昭和40年代のノート発見。好きな詩集や言葉が懐かしいので一部紹介する。
詩集で好きだったのは井上靖の「詩集 北国」と伊藤整の「雪明かりの道」。

2007/1/7 完結
   詩集「北国」 井上靖
半生
 亡き将棋の坂田八段は、どうにも出来ぬ一角につい打ってしまった己が不運な゛銀゛を見て言った。「ああ、銀が泣いてる!」と。
生涯をひたすら燐光のごとき戦意もてつらぬき、不逞倣岸の反逆の棋風の中に、常に孤独の灯をかざしつづけたこの天才棋士の小さいエピソードを、これも今は亡き織田作之助の短い文章で読んだ時、私は絶えて覚えたことのない烈しい不安を感じて、つと暗い夜のひらく北の窓に立った。
今にして思えば、この瞬間、私は過去半生から復讐の鋭い銛を身内深く打ち込まれたのであった。べうばう磧のごとき過ぎし歳月、そのをちこちに散乱する私の愚かな所行の数々が、その時ほど鮮やかに私の悔恨を拒否し、過失たることを否定し、私に冷たく背びらを向けて見えたことはなかった。私は己が人生が打ち出した不幸な゛銀゛たちの慟哭を、遠くに郊外電車の青いスパークを沈めた二月の夜の底に、一種痛烈な自虐の思いの中で聞いていたのだ。

「生命ある日に」 女子学生の日記 塩瀬信子
           動脈管開存症で昭和37年永眠 満20歳7カ月 

高校3年 5月12日の日記
 学校の竣工式なので今日はお休み。
修学旅行から皆が帰った日、友だちが諫早で会った叔父さんからと言って葉書を一枚くださった。
それには少しのフランス語が書いてあった。何だかさっぱり分からない。英語の先生にもきき、皆にもきいたが分からない。
で、とうとう徹底的に調べようと決心して、雨に煙る図書室の片隅で、フランス語の辞書と首っ引き。
やっと「雨の如く」だけ出た。そこへ友だちが来て、分かったと言って前後を書き足した。
あとで調べると、ヴェルレーヌの詩集の中にあった。
  
港に雨の降る如く
  我が心にも涙ふる

とあった。
さて、お返事を書かなきゃいけない。一週間ぐらいしてやっとそれに気がついた。私は書いた。

お葉書どうもありがとうございました。
雨の日やっと分かりました。
・・・でも、私の心に雨は降りません。


そして道に咲いている小さな青い花をビンセンに押し花した。
向こうにつくまであせなきゃいいんだけど。
叔父さん、返事下さるかしらん。

「二十歳のエチュード」  原口統三
「病的なほど潔癖でありながら、そのくせ心の底では熱烈なロマンチスト」
これは中野が僕のために作ってくれた最後の名刺である。

「きけわだつみのこえ」  日本戦没学生の手記
  
大井榮光  東大理学部卒業 華北柿樹園にて戦死  26歳
軍隊生活に於いて私が苦痛としましたことの内で、私の感情−−−繊細な鋭敏な−−−が段々とすりへらされて、何物をも恐れないかわりに何物にも反応しない様な状態に堕ちていくのではないかという疑念程、私を憂鬱にしたものはありません。

  柳田陽一  京大文学学部学生 千葉木更津にて殉職  23歳
今夜は最後の夜である。何も思わない。それが私の疑問なのだ。
期待しない。望まない。これが私の理想である。
最後の問−−−歴史とは何であるか。

「山に逝ける人々」 春日俊吉
   鹿島槍荒沢奥壁に仆る 渡辺司夫
「かくてこの道は星まで」  同君の最も好きだった言葉。

「遠くへいきたい」 永六輔
僕は松山に生まれた子規よりも、ここに死んだ山頭火の句が好きだ。「笠にぽっとり椿だった」にドキンとして以来、彼の作品は時おりくちずさむ。
どうしょうもない私が歩いている
曼珠沙華咲いてここが私の寝るところ
風の中おのれを責めつつ歩く
朝湯こんこんあふれるまんなかのわたし
どうでもここに落ち着きたい夕月
何でこんなに淋しい風ふく

八世市川団蔵 85歳
昭和41年6月4日。四国巡礼を終えて、瀬戸内海に投身。死体はいまだにあがっていないという。
辞世
  我死なば 香典うけな 通夜もせず
  迷惑かけず さらば地獄へ

