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令和7年5月25日 | 土筆(つくし) 高橋治 |
近ごろ、庶民の生活からとみに消えたのが、昔話と摘み草だろう。テレビと道路の舗装が元凶とは小生の妄説。テレビを消して野に出ようではないか。 つみ捨てて踏付がたき若な哉 路通 蕉門にあって独自の境を開いた人で、乞食僧にまで身をおとした。春に誘われつい摘み草をしたが、乞食に煮て食う術もない。捨てはしたものの踏んで去る気になれず立ちつくす。万緑中の自省の句だけに、哀切感が身にしみる。路通にならって、愚生も自省の句を一句。 過ぎし日の悔い群れ立てるごと土筆萌え 福田甲子雄にも秀句がある。 われ死なば土葬となせや土筆野に |
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シラネアオイ | 血潮モミジ | 黄花カタクリ | 楊貴妃桜 |
令和7年5月18日 | 野崎禮子 横浜市 |
姑(はは)の足腰が弱くなり、散歩の時は、私の腕に両腕ですがって歩くようになった。あまりの重さに、「お姑さん杖を使ったら」 「いやだよ。昔まだ目の見えていた時、杖をつくお年寄りを見たけれど一寸淋しそうだったもの」 「でも杖使うと楽よ」 「あんたさえよければ、こうしてつかまって歩きたいのだけれど」 目も耳も不自由な姑。そのうえ杖をついて歩く自分の姿を思い浮かべたのだろうか。 あんなに何事にも厳しかった姑が、ますます力を入れて、全身を私に預けてくる。 そう思ったら、姑の重さも軽く感じられるのは不思議だった。いいわよ、いつまでもつかまっていて。 |
令和7年5月11日 | 西施 |
西施は中国の代表的美人として、楊貴妃と並び称せられる女性の名前です。ただし並び称せられるといっても、時代はずいぶん違い、楊貴妃が八世紀、唐代の人であるのに対し、西施は紀元前五世紀、孔子とあまり違わない春秋時代の人ですから楊貴妃に比べてはるかに霞のかかった伝説的存在で、古い文献では、名前は出てくるものの、どういう女性であったかは何もしるされておりません。 しかし、後世の伝承としては、楊貴妃が肉づきのよい豊満な美人であったのに対し、西施はほっそりした、日本流にいえば柳腰の美人だったということになっており、胸を病んで眉をひそめる姿が素晴らしかったなどといわれております。 芭蕉が象潟の景色を見て、西施を想い浮かべたのは、太平洋側の松島の明るさに対し、象潟はさびしく悲しく、うらむが如しという印象だったかららしい。 |
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咲きだしたばかりの庭の草が、今朝はもう、それは小さなこんもりとした森を作っている。草の命のなんと旺盛なことか。 |
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ムシカリ | 黒文字 | 御殿場桜 | 馬酔木 |
令和7年5月6日 | 細川護熙 |
旅にあこがれ、旅に慰めを見出す人は多い。日常の雑事に追われていると、旅への想いがいやますのを経験するのは誰しものことだろう。しかし、旅をこそ日常とした人がいる。松尾芭蕉だ。 「おくの細道」は芭蕉に同行した曾良が 「此のたび松嶋・象潟(きさかた)の眺共にせん」 としたと書いているように、松嶋・象潟を眺めるのが大きな目的だった。 わたしは「奥の細道」最北の地でもある象潟を訪れてみた。 象潟や 雨に西施が ねぶの花 西施(せいし、 中国四大美女のひとり) 今見る象潟は芭蕉の見た象潟ではない。海の中に島々が浮かんでいたその光景はちょうど二百年前の文化元年の大地震で隆起した地面のために失われ、その後の干拓によって稲田に生まれ変わった。 わたしは、蚶満寺のあたり、刈り取りを終えた九十九島のあぜ道を歩いたあと、海から象潟にたどり着いた芭蕉を慕って浜辺に出て、鈍色の日本海を眺めた。 |
令和7年5月5日 | 西脇郁子 三重県 |
脳出血による左上下肢機能障害、身体障碍者二級という肩書が私についた。四十八歳の春のことでした。 悲しんだり、苦しんだり、元気な人を羨ましがったり、心は千々に乱れる日々を送っていました。 そんなある日ラジオから流れてる永六輔さんの声。 「障害者も五年もすればベテランだ」 という言葉に頭をゴツンとやられた気がしました。ちょうど十年目のことです。 五年でベテランなら、私は超ベテランだ、うかうかしてられないぞ、と自分に言い聞かせ、前向きに生きてゆこうと心に決めました。 その一言が私にはとても大きな生活の指針になりました。そしてまた、八年が過ぎようとしています。 |
