6月25日
   花を愛で 花と語りて今日も暮れ
     何を望まん 足りし明け暮れ
ニシキギ ヤマボウシ 自生の楓 二輪草

平成29年6月20日 つくばい
ご近所の方から蹲を頂き、早速庭に据え付けました。
つくばい(蹲居、蹲)というのは、身をかがめて (いわゆる蹲って)手水(鉢)を使うところから出ている呼称です。
はじめは、茶の湯の関係から、茶庭に用いられました。茶事の際に客人が身を低くして、手水を使い心身を清めました。
故師匠(今年は13回忌です)の奥さんから夏椿を頂きました。花芽もある大きな木です。菖蒲も頂きましたが、アヤメとは全く違います。
私が受賞するとそのたびにお祝いを頂きますが、師匠の奥さんから見るといつまでたっても私は弟子なんですね。
久しぶりの雨でアヤメが咲きだしました。

平成29年6月11日 ゴンズイ     船越亮二
雑木林の中で、ひときは目立つ枝の太い木はたいていの場合ゴンズイだ。
ゴンズイと同じように果実が裂けて種子が顔をだす木にツリバナ、マユミがある。
マユミの果実はやや四角形、種子は赤色、ツリバナは実の付き方がまばらなので、種子が黒いゴンズイとはひと目で見分けがつく。
小花がかたまって咲く花では、コデマリ、ユキヤナギが知られるが、山野でも同じような木をたくさん見かける。
最も身近なのはガマズミで日本全土の林に自生している。
ムシカリはガマズミよりやや北方に自生する。ムシカリの名は葉が虫によ食べられるところから、別名オオカメノキ。
オレンジ、黄のレンゲツツジとシャガが咲きました。

平成29年5月27日 椎の木     船越亮二
よくシイノキというけれど、厳密にはシイノキという木はない。常緑高木でブナ科シイノキ属のスダジイとツブラジイのことをさす。
ブナ科コナラ属の樹木のうち。常緑のものをカシ類と総称している。それぞれにきちんとした名前がついていて、単にカシという木はない。
カシの名はカタシからきたといわれ、樫の漢字が示すように材が固く、公園で見かけるのは、
シラカシ、ウバメカシ、アラカシ、ウラジロカシ、アカガシなどである。
利休梅 三つ葉ツツジ 山しゃくやく ライラック
シャクナゲ 淀川ツツジ ウコン桜 八重桜

平成29年5月21日 街路樹      船越亮二
札幌はニレの都。北の国ではハルニレの葉が萌え出す頃、本格的な春の訪れを迎える。
和名を「紫はしどい」というが、英名のライラックが一般的、フランス名はリラという。
灰田勝彦が歌った「友と語らん鈴懸の道・・・・」を知っている世代も少なってしまった。和名をスズカケノキ (鈴懸の木) というプラタナスは世界で一番多く使われている街路樹。
シナノキは全国の山地に自生する落葉高木で、街路樹には同じシナノキ科でシナノキによく似た西洋菩提樹も植えられる。

平成29年5月14日 俵万智
  雪渓は 生命隠して輝けり とければひらく白山一花
まだまだたくさんの雪渓が残っていた。雪がとけたところから順に、高山植物が花を咲かせる。
この雪渓の輝きは、雪そのものだけの美しさではないのだと思った。その下には雪解けを待って、次の生命がひしめいている。
早く咲きたくてうずうずしている。その 「うずうず」 が、目には見えない光線になって、雪渓を下から照らしているようだった。
白い雪がとけて、白い花が咲く。白山一花 (はくさんいちげ) は高さ20cmくらい。
高山植物の愛らしい姿を見ていると、疲れた体も、すーっと軽くなるような気がした。
ムシカリ、カスミ桜、地梨、レンギョウ、水仙、シラネアオイ、大山桜、タラの芽。

平成29年5月7日 木を植えました
5月2日。今年も木を植えます。
十月桜、八重しだれ桜、富士桜(緑)シャラ(ピンク)、ライラック(白)、ツクシシャクナゲ、五葉あけび。

5月1日の別荘地入口の桜はまだ固い蕾でしたが、7日には満開でした。でも、私の山小屋の桜は蕾です。
3日にコブシが咲き、5日にはヒメコブシが咲きました。
春は黄色の花が多い。ダンコウバイ、サンシュ、黒文字が咲きました。
ツクシシャクナゲ、まだふきのとうが採れます。ダンコウバイ、スミレ、黒文字、ヒメコブシ、コブシ、ワサビ。

