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令和4年12月31日 | 無情 |
昔から、男は貧乏と病気と女の苦労を知らなければ一人前にはなれないといわれます。 私はまだまだ女(妻)の苦労は知らない。しかし、貧乏と病気の苦労はしっかりとしています。 私は厄介な病気をもっていますが、病気と仲よく、ただし、病気を甘えさせないように暮らしたいと思います。 時間は誰にでも公平な筈だけど、たまにはのびたりちぢんだりする。 私は文字通り無情迅速の時代に生きている。昨日の津波は今日の大事故、戦争の前に影を薄める。 スマホとメールで結ばれた他人とは友情も敵意も軽い。 無情がこれほど常のものとなって、もはや無情の意識すら薄らいでしまった。 私は写真を撮って過ぎ去る瞬間を引き留めようとしながら、まさにその努力によって、貴重な瞬間をつぎつぎと過去のものにしている。 雑木の葉っぱは散り果てて、風が鳴っている。これが木枯らしというのであろう。 曇り日のまま年の瀬の 腕を組む |
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ビデオを整理(捨てる)していたら、森繁久彌の「恍惚の人」が出てきた。 妻を亡くして認知症になった森繁久彌をその息子の妻の高峰秀子が世話をする。 徘徊だったり、夜中喚いたり、いきなり暴れたりと認知症の症状をただ淡々と描くから本当に辛い。 虐げられてきたお嫁さんだけがが義父の介護をする。 夫が父親の介護をしなかったり、娘の乙羽信子が父親をモノ扱いしたりと胸が痛む。 ただ、花を見つめる高峰秀子と森繁や、若者カップルをただただ見つめる森繁などほっこりする場面があるのが救い。 懐かしく見てしまったが、葬式で只一人涙を流していた高峰秀子が最後に小鳥に言う「もしもし」 (認知症になった森繁がいつも小鳥に"もしもし"と話しかけていた)で泣いてしまった。 |
令和4年12月30日 | 暦 |
定年までは毎日の予定を手帳に書いていた。今、暦はパソコンに入れて管理している。 去年はこの日に野菜の種をまいたとか、大きな壺を作ったとか、十五年がいつでも振り返えられる。 暦が生活に密着して、暦に頼らなけれは暮らしていけない。 窯焚きの日、教室の日、約束の日時、いつまでの命、今は暦がなけれぱならない暮らし、つまり、時間に左右される生活である。 ああ、あ。とわたしは暦のことをふりはらって、山道へもどった。 暮れなずむ西空は、明るくきれいにかがやいていた。 |
令和4年12月25日 | 黛まどか |
短日や 心澄まねば 山澄まず 飯田龍太 日が短くなった冬のある日、山を真向に立つ作者です。 冬晴れの澄み切った大気の中、山はよく澄んで見えるはずですが、それだけではいけないと一句は言います。 自分の心が澄んでいなければ、決して真に山は晴れ晴れと澄んでは見えない。 自分の心の鏡として冬山を仰ぐ。 一年を振り返りつつ、山に向かうひとときをもってみるのもいいかもしれません。 |
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秋の庭に美しく紅葉した葉が落ちていた。 でも、落ち葉はたくさんあるが、気に入ってものは少ない。 山小屋で過していると、夜空の星の美しさにも感動する。 |
令和4年12月18日 | ありがとう | ||
会社員時代は忙しくて心を亡くしていた。 今は、山小屋に行くと、心とまわりの景色が、ぱっと明るくなる。 妻に感謝、山小屋に感謝、傾きかけた太陽にもありがとう。 私は、五体投地で歓喜と感謝の念を表現するのであった。 ありがとう、ありがとう。 |
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12月13日山は大雪です。湿気った雪ですから道路は滑りません。 |
令和4年12月11日 | 唄 |
雪の降る町という唄あり 忘れたり 安住 淳 市井の俳人安住淳の辞世句は、パーキンソン病のために物忘れがひどくなり、大好きだったはずの唄さえ思い出せない自分の老いを見つめた一句です。 嬉しいにつけ、悲しいにつけ口ずさんできた愛唱歌です。にもかかわらす、今歌おうとしてもどうしても思い出せないのです。 |
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雪です | 山小屋を閉じました | 石楠花 | 穴窯を囲う |
