![]() |
![]() |
![]() |
令和5年12月31日 | 除夜 |
庭には紅い実をつける植物に事欠かない。 私は紅い実が好きなので、千両、万両、カマツカ、南天、まゆみ、ツリバナ、ガマズミ、梅擬 等々、木々がかなりある。 紅い実のなる木々を眺めて心を弾ませるのも、またよきかなというところである。 |
|
山崎ナオコーラ 江戸時代後期には、「死に絵」 というものがあったらしい。 現代の日本では、人が死んだときに遺影を飾られがちだ。私はそれを嫌だな、と感じてきた。 私が死んだときは葬式を出さないで欲しいと家族に頼んであるのだが、その理由は、遺影を出したくない、 死に顔を見られるのがつらい、骨を見られるのが恥ずかしい、といったようなことだ。 生きている間も、「ぶすは作家になるな」 「ぶすは隅っこで生きろ」 とさんざん揶揄されてきていい加減うんざりしているのに、 死んだあとまでヴィジュアルで愚弄され続けるのは耐えられない。 死んでいるのだから耐えるも耐えないもないと思われるかもしれないが、とにかく嫌なので、たとえ家族の手を煩わせるとしても、葬儀も戒名もなしにして、他人には一切 「死んだ」 という報告はしないで欲しい。 でも、絵のうまい友人に死に絵を頼んで必要な人に見せてもらうのはいいかもしれない。 |
令和5年12月30日 | 年賀状 |
不幸は突然人の後ろから切りつけてくる。 医者を選ぶのも寿命のうち。 肉体的な苦痛に人間はどんなに弱いものかということは、自分の経験からよく分かった。 また精神的に弱い人も沢山いるんだということも分かった。 友人からの今年の年賀状。 |