平成29年4月30日 魯山人おじさんに学んだこと      黒田草臣
魯山人邸は春には若芽におおわれ、夏は山の頂に山百合が誇らしげに咲き、窓下に蛍を呼ぶ。
秋、田には黄金の稲が実る。黄や朱に染め上げられた木々の葉は、やがて劇的な散り紅葉となる。冬は竹林の浄雪が見事だった。
「自然は芸術の極致であり、美の最高である」 から、蓮池には初夏から晩秋にかけて赤、白、紅、黄の花が絶えないようにした。
落葉の具合、濡れ石の具合、水の打ち加減から箒の用い方まで、一つだっておろそかにしない。
「凡てのものは天が造る。天日の下新しきものなしとはその意に外ならぬ。われわれは先ず何よりも自然を見る眼を養わねばならぬ。
これなくしては、よい書画はできぬ、絵画然り、その他一切の美、然らざるなしといえる」と自然がすべての源だという。
山小屋は暖かい日が続きます。
雪解けと共に咲始めたフキノトウや、福寿草・カタクリ・ダンコウバイ・クリスマスローズはそろそろ終わりです。
枯葉を突き破って芽が出ています。

平成29年4月23日 長閑
「のどか」は平仮名で書いても気分が伝わるが、漢字の長閑には遠く及ばない。
日本画の川合玉堂が四季を描いた名作の四幅対で、春の画題は長閑だった。ちなみに夏は驟雨(しゅうう)、秋は斜陽、冬は吹雪。
春を描くのに長閑はぴったりで長閑が春の季語であることもよく分かる。
「長閑な秋の一日」などは避けたい言い方だ。
椿が満開。西王母、玉之浦等。

平成29年4月16日 の木     船越亮二
    世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし   在原業平
桜は日本中で見ることが出来るが、北海道から千島列島に咲くもっとも北で花開くのは千島桜で六月ころ咲く。
低山帯で咲く山桜は、3月から4月に若葉と同時に淡い紅色の花を咲かせる。
大山桜は山桜よりやや北に分布している。名前の通り山桜より花がやや大きく、色も濃い。
ソメイヨシノが咲き終わった頃に咲く、美しい八重咲きの桜を通称、サトザクラと呼んでいる。
一重咲きの品種も数多くあるが「桜湯」は、サトザクラの花を塩漬けしたもの。桜餅に使われるのは大島桜。
桜の仲間で、葉っぱはそっくりだが、似ても似つかぬ花を咲かせるのがウワミズサクラだ。
以前からほしかった十月桜と八重枝垂桜を植えました。
クリスマスローズは満開です。

平成29年4月16日 の木     船越亮二
    世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし   在原業平
桜は日本中で見ることが出来るが、北海道から千島列島に咲くもっとも北で花開くのは千島桜で六月ころ咲く。
低山帯で咲く山桜は、3月から4月に若葉と同時に淡い紅色の花を咲かせる。
大山桜は山桜よりやや北に分布している。名前の通り山桜より花がやや大きく、色も濃い。
ソメイヨシノが咲き終わった頃に咲く、美しい八重咲きの桜を通称、サトザクラと呼んでいる。
一重咲きの品種も数多くあるが「桜湯」は、サトザクラの花を塩漬けしたもの。桜餅に使われるのは大島桜。
桜の仲間で、葉っぱはそっくりだが、似ても似つかぬ花を咲かせるのがウワミズサクラだ。
以前からほしかった十月桜と八重枝垂桜を植えました

平成29年4月9日 俵万智
献立に、何かひとつでも季節を感じさせるものがあると、会話がはずむ。
「おっ、もう筍の時期か」
「わーい、栗ごはんだあ」
「今晩から新米ですよ」
  「今何を考えている 菜の花の からし和えにも気づかないほど    俵万智
八百屋さんで菜の花を見つけると、私は必ず、からし和えを作りたくなる。春の到来の儀式のように。
この日は、せっかくの菜の花に気づいてもらえなかった。
人は悩み事や考え事を抱えていると、季節を楽しむゆとりもなくしてしまう。
そのことがせつなくて、下の句はわざと大げさに、表現してみた。