「若き命の日記」 愛と死の記録   大嶋みち子
  1955年ころから軟骨肉腫という不治の病に侵され、1963年夏永眠。21年の生涯

長い電話の中で「風邪をひかないかい」と聞いたやさしい心遣いが嬉しかった。そして私が、こんなやさしい言葉をかけることを知らない女であることを悲しく思った。マコはあんなに私の女らしさを望んでいるのに−−−。

日に日にわるくなっていくのに、何の感情をも人に告げることが出来ない私。誰かの胸にうずくまって思いっきり泣いてみたい。私は不幸な人生を歩んでいるのではない。不運な人生を歩んでいるだけ。

音痴だと笑いながらも 今日も我に
教えんとする 君は愛の歌を

何カ月ぶりかしらないが声を出して泣いた。何が悲しくて泣いているのか私にもわからない。ただ、今度帰らなかったら、この目で西脇を見ることが出来るだろうかと思うと、無性に涙が出たのだ。死ぬほど家へ帰りたい。左目、全然視力なし。

「続男はつらいよ」 坪内散歩先生(東野英治郎)  寅さんを自宅に迎えて
散歩「人生相見ズ ヤヤモスレバ 参ト商ノ如シ・・・と言うことはだな。人間というものは再会するという事が甚だ難しいということだ。」
「う・・・?」
散歩今夕マタ何ノ夕べ、コノ灯燭ノ光ヲ共ニス・・・今夜はまた何という素晴らしい夜であることか、古い友が尋ねてきたのである。お父さんの友だちが来たというので質問ぜめにする子供達に酒を持ってこいと追っ払い、二人は杯を重ねる。夜、外には雨がしとしとと降っている。二人の会話はつきない・・・。明日になれば君はまた別れをつげて山をこえ、私はここへ残る。一たび別れれば、人生は茫々としてお互いの消息は断え果てる。・・・アーア明日山岳ヲヘダツ、世事両
(フタ)ツナガラ茫々ダナ・・・」

この映画を観て柴又へ出かけた。寅さんが登場する江戸川の土手にも寝てみた。

「一握の砂」 石川啄木

かなしきは小樽の町よ
歌うことなき人々の
声のあらさよ

己が名をほのかに呼びて
涙せし
十四の春にかえる術なし
 
    「樹下の二人」 高村光太郎
あれが阿多多羅山
あの光るのが阿武隈川

かうやって言葉少なに座っていると
うっとりねむるような頭の中に
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹きわたります
この大きな冬のはじめの野山の中に
あなたと二人静かに燃えて手を組んでいるよろこびを
下を見ているあの白い雲にかくすのは止しましょう

ここはあなたの生まれたふるさと
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地
まだ松風が吹いています。
もう一度この冬のはじめの物寂しい
パノラマの地理を教えてください

あれが阿多多羅山
あの光るのが阿武隈川

昭和50年10月3日19:30 私は急行アルプス7号で新宿へ、23:55上野発二本松行きあずま2号、バスで奥岳温泉へ。安達太良山の山頂に立ったのは11時でした。 

「胸」 三木露風
 雨ふる庭の哀しさ
 消えゆく胸の哀しさ
 ただ憂いのみ・・・のこる哀しさ
 
盃に推参なしと   古人曰く
盃をすすめるのに   身分の上下   遠慮失礼はない

酒に十得あり
百薬の長にして延命
旅に食あり   寒気に夜あり
推参に便あり   憂いを払う玉箒
位なくして   貴人と交わり
労を助け   万人和合して
独居の友たらん
 
「芸人その世界」 永六輔
三遊亭円朝の弟子の一朝の辞世
「あの世にも粋な年増がいるかしら」

明治三九年に死んだ歌舞伎座の奥後桝井市次郎
彼は臨終に「女房を抱かせろ」といってきかない
親族が協議の末、美人の女房が添い寝をして大往生をとげさせた。
 
「チャップリン」 
「人間が生きていくにはね、いいかい、いくらかの勇気と、いくらかの金があればいいんだよ」 ライムライトより

「書を捨てよ 町へ出よう」 寺山修司
遺書の字はていねいなほどよい。ただし、嘘字の一つくらいはあったほうが、ながく印象に残るだろう。レイモン ラディゲという詩人は「上手な着物の着方は、少しくずして着ることだ。上手な文章も、また・・・」と書いた。

