男の隠れ家
山小屋便り12に続く

令和2年12月31日 大晦日
今年は新型コロナをはじめ本当にいろいろな事があり、心から休まる時が無かったよなぁと思います。
若い頃は癒えやすい悲しみも、日々が単調に流れる齢になると深く沈むだけに思われる。
時に心揺れ、ときにやすらぎ、かくて年改まる。
とにかく日々平穏に、と願っています。

   芙蓉枯る晩節汚すこともなく     西嶋あさ子

令和2年12月30日 山頭火の手記より
昨夜は寒かったが今日は温かい。一寒一温、それが取りも直さず人生そのものだ。
おだやかに沈みゆく太陽を見送りながら合掌した。
私の一生は終わったのだ。さうだ来年から新しい人間として新しい生活を始めるのである。
  また見ることもない山が遠ざかる
  星へおわかれの息を吐く
  どこやらで鴉なく道は遠い
  超えてゆく山また山は冬の山  
まづ何よりも酒をつつしむべし、二合をよしとすれども、三合までは許さるべし、ほろほろとしてねるがよし。
いつも懺悔文をとなふべし、四弘誓願を忘るべからず--

令和2年12月27日 島木赤彦
みずうみの氷は解けてなほ寒し三日月の影波にうつろふ
信濃路に帰り来りてうれしけれ黄に透りたる漬菜のいろは
      島木赤彦は諏訪に生まれたアララギ派の歌人

令和2年12月20日 砂時計
「人生は砂時計、砂が落ち始めたら、もう果てるまで見守るしかない」
自分の砂はあとどれだけ。

令和2年12月13日 森澄雄
今年も師走に入った。
今年もまた雑多な用事に追われながら、おのれをかえりみる暇もなく、慌ただしく過ごした。
「衝動殺人 息子よ」に出演した高峰秀子が「忙しいって恥ずかしいことよ」といった言葉が、いたく胸にこたえて、しーんとしたひとときをもった。庭の木々はあらかた葉を落とし、蕭条たる景になったが、白玉椿が純白の楚々たる花をつけて、おりからの朝の光に、ほのかな白光を放っている。
心の空洞に吹き込む静かな風音に耳を傾けながら、うつろな目をそのほのかな花明かりに向けていると、旅へ出て来いと僕の旅心を誘う。

令和2年12月6日 藤森照信
庭先に生えているカ細い南天が床柱になるまで何百年かかるか知らないし、だいいち本当にそこまで太くなるんだろうかと疑っていたから、別府で実例(旧国部邸)を確かめた時にはタライ大の揚子江スッポンをはじめて見たのと同じくらい驚いた。
千葉でブドウの床柱(旧神谷邸)と出会った時には、モウ、イイカゲンニシナサイ!こんなものどこから探してきたんダ。
日本が、世界で最も豊かな木造建築の伝統を持っていることは確かだけれど、そのぶん病の方だってそうとう根が深いのである。

令和2年11月29日 本喰い虫
  かくれんぼ 三つ数えて冬となる      寺山修司
山小屋への往き返りに回転すしに寄り、美味しいものを食べて幸せな一日をすごすのが、私ども夫婦の唯一の贅沢です。

私のような"本喰い虫"には薬味のきいた面白本が元気になる特効薬です。

令和2年11月22日 空蝉     佐藤英一
当直先の夜間診療をすませ、入院患者の回診を始めた。
一人の老婆が、診察がすむと三つ指をついて「ありがとうございました」と深々と頭を下げ「些少で恥ずかしいのですが、お礼の気持ちです」と塵紙に包んだものを手に握らせた。開くとくしゃくしゃの五百円札が小さくたたんであった。
今は落魄の身なれど、華やかな昔を忘れきれないでいるMさんの気持ちを思い、喜んで戴くことにした。
そのお金に加えては、身寄りのない病床の淋しさを紛らわすため季節の花や果物を無名で送り続けることにした。
学会の研究発表の準備などで三週間ほどアルバイトの当直に行けなかった。久しぶりのMさんのベッドは片づけられていた。
目をふせた看護婦が「Mさん、S先生の回診待っていたけど三日前の夜亡くなったわ。はい、最後のラブレター」と例の塵紙を渡してくれた。紙を開くと「足長せんせい、ありがとうございました」。五個の百円玉の一つが滑り落ちてチャリンと音をたてた。
淋しい思いをさせたおわびに、いつものように何枚かの硬貨を加えて線香、花、果物を買って病院近くの寺を訪ねた。
無縁仏の石積はうずたかかったが、供え物もなく無言であった。線香の煙が空に向かいたなびく。
額ずいた足もとに蝉の抜け殻が転がっていた。命のはかなさを知ってだろうか、蝉しぐれが姦しい。

令和2年11月8日 初冬
秋は昨日で終わった。
初霜の細氷をまとったトンボが、枯草にしがみついている。
日没とともに、八ヶ岳颪が始まる。八ヶ岳の冬の夜は長い。
風の強い日、樹林はまるで海鳴りのように限りなくどよめき続ける。
そんな日々、山小屋の庭を訪れる小鳥たちを見ていると、いつもひっきりなしに餌をあさっている。
これは至極当たり前であるが、生きるとは食べ続けることだと見えてきた。
連日の氷点下。氷が張り、霜柱が立つ。

令和2年11月6日 誕生日
   初冬や時の流れが早すぎる
じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える。
六十歳で仕事をやめ、趣味に暮らそうと決めた私は、まだ七十三歳である。
老人になったらジタバタせずに、人様の邪魔にならないようにひっそりと静かに暮らしたい、というのが私の願いだが、持病や新型コロナに耐えて、年の割にはよく動いたような気がする。
私はいつか末枯れの年齢に入ったが、古人が自分を
△老と称した諦観には行きつけていない。
 人生において本当に大切なこと。
  ひるむな

令和2年11月01日 高橋治
    老いの手をひらけばありし木の実かな      後藤夜半
祖母は煎って食うとうまい榧(かや)の葉はつかむと痛い。似ていても実が食べられないイヌ榧は痛くない。
栗も同じでイガが鋭いほど実の味が良い。
だから、女も妙に人当たりが良い場合は要注意。無口でブッキラボウな方が心根は優しい、とこうなる。
だがものごと例外はつきもの、私も家訓同様のこの言葉を真理と信じ込んだあまり、手にイガばかり立てた。
痛いヤツはやはり痛い。

令和2年10月25日 紅葉
   秋風やひとさし指は誰の墓    寺山修司
秋風に、色づき始めたモミジ葉がさわぐ。
繊細に色づく紅葉にすっかり魅了されてしまった私は、川の流れに沿って歩いた。
カラマツの散り葉の黄金の針の重なり、その間から紫のリンドウ、うっとりと酔っている私に急に夕冷えが襲うのも、この山の変わり身の潔さ厳しさである。
10月20日 富士見高原 創造の森 紅葉の遊覧カートに行きました。
全自動の遊覧カートは標高1420mまで25分で行きます。
道中の白樺林は紅葉真っ盛り、望峰の丘では富士山が見えます。

令和2年10月18日 森澄雄
    今生は病む生なり鳥兜
昭和四十四年、病波郷最晩年の作。鳥兜はキンポウゲ科の多年草。1メートルに及ぶ直立した茎に掌状の裂けた葉を互生し、仲秋、頂上に美しい青紫色の大型の花をつける。花容が伶人の冠に似るのでこの名がある。
戦地に病をえて帰還以後、ほとんどの生涯を病床に過ごした波郷の今生への哀切痛恨の思いが宿る。
だが、一句はなにか晴朗の丈高さがある。「鳥兜」の五文字の働きによろう。それだけにまた切なく美しい句である。
10月16日 富士見パノラマリゾートに紅葉狩りに行きました。
山頂付近では諏訪湖が見え、鳥兜、リンドウが咲き、切り株にはクリタケがいっぱい。
ゴンドラからは八ヶ岳全景が見えます。

令和2年10月11日
    野分立つ しをれて哀し こぼれ萩
萩は、静かに年を重ね、人生の黄昏を迎える頃にこそ、ふさわしい花です。
孤独感に襲われやすい人生の下り坂の途中を、二人で歩いてゆけたらそれは至福の時というものでしょう。
いつのまにか雨も上がっていました。
空には名残の月、妻とふたり声をひそめてしばし月を見つめていました。

