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令和7年8月24日 | アンドルー・マーヴェル |
墓所は静謐なるところ されど、そこに在りて幸いなる者はなし |
令和7年8月17日 | 河瀬直美 映画作家 |
わたしには両親がいない。育ててもらったのは、母方の叔母にあたる老夫婦だった。彼らには子がなく、本当は私の母を養女にもらいたいと願っていたのだということを成人してから知った。養父は、こつこつと自分の暮らしを愛おしむように生きていた。偏屈でとおっていた部分は、かたくななまでのこだわりを捨てられない彼の資質であり、わたしはそこにあこがれもした。 中学二年の秋、養父が突然倒れた。悪性脳腫で余命数ヶ月、彼はわたしに「なおみに残しておきたい言葉があるからテープレコーダーを持ってきてくれ」。わたしは、それが養父の死を意味することだと悟り、彼からの願いを聞き入れなかった。ほどなくして、彼は世を去る。わたしは、大きな糧を失った。 あれから二十年以上の養母との日々は静かに過ぎ、わたしに家族と呼べるものができたとき、養母の認知症が発覚する。その現実にいたたまれず冷たくあしらってしまう自分をまた悔やむ日々。彼女に少しでも元気になってもらおうと、結婚式を計画したわたし。 前日の夜、わたしは一人で自宅のお風呂に浸かっていると、養母がノックして風呂場に現れ、背中を流してやると言ってきかなかった。彼女はわたしの背を丁寧にこすりながら 「あんたが幸せやったらわたしはそれでええんやで」 と呟いた。親はいつまでたっても、どんな状態でも親として偉大であり、そんな人たちの前で子はいつまでたってもちっぽけな存在でいていいのだ。張りつめていものが溶けるように、わたしを包んでくれた養母のひと言だった。 |
令和7年8月15日 | 川端康成 |
友みなの いのちはすでにほろびたり われの生くるは 火中の蓮華 (友達は皆死んでしまって世におらず、私だけが生きている。こうして、生きのびていること自体が信じがたいことだ) 人の心の闇は測りがたい。 昭和四十三年川端康成は日本人初のノーベル文学賞を受賞したが、その四年後、ガス自殺する。 『伊豆の踊子』をはじめ、わかりやすい文章で日本の美をつづった康成の文学。その奥にはひっそりと孤独がうずくまっていたような気がする。掲出の句の「火中の蓮華」は、仏教用語で"ありうべかざること"を意味するという。 最高の栄誉に輝きながらも、生きる意味に作家の魂は苦悶していたのだろう。人の闇の深さを見る思いがする。 昭和四十七年四月十六日自殺 享年七十四 |
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天の川 俺にも俺の さみしさが |
令和7年8月14日 | 教えることは学ぶこと 森本毅郎2 |
この番組で、斎藤さんは語りたいと思うことを必死で吐き出したようだった。というのも、斎藤さんの体調はその頃決して良くはなかったからである。斎藤さんは病院から局に出向き、収録が終わるとまた病院へ戻るという無理を通して収録を乗り切った。 「死ぬ前に、いいたいことを言っておかないとね。この番組はぼくの遺言状みたいなものですよ」 全部の収録が終わった時、斎藤さんははじめて笑った。あの郵便貯金ホールで見たはげしい斎藤さんとは別人のような、やさしい笑顔だった。それから半年後、斎藤秀雄さんはこの世を去った。 「女性手帳」の最初の出演者が斎藤秀雄さんであったというのは、いま考えてみると私にとってとても恵まれた出会いだったように思う。 私は以来、初対面の印象にあまりこだわらないことにした。これから先、何人の人に出逢うかわからない。そのたびに初めの印象で相手を決め込んでしまっては、語りたいことがいっぱい詰まっている相手の心など読み取ることができないのである。 |
令和7年8月13日 | 教えることは学ぶこと 森本毅郎1 |
