

男の隠れ家
山小屋便り12に続く
令和2年12月31日 |
大晦日 |
今年は新型コロナをはじめ本当にいろいろな事があり、心から休まる時が無かったよなぁと思います。
若い頃は癒えやすい悲しみも、日々が単調に流れる齢になると深く沈むだけに思われる。
時に心揺れ、ときにやすらぎ、かくて年改まる。 とにかく日々平穏に、と願っています。
芙蓉枯る晩節汚すこともなく 西嶋あさ子 |
令和2年12月30日 |
山頭火の手記より |
昨夜は寒かったが今日は温かい。一寒一温、それが取りも直さず人生そのものだ。
おだやかに沈みゆく太陽を見送りながら合掌した。
私の一生は終わったのだ。さうだ来年から新しい人間として新しい生活を始めるのである。
また見ることもない山が遠ざかる
星へおわかれの息を吐く
どこやらで鴉なく道は遠い
超えてゆく山また山は冬の山
まづ何よりも酒をつつしむべし、二合をよしとすれども、三合までは許さるべし、ほろほろとしてねるがよし。
いつも懺悔文をとなふべし、四弘誓願を忘るべからず-- |
令和2年12月27日 |
島木赤彦 |
みずうみの氷は解けてなほ寒し三日月の影波にうつろふ
信濃路に帰り来りてうれしけれ黄に透りたる漬菜のいろは
島木赤彦は諏訪に生まれたアララギ派の歌人 |
令和2年12月20日 |
砂時計 |
「人生は砂時計、砂が落ち始めたら、もう果てるまで見守るしかない」
自分の砂はあとどれだけ。 |
令和2年12月13日 |
森澄雄 |
今年も師走に入った。
今年もまた雑多な用事に追われながら、おのれをかえりみる暇もなく、慌ただしく過ごした。
「衝動殺人 息子よ」に出演した高峰秀子が「忙しいって恥ずかしいことよ」といった言葉が、いたく胸にこたえて、しーんとしたひとときをもった。庭の木々はあらかた葉を落とし、蕭条たる景になったが、白玉椿が純白の楚々たる花をつけて、おりからの朝の光に、ほのかな白光を放っている。
心の空洞に吹き込む静かな風音に耳を傾けながら、うつろな目をそのほのかな花明かりに向けていると、旅へ出て来いと僕の旅心を誘う。 |
令和2年12月6日 |
藤森照信 |
庭先に生えているカ細い南天が床柱になるまで何百年かかるか知らないし、だいいち本当にそこまで太くなるんだろうかと疑っていたから、別府で実例(旧国部邸)を確かめた時にはタライ大の揚子江スッポンをはじめて見たのと同じくらい驚いた。
千葉でブドウの床柱(旧神谷邸)と出会った時には、モウ、イイカゲンニシナサイ!こんなものどこから探してきたんダ。
日本が、世界で最も豊かな木造建築の伝統を持っていることは確かだけれど、そのぶん病の方だってそうとう根が深いのである。 |
令和2年11月29日 |
本喰い虫 |
かくれんぼ 三つ数えて冬となる 寺山修司
山小屋への往き返りに回転すしに寄り、美味しいものを食べて幸せな一日をすごすのが、私ども夫婦の唯一の贅沢です。
私のような"本喰い虫"には薬味のきいた面白本が元気になる特効薬です。 |
令和2年11月22日 |
空蝉 佐藤英一 |
当直先の夜間診療をすませ、入院患者の回診を始めた。
一人の老婆が、診察がすむと三つ指をついて「ありがとうございました」と深々と頭を下げ「些少で恥ずかしいのですが、お礼の気持ちです」と塵紙に包んだものを手に握らせた。開くとくしゃくしゃの五百円札が小さくたたんであった。
今は落魄の身なれど、華やかな昔を忘れきれないでいるMさんの気持ちを思い、喜んで戴くことにした。
そのお金に加えては、身寄りのない病床の淋しさを紛らわすため季節の花や果物を無名で送り続けることにした。
学会の研究発表の準備などで三週間ほどアルバイトの当直に行けなかった。久しぶりのMさんのベッドは片づけられていた。
目をふせた看護婦が「Mさん、S先生の回診待っていたけど三日前の夜亡くなったわ。はい、最後のラブレター」と例の塵紙を渡してくれた。紙を開くと「足長せんせい、ありがとうございました」。五個の百円玉の一つが滑り落ちてチャリンと音をたてた。
淋しい思いをさせたおわびに、いつものように何枚かの硬貨を加えて線香、花、果物を買って病院近くの寺を訪ねた。
無縁仏の石積はうずたかかったが、供え物もなく無言であった。線香の煙が空に向かいたなびく。
額ずいた足もとに蝉の抜け殻が転がっていた。命のはかなさを知ってだろうか、蝉しぐれが姦しい。 |
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