平成29年4月2日 つくし     印南和麿
春の光に誘われて奈良の山ノ辺ノ道を歩いてきた。道端にツクシがびっしりと芽を出していた。
ツクシは頭の穂のかたまりが、筆の先に似ていることから漢字で土筆と書く。
「ツクシ誰の子、スギナの子」とわらべ歌で歌われる。
ツクシは3億5千万年前の古生代石炭紀から生えていた植物で、その時代の杉菜は高さ15m、幹の太さは30センチ以上の巨木だった。
杉菜は、広島に原爆が投下された1945年、今後50年間、植物の芽生えはないといわれた。ところが翌年杉菜が芽を出した。
その緑の小さな芽は、どれだけ広島市民たちを勇気づけたことか。
杉菜の地下茎は1メートル以上も深く伸びているからこそできた奇跡の命だった。
ここに3億年ものあいだ生き残ってきた強い生命力を見た思いがする。
紅万作は2月から咲いていて今満開です。一週間前の雪が残っていて、氷柱ができました。

平成29年3月26日 ダンコウバイ     船越亮二
早春の山で、鮮やかな黄色い小花のかたまりをつけるクスノキ科の木の中で、最も目立つのはダンコウバイだ。
黒文字はダンコウバイほど目立たないが、つまようじの代名詞になっているので名前だけは多くの人が知っている。
○○文字の。
名前がつく木は、アオモジ、シロモジの木もある。

平成29年3月19日 アセビ   印南和麿
馬酔木は白い花をつける日本原産のツツジ科アセビ属の植物である。
漢字で馬酔木と書くのは、この木には葉にも花にもグラヤノトキシンという強い毒性があり、馬が葉を食べると足がしびれ、酔ったようにふらふらになるからだ。事実死んだ例もあるという。
奈良・春日大社近くの森に馬酔木の原生林がある。鹿がほかの木の芽や皮を食べても、馬酔木だけは食べ残したので異常に多く繁茂したといわれる。春日大社から高畑町に抜ける「ささやきの小道」に500メートル続く馬酔木の森。
荒々しくねじれた馬酔木の古木は、背丈が3メートル、巨大な盆栽の森にても迷い込んだような錯覚を覚える。
古木の枝から、可憐なスズランのような花が連なり重なり合って、白い滝のように流れ落ちていた。
その白さは朝もやの中で、眩しいほど輝いている。早春の風に吹かれて、かすかな甘い芳香がただよっていた。
雪は、日当たりのよいところはありませんが、日陰は20pくらいあります。シイタケの榾木が出てきました。
鹿がタラの芽を食べ、皮をむいてしまいました。。

平成29年3月12日 珍しい名前の木   船越亮二
バクチノキは、博打に負けた輩が身ぐるみはがれて裸になるところから、別名ハダカノキとかバカノキという。
タラヨウは、モチノキ科の常緑高木。葉の裏に字が書けるので別名エカキバとかハガキという。
メグスリノキは葉を煎じて目を洗ったことから、正式名はチョウジャノキ。
ヘクソカズラはその強烈な匂いからついた名前。
ショウベンノキは、幹を傷つけると樹液がしたたり落ちることから。
スモークツリーは煙の木。ウルシ科の落葉小高木。花柄が羽毛状に長く伸びて、煙ったようになる。
イスノキはマンサクの接ぎ木の台木になる。台木から椅子の木となり、虫こぶの小穴をふくとヒューヒューと発するので、ヒョンノキともいう。
センニンリキはマキ属のナギの別名。葉が千人の力で引いても裂けないほど強い。別名はセンニンビキ、チカラシバ。
     白樺の 水吸い上げし 春の音

平成29年2月26日 大犬のフグリ   印南和麿
春の光は日々明るく輝きを増している。
春は光からやってくる、と誰かが書いていたが、たしかに、輝きを増した春の光が枯草や落葉に降りそそいでいた。
目をこらして見ると亜麻色の枯草のなかで、直径5〜6ミリほどの大犬のフグリが咲いていた。
ペルシャ陶器の澄んだ瑠璃色をした、よび名からは想像もできないほど可愛らしい花だ。
四枚の花びらには、濃いコバルト色の筋が走っている。それが、さらに宝石のような輝きを放つ効果を出しているのだろう。
朝咲いて、夕日とともにしぼんで、やがて散る。はかない命である。
「犬のフグリ」とは漢字で表記すれば、はっきりわかる可哀想な名であるが、学名はベロニカ・ペルシカ。
和名の由来は花の姿ではなく、実の形が陰嚢に似ていることからその名がついた。ペルシャ原産の帰化植物である。
あの美しい瑠璃色の花は、やはりペルシャからきたのかと、なぜか納得する。ペルシャはイランの旧称である。