令和2年10月4日 蛇行する川    俵万智
10月の北海道は、すでに冬の匂いがする。湿原は鮮やかなグリーンから、つや消しの黄金色に脱皮しつつあった。
釧路川は、蛇行する川の代表選手。
「この蛇行に意味があるんです。一見無駄な寄り道をしているようですが、蛇行のおかげで、湿原の隅々にまで、水が配られているんですから」
湿原を研究して三十年という湿原博士は、力を込めて言う。
「人間がやってきたことは、A地点からB地点への最短距離を、直線で結ぶような事ばかり。自然は、蛇行するという知恵を持っています」
     蛇行する川には蛇行の理由あり 急げばいいってもんじゃないよと

令和2年9月20日
「生きていてよかったと思うのは、秋になって、今日よく晴れているなと思う時ぐらいかな」  吉野秀雄

令和2年9月13日 山百合
秋空をこがれるごとく伸びやかに、庭に一輪亡父の山百合咲く
トリカブト、山シャクヤク、ジキタリスムクゲ、ムクケ゜日の丸、ガマズミ、初秋

令和2年9月06日
    くろがねの秋の風鈴鳴りにけり     飯田蛇笏
しまい忘れた鉄の風鈴に深沈と「秋」が鳴る---。

令和2年8月30日 夏の終わり
暑い夏も終わりかけてきた。
山小屋では朝晩は寒いくらいで、蝉の鳴き声が消えると、たちまちにして夜は虫が鳴き出す。
玄関のあたりにはまだ強い夏の日射しがはじけている。
蝶と小鳥が騒がしい。今年の吾亦紅は少ないし小さい。
雨の予報が天気になった。

令和2年8月16日 捨石         近藤正雄    庭師
木陰に入れば、どこからともなく風が渡る秋口になると、本格的な庭づくりが始まる。
樹木のほとんどが、真夏や冬の移植には適さないからである。
庭に使う石のひとつは「役石」だが、技巧的な石組みが好まれなくなり、社寺以外には見られない。
つぎの「捨石」は何げなく据えられている石で不要なものではない。いま「捨石」は庭の主役になっている。
どこにも転がっているような石にも必ず味がある。その味を見つけて引き出し、いかに芸をさせることが出来るかは庭師の腕にかかっている。
その腕ひとつをたよりに力仕事にあけくれ、一服の後すえたばかりの石のたたずまいを見ていると、庭職人は「捨石」にほかならなかったように思えるのである。
眼のあさい人にはとどくすべもないが、庭あるところかならずわれら仕事仲間のさえた技が光っているものなのである。
山小屋の林の中にある大きな石、この石に腰かけて樹々を見る。何も考えず、何も思わず、ぼんやりしているのが気分がよい。
私はこの石を <一服石> と名付けている。
PS.私は煙草をやめて30年になる

令和2年8月15日
私たちが墓を築き、故人の思い出を石に刻むのはその永遠なることを願ってのことだと思うのだが、どうも一般に考えられているほど墓石の寿命は長くないようだ。経済的な事情もあって最近の墓は合葬墓が多く、墓の性格が死者との対話をするためのものではなくなってしまった。
単なる骨の格納場に変わってしまったのである。
それにしても無縁仏の墓石がそこらに転がったままとなっている光景を見るのはやはり空しい。
どうやらわれわれが墓石となって生きながらえられるのは、孫ないし曾孫の時代あたりまでで、時間にしておよそ百年ということになるらしい。
故人にも寿命があるということだ。
そして死者はその記録を携えている肉親の死によって今度こそ永久に死ぬのである。

令和2年8月14日 朝顔
私は昔、暇な老人が裏庭に朝顔など丹精しているのを見て哀れな気がしたものだが、今では・・・・・

  朝顔の紺の彼方の月日かな     石田波郷

令和2年8月9日
もう斜面は登れない。麦わら帽子の庇を上げて、重なり合った樹々の葉を透かす陽光のたわむれに見とれるばかりだ。
秋の紅葉した林も素晴らしいが、人気のない夏の林には一抹の哀感がある。
ここでは時は流れず、静かにたゆたっている。
夕映えに移って行く前で、終日晴れ渡っていた空が明るい浅黄色に変わりかけていた。

令和2年7月26日 垣間見る         近藤正雄    庭師
木枯らしであれ、とっさの風に道ゆく人の裳裾がさっとひるがえったとき、思わず今まで気づかなかったその美しさをつよく感じることがある。
それはあたかも腕のいい職人が作った庭をめぐるときと同じようである。
それほどの作庭ができる庭師には、一本の絹糸のような美感覚がぴんと張られているように思われる。
それは物があるがままあらわに見えてはならないというということであり、逆にほとんど見えないようであってもまたいけないということである。
いいかえるなら、そこにある物の、背後ないしはその奥に、ちらっとあるかなしかの気配を感じとらせることが大切なこととされるのである。
それは、日本建築における格子や障子、御簾の意匠にもはっきり表れている。
そのような感覚が、特に作庭や庭木の手入れの技術の伏本流として存在しているように思われる。
なかでも垣は、その典型であろう。
古くから透垣という垣が知られており、柴垣、竹穂垣はいかに厚くかさねようと、陽はもれてくるし、人や物の気配はすぐ感じさせてくれる。
私は長年この道一筋に生きてきた庭職人の話をできるだけ聞くことにしている。
彼らの話を聞いていると、いつかしら遠い日本人の美感覚を「垣間見る」思いがするのである。

令和2年7月19日 今年は豪雨
豪雨が地鳴りのような音と一緒に近づいてきました。
この水は、やがて大地に吸い込まれ、小川になり、大きな川になり、ゆったりと流れながら、生き物を育んでいきます。

マタタビ、サルナシが今年は豊作の予感。

令和2年7月12日 梅雨
山小屋の庭は山アジサイが満開です。
  西行に あこがれし夫 花と逝く
山アジサイ紅、シモツケ、エゴ、バイカウツギ。

令和2年6月28日 ハクウンボク
この花は人の気持ちを浮き立たせる何かを持っている。
爽やかな緑、生きていて良かったと思わせる明るい雰囲気。
木々の緑がまぶしい季節、ちょっと川っぺりなどを歩きたくなります。
空はときに夕焼けして、明日もきっと晴れだろう。
ハクウンボクが初めて咲きました ヤマボウシ 大山れんげ

令和2年6月21日    父の日 父    中林洋子
暖かい陽ざしを受けて、父が毎日庭を眺めながら座っていた籐椅子は、今日も空のままベランダに置いてある。
もう座る人がいない。
庭の風景はいつもと変わっていないし、椅子も膝掛けも前のままなのに、主を失った淋しさが漂っている。
そういえば、いつも枝が重く垂れ下がるほどたくさん実を結ぶ葡萄も、去年はたった二房、堅い青い実を申し訳のようにつけただけだった。
そして柿にいたっては、一つ二つ、鳥につつかれながら、いつまでも木の上に残っていた。
---誰かが亡くなった年は、その家の果物は実らないって、昔から聞かされていたけれど、本当なのね。
見てちょうだい。いつもあんなになった柿の木なのに・・・・・
と母が言う。

令和2年6月14日 梅雨
千紫万紅、四季を通じて日本列島には無数の花が妍を競う。
夜の林を、蕭条と雨がわたってゆく。
明け方豪雨。
六月も後半になると「梅雨」「ジメジメ」「やだなあ」となり、゛憂鬱゛という言葉が一番似合うのは六月である。
 大山レンゲ

令和2年6月7日 良寛
回首七十有余年        七十年は長かったのう
人間是非飽看破        人の心に あきあきしたよ
往来跡幽深夜雪        雪降る夜は 人影もなく
一主線香古窓下        線香一本 わしゃ座禅くむ
三つ葉つつじ、山シャクヤク、山吹、小鳥が穴窯の棚の中に卵を産みました。オオデマリ、あけび、花筏、淀川つつじ。、

令和2年5月24日 つつじ
外の景色の素晴らしさ、良い季節です。
遠く近く、山々はやわらかな緑にボーッと煙るようでありまして、その裾野あたりに桃の花、リンゴの花が点在しております。
ここはうら若い春であります。女性で言えば、みずみずしい思春期でありましょうか。
ヨーロッパでは、こうした時期を「天使の季節」と呼びますが、女性にすれば、やがては「猛獣の季節」「悪魔の季節」を迎えるまでのひとときに当たる季節なんでありましょう。