令和7年5月4日 | 山口千恵子 愛知県一宮市 |
寝たきりだった姑が逝って、もう百ヶ日が過ぎました。介護の大変だったことは日がたつにつれて忘れかけています。 ベッドの上の姑は赤ちゃんのようなつぶらな瞳で、曽孫にお菓子をもらって嬉しそうに笑っていました。 自分の子供達は忘れてしまっても、嫁の私だけは、最後まで覚えていてくれました。 もうおじいちゃんに会えましたか。弱ってしまった足でころばずに行けましたか。 杖を二本も持って行ったので、多分大丈夫でしょうね。 嫁いだ三人の娘たちに支えられて、最後まで家で看ることが出来ました。娘たちありがとう。 さようならおばあちゃん。おじいちゃんによろしくね。 |
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家族の日常を綴っただけのエッセィにいい歳をした老人が「うっうっ・・・」と声がもれるのを必死にくいとめようとしながら泣くのである。いやはや、これは一体どうしたというのか・・・・。 「要するに、年をとったんですよ」妻はそう言って笑う。たぶん彼女の言う通りなのだろう。 世の中にはある環境や、ある年齢になってみなければわからぬことが多々あるものだ。 |
令和7年5月3日 | 高橋治 |
一時に咲き出した山の花に、ひと息の休止期が訪れると、うつぎの出番が来る。 恐らく日本では一番優しい季節の訪れだといえるだろう。 うつぎは里にも咲くが、どちらかというと山の花である。 うつぎは幹が中空だから空木と呼ばれる。ことほど木は頼りない。 だが、うつぎは"打つ木"だともいわれる通り、木釘はこの木から作られる。 人間も同じことだが、外見ではなかなか秘めた性格はわからないものなのだ。 |
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うらうらと山茱萸の咲く枯木中 中村嵐石 冬の去りきらぬ山を黄に彩るから、牧野富太郎が「春黄金花」と名付けた。源平時代悲恋の民謡ひぇつき節の”庭のさんしゅゆ”は薬味の山椒のこと。実が美しいことを知って読むと次句意味深い。 山茱萸の黄にかがやきて身籠れる 芳沢かつ子 山茱萸はミズキ科の落葉小高木、長さ約1.5センチの実が秋に紅熟するので「アキサンゴ」の名もある。 |
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姫辛夷 | クリスマスローズ |
令和7年4月27日 | 子供 |
父へ 母へ・・ 孫は可愛い でも 我が子は 幾つになっても一番 その言葉、私は嬉しかった。 小林朝子 (東京都 31歳) おとうの骨壺 言いつけ通り、例の滝壺に沈めるよ。 でもさあ、冬は寒いんじゃない。 藤林一正 (東京都 33歳) 父ちゃんのこと嫌ってた私が 一番父ちゃんの墓参りしてるなんて 笑っちゃうよね! 高崎久美 (千葉県 31歳) |
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辛夷 | 山茱萸 | ふきのとう | カタクリ |
令和7年4月20日 | 佐藤貞利 岩手県北上市 |
冬用のセーターなど整理していたら、妻の物がでてきた。 小二の息子が、「お母さんのだ。おかあさん思い出すな」と言った。 妻が亡くなってもう半年が過ぎた。 つい最近まで、星占いを見てもお母さんの星座が良いとか騒いでいた子供たち。 私の頬に涙がつたわった。 |
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野の仏桜の雨の降りませと |
令和7年4月13日 | 熊 |
彼女と山にいるとき熊に出会ったら、「おれが、熊と闘う。君は逃げろ」という。 すると、彼女が走って逃げだす。で、熊は走って逃げる彼女を追いかける。熊は、背を向けたものを襲う習性があるから。 で、おれは、彼女が喰われているあいだに、ゆっくりと逃げればよい。 男友達と山にいるとき熊に出会ったら、「一緒に走って逃げよう」 「一緒に走り出せば、足の遅い方が熊に食われる。で、その男が喰われている間に、もう一人が逃げればいい。足の速い方が助かる。恨みっこなし」 |
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お遍路やぼちぼち俺も逝く支度 |