平成29年2月12日
外は−10℃。
雪の中を外に出る。
外は完全な闇ではない。雪明り。
凄い星空。
これほどたくさんの星を、これまで、ぼくは一度も見たことがなかった。

平成29年1月29日 諏訪湖の御神渡り
諏訪湖は四年連続の明けの湖ですが、1月下旬のマイナス10度が連続した時には全面結氷し、白い線が少し盛り上がりました。
今年の山は雪が少なく山小屋には20センチ位しか雪がありません。

平成29年1月8日 植樹    渡辺隆次
あるときぽくは、木に話しかけている自分に気がついた。苗木や根付いた若木に手を触れ、さかんに励ましたりしている。
晩酌後、小用で庭に立ったついでに、他愛もない繰り言を声高にすることもある。
そればかりか、自らの人生のニガい思いを木に訴え、癒しを乞う。木も負担だったろう。
かたくなだったそれまでの自分の心が、透けて見えるようだった。
絵の中の真実(リアリティー)だけを見つめ追い求めることに、没頭し過ぎていたかもしれない。
微かにまたたく遠くの星を、目で捕えるのは難しい。少し視線をそらしてみると、探していた星が見えてくることがある。
イチイ、モチ、カラマツ、ツツジなど、植木屋からの苗木だけでも数百本、近くの山から扱いできたもの、村人から頂戴したものを数えれば、どれ程になるか。その大半は凍みや日照りに枯れていった。
生き残ったものの、成木になるまでの時間の流れを思い浮かべるとき、人の命の短さに気づく。

平成29年1月4日 ヒイラギ   印南和麿
  「柊の 花一本の 香りかな」   高野素十
石川県奥能登の八百年も続く旧家・南家を訪ねた時だった。柊の花のかすかな香りが流れてきた。柊の花は目立たないが香りが良い。
柊は初冬の頃葉のつけ根に、純白の花を数花ずつ集めて咲かせるモクセイ属の植物。
この家の庭に樹齢百年を超える柊がある。若い柊の葉は厚く、突き刺さるほどの鋭いトゲがあるが、この老樹の葉は丸くトゲがなかった。
柊は五十年以上たつと、トゲが消えて丸くなるという。人間は五十歳を過ぎても、柊のようになかなか丸くはなれない。 

平成29年1月3日     印南和麿
  「お花が散って/実が熟れて、その実が落ちて/葉が落ちて、それから芽が出て/花が咲く。
   さうして何べん/まはったら、この木の御用が/すむかしら」
と、金子みすず(木)は書いている。
冬至の頃、枯葉を落とした木々は、深い眠りに入りながらも近づいてみると、枝の先には、小さな芽がしっかりとついて、春にそなえている。
芽は夏のあいだに生えたものだ。植物たちは、未来に向けての準備がはっきりできている。
冬至の日、人間は一陽来復を願い、心のなかで再生の祈りを捧げるしか能がないとすれば、あまりにも無力すぎる。

平成29年1月2日 榊と樒
葉も枝振りもよく似ているので、シキミとサカキの区別がつかないで混同している人が多い。
早春に薄黄色の花を咲かせるのがシキミ、サカキは6〜7月の初夏に白い花をうつ向いて咲かせる。
サカキの果実は球形の液果で秋に黒く熟す。シキミの果実はは袋果。
花や実のなる時期には、はっきり区別できるが、葉は良く似ているので、葉だけでは区別しにくい。
シキミは仏事に関係の深い木で、サカキの枝葉を神棚に供えるように、シキミは仏壇に供える。
葉からは抹香や線香をつくる。シキミは実が有毒のためアシキミ(悪しき実)が訛化したという説がある。
サカキは神社の境内に必ずといっていいほど植栽されているので「神社の榊、寺院の樒」と覚えておくといい。 

平成29年1月1日
今年は私がしがらみから解放されて10年目、当然10歳年を取り誕生日がくると古希です。

   賞味期限 過ぎてから出る 円熟味

人が人生に残すのは、おのれが何者であったか、何をしたかということだ。
足跡、ただそれだけ。
わたしは多くのことを知り、智を得た。だが、それで何かを変えることが出来ただろうか?
わからない。

 PS..今の私の気持ちを凝縮した言葉を引用する。私の友から聞いた言葉だ。
  ”時代は変わる。人間も変わらなくてはならない。
   どんなリスクがあろうとも。何をあきらめなくてはならないにしても”