「お花畠」     尾崎喜八 詩集より
いちばん楽しかった時を考えると
高山の花のあひだで暮らした
あの透明な美酒のような幸福の
夏の幾日がおもはれる
残雪や岩のほとりの
どんな花でも嘆賞に値したし
あらゆる花が夕べの空や星辰の
深い意味をもっていた
そこに空気は香り
太陽の光は純粋に
短い休暇が私にとっては永遠だった


コヒマのインパール街道に面したところに、英国の戦没者記念塔が建てられている。
「あなたが故国に帰った時には、故国の人々の明日のために戦って死んだ私たちのことを伝えてくれ」
日本軍に同胞を多く殺されながらも憎しみを超えて、今なおその勇敢さをたたえている“ナガ”の人々。私は無謀な作戦に激しい憤りを感じながらも、この地の人々の胸深く、日本の将兵の最後が輝かしく生きている事を知り、かすかな慰めを見いだした気がするのだ。


「青べか物語」  山本 周五郎
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家の方へ歩きながら、私は興奮をしずめるために、声に出して呟いた。「−苦しみつつはたらけ」それはそのころの私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリーの「青春」に書かれている章の一であった。「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」

この物語は冒頭で「私」が“狡猾”な老人から、青く塗られた「べか舟」を買わされるところから始まります。「べか(べか舟)」とは「一人乗りの平底舟とあるが、写真を見ると諏訪湖の泥船とそっくりです。山本周五郎が大好きだった私は『青べか物語』の千葉県浦安へ出かけた。しかし、町は高度成長という時代の波に乗り、港は埋め立てられ、鄙びた漁師町は『青べか物語』の中にあるだけだった。


「詩人ジョン・キーツの墓碑銘」 
−水にてその名を記されし者ここに眠る−
 
「あすなろ物語」 井上靖
「あすは檜(ひのき)になろう、あすは檜になろう、と一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって。それであすなろというのよ」。と多少の軽蔑をこめて説明してくれたことが、その時の彼女のきらきらした眼と一緒に思い出されてきた。その木の命名の哀れさと暗さには、加島の持つ何かが通じているような気が鮎太にはした。

「悪太郎」 今東光
「紺野東吾 君」
「はい」
「わしは何もお前に与えるものはなかったな」
「・・・・・」
「失望するなかれ、という一句を贈ろう。人間は失望したときが自己放棄であり、失格者だ。失望しない限り、望みはあるのだぞ。」
「有り難うございます」

「千曲川旅情の歌」   島崎藤村
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにをあくせく
明日をのみ思ひわずらふ
いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよう見れば
砂まじり水巻きかえる
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
(いに)し世を静かに思え
百年
(ももとせ)もきのふのごとし
千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
ただひとり岩をめぐりて
この岸に愁いをつなぐ

「忍法おだまき」 山田風太郎
「いかに栄光にみちた人の一生も、仔細にふりかえれば、いずれのころも、悪念、裏切り、奸謀、恥辱、慟哭、血と膿と涙にまみれている。−−−果心(居士)おかげで人間の学問をいたした。」
「人はすべて青春を恋う。おのれの人生をいまいちどと祈る。が、もし、人がおのれの人生をふたたびたどれといわれたら−−−これに戦慄せぬ人間がござろうか。これ以上の地獄がござろうか。
いにしえの しずのおだまきくりかえし 昔を今になすよしもがな。 −−−いや、いや、いや!めったなことで、おだまきの幻術をお望みなさるな。ふぉぅ〜

「あとのない仮名  山本 周五郎
「人は他人のことは好きなように云うさ」と源次は唇を片方へ曲げて云った。「四つ足であるくけだものには、二本の足であるく人間が可笑しいかも知れない。箔屋は土方を笑うだろうし、船頭は馬子を軽蔑するだろう。・・・自分の知らない他人のことを、笑ったり、軽蔑したり、悪く云ったりすることは楽だからな。」

「亡き妻への手紙 絶後の記録」 小倉豊文
夫人は、ものもいえず、小倉さんがさし出した手帖に、こう書いた。「二番目ノタンスノ一番下ニアメトサトウノカンアリ」そして、やがてなくなった。


「都知事選始末記」 阪本勝
フランスの哲人、モンテーニュの随想録に「運命の河」という言葉があるそうだ。私はその和訳3巻を愛蔵しているが「運命の河」という言葉がどこにあるのか、まだつまびらかにしていない。しかし、このたびほど「運命の河」という言葉の意味を実感的に味わったことはない。滔々と流れる大河に身を浮かべてしまっては、些々たる一個人の意志など、どうなるものか。ただ大河の流れに身をまかすよりほか、いかんともできるものではない。