令和4年12月4日 | 八甲田の木 高倉健 |
酸ヶ湯温泉から一通の短い手紙が届きました。 三年かけて撮った『八甲田山』は、森谷司郎監督との初めての仕事でした。 一年目の暮れから正月の数日、僕ら俳優を返して、キャメラの木村大作氏と森谷さんは酸ヶ湯温泉で越冬した。 そこで映画の実景を撮っていたんです。その手紙にはこんなことが書かれていた。 今日は実景も休みで、さっきから旅館の窓から木を眺めています。 この冷たい雪の中に定着して、ここから動くことができない、その木たちがとっても悲しくやりきれなくなります。 自分はこうやって、アチコチ歩け、さすらえることの幸せをすごく感じています。 短くしみじみと不思議な手紙でした。 漂っている自分は悲しいって時々そう思うことがあって、こんな旅してウロウロ、ウロウロ、何考えてもあっちウロウロ、こっちウロウロ。 本当は定着していられるのに、とまらないんですね。もっといいところあるんじゃないか、もっといいことあるんじゃないか・・・って。 さすらって、さすらっていることが不幸だって。 けれど森谷さんは、さすらえる自分は幸せなんですと言うんです。 西表島は、沖縄本島よりもずっと台湾に近いところに位置する。目と鼻の先が台湾なのだ。だから風景も同じだ。 森谷さんは少年時代を過ごした台湾を愛し続け、そして台湾によく似た西表島を愛し続けたのだ。 だからなおのこと、家を建てるために買っておいた土地に、ついに家を建てることなく、墓を建てねばならなかったことが、悔やまれた。 海の見える墓所に立つと、ああ、この人には思いを貰ったなあと自分の中にはっきりあるものを噛みしめる。 ヒューヒューと風を切るその碑には、 無私の愛 と書かれてある。 |
令和4年11月27日 | 啄木 |
夕焼雲を眺めていた友達が、遠い目になり、 「雲を見るのって、つまり風を見ていることなんだよね・・・」 晴れし空 仰げばいつも 口笛を吹きたくなりて 吹きてあそびき 石川啄木 |
令和4年11月20日 | 老い |
山小屋の裏山は冬になるとほとんど丸坊主になる。 その山の木を見ていると、もう二度と葉などつけないのではないかと思えてくる。 ところがどうだろう。春になると見る見る新芽を出し、みずみずしい葉をつけてくる。私は心底羨ましい。 春夏秋冬ひと巡りすれば、青葉若葉ー紅葉ー落葉となるのは当たり前なのだが、人間はひと巡りすれば老いていくだけで、どこからも新芽など出ない。白髪が春になると若々しく黒ずんでくるなどということはあり得ない。 木だって年々確実に老いているのに、新緑をキラキラ光らせて、驚くほど若返る。 おい、お前たち、うまく化けたもんだな。 そんなことを思いつつも、精気をいただこうと、今日も山道を歩く。 山道も 落ち葉で着飾り 冬支度 |
令和4年11月13日 | 冬が来た |
冬が来た。 モミジがすっかり葉を落として、からりと空がひろくなった。 晴れた日は底抜けに明るく、曇った日は木枯らしがヒューヒューと裸の枝を鳴らす。 そのうちにほそい寒月が空にかかって鋭い光を放ち、天も地も凍てついて、息もしないかと思われる。 うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ 良寛 |
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雲海 | 落葉松 | 巨大なキノコ |
令和4年11月6日 | 誕生日 |
この歳になると、薪割、窯焚きは疲れて無理。山登りなど出来ないのでガイドブックを見て、懐かしんでいる。 花の盛りを家の書斎で思いやって過ごすのも良いものだ。 過去の山行の足跡をなぞった地図はもうない。何処の山に登ったかも定かではない。 駄目、駄目、駄目の、七十五歳の後期高齢者。 自然に春夏秋冬があるように、人の一生にも四季がある。だから老年期は冬である。健やかに老いていきたいものです。 あるネイティブアメリカンのある種族は「若い」と「美しい」を同じ一つの言葉で、「老い」と「醜い」をやはり一つの語で表現するそうだ。中身で勝負とか言っても、かなしいかな、それが相手に通用するかどうか。 自信と自惚れの境めが、年をとるにつれて難しくなる。 妻の目に 菊かがやいて 年重ね |
令和4年10月30日 | 空 |
八ヶ岳は雪で真っ白です。 25日山小屋で初雪です。例年より大分早いです。 今年もキノコは豊作で、クリタケがたくさん採れます。 夕方や朝方、空がとてもきれいな色になってきました。 もう、冬が近いんですね。 冬支度 している妻と二人かな |
