令和8年3月22日 韓国語
「生ハム煮たらハムだ」
「ようチョン切れる鋏(はさみ)だ」
「そっち女性用」
早口で言うと韓国語に聞こえるという。
咲くという大志にさくらさくらかな

令和8年3月15日 印象
「いい人だけどだらしがない」と言うと、聞き手にはだらしない印象が残るそうです。
「だらしないけどいい人だ」と言い換えると、そうか、いい人なんだと受け取るものなんだそうです。お試しを。
白梅や父に未完の日暮れあり 櫂未知子
白梅の咲き始める早春の頃、人生の日暮れを見ることもなく、この世を去った父。

令和8年3月8日 阪田寛夫 「サッちゃん」の作詞者
おかあさん としをとらないで
かみがしろく ならないで
いつでもいまの ままでいて
わらっているかお はなみたい

おかあさん はながさきました
かぜもそっと ふきますね
いつでもいまが このままで
つづいてほしい おかあさん
阪田は娘が結婚する時、自分の葬式の準備をしている。
阪田「青山葬儀場で音楽葬にするか、ほんで、お前と妹は『おとうさま』言うて、俺の柩にすがってよよと泣くねん」
阪田の妄想は際限なく広がっていく。
娘「誰が泣くかいな。だいいち『おとうさま』てどこのどいつや」

令和8年3月1日 阪田寛夫 「サッちゃん」の作詞者
サッちゃんはね サチコって いうんだ ほんとはね
だけど ちっちゃいから じぶんのこと サッちゃんて よぶんだよ おかしいな サッちゃん
サッちゃんはね バナナが だいすき ほんとだよ
だけど ちっちゃいから バナナをはんぶんしか たべられないの かわいそうね サッちゃん
サッちゃんがね とおくへ いっちゃうって ほんとかな
だけど ちっちゃいから ぼくのこと わすれてしまうだろ さびしいな サッちゃん

大阪阿倍野の南大阪幼稚園に「サッちゃん」の詩碑がある。塀の外側にあるので、誰でも見ることができる。
本人はおそらく照れて小さくなっているいるだろう。

令和8年2月22日 川柳 田辺聖子
お父さんうちにお金がありますか 木下愛
聞かれた親は多いと思うわ。「あるある」って言ったりして。言うだけでも景気ええやないかと思って。
「どこに」と聞かれて「隠してある」
うちにいた貧乏神は飢えて死に

令和8年2月15日 お寺
お寺に行けば、境内をぶらりと歩くだけで、おのずといろいろなものが目にとまる。単なる観光でもいい。
一瞬ではあっても、日々の暮らしの中で忘れ去っていたことを思い出させてくれるひとときが貴重なのだと思う。
山白く 冬菜は青く空深く
口あけて受けて笑って牡丹雪

令和8年2月8日 小山岑一 小山富士夫子息
北大路魯山人について著されたやきものの本は、私が目にしているだけでも五十冊を超えている。それ程ここ四十年、陶芸の世界でインパクトの強い人なのだと思う。
同じ鎌倉なので、先生が時々父を訪ねてみえた。来られるタイミングは十分か十五分前に分かった。酒屋からガンガンに冷えたビールの小瓶が一ケース届くからである。酒屋にきつく時間を言ってある。
ある時、道すがら魚屋に寄り、目にかなった魚を持ってこられ、「俺がさばく、包丁を」と。その手際の良さ。刺身も焼き物もあっという間だった。煮物のタイミングの絶妙さ・・。
先生ほど食いしん坊はいない。今は叶わぬことだが、鶴も食べたし、サンショウウオも食べた。サンショウウオに包丁を入れた時には山椒の香がしたと言っておられた。
第五回 楽陶の会小品展 楽陶の会小品展は下諏訪町図書館で、令和八年二月七日〜二十三日におこなわれます。
会員25名が個性豊かな作品100点を展示します。

令和8年2月1日 小山岑一 小山富士夫子息
濱田庄司先生の葬儀の光景が今も瞼に焼きついている。
濱田邸には、先生が一番よく使っておられた陶房に祭壇が設けられていた。
読経が済み、親しい方々が棺を担ぎ、広い邸内を隅から隅までくまなく二度巡った。棺を見送って私は邸内に残った。
三つの長屋門や陶房を見ながら、もう二度と先生の口から教えていただけないさみしさをかみしめた。

令和8年1月25日 魯山人
魯山人の生き方は、白崎秀雄というドキュメンタリー作家のレポートに詳しい。魯山人の奇行、性癖やねじ曲がった性格に肉薄した優れたルポルタージュだ。白崎は魯山人の生前、非常に嫌悪感を持っていた。しかし、死後、彼の軌跡を辿るうち、いつの間にか惹かれていったと告白している。
思うに、常人が芸術に身を売り渡した時に起こる悲喜劇に白崎は共感したのだと思う。人は自身の欲望の前では脆い。特別に美しい物に対しては、その美が理解できた瞬間、絶対に隷属するしか無くなる。
何という悲劇、美を妄信してゆく果てには地獄の釜しかないのだ。
そんなドグマが魯山人の作品には百パーセント固着している。どんな駄作にも、である。だから人気が衰えない。
24日 二班の新年会 カフェ トコロテラス (寒天工場併設) 12人参加
二班の今年初めての会食。楽しい話題と美味しいところてん料理。売店には珍しいものが。風邪で二人欠席は残念。