「冷血」 トルーマン カポーティ
われらがあとに生き残る情け深き兄弟達よ
われらに無慈悲なる心をもつなかれ
なぜかなら、もしわれらに憐れみをもたば、
神もそなたらに感謝することあればなり
            絞首刑囚の墓碑銘
”しあわせですか?”ここに住むには気ちがいになる必要はありませんが、それが助けにはなります。

「秋津温泉」 藤原審爾
「時間が全てを解決すると誰でも言う通りです。じっと生きて行けばよいのです。あせらず、悩まずに−−−」

「茶の本」 岡倉天心
西洋人は日本が平和な文芸に耽っていた間は、野蛮国とみなしていたものである。然るに満州の戦場に大々的殺戮を行い始めてからは文明国と呼んでいる。

「悲の器」 高橋和己
友の死にあい、おのれの心のなかばを失ったと言ったホラティウスは、いったいどんな交友関係に恵まれていたのだろうか。人生の最大の贅沢は良き友を持つことだと言ったプラトンは何を夢みていたのだろう。

ロイド・ジョージが首相の時、議会である婦人議員に噛みつかれた。「もし私があなたの奥さんだったら、あなたの飲む紅茶の中に毒を入れたい」、と毒づかれたのに対して、彼は静かに、「もし私があなたのご主人だったら悦んでその紅茶を飲むでしょう」と答えた。

エジプトの故ナセル大統領がかって、スイスを訪問した。海軍大臣を紹介されて、「ほう、海のないスイスにも海軍大臣があるのですか」。
海軍大臣が、すかさず答えた。「エエ、お金のないエジプトに大蔵大臣がありますように」

「太ったブタになるより、やせたソクラテスになれ」  ジョン・スチュワート・ミル

「ぐうたら生活入門」 沿道周作
私の大好きなトルコのことわざ 
「明日できることを、今日するな」

「秀吉と利休」 野上弥生子
彼の大きな眼は涙でいっぱいになった。いまでもその時のことは利休の瞳を熱くうるませる。二人の心遣いがうれしく、悲しく、こんな別れ方しかできなかった身の転変が、あらたに胸にしみ透るのであった。

「人生劇場」 尾崎士郎   
  「風雲篇」 ハハハーと笑う先生の顔を見ているうちに瓢吉は昔、先生が何かの拍子に、
         
「わしの志は遠きにある」と得意そうに言った言葉を思い出した。
  「夢想篇」 うれしいじゃないですか、人情はほろび、志気はいかに廃っても、山河はなお
         昔ながらに残っていますよ。酒あり、水あり、桜ありさ。ああこの良夜をいかんせん。
  
  「青春篇」 我が胸の燃ゆる思いにくらべれば 煙はうすし桜島山
          少女は知らず花は語らず我が思い

  「離愁篇」 相場師のつかう言葉に、「もうは未だなり、未だはもうなり」というのがある。
         もう駄目だ、と思ったときから、人生が始まり、まだまだ、と高を括っているときに、
         実はもう、どうにもならぬ限界があらわれてくるものですよ。

「病」 佐藤春夫  初期習作拾遺篇
 うまれし国を恥ずること。
 古びし恋をなげくこと。
 否定をいたくこのむこと。
 あまりにわれを知れること。
 盃とれば酔いざめの
 悲しさをまず思うこと。

「ためいき」
 
ふといずこよりともなく君が声す
 百合の花の匂ひのごとく君が声す

  

「竜胆花」
 
山路来て 君が指すままに
 わが摘みし むらさきの花、
 君が問うままに その名を
 わがをしへたる りんどうの花、
 そのかの秋山のよき花を  今は
 ただしばしば思ひ出でよとぞ
 わが頼むことは  わりなき

「氷壁」 井上靖
山の歌
 
雪ヨ、氷ヨ
 アズサノ青ヨ
 フユノ穂高ニ
 マタヤッテ来タ

「漆の花」 立原正秋
花とは心にあるものにて、ながめて美しきもの、すなわち花なり

「ロンメル将軍」 デズモンド・ヤング
1949年のドイツになっても、彼らはその札入れに棕櫚の枝の腕章を入れている。試みに北アフリカにいたかどうか訊ねると「ええ、アフリカ軍団にいました。ロンメルと一緒に戦ったのです」と、彼らは誇らしげに答える。彼らが幸福であることを祈ろう。彼らは見事に戦ったのだから。ドイツ人がよく言うではないか、良き友に次ぐ最上のものは良き敵であると。