「バイオリン、音が聞こえない」「管はもっと抑えて」オーケストラに激しい口調で、斎藤さんの声がとんでいる。 約束の時間を過ぎてもう一時間も待たされている。困ったなあと、私は気が重かった。早くもすさまじい人に出逢ってしまった。。うっかりしたことを聞けば、学生達と同じように私も叱りとばされるのではなかろうか、私は縮み上がった。 昭和四十九年「女性手帳」の第一回は大学教授の斎藤秀雄さんへのインタビューだった。 緊張で固くなった私が、今でもはっきり覚えているのは、斎藤さんが「教える」ということについて語った次のくだりである。 「教えているとね、次第に相手の才能が見えてくるんです」 「才能にあふれている人って、沢山はいないわけでしょう」 「それはそうです。すごい奴とだめな奴、圧倒的にだめなやつが多い」 「で、だめな奴はどうするんです。見切りをつけて捨ててしまうんですか」 私は思い切って聞いた。 「いいえ、捨てません。不思議なんですが、そういう人を教えていると、逆に音楽のむずかしさ、面白さが見えてくるんです。こちらも教えられるわけですよ」 といった。 天才は、こちらが道を示せば自分で歩く。しかし非才な人間には努力しかない。だから、だめだ、だめだといいながら、少しずつその人の持っている一番いいところまで伸ばす。斎藤さんの教育に対する信念が見えた一瞬だったと私は思う。 続く |
令和7年8月10日 | 夏井いつき |
『ホトトギス雑詠選集』という本がある。高浜虚子が俳誌 『ホトトギス』にて選をした俳句をまとめた本なのだか、自在な選による多彩な作品がずらりと並び、驚くやら愉快やら。流石は虚子だと感じ入ってしまった。 出歩きや梅雨の戸じまりこれでよし 高田つや女 俳句ってこれでいいの ? とキョトンとする人だっていると思う。でも、一読ふふっと笑ってしまう。「出歩きや」の五音にウキウキした心がこもっているし、「梅雨」だから雨戸もきちんと閉めて、トイレの窓はちゃんと閉まってたかしらなんて、いちいち指さし点検しているみたいで楽しい。そして最後に「これでよし」って声に出してから、颯爽とお出かけするんだろう。 旅の仕事が多い私としては、「出歩きや」どころか、家に籠(こも)っていられる時間が嬉しい。読みかけの本、読みたい本を積み上げ、あとは真昼のハイボール一杯あれば幸せ。 幾百の本を砦に梅雨籠 |
令和7年8月3日 | 石川達三 |
人間は誰しも、他人から完全に理解されるということはありえないだろう。誤解されたままで生き、誤解されたままで死んでゆく。結局は孤独なのだ。 <私ひとりの私>より |
令和7年7月27日 | 狂歌 |
世の中に人の来るこそうるさけれ とはいうもののお前ではなし 蜀山人の狂歌 江戸時代 (世の中で人が来る事くらい煩わしい事はない。しかし、お前のことではないよ気心の知れたいい奴だからね) を元にして内田百閧ェ、 世の中に人の来るこそうれしけれ とはいうもののお前ではなし |
令和7年7月20日 | 菖蒲あや |
サルビアを咲かせ老後の無計画 小さな家の小さな庭にサルビアの種を植えたら見事に咲いた。朝に昼に夕に、飽かずに眺めている。狭いながらも老後を暮らす家があり、庭もある。老後の計画などはとりたてて何もないが、少なくともサルビアの花は、自分が死ぬまで毎年咲いてくれるだろう。 |
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19日、納涼会を諏訪市の藍屋で、三連休の初日でしたが、13名が出席してしました。 陶芸教室と同様、和気あいあい、日々の生き方、そして陶芸の情報交換まで話し合いました。 こういう会食は仲間意識を高め、皆さんが仲良くなります。出席していただいた皆さんありがとうございました。 |
令和7年7月13日 | 芭蕉 |
元禄七年の五月、芭蕉は病中の寿貞尼(じゅていに)を庵に残して西への旅に出た。芭蕉にとって最後の旅である。 そして六月、留守宅から寿貞の訃報が届く。 「寿貞無仕合せもの、まさ、おふう同じく、無仕合とかくもうしがたくそうろう、・・(中略)・・何事も何事も夢まぼろしの世界、一言理屈はこれなくそうろう」と芭蕉は書き送っている。ここには芭蕉の深い嘆きが込められている。 数ならぬ身とな思いそ玉祭 決して数ならぬ身などと思わないでくれ寿貞に呼びかけているこの句には、大切な人を亡くした哀しみと同時に、彼の心にひろがっているどうしようもない孤独の気配がたちこめている。 |
令和7年7月6日 | 山口波津女 |
香水の一滴づつにかくも減る ほんの一、二滴の香水を手首や耳裏につけ、一日がはじまります。瓶いっぱいに詰められた琥珀の香水。 一滴、また一滴と使ううちに、いつしか瓶の底にわずかに残るだけになっていました。塵も積もれば・・・ですね。 減った香水は、作者が重ねた日々の証でもあります。その中にどれほどのドラマがあったことでしょう。 香水の一滴に等しい一日の積み重ねに、人生はあるのです。 |
令和7年6月29日 | 紫陽花 |
半年があっという間に過ぎた。 年々歳々時の経つのが早くなる。春が過ぎて、夏が来て、木の葉の緑が濃くなり、夜でも暑い日々がくる。 |
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