令和2年5月17日 花の競演
  「背を丸め ルーペで新聞読む老人の 白髪ひかる図書館の朝」
私は図書館でよくこんな光景を見ます。
シラネアオイ、ムシカリ、大山桜、ジュンベリー、ジナシ、山吹、十月桜、、楊貴妃桜、雪柳、御殿場桜

令和2年5月10日 母の祈り (母の日)       中村汀女
「お母さんを大事に思うわ。だけどお母さんに悪いけど、私はやっぱりS子のほうを先に思うの」
A子がある日に洩らした言葉であって、S子とは自分の女の子である。
私はこれをかなしく聞いた。このほうが本当であるかなしさである。実は私にも俳句が一つある。
   母我を われ子を思う 石蕗の花
母を郷里に残して暮らしていた私には、この思いは辛く、母に知られたくないこんな句があったのでA子の話が身に染みたのだった。
赤松を頂きました。自作の陶板で七輪焼肉。かすみ桜、十月桜、馬酔木、辛夷。

令和2年5月6日 スパイス   田部井淳子
1975年、私たちエベレスト日本女子登山隊は登頂に成功したが、女性初の登頂ニュースは全世界に流れ、注目を浴びることになった。チベットという憧れの地に来ていながら、私は人間関係で毎日悩まされ、一人になりたいと何度も思った。
トイレに出るふりをして丘の上に登ると、チベット独特の青い空が果てしなく広がっている。あまりにも雄大な風景に圧倒されいつまでも坐っていると、通訳の許競さんがいつの間にか隣に座っていた。
「私は日本語が話せるというだけで、文革の時は農村に下放され肥桶をかつがされました。でもこれが永遠に続くとは思いませんでした。辛い日でしたが、今思えばあれは唐辛子だけの日々だったと思います。麻婆豆腐に唐辛子がないと美味しくない、でも、唐辛子だけでは食べられないでしょう。辛いと思う日があるから、それが過ぎ去った時の平素の素晴らしさが分かるのですね」と言って立ち上がった。
そうだ、今は唐辛子の辛さをじっくり味わう時なんだと思ったら、気持ちがすーと楽になった。
物事にスパイスはつきものだから、それを味わえばいいのだ。

令和2年5月5日 牡丹     島崎二郎
老来、めっきり脚力が落ちた。にもかかわらず、生来の徘徊癖が、坂の多い界隈を当てもなくほっつき歩く日課を重ねさせている。
私の足で二十分程の処に、宗祖日蓮上人入滅の地に縁の、池上本門寺がある。ふと思い立って、機嫌伺に自転車を駆ってみた。
久しぶりの寺は、屋根の普請を終えたらしく、明るく様変わりしていたが、お目当ての花は、予期に違わず絢爛たる花容を見せていた。
     牡丹にほうと声挙げ近付ける
寺での花だから、方便のそれか、あるいは、眼施とでもいうのか、いずれにせよ、ほうと声を発した至福のひとときであった。
しかしながら、諸行無常は世の常。牡丹は花が華美なだけに散りぎわが哀しい。音もなく頽れてゆく様は見るに忍びない。
花には散り様も色々あって、たとえば木槿などは、戦国落城の折に、覚悟の自裁をした女性の趣で、身支度を整えて散るもあり、落椿のように、さながら生けるそのもののように思えて、水盤にでも浮かべてやりたいような落ち様をするものがあるのに、牡丹にはそうした気配はなく、いかにも力尽きたという、落莫の感のみ残る崩れ方をする。
一時も早く落弁の始末をしてやりたい気さえするのだから、丹精して育て上げた花主にしてみれば、より深い思いが去来する事だろう。

令和2年5月4日 昭和
今も山小屋で使っているのが七輪・団扇・タライ、そして無いけれど懐かしい火鉢や草履。
もう見ることもまれになった昭和の暮らし。
   遅き日のつもりて遠き昔かな   蕪村

令和2年5月3日
葉桜の緑が鮮やかなころで、残照が空に映え、いつまでも明るいように感じられる夕暮れであった。
もっとも、そう思っていると急に闇がやってくるが。
庭は四季の移り変わりにつれて、さまざまに語りかけてくる。この言葉は、年毎に深まっていく。
庭は決して一つの姿にとどまることなく、年毎に変容せずにはいられないからだ。
13年間で山小屋に植えた樹々は幹も太く、枝はたくましく伸び、若葉が生い茂る。
歳月の推移をしみじみと感じ、一本一本の木の思い出を妻と語り合いながら庭を歩く。

令和2年5月2日 植木
今年も馬酔木、黒文字、つくし石楠花を植えました。
木の芽や草花がぐんぐん伸びているのがわかる。

令和2年4月26日 三つ葉ツツジ  高橋治
伊豆の下田で三つ葉ツツジの内側を覗いてみたことがある。
どれが珍しい白花かわからず、花芽を切ったときである。
固く褐色の幾重にも重ねられた鎧の内側には、咲き出す色を凝縮したような濃い紫がたたみこまれていた。
宿命というものが仮にあるとすれば、それが現実になる前に覗き見してしまったような悔いを私は感じだ。
同時に、胸の深奥に深い感動が湧いた。
命というものは、こうして耐えて待つもので、僅か数日の花の盛りの短さとは、比較しようもないほどの長い時間が、秘かに背景に埋もれていることを、まざまざと見せられたからだった。

令和2年4月19日 山頭火
句作について山頭火は次のように言っている。
「情に溺るるなかれ、情に流れていては真実の句は打ち出されない。
添えるより捨つべし、言い過ぎは云い足りないよりもよくない。
おしゃべりは何よりも禁物なり、言葉多きは品少なしとはまことに至言なり。」
     あの雲がおとした雨にぬれている         山頭火
12日の春雪は約30p。湿った雪で5本の木の枝が裂けました。
三日後に太陽で暖かい日、雪はすごい勢いで融けました。

令和2年4月12日
「様々な事思い出す桜かな」 -- 昔の人は味のある事を言ったものでございます。
満開の桜を眺めておりますと私のような愚か者でも様々な事を思い出すのでございます。
思い起こせば十六の春、これが見納めになるかと悲しくて悲しくて涙をこぼしながら歩いた江戸川の土手は、一面の桜吹雪でございました。
そうなんでございます、いまでは一本も残っておりませんが、私がガキの時分、江戸川堤は桜の名所だったのでございます。
毎年春になると、両親に連れられて、妹さくらの手をひいて、花見見物に出掛ける時の、あのワクワクするような楽しい気持ちを、今でもまざまざと思い出します。--申し遅れました、私の故郷と申しますのは、東京は柴又、江戸川のほとりでございます。

            男はつらいよ 知床慕情  38

令和2年4月5日 辛夷
春先の林は墨絵のようだ。
そんな墨絵の中に、白い辛夷の花が咲く。
黒い林の中に、ぼんやりと白い辛夷の花が咲く。

次の日、午前中は驟雨があって、めずらしく春雷が轟いた。
春の予感が足を軽くする
4月6日に山小屋を開きました。
キツツキがコンコンしてました。はじめて写真に撮れました。

令和2年3月29日
    いつしかに 春のなごりと なりにけり
   昆布ほしばの たんぽぽの花       白秋


春初めの風通る庭をぶらぶら歩きまわる。

令和2年3月22日 スミレ
  鳥雲に歳月おもひわれ歩む     大野林火    鳥雲(春になって北国へ帰る渡り鳥のこと)
花は一般的に受精し実を結び子孫を増やすが、スミレは花びらを持たない蕾状のまま成熟してしまう。これを閉鎖花という。
スミレは早春に見事な花を開花させた後、二度目の花をつけるが、これが閉鎖花である。

令和2年3月15日 オオイヌノフグリ
あれから幾度も季節は巡り、今年もまた春が巡ってこようとしている。
春といえば雪解け、それに続く自然の生命の爆発。様々な草木がいっせいに開花し、鳥の声が洪水のように満ち溢れる。
オオイヌノフグリ、タンポポ、スミレは皆小さくて、つつましく咲いている。
それなのに"雑草"という名のもとに抜き取られてしまう。
   犬ふぐり星のまたたく如くなり      高浜虚子