令和7年4月6日 | 関川千代乃 群馬県利根郡 |
私は娘時代は編物教室で講師などをしておりましたが、何の因果か農家に嫁いでしまいました。 大自然との闘いである農業生活には慣れました。 けれど、貴婦人のように着飾った同級生たちが集うクラス会に出席するのは、とても勇気のいることでした。 なぜなら私といえば、金時の火事見舞いのような赤い顔、手は熊手のようにささくれだっていました。 でもやっと今になって農業の素晴らしさがわかってきたのです。作物を育て収穫する喜び、広い庭園、小鳥たちのさえずり、悠久の時を刻む満天の星、西の地平線には沼田市街の夜景が宝石のように輝いています。 二十五年目にやっと知り得た幸せでした。 |
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菜の花は何にもまして春の色 |
令和7年3月30日 | 徳富蘆花 |
徳富蘆花の夫人愛子が、身体の不調を訴えたので、入院することになった。蘆花が見舞いにゆくと、たまたま、若い医師が来ていて、そばにカルテが置いてある。備考の欄に、ドイツ語が書かれている。むろん読めはしない。 「ご心配はありません。すこし過労というだけで、すぐよくなるでしょう」 と医師がいうので、ホッとした蘆花がドイツ語のところを指さして、「悪性の病気とでもいうのかと思って心配しました」というと、若い医師が、ハッとした表情をしたのを、作家の目は見逃さなかった。 「本当でしょうか、このドイツ語が気になる」となお食いさがると、医師は困ったような顔で、 「これはつまりですね。ご夫婦の仲がよすぎるという意味なんです」 |
令和7年3月23日 | 浅田次郎 |
いよいよ花の季節である。梅が咲き山茱萸が咲き、辛夷が咲けばじきに、めくるめく桜の洪水が押し寄せる。 日ごろ花を愛でる心のない人でも、さすがにこの季節ばかりは気もそぞろになる。古来わが国では、花といえば桜の意であった。 生き別れ死に別れ、裏切られ傷つけられ、あるいは大切なものを捨てたり壊したり、ぼろぼろの一年であったけれども、桜はわずか数日の花の命で人の心を満たしてくれる。すなわち物や金や時のあるなしではなく、花の心を感じ取れなくなった人間こそが、本当の不幸である。 その伝でいうなら、このごろ不幸な人間が多くなったのかもしれない。 |
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雨上がりやさしき春の朝日かな |
令和7年3月16日 | 老い |
まだまだ (老い) というものに慣れていない。 いつまでも老人初心者だから、どうにも不愉快で、不愉快というのは自分が元気がないという状況に対しての不愉快です。 三食薬漬けという有様で、もう駄目です・・・・「駄目」 と口に出して言うのは、まだどこかで大丈夫だと思っているんでしょうか? 人は最後に大変な初体験が待っているわけだが、人生、成り行き。 別の言い方で、われわれには未来があると言ったときに、常に未来というのは明るいというイメージがありますが、本当はそうじゃないんですね。未来は死だったりするわけです。ですから死というものが自分の未来だと感じられたら、覚悟は出来ますということをホスピスの先生から伺ったことがあります。 小雪舞うたそがれ時、私は諏訪湖畔の桟橋に立って夕日が沈むのを見ていました。 |
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紅万作 | 2/15 | 24/11/15 |
令和7年3月9日 | 褒 (ほ)める |
ちょっとでもいいところを見つけて褒めるって、すごく大事なことです。 私は褒められ慣れていないので、たまに褒められるとへどもどしてしまって居心地が悪く、だからきっと他人もそうなんだろうと思って、誰かを褒めようとすると異様にぎこちなくなってしまう。 でも、誰かにとって希望と支えになるのは、当然ながらけなし言葉ではなく誉め言葉なのだ。 ぎこちなくてもいいから、今後はじゃんじゃん自他を褒めていこうっと。 ネッ、正直でしょ、どうか正直の頭に神宿りますように。 |
令和7年3月2日 | 雪 |
今年は暖冬と思い込んでいたら、今朝、山小屋は薄い雪に覆われて、目が洗われるようであった。 山小屋は、白い小梅の花が咲き満ち、待ちかねていた紅万作の花も、一昨日一気に開いて、庭に灯をともしたようにあたりを明るくしていた。それらの花々の上に、たちまち雪が、花嫁のベールのように薄く広がり、いっそう風情が深まった。 |