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令和7年7月13日 | 外山道子 (長野市 主婦 56歳) |
夫が五十五歳で急逝して四年目を迎えた。日々の雑事や仕事に追われ、あっという間の時だった。 先月、四年ぶりに松本まで中央線に乗った。車窓から懐かしい六月の花が見えた。 白いアマドコロの花とピンクのウツギの花がたわわに咲いていた。 夫とはいつも、信州の山歩きや四季折々の花の旅をしていた。四年ぶりの花々との出会いに胸がいっぱいになった。 トンネルを抜けると、まばゆいばかりの残雪の北アルプスが目に飛び込んだ。どれも夫と歩いた山々だ。 この四年間、ひたすら二人の息子と共に、夫への感謝と思い出を胸に、悲しみは心の底にしまって生きてきた。 山の花々に出会うこともなく過してきた。そうだ、また山歩きをしてみよう。 梅雨も明けた。夫と最後に見たヤナギランの花を訪ねて、夏の山に行ってみよう。 |
令和7年7月6日 | 夕立 |
夕立のあと夕空の残りけり 今井杏太郎 俄にかき曇ったかと思いきや、大粒の雨が降りはじめました。夕立は雷を伴う激しい雨ですが、早く降り止むのが特徴です。 さて、夕立の去ったあとには洗いざらしの夕空が残されました。夕立の濁った空とは比べものにならないほど美しい空です。雨後には涼しい夕風も訪れたことでしょう。 雨もまた良し、そんなゆとりを持って毎日を送りたいものです。 |
令和7年6月29日 | 蓮如 |
蓮如は浄土真宗のお坊さんである。 この浄土真宗の教えをひらいたのは、有名な親鸞である。辞書などでは親鸞に関して、浄土真宗の開祖などという説明がされているので、本願寺を作った人と誤解されることもあるようだが、そうではない。親鸞は関東を中心にすくなからぬ信奉者をあつめ、帰依する人も多かったが、いわゆる教団を組織しなかった。道場で布教はしても、本山といえるような寺はもたなかった人である。親鸞の死後、近親者の手で簡素な墓がつくられる。それはやがて彼を慕う地方門徒たちの協力で廟として形をととのえていくのが、本願寺の出発点である。 八代目の蓮如までの本願寺はすこぶるみじめなものだったらしい。比叡山延暦寺の裾野のはるか下の方につらなる、天台宗の末寺といってもいい影の薄さだったようである。蓮如はそんな寺に、使用人として働いていた「いやしき女」を母として生まれた。 蓮如にまつわるエピソードは、数えきれないほど多い。なかでも有名なのは、彼の子沢山と、八十過ぎて子供を作ったエネルギーに関する話題である。なにしろ生涯に五回結婚し、二十七人もの子供を産ませたのだから。 「相手が若けりゃ、俺にもできる」と胸を張った作家もいたが、空威張りのような気もしないではなかった。 |
令和7年6月22日 | 水垣洋子 |
ほのかに匂う 沈丁花 あのときと同じ道 あのときと同じ匂い 違うのは わたしだけ |
令和7年6月15日 | 野鳥 |
この季節、早朝薄暗いうちから野鳥たちがさえずり始める。 心地よい目覚め迄のひと時、ぼんやりと野鳥たちの声を聞き分け、その姿や名前を思い浮かべてみる。 かっての私なら聞き分けられなかったが、最近少しわかるようになってきた。 書を伏せて午睡「唐詩選」の音りんりん 万巻の書読み残しておれガンになっちゃって |