令和2年3月8日 日差し
いつしか日差しも濃くなり、どことなく春の兆しが感じられてきた。
遠く重ねる山の稜線に、落日が少しずつ西に伸びていく。
自然の摂理の確かさ、黙って、じっとしていても時は過ぎてゆく。
それにつけ、一日、一週間、ひと月の飛ぶような速さ。
夜は眠り、朝に目覚め、その日の天気などを気にしながら、また、一日が暮れようとしている。
私はいつしか七十二歳になった。この年になると、急に先のことが思われるようになる。
       鳥啼いて 春は山から 林から

令和2年3月1日 椿     高橋治
天倫寺月光という名の花がある。有名種の太郎冠者ほど花が大きくはない。
色合いもぐんと澄明感に富んでいて、花の開き加減も格段に嶮しい。
   侘助や 男茶碗の 備前焼
備前のお預け徳利などに、この花は見事に合う。

令和2年2月24日 雨水
二十四節季の雨水とは、これからは雪や氷が融けて水となり、降る雪がさまざまな生命を蘇らせる雨に変わるという意味。
昔は、この日が農耕の準備を始める目安とされてきた。
私はこの日から粘土の準備をします。
万作は進行する春の指標だ。冬が終わりに近づくと、枝に近いところから少しづつ蕾を膨らませる。
まだ風は冷たいがその時春が始まる。

令和2年2月23日 今年は暖冬
一月は山小屋に雪がありませんでしたが、今は庭に10p位の雪があり、道に雪はありません。
これほど雪のない年は初めてです。
雪には鹿、キツネ、リスなどいろいろな足跡があります。

令和2年2月16日 真冬
夏場の華やかさはどこにもない冬の庭、山小屋もひっそりと目を閉じ息を止めて静まっている。
ここは真冬だ。あらゆるものが凍てつく。こういう風景を前にして、人は何を思えばいいのだろう。
心はすがすがしく、さわやかになる。

      山あいに 紫煙たなびく 陶の小屋

令和2年2月9日 二月
二月は寒くて、雪が降って、風邪をひいてと、あまり良い印象のない月です。
八ヶ岳の山小屋付近は四季がはっきりしていて、五月中旬に桜の咲くという冬の長いところです。
一月・二月は山小屋は冬眠中です。

令和2年2月2日 裏切り        近藤正雄    庭師
樹木の生育の一番激しい夏はまた、私たちの一番忙しいときでもあって、この期を逃すと、すかしに適した時は、また一年巡ってこない。
葉の一杯茂った太い枝はかなり重い。
枝ぬきのさい、枝や幹が裂けることをあらかじめふせぐために、私どもはつねに「裏切り」をするのである。
裏切とは、切り落とそうとする個処の裏側にあらかじめ切り込みを入れておくことである。
そうしておいてから表を切りはじめ、一定の深さまで鋸がとどくと、枝はゆっくりと空を泳ぎ、やがてバッサリ落ちる。
切り口は裂けることなく、みずみずしい木の香りと鮮やかな木目を残していく。
「裏切り」によって何ともあっさり、太い枝が落ちていくさまをみていると、この言葉が人の背叛行為を意味するようになったことがいかにもよく分かるのである。

令和2年1月26日
好きな道ですか?帰り道です。
山は20pの積雪です

令和2年1月19日
窓の外には、少し前から降り出した雪が、家の中を眺めるように、ちらちらと空から舞い降りていました。
何故か、子供の頃の娘を叱った日を思い出す、あれから幾度も同じ冬を繰り返し、私は娘を頼りにするようになりました。

   叱られて
           詞   清水かつら   曲   広田竜太郎
叱られて
叱られて
あの子は町まで お使いに
この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ
こんときつねが なきゃせぬか

令和2年1月12日
     「山中ニ暦日無シ  寒尽クレドモ、年ヲ知ラズ」    大上隠者
 わしの暮らしには、日も時も、暦もないのよ。
 年が変わっても、今年ゃ、何年なんて知るもんか
今年は暖冬。年末の雪は大分融けました。狐の足跡と、雪の蓼科山。

令和2年1月5日 古希
   初春を孫と添い寝の古希の妻
昨年妻が古希になりました。
大昔は人生六十年でしたから、七十歳はお祝いだったのでしょう。
古希とは、七十歳まではなかなか生きられぬ、人の寿命の儚さを言っているのでありました。
ただ、現在の日本人の平均寿命は、男八十歳、女九十歳だと言いますから、古来稀なりは男九十歳、女百歳でしょうか。

令和2年1月3日
鳥が空高く舞い上がった。後を追い私も空を仰いだ。
ハッと驚いた。空があまりにも明るく輝いていたからである。
昨年体調を崩してからこの方、こんな空を仰いだ記憶がなかった。
いや、あることさえ忘れていた。
そこには輝かしい空がいっぱいに広がっていた。

令和2年1月2日 初詣    栗田勇
正月松の内には数多くの古代からの行事が形を変えながら伝えられている。
お年玉は年魂という豊穣の神の訪れであり、門松、しめ縄は私たちの祖霊を迎えるため、というくらいは知っている。
しかし、外国の人が日本で一番驚くのは、元旦の初詣である。毎年延べ八千万人近くの人間が一斉に寺社に詣でる。
初詣とは、結論を先に言えば、古い寺社で、新年を迎える最も重要な儀式は火と水の行事なのである。
初詣は、切り火を戴に詣でるのがその原型で、近頃は井戸も少なくなったが、昔は、元旦に汲む水は、「若水」といって、特別に一年の邪気をはらう精気にみちた潔めの水とされていた。この火と水により新年を迎える型は、東大寺二月堂の「お水取り」の行事に凝集している。
正月元旦は日本人にとって、ただ一年という時間の直線的な延長ではない。
一年、一年が、元旦に原始にかえり、穢れをはらい、闇をくぐり、宇宙とともに新しい生命力をおびて再生する、死と転生の循環への参入なのである。

令和2年1月1日 元旦
   好きなもの 登山 日本酒 春の花 薪窯焚きと古備前の壺

山の道も、雑木林も谷川も、遠く広がる八ヶ岳も懐かしい。
長い歳月の流れの中で、私は古希を過ぎ、近頃昔のことをよく思い出す。
あれから13年たったなんてとても信じられない。そして、つい昨日のことのように穴窯作りを、懐かしく思い出している。
この13年で両親がいなくなり、同居しているのは妻だけになった。
体調を崩し、何事もおっくうになり、気力もなく、筋肉が落ち体力がなくなりました。
自らの体力の限界も知ったので、以前のように自由気ままに山野を歩き回り、薪割をし、窯を焚くのは不可能になった。
でも、年をとることは嫌なことばかりではない、こんなにも世界が豊かで、美しいことに気づくことができたのだから。
人はどうして年をとることを嫌うのだろうか。人生は年をとるほど面白いと思うのだが。
  「若者は夢の奴隷、老人は後悔の召使」

 新年おめでとう。
また一つ年を重ねて、僕の人生はいよいよ佳境に入ります。
2019年12月23日 積雪20pです







令和元年12月31日 大晦日
十二月は、一年の内で最も素早い月である。
「おお、十二月になったか」、と感慨深く一年を振り返ろうなんて考えるやいなや、あっという間に一か月が経ってしまう。
だから、十二月は誰も彼も忙しい。
私の実感では、時間を二十代と比較すると、今は殆ど倍速に近い。
本当に、これは、どうにもならないものなのか。
"また正月が来ちゃうよ"

令和元年12月29日 健康
健康で過ごしたい、だが度が過ぎると健康そのものが目的となり、人間として生きていく中身が忘れられてしまう。
健康情報に惑わされて、心はいつも「私は本当に健康だろうか」「情報に遅れていないか」と不安でいっぱいな人を見かける。
゛健康゛は、人生の質を上げるための手段に過ぎないのに、目的そのものになってしまっている。
いくら医学が進んでも人間の老化は避けられない。寿命には限度がある。
人間の寿命はごく自然に尽きていく。人間は人生を楽しんで、自然に平穏にあの世に逝く。
それゆえ充実して生きなければ損だ。
結局人間は、だれにもそれと分かるような衰えの後、一週間内外の意識不明ののちにお迎えが来る。