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令和4年10月23日 | 母娘旅 埼玉県 福島香子 |
箱根の塔ノ沢温泉は、霧の中にあった。 三百七十年余りの歴史を誇る宿は、早川の流れに臨んで建っている。静かな絹の雨が、娘と私を迎えた。 右横から書かれたビールの広告文字の入った大鏡。歴史を刻んだ鏡の中に二人は並んで立っていた。 私の人差し指に、ぎゅっとつかまってチョコチョコついて来た娘。あれは昨日のことのように思う。 鏡から出た二人は、揃いの浴衣で露天風呂へ向かった。 「お母さん、二人で旅に行こう」 私をつれて来てくれた娘に感謝した。 二人で過ごしたこの一日は、だいじな宝物として、私の胸の奥深くにしまった。 |
吹かれ来て 道さえぎれり 赤蜻蛉 山の小屋 手に届きたる 秋の星 ドンクリを 一つ拾った 秋みつけ 青空に 老いの手かざし 林檎もぐ |
令和4年10月16日 | 夕暮れ |
夕暮れが来ると、秋の山は紫にかすむ。 秋の月、光はやわらかく、青い夜もあり銀色の夜もある。晴れた晩でも、曇りの晩でも、人にものを想わせる。 細い銀色の雨は、さても淋しげに山に降る。 しとしとと晩秋の雨には、誰だって哀感に誘われてしまう。 いわし雲 世は生臭き ことばかり |
令和4年10月9日 | 大学生の一行詩 |
部屋を片付けていたら、去年のちょうど今頃、父親がくれた手紙が出てきた。 読んでいたらマジで泣けてきた。 やっぱ家族はいい。近いうちに帰ろうと思う。 父の日のプレゼントを買った。五百円のネクタイ。すごく喜んで、今日しめてった。 ごめん。いつもありがとね。 |
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山小屋の庭ではジコボウ(キノコ)が沢山採れます。栗も木が大きくなり良いものが沢山採れるようになりました。 |
令和4年10月2日 | 蜩 |
山小屋の秋は早い。 ミズナラの葉が黄ばみ染め、山ツツジの葉が赤らむ。 ニッコウキスゲは青く固い実をつけ、ヤナギランの実は、朱赤のさやの中に豆の実のように稔って、熟すとはじけて白い綿毛が美しい。白樺、落葉松にも早い秋が訪れているけど、草紅葉の燃えはじめの色の美しさを何にたとえようか。 日本は四季がはっきりしている。 朝顔は朝に咲き、夕顔は夕方に咲く、花は地上に咲き、鳥は空を飛ぶ。 地上の生物はそうやって限られた時間と空間を分け合って生きている。 人の世は 蜩鳴いて 暮るるかな |
令和4年9月25日 | 吉田孝子 群馬県 |
園児が空を見上げて、ワイワイ騒いでいる。 保母が一緒に見上げニコニコしている。 "何だろう ? 飛行機雲かなぁ " やがて保母が、給食室に入ってきた。 "子供が雲を見て、海みたい、波みたいと言うんですよ。かわいいですねえ " どれどれ、私も空を見上げる。 まあ、きれいな空だ。何ていう雲だろう。 これを見て海を想像する子。それをかわいいと受けとめる先生・・・・・。 私にそんな心のやわらかさがあるのだろうか ? あの雲のような。 |
令和4年9月18日 | 黛まどか | ||
父から俳句の手ほどきは受けませんでしたが、今振り返ってみると、父は俳句の中にあるような生活をし、その環境の中にいた私も知らないうちに、季節を肌で感じる生活をしたことで、素地は培われたように思います。 小さい頃の思い出で、一番覚えているのは、毎年お月見になると、山の中にススキなどを採りにいった事。 単車の後ろに乗せられて、秋の七草などを探しに行く。家に帰ると、祖母と母がおだんごを作って待っていました。 また、父は万葉集の勉強会を仲間とやっていて、その仲間との旅行は毎年、京都・奈良でした。その旅行に私も連れて行かれました。 ただ、「あれが大和三山、あれが畝傍山だよ」とか言われても、暑いし、疲れるし、子供の私にとってはつまらなかったことを覚えています。 子供からみれば芋虫みたいな花が垂れ下がっている地味な花を、大人たちが「花木五倍子だよ、キレイだね」なんて語り合っているのを聞いて、「俳句をやっている人って、風流ぶっちゃってイヤだな」なんて、思っていました。 今になっては、とても贅沢なことをしていたんだ、とわかります。 |
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