ロンメルはさわやかな、ドイツ人らしからぬ言葉でイタリア軍のことを「しかし、世間の人を軍人としての素質だけで判断してはいけない。さもないと、わたしたちには文明というものがなくなってしまう」

「法の精神」 モンテスキュー
過去に如何に秀れた絵画があろうとも、レオナルド・ダウィンチの傑作を前にしても、われわれもまた画家なのだと、人は言うことが出来る。

「若き命の日記」 愛と死の記録   大嶋みち子

今日、又、生き抜こうと決めた。死のうと思えばいつでも死ねる。みち子、死ぬことより生きることを考えなさい、と耳元で誰かがささやく。

何億という全人類を考えると、私の存在価値など少しもないように思える。7人の家族構成を考えるとき、私1人の存在が大きなものに思えてくる。死を考えるとき生を考え、生を考えるとき死を考える。

一日中うっとおしい時をおくる。つまらない日曜日。
  私が今一番ほしいもの
  それは密室
  その中で声が続く限り泣いてみたい

「私は幸福にならなくてもいいんです。ただ一人でも他の人を不幸にはしたくないんです」
一日中、何もしないで過す。追われているような気持ちでいながら何もしたくない。何も考えたくない。

米国の大統領は、時に思い切って素晴らしい発言をする。
「いかなる自然科学の功績も、地上に正しい平和をもたらす政治学の功績には、なぞらえらるべくもない」 ジョンソン

「しろばんば」 井上靖
供作はその夜、初めて思春期の少年としてのいろいろな感情を経験した。その中で一番はっきりしているものは、”後悔”であった。あき子に言葉らしい言葉もかけず、彼女を夕焼け雲と一緒に置き去りにしたことに対する烈しい後悔の思いであった。

紋章のほこりも、権勢の華麗も、
美の与える、富の与えるすべても、
おなじく免れられぬ時刻を待つ・・・、
栄光の道はただ、墓場へ通ずるのみ。
 グレー 「田舎の墓地でかかれた挽歌」

黒沢明
この間、ある庭先で白い牡丹を見た。
一刻々々はげしい現実をつきつけられているような生活をしている近頃、それはなにか、ドキリとするほど美しかった。壮厳という言葉でも使う外はないと思う程、犯し難い美しさで悠々と咲いているのだが、咲くまで土の中でどんないとなみが行われるのかと、不思議で堪らなくなった。
しかし、どうして今更らしくそんな事に気が付いたのだろう。
ものそれぞれ独自ないのち、そこから発揚してくる生命感の見事さ、頼もしさ、美しさといったことなのだが、この解りきったことをまた、我々は久しい間忘れていたのではないかということなのだ。
そうして、そう祈ることによって、何か清々しい自然の啓示が胸に溢れて来るような気がしてくる。
  
ちりて後 おもかげにたつ 牡丹かな
と蕪村の句にある牡丹のような映画がもし出来たら、そう考えただけで胸がドキドキする。
           

「儒者の言葉」 芥川龍之介
少女−−−どこまでいっても清冽な浅瀬。

 徳川夢声
自分と同じくらいの芸と感ずるときは
自分と段違いの巧者である
これは私が師から言われた一言です。

佐藤忠男
作家とは彼自身の自我を拡大して、さあこの俺という人間を見てくれ!と叫ぶものだ。という一般の通念があり、伊藤整は、それをいみじくも「愛情乞食」と表現した。俺はこういう人間だ、この俺を認めてくれ、愛してくれ、尊敬してくれ、と不特定多数の人々に呼びかけようとする気持ちが、作家の創作欲の基本的な要素だというのである。

「トニオ・クレーゲル」 トオマスマン
人間には、芸術に無縁の人種と、芸術によってしか生きてゆけぬ人種がある。前者は、決して悩まず、うしろを振り返ってみることなく、ダイヤモンドのように、頑丈な心を持った人たちである。後者は、そういう人種を軽蔑すると同時に、そういう人種になりたいあこがれを持っている人たちだ。しかし、いくらあこがれても決してそのようにはなれず、ぶつかり合えば傷つくのは必ず後者であるが、傷つくことを