・・・おれの人生こんなもの。色の道にやや不満が残るものの、この程度で結構。あまり高望みをしない事さ。
万事これで出来すぎ、ありがたい、ありがたい。

令和元年12月22日 山小屋
冬の夕日はすばやく落ちて、日の沈んだ山は見る見る闇に覆われてしまう。

令和元年12月8日 ネギ
ネギは畑の哲学者である。
夢見ているのか、考えているのか、天に向かってまっすぐに立つ。
八ヶ岳は雪化粧
令和元年12月1日 落葉
寒冷地にある山小屋では、ある晩全山一斉に紅葉してしまう。
散策は楽しい、紅・朱・黄などの紅葉の盛りである。
樹々は高く枝を張って、黄色い葉を重ね合っている。
黄色はいくらかの暗さがあって、かえって明るさを際立たせるものだ。
そして、最後まで残っている紅葉は深みが増して特別な美しさになる。
やがて、残っている紅葉も落ちてしまうと、師走がもうすぐそこまでやって来ている。

令和元年11月24日
色づいたカキは日本の秋を彩る風物詩です。
カキこそは千年にもわたって日本人と共にあり、幾多の詩歌に詠まれてきた郷愁の果物といえます。
カキは日本名のままで世界に通用する数少ない果物でもあります。かって農家の庭先には必ずカキの巨木がありました。
特に干し柿は歴史的に重要な甘味資源でした。「菓子」という字も元はといえば「柿子」に由来しています。
大正期まで、カキは日本の果物の王座に君臨していました。
が、やがてその座は新興のミカンやリンゴに奪われ、最近ではナシにも後れを取っています。
しかし、実態のつかみにくい「庭先果樹」としては、いまも右に出るものはありません。
カキは千年の時を越えて、今なお「タダで食べられる」日本最大の果物なのです。
霜柱がすごいですが、ナメコがまだ採れます。

令和元年11月17日
私は明るくなったカラマツの森を歩く。
山路は、私が病気で一年歩かなかったので草が生い茂っている。
路は歩かないと山に戻っていくのを実感する。
静まりかえる人気のない。雪を待つ山の佇まい。
降り積もった落ち葉を蹴散らせながら私は森を歩く。

令和元年11月10日 古田紹欽
八十八才の齢を重ねる。年老いた自分を見る。老いは必然的に衰えにつながる。その衰えは滅びることにまたつながる。
今、百二十余段の坂道を登る山の上の一庵に住む。庵は雑木林に囲まれる。
山庵の住まいは「日々是好日」とはいかないが、雑木林を眺めながら、漫然とあれこれと思いを馳せる。
今この山庵に住んで三十年近くになる。
ささやかながら庵庭がある。苗木であった山茶花は今や大きく生長し、枝々に花をいっぱい咲かす。
ふと自分を顧みる。その生長した時間は、自分は老衰を経たことにほかならない。
その花を眺めて感慨無量の思いを深める。
月初に霜があり、紅葉はお終いです。

令和元年10月27日 父    岸田今日子  女優
父は若い人が好きだったし、私たちの友達を歓迎もした。
でも、私たちが小さい頃から、子ども扱いしないというか、子ども扱いが下手というか、不器用な所があった。
お酒は呑まないし、面白い話は大好きだけど、大笑いしたりしないから、取っつきにくいと思った人もいるようだ。
父が死んで三十年以上たった。父が植えた山栗の実が、屋根に落ちて音を立てる。
昔はどの家からも浅間山が見えたのに、樹が大きくなって、今は、ほとんど見えない。
この二、三日で急に紅葉が深くなったようだ。

令和元年10月13日 バーベキューパーティー
秋の窯焚きをしないので、生徒さんに感謝のバーベキューパーティーをしました。
前日の12日に、台風19で記録的な雨でした。千曲川は氾濫しましたが、諏訪は警戒警報だけで被害はありませんでした。
8人参加。生ビールと焼肉、キノコ鍋で一日騒ぎました。
山小屋は赤とんぼがうるさいほどです。

青木雨彦は云う 「酒は、月・水・金と火・木・土にしか飲まない、というのが私の生活信条だ。そして、日曜日は週にいっぺんしか飲まない」と。
今日はおいしいお酒をたくさん飲みました。
令和元年10月6日 山の一日
山の一日はこうして過ぎ去っていく。(以下季節・日の出によって違う)
基本的に朝5時から6時起床。
午前中は、散歩、そして季節の移ろいとともに、花との世話、山菜りとキノコ採り。
午後は温泉に行き、夜にDVDを観て9時就寝。
日の入りが遅い季節は、夕方5時からビール片手に七輪でバーベキューと焼き芋。
早く暗くなる季節は、昼食に七輪でバーベキューか、自作の土鍋を使い季節の鍋を食す。
熟し切った柿のような太陽が沈むと周りが急に暗くなり、寒さが一段と厳しくなる。落日。

本と映画は私の生涯の友だ。
小青年時代の娯楽は、映画と本しかなかった。私は本の虫となりました。
今、気力がなくなり、重いものや難しいものは避けて、昔観たり、読んだりした安心の冒険ものをもう一度試しています。

令和元年9月29日 山暮らし
山でのんびり暮らす、なんて私には考えられません。
山の季節は素早く移り替わるので、山暮らしはものすごく多忙です
乙女リンゴが赤くなりました。リンゴ酒は出来ますか ?

令和元年9月23日 夏の終わり
夏の花はどんなに力強く咲いても何処となくはかなげな印象があるのは、あまりに短い山の季節のせいに違いない。
秋がそこまで来ていることを感じた日、それは夏の終わりだけでなく、時間は過ぎ去っていくもの、人生も通り過ぎるものだと知る初めての日かもしれない。
令和元年9月8日 初秋
むくげ、萩、ピラミッド紫陽花、女郎花、紺菊、桔梗、紅葉が始まったヤマボウシ。
名を知らぬ花が咲き、花が散り、後は土にかえる。
枯草の挽歌を自分に重ねる。
令和元年9月1日 コウモリ
若い人はハエ取り紙を知らないと思いますが、山に住みだしてからは、窯の周りに5つほど吊るしています。
そこにコウモリが付いて暴れていました。
山小屋に住んで長いですが、コウモリは初めて見ました。
令和元年8月25日 山百合
山百合が咲きました。
今年は山小屋にあまり行けませんでした。お盆過ぎの山は寒いくらいで、季節はもう秋へと進んでいます。

令和元年8月15日 妻と共に   中畦一誠
  果て しなき未来へ伸びよ雨あとの 土を均して杉の種子播く
今、花粉症の元凶として悪役の代表のように言われている杉ですが、私たち夫婦は、杉に未来を賭けたことがありました。
むせかえるような自然の息吹の中で種を播きます。茶褐色の種子が一か月後には一斉に緑の芽を出します。生命の誕生はまさに感動的です。
 妻が抗がん剤の点滴治療に入ったのは、術後二か月たってからでした。慰めてやらなければいけないのに、私の方が胸が詰まって、何も言ってやれませんでした。買ってきた寿司を食べながら、妻は一度も心配そうな顔をしませんでした。そのことがかえって健気でした。
   谿埋めてみやまあじさい咲きけむを 夜々の語りに妻と相病む
妻の闘病中に、私が骨髄損傷の障害者になってしまいました。どうして私達夫婦だけが、こんな不運に見舞われるのだろうと、世をはかなんだこともあります。でも、今更悔やんでも、どうすることもできません。
若い日に妻と杉を植えた沢沿いに、ヤマアジサイの自生地がありました。梅雨が深まるころになると、瑠璃色の花が、谿を埋めたものです。
私たち夫婦は、再びヤマアジサイの咲く谿に行くことはできません。
だから、夜々の語りに、植林地のことを思い出し、ヤマアジサイに思いを巡らしながら、若い日を振り返るのです。
令和元年8月11日 雑草
毎日雑草取りに追われています。「雑草のようにたくましい」という表現は、誉め言葉としてよく使われます。
でも「雑草のようにかわいい」とは使われない。雑草の花が目だたないのは、人間の粗雑な目配りのせいだ。
今、山野草ブーム。豪華絢爛な園芸種と比べれば、野生の植物はよく言えば清楚、悪く言えば貧しげで目立たない。
そして庭の雑草は抜き取られ、ごみとなる。しかし、野生ランや高山植物になると、話は別らしい。
今、雑草や落ち葉・泥・昆虫は多くの人から嫌われる。自然は、清潔という言葉からは遠い存在なのだろうか。
また、土は汚いもの、衣服を汚すものとなりましたが、いや、そんなことはありません、土は植物を養い、植物は人間を養うのです。
  白百合や愁はいつも新しき    竹下夢二

令和元年8月4日 ひろしです
  ひろしです
  地図を見ているだけで
  旅行した気分になれます
解説
 どこでも行けるのに国内が多いです。熱海あたりによく行きます。
月見草

令和元年7月14日 大山れんげ
五年前に植えた大山れんげが初めて咲きました。前月から一つづつ咲いていましたが、咲いた日に山小屋に居ませんでした。
朝少し開いて、お昼には満開になり感動です。
夏椿、ピンクの夏椿、栗の花、乙女リンゴの実、山椒の実、マツムシソウ。

令和元年7月7日 古希
妻の誕生日である三月末は私の窯焚き準備、孫の新入学、婿さんの仕事などで忙しく、やっと少し余裕ができて、娘が妻の古希祝に一泊旅行に連れて行ってくれました。土曜日は曇りでしたが、日曜は朝から雨。
お風呂は渓流露天風呂など、 蓼科グランドホテル滝の湯はとても良い温泉宿です。
古希の衣装は紫で、我々初老の夫婦は久しぶりに楽しい思いをしました。

令和元年6月30日 花は少ない時期です
アヤメ、ヤマボウシ、九輪草、姫カンゾウ。

令和元年6月24日
午後4時頃雷鳴とともに大量の雹が降りました。ビックリです。

令和元年6月23日 マルメロ
5年前にバーゲンで購入。いつまでも成長しないのは虫と分かり春に消毒したら、やっと花が咲きました。

令和元年6月9日
列車はもうない。特急ばかりの電車。
旅に人生という言葉をかぶせることは、なくなっていくかもしれない。

碾き臼というのでしょうか?いただきました。藤、レンゲツツジ、オオデマリ。

令和元年5月26日の2
5月とは思えない連日の猛暑で花が一気に咲きました。
白三つ葉つつじ、淀川つつじ、スズラン、かいどう、
利休梅、シラネアオイ白、御殿場桜、四つ葉のクローバー、
あずま石楠花、花筏、細葉石楠花、エンジュ。

令和元年5月26日 山吹
山吹が満開です。薄暗い木陰に緑色の茎を斜めに傾け、咲いている山吹は、はっと目にとまる鮮やかさと気品を持っている。
薄い五弁の花びらは独特の濃い黄色で、この花から「山吹色」という言葉ができたのももっともだと思う。
八重の山吹も咲いているが、この栽培種には、もうあの気品は感じられない。人間は美しさを倍加しようと花びらを増やすが、桜も椿も八重の方がつまらない。まぶたを二重にしたり、鼻を高くしたりする整形美人が、どこか不自然で、魅力がないようなものかもしれない。
雪柳、富士桜、シラネアオイ、わさび、六角連、山シャクヤク、八重山吹、ちょうじガマズミ

令和元年5月19日
桜の花が咲くと、周囲の空気が急に明るくなったような気がする。
今、桜の下でで出会った人は言う。
「あと何回、この桜が見られるか」 と。
この花は空間を見渡させるばかりでなく、過ぎてきた昔から、行く末の時間まで、いっ気に見せてしまう。
大山桜、黒文字、レンギョウ、十月桜。
令和元年5月12日 摘み草   甘糟幸子
土があるということは、植物が生えるということだろうか。ほんの小さな空き地ができると、前から土の中に種子が埋まっていたというように、必ず草や木の芽がでて葉をのばし、地面はしだいに緑でおおわれてしまう。まるで空気中には目に見えない種子がいっぱいつまっていて、絶えず地面に種子をこすりつけているみたいだ。
人間は鋤や鍬を使って土地を耕し、作物を植える。
しかし、植物は自ら芽を出し、根を張り、葉を落としたり、実をまいたりして、大地を耕しているのかもしれない。
枯草の下から草の芽がでて、いっせいに緑をあふれさせていく様子を見ていると、植物は人間以上にこの地球に対して強い意志を持っているような気がしてしまう。
令和元年5月5日 今年の植木
今年は利休梅、桜(関山)、馬酔木、ハナの木、淀川ツツジ、ボケを植えました。
辛夷、四手辛夷、大木のカスミ桜が咲いています。
令和元年5月5日 梅谷献二
日本ではモクレンの仲間を白木蓮、紫木蓮、辛夷、四手辛夷などと使い分けているが、外国では、まとめてマグノリアとよんでいる。
マグノリアは地球上最古の花といわれている。
人類が生まれる以前の一億年以上もの太古から、今と全く同じ形の花で咲いていたことが化石で証明されているからだ。
辛夷という名は、開く花の形が子供の握りこぶしに似ていたことから拳と名づけられた。
漢字の辛夷は誤用のまま定着してしまったものだ。
花弁は六枚で、花の下に一枚の葉があるのが特徴である。

令和元年5月1日 果実
果物と野菜はどのように分けられるのでしょう。
果物とは、何年にもわたって栽培する永年作物のうちで、枝や、幹や、茎が硬く木質化するものから収穫するリンゴやナシなどを指し、一本の樹木から毎年とれるものが果物です。
野菜は、一年以内で栽培を繰り返す単年作物から収穫されるメロンや、スイカ、トマトなどを指し、毎年タネをまいて果実の収穫と同時に命を終えるものが野菜です。
この基準に当てはまらないものとして、永年作物のうち、茎などが木質化しない草本性のいちごは野菜とされるのに対し、パイナップルやバナナは果物として扱われます。
ダンコウバイ、山茱萸、苔がきれいになりました。

平成31年4月21日 スズラン
別名の「君影草」を持つスズランは「春の爽やか」から「初夏の煌めき」への移ろいを、目立たずひっそりと過ごす。黄色から始まった春は目覚めた生き物が活発に動き出す。モモ、青、紫、緑色の花々に虫や鳥が集い歌を唄う。
その時間軸の中で人間の気分は知らず知らずのうちに高揚していく。この白いスズランは絶妙のタイミングで現れ、一休みを告げ、夏へのバトンタッチをスムーズにしてくれる。浮かれてばかりの春から命輝く夏の狭間で、もう一度、自分自身を見つめ直す機会を与えてくれるのだ。
以前は厳しい自然とは「対峙する」という気構えでいたが、最近は「なんとでもしておくれ」と、身を任せたり、流されたり、包まれたり、と気負わなくなった。力が抜けている方が自然と対話できる気がする。でも、対話の中身について聞かれると、言葉ではまだ上手く説明できないからもどかしい。
やっと春が来ました。

平成31年3月28日 古希
  童心に 還りし妻の 古希祝う        石井マンマル
  泣かされた 日も遠くなり 共白髪      山本妙子
妻が古希になりました。

平成31年3月17日 ワサビ   印南和麿
「尋ねくれば山葵咲くあり沢ひそか」 松本たかし
山葵は夏涼しく、冬は暖かい気候を好むので、清水など夏でも水温が低い清流に自生するアブラナ科の多年草。
といっても、現在は、ほとんどが栽培である。
清流で栽培されるものは沢山葵、畑で栽培されるものは陸山葵という。花は2月から5月にかけて、小さな白い4弁花を開く。
山葵は丸ごとかじっても辛みはない。すり下ろして、シニグリンという細胞が破壊されて、はじめて辛み成分が生まれる。
だから、辛みを味わうためには、できるだけ細かくすり下ろすことがコツなのだ。
人間もこすられたり、もまれてこそ深みが出る。人生は植物に学ぶべきことが多い。
山小屋には、沢山葵と陸山葵が植えてある。野沢菜の上に摩り下ろすととてもおいしい。
三月になり、四回雪が降って、今は20pの積雪です。紅万作は満開です。

平成31年3月10日 春の一歩    岡山市 青江悦子
退院後、現役復帰の夢が捨てきれず、こだわり続けて三十三ヵ月が過ぎようとしています。
今、ないものねだりの愚かさに目覚め、こだわりを捨てることにしました。
捨てた日が、生き方の向きを変える日。そして、新しい一歩を踏み出す日。めまぐるしいが八十四歳の年女。
背伸びをせずにもうひとふんばり致しましよう。
私が育てたキンセンカもチューリップも空を仰いで咲き誇り、私を応援してくれています。