令和8年1月18日 浦上玉堂
浦上玉堂は江戸時代後期の文人画家として知られる。しかし、玉堂本人は絵で生計を立てることを拒み、七絃琴を奏でる琴士として後半生を生きた。玉堂は前半生を順風満帆にエリート武士として過した。しかし四十歳からは琴、詩、書画の世界に深く傾倒し、ついに五十歳に至り脱藩。武士の生き方を捨てる挙に出る。
以後は愛用の琴を携えて旅を繰り返し、晩年は人気画家に成長した長男春琴と京都に落ち着き、弾琴と作画の日々を過した。
羨ましいほどに見事な老いの姿だか、玉堂の後半生は、単なる幸運によるものではなく、周到な人生設計がもたらしたものだった。藩の批判を受けた三十歳代からの琴や画の修練、文人・画人たちとの交流は、老いを見越して、後半生を文人として生きるための先行投資だったのだろう。
16日 一班の新年会 下諏訪町居酒屋つくしで13人参加。
美味しいステーキランチとワインでおしゃべり。二次会はハーモ美術館のカフェでまたおしゃべりをしました。

令和8年1月11日 教える
ある意味で、教えることは簡単である。長年蓄積してきた技術や知識を教えることはそう難しことではない。
入会する生徒さんは当然作り方を教えてくれるのを期待している。確かに、教えれば飲み込みは速い。
ところがこれをすると、教える人の影響が色濃く表れる。しかし、それと芸術作品を創る才能とは別ものだ。
教室で生徒さんに作品を作らせると十人いれば十通りの作品が生まれる。
思いっきりのいい豪快な作品を作る人、慎重で繊細な作品を作る人。持って生まれた才能は文字通り千差万別です。
作品は基本的には自分で考え自分で作りだすもの。
先生は生徒さんの才能を自覚する手助けをすることと言えるかもしれない。

令和8年1月4日 福寿草
季節と花は不即不離のものだが、日本では幾種類か特に季節と強い結びつきで考えられる花がある。福寿草はその代表選手と言える。
花よりも名に近づくや福寿草 千代女
新たな年にはだれもが良いことを祈る。才女伝説、美女伝説の主人公はそこを見逃さなかった。
日記にはまだ何も誌(しる)さず福寿草 遠藤梧逸
平易でありながら、新年の人のありようを巧みにとらえている。九十歳をこえてご健在と聞いた。富安風生の弟子。風生も長寿の点では劣らない。
いたはりに狎(な)れて籠りて福寿草 富安風生
人様のいうことを聞きおとなしくしているが、呆けてはいないぞとにらむ稚気が感じられる。
師弟の長寿にあやかろうではないか。

令和8年1月3日 進化
楽陶の会で毎年行っているやきものの旅で見た美術館などの国宝の壺や茶碗は四・五百年前のもの。
六古窯の有名な窯元も見学しましたが、すでに完成された作品です。
スマホを使っている現代に生きる生徒さんには胸に響かない、分からないかもしれない。
私は、今まで展覧会作品や個展で展示するものなど作ってきましたが、今年から過去に作らなかった、自分でも面白いなあ、というものを作っていきます。オブジェ、陶画など、生徒さんの欲する陶芸に対し「どこからでも向かってきなさい」ということの出来る先生でありたいです。もしかしたら何年か後に、あの時私は少し成長したと振り返れるかもしれません。

令和8年1月2日 長谷川純子 49歳 埼玉県
今日は父の17回目の命日・・。
26歳の時、父の大反対を押し切って結婚した。音楽家という職業の彼に嫁ぐ私の苦労を心配しての反対だった。
結婚したその頃、私は朝6時半に家を出て、バスと電車で浦和というところに勤めていた。12月のある寒い日だった。残業があって、駅に着いたのが夜8時近かったと思う。夕食の支度の順序を考えながら急いで階段を降りていくと、そこに寒そうに立っている父の姿があった。結婚を決めてから一度も口をきいていない父だった。びっくりして「何をしているの?」と聞いたら「夕食のおかずを買っていこう」と一言。「好きなものを買いなさい」と、駅近くの総菜屋に寄り、持たせてくれた。荷物を受け取った時ちょっとふれた父の指先はすごく冷たかった。「どうだ、元気か?」「うん、大丈夫」「そうか、風邪ひくな」とそれだけの会話だった。バス停まで父がついてきてくれた。父はそのバス停から家まで一時間近くかかって寒い中歩いて帰っていくのだ。私の帰宅時間など知らない。ずっと駅で待っていたいたのだろう・・いつまで待つつもりだったのだろう・・。バスが動き出したとたん、涙が出てきた。止まらない・・。周りに人がたくさんいるのに、がまんできずに声を出して泣いてしまった。
何時に駅につくのかわからないのだから、やめてくれるように言ったが、その後も何回かそんなことがあった。
嫁いで24年たつ今でも、あの時の父の顔をはっきりと覚えている。そして思い出すたびに胸が熱くなり涙が出てくる。
「お父さん、ありがとう」 とうとうその一言を言えずに、私も駅で待っていてくれた父と同じ年齢になってしまった。
今夜は父の写真に、大好きだった日本酒を供えます。

令和8年1月1日 楽陶の会
定年退職して19年となろうとしています。下諏訪町に「陶芸の灯」をともし続けてきた年月と重なります。
楽陶の会に入会資格も入会届もありません。ましてや、入会金や組織図の類もありません。
陶芸って楽しい!と思った人が勝手に入ってきて陶芸を続けています。

本年、年頭の句は、
生きること ようやく楽し 老いの春