平成31年3月3日 半藤一利
  おらが世やそこらの草も餅になる
萩原井泉水によると、一茶の好きな句で、よく紙に書いているそうな。
そのときにはかならず、自画像らしい入道を描いて、そこにつぎの言葉を書き添えるという。
 「月をめで花にかなしむは 雲の上人のことにして」
この前置きをおいてみると、この句の趣向はすっかり明らかになる。
月が美しいとか、散る花かあわれだとか、花鳥風月に心を動かされいい気持ちになれるのは、雲の上の人々の話。
われらには無縁のものなり。春の野に若菜つむのは百人一首の連中の風流で、腹の足しにはならぬ。
こっちはさしあたっては食うことだ。春の草をみれば餅がすぐ頭に浮かぶよ。
一茶は「そこらの草」としているが、草餅にはヨモギがいちばん。
モチ草といわれるほど葉をうすでつくと粘りが出てくる。しかも菊科の植物で独特の香気がある。
聞こえるのは、風の音ばかり
冬空が、悲しいほど青い
まこと、人の生は流転の旅路だ

平成31年2月24日 雨水
二十四節季の雨水とは、これからは雪や氷が融けて水となり、降る雪がさまざまな生命を蘇らせる雨に変わるという意味。
昔は、この日が農耕の準備を始める目安とされてきた。
万作は進行する春の指標だ。冬が終わりに近づくと、枝に近いところから少しづつ蕾を膨らませる。
まだ風は冷たいがその時春が始まる。

平成31年2月10日 今年は暖冬
一月は山小屋に雪がありませんでしたが、今は庭に10p位の雪があり、道に雪はありません。
ゆうべの雨が木で凍り、日が出るとパリンと落ちてきます。
雪には鹿、キツネ、リスなどいろいろな足跡があります。

平成31年1月20日
八ヶ岳の冬は厳しい。
というふうに書くと、さぞかし豪雪なんだろうなと思われるかもしれないが、雪の厳しさはそれほどでもない。
山小屋あたりでは雪が融けずに積もっているが大した量ではない。諏訪は晴天が多く、雨量は少ない。
厳しいのは寒さ、1520mの山小屋の寒さははんぱない。
諏訪では−10℃以下が何日も続くと諏訪湖が凍って御神渡りが出来ます。
山小屋では−15℃は普通にあり、聞いた話では―20℃のときもあるそうです。
   過ぎ去った 夏のことなど知らないと 言うように吹く 冬の海風

平成31年1月6日 梅     甘糟幸子
丘の上には気持ちのよい、あたたかい空気が満ちていて、時折、風もないのに、花の香りが運ばれてくる。
梅の下にひとりで座っていて、私はよく千家元麿の詩を思い出す。
  これが人の世か。
  静かに梅が咲いている。
この花の咲いている様子をひと言で言うのな、私も、「静かに」という言葉を選んでしまう。
桜の花は、時間の流れのすさまじいほどの速さを凝縮して見せてくれる思いがするし、桃の花ののどかさは、時間の外側に連れ出されたような気持ちにさせられる。梅の花を見ていると、静かに静かに、まるで止まってしまったかのようにゆっくりと進んでいく様子が見えてくるのだ。
「老梅樹の忽開花のとき、花開世界起なり」(道元)というのも、このゆっくりした時間があるからこそ、花が開いたときに、そこに世界中の力が集まって、花を咲かせたように思えるのではないだろうか。
今年は暖冬で山小屋にはほとんど雪がありません。鹿は来ていません。
平成31年1月3日 カガリビバナ   甘糟幸子
シクラメンの和名はカガリビバナだが、命名したのは牧野富太郎氏で、その時のエピソードが面白い。
氏は明治末期の頃、新宿御苑に勤めていたことがある。「ある正月、九条武子夫人だったと思いますが、中年の華族の婦人が二、三人連れだって、御苑の温室で栽培している草花を見物に来たことがありました。・・・シクラメンの花が咲き誇っている時でしたので、この貴婦人は、シクラメンの花を見て『美しい花ですわね、ちょうどかがり火のようね』と評していました。私はこの率直な批評を大変面白く感じ、シクラメンの和名をカガリビバナとすることにしました。」(牧野富太郎植物記7)
シクラメンの根は平たい円形で英名を豚のパンというのは、野ブタがこの根を食べたからだとか。和名の最初は豚の饅頭。しかし、牧野先生は、「わたしは、美しい花にそぐわない変な名だと思っていました。そこで、だんぜん、シクラメンの和名をカガリビバナに改めたというわけです」
こういうときに、だんぜんとつくのがこの先生らしい。
平成31年1月2日 南天     甘糟幸子
ナンテンの花は、6月頃白い6弁の花を集めて大きな円錐形穂を立てたように咲かせたが、地味な目立たないものだった。
今、冬枯れの庭で、赤い実の房は美しく輝いている。うちのナンテンも多くの家庭と同じように手洗いの横の風通しも、日当たりも悪い場所に植えられているのに、虫もつかないし、病気にもならない。丈夫で手のかからない木である。
意外なことに「邯鄲の夢」とか、「邯鄲の夢枕」とかいうときの枕は、ナンテンを輪切りにして作った枕だそうだ。
邯鄲の夢は、不思議な枕を借りて寝たところ、夢の中でだけ立身出世して、富貴をきわめ、目が覚めてみれば儚い夢だったという話だ。
儚い夢の中の話だから面白い。
それにしても、太い幹は直径10センチにもなるというのに、うちのナンテンは数だけは20本もあるのに、どれも万年筆程の太さで、枯れ木か鳥の足のように骨々しい。
邯鄲の夢を見るほどの太さは育ちそうにも見えないが、ただ、茎を折ったとき内部は不思議な黄色で、いかにも夢の色といった感じがする。

平成31年1月1日 元旦
人が最も『一年』を感じるのは、大晦日から元旦にかけてと、誕生日ではないだろうか。
そこにある何か、その何かをかみしめながら、人は一年をふり返り、また新しいページをめくる。
薪窯を焚くのには年を食い過ぎたと感じる時が来たら、私は薪窯を止めて山野草などを愛でて暮らす。
福寿草が咲きました。

平成30年12月31日 冬の庭
冬の庭は地味ながら美しい高齢の貴婦人のようだ。
冷たい死が遠からず訪れることを知りつつも威厳を保っている。

平成30年12月30日 バイオハザード     山本光伸訳
我が国の危機管理能力の欠如が指摘されて久しいが、とくに、本書に書かれているような、生物兵器、細菌兵器に対処する術は皆無といっていい。本書によって警鐘が打ち鳴らされたのを契機に、わが国政府にも本腰を入れて危機管理に取り組んでもらいたいものである。政治のマキアベリズムを理解できない人間に、政治を語る資格はないとわたしは思っている。平和・平和とお題目のように唱えていれば平和を維持できると考えている人などはもちろん論外である。(それにしても、この手の子供じみた平和論が新聞の投書欄にしょっちゅう取り上げられるのはどういうわけだろう?)
武力に頼らず外交努力で、などと口当たりのいいことを言って誤魔化している場合ではないだろう。つまり、我が身大事一辺倒の国家には、外交努力という言葉そのものが存在しないに等しいのである。わたしとて、世界が平和であってくれればいいと願っている。ただ、そう思っているからといって、かならずしも平和に暮らせるとは考えていないだけである。
憲法第九条は改正すべきである。この曖昧な条項によって、いったいどれほどの不毛な論議が繰り返されてきたことか。憲法改正論者すなわち軍国主義者、といった幼稚な論理がまかり通り、どれほどの"言論"が封殺されてきたことか。
戦争放棄の条項こそは、日本が唯一世界に誇りうる理念だという主張は正しくない。平和主義を標榜する憲法をもつ国家は百二十数か国に上がっているのだ。既存の憲法をやみくもにありがたがる態度は、自国の憲法条項を盾に、武器の携帯を擁護する米国ライフル協会の言い分と表裏一体をなしている。

平成30年12月23日 冬至  甘糟幸子
今日は冬至で、柚子湯の日である。
ひと冬じゅう自由に使えるユズが庭にあったら楽しいだろうと思うのだが、この木は成長が遅く、俗に「桃栗三年、柿八年、柚子の花咲く三十年」といわれるくらいである。
うちの庭には、五年ほど前に友人宅から移植した小さな木があるが、まだ花ひとつ咲かない。
工房では山茶花が咲いています。クリスマスローズがクリスマスに咲くのは初めてです。
山小屋では鹿の足跡、笹も凍っています。

平成30年12月16日 霜柱
霜柱は沢山出来ますが、初雪は13日と一ヶ月も遅い。暖冬だそうですが、なにかおかしい。シャクナゲの冬芽と馬酔木。

平成30年11月25日 初冬
八ヶ岳の中腹まで雪が降りてきました。
今年の初雪は少し遅いのですが、もうすぐ山小屋は雪におおわれます。
マンサクとレンゲツツジの冬芽。ガマズミの実はまだ赤い。鹿が毎日来ています。

平成30年10月28日 紅葉
物思いにふけりながら、わたしは川を超える小さな橋に向かった。
時間にすれば僅か5分。悠久の歴史からすればほんの一瞬に過ぎない。
しかし、僅かそれだけのあいだに私の魂は自然に溶け込んでいた。

平成30年10月14日 紅葉
この山小屋に10年住んで、小さな思い出が、チラチラ眩しく光る川面のように浮かびます
意識のどこかでのんびりした心地になっているのだろうか。
紅葉が始まりました。


平成30年10月7日 台風24号
台風24号の猛烈な風が吹いた日曜日に、私は山小屋に居ませんでした。
4日間の停電になっていましたので、3日と4日に日帰りで行きました。
薪小屋の屋根はとても持ち上がらないほど重いのに、30bほど飛ばされました。
入り口のウリハダカエデの大木は、毎日少しづつ傾き、根が上がってきましたので大きく剪定しました。まだ傾くようなら根元から伐採します。
赤ヤマボウシは根が上がり倒れました。
他所は倒木がいたるところで見られ、根が持ち上がり水道管を引きちぎり、数十本の倒木が道を塞ぎ、家の屋根に落ち、電線を引きちぎっていました。
屋根が飛んだ薪小屋 薪小屋の屋根 傾いた楓 剪定後
倒れた赤山帽子 倒木 倒木 倒木

平成30年9月23日 地蜂
  うれしいことも かなしいことも 草しげる   種田山頭火
風鈴ガマズミはまだ黄色です。ヤマボウシと山シャクヤクの実は赤くなりました
地蜂が穴窯の横に巣を作りました。土で埋めて、水をかけて、バーナーであぶりましたが当然駄目でした。
地蜂は穴掘りは得意なようで、小さな穴から巣に行くようです。シャベルで掘ると7段くらいの巣が出てきました。
窯焚きに来ていただく人が安全なようにしました。

平成30年9月16日 八ヶ岳
八ヶ岳の方がなぜかよく寝られる。
「隠居はここにきめて良かった」
曼珠沙華とガマズミ

平成30年9月9日 台風一過
山中無暦日
栗・タラの木の花・山シャクヤクの実・あけぼのそう
(花びらに蜜腺がある)

平成30年9月5日 台風21号
台風は猛烈な風で4日午後4時半には停電になりました。
電気・水道は止まりましたが、ガスは使えますので温かい飲み物とパンを食べ18:00〜6:00まで12時間寝ました。
翌5日外を見ますと我が山小屋は無事でしたが、数十本の倒木が道を塞ぎ、家の屋根に落ち、電線を引きちぎっていました。
夕方になっても電気が復旧しないので、温泉に入りたくて下諏訪に帰りました。

平成30年9月2日
   秋になり かへりみて暑かりし日は かがやけり   山口波津女
ムクゲ(日の丸)・ムクゲ(紫)・山百合・シオン・オミナエシ・ピラミッドアジサイ・萩・吾亦紅

平成30年8月15日 たたむ     坂口和子
庭の木槿(ムクゲ)の花が次々に咲く。
明け方の庭は、木槿のあたりが白々と明るくなっていて、この花に朝顔という別名があったことを思い出す。
このところ私がじっと見入っていたのは、この花の終焉の姿だった。散るということをしない花の性質に、私はひどく惹かれていた。
花は枯れる、そして花びらは散る、単純にそう思い込んでいるフシが私にあった。木槿はそうではなかった。
花はきちんとたたまれるのだ。朝開いて夜にはしぼんでしまう花だが、花はいのちが終わると、まるで吐息をもらすようにして、花弁を徐々に巻き込んでいく、そして筆の穂先のようになる。もとの形にもどってからポトンと落ちる。
ひそやかに、何気なく、さあこれでよし、とでもいうように。
母の友人にみやさんと呼ぶ年長の人がいた。一生色街で暮らした人で、お針の師匠をしていた。
人あたりのよい優しい感じのひとなのだが、心底笑っていない切れ長の目が印象に残っている。
ある日母にこんなことを言っていた。
「ねえ、きぬさん、私は独り身でしょ。だから死ぬ準備をしようと思っているのよ。世間様に笑われないように」
母より先にみやさんは乳がんで亡くなった。生前に墓石をたて永代祠堂料を菩提寺に納めてあることも分かった。
持ち物はそれぞれ分けてしまって、さっぱりした表情で毎日を送っていたという。
家をたたむ、店をたたむ、という言い方を私たちはするけれど、人生をたたむ、いのちをたたむ、という言い方もあっていいだろう。
きちんとたたまれる木槿の花の終焉のように果たしてできるものかどうか。
そうありたいと願っているのだけれど…。

平成30年8月12日 夏は来ぬ       高橋治
  卯の花の匂う垣根に                           佐々木信綱 作詞
  時鳥 早もきなきて
  忍び音もらす 夏は来ぬ

卯の花とはうつぎの木の花である。うつぎとは他ならぬ空木である。つまりこの木は幹が中空になっている。
うつぎはちょっと見はアジサイを思わせ、春の花が一段落した頃に咲き出すから、山肌にほんのり紅を含んだ白い布を引いたのではないかと思える遠景は、なかなか捨て難いものである。
その白さに関連して忘れられないのはが、国宝の茶碗、志野の卯の花垣である。
志野は砂糖菓子を思わせるほど分厚くかけた白い釉の色で見せる焼きものといえよう。
その白さに火の色を思わせる赤味のまじるところが、多くの支持を受ける味になっている。
卯の花垣は、器体に鳥居の寸をつめて、幅を広くしたような絵が描かれている。
国宝などというと、何とも悪趣味な野々村仁清の極彩色の壺や、雉の香炉を思い出させる方も少なくないと思うが、卯の花垣は実にあっさりした茶碗である。箱書きは表に片桐石州、裏に一首の和歌が書き込まれている。
  山里の卯の花垣の中つ路
    雪踏みわけし心地こそすれ
月見草・いちご・シラネアオイの実・山ゆり

平成30年8月5日 花が咲きました
山の景色はさらりと馴染んで、目を凝らしていないとサーッと吹く風のように、目の前を通り過ぎてしまうような出来事ばかりです。
道を横切るリス、樹の間から顔を出す日本シカ、流れる雲や霧・・・・・。
拾い集めた季節ごとの記憶は、どれもはかなくて他愛もない日常の中にあります。
そうした小さなことの一つ一つが、どれほど大切なことか。
キキョウ・タチアオイ・ヘメロカリス・コオニユリ・姫リョウブ・ギボウシ・クレナイ・ピラミッドアジサイ

平成30年7月29日 ドクダミ
日本に生育する三大民間薬はゲンノショウコ、センブリ、そしてドクダミです。
ドクダミは日陰で湿った場所を好み、濃い緑色の葉はハート型をしていてとてもかわいい。見た目は観賞価値が高いのだが、臭いがとても強い。ドクダミの名は「毒を矯める・止める」などの意味の「毒痛み」に由来し、別名、十薬ともよばれる。
栗の花・フサスグリ・サンショウの実・ウドの花・高塔草・ドクダミ

平成30年7月22日 日本
日本には春夏秋冬の明確な四季があり、其々の季節は旅人として毎年訪れ、私たちの琴線に触れて去って行きます。
日本人は古来、万葉集などの短歌、芭蕉などの俳句で、自然が織りなす光景に託して、人間の喜怒哀楽から人生まで謳ってきました。俳句や短歌を詠むと美しい自然の情景と音が甦り乾いた心を潤してくれます。
もっと自然の中に出掛けよう。
そうすれば、不思議と心が和み、優しい気持ちになれます。動植物を好きになるのはとても素敵な感情です。
今年も暑い夏が来た。 山アジサイ・くれない・タイマツソウ・アナベル・ノリウツギ・ツユクサ・ムシカリ・ホタルブクロ

平成30年7月01日
庭は決して一つの姿にとどまることなく、年毎に変容せずにはいられない。
年が経つにつれて更に豊かになる。
そう思って庭を眺めると、庭が言葉にならぬ言葉で、私に語りかけてくる。
その言葉を、私は毎日楽しみに聴いている。
ヤナギラン シモツケ 山アジサイ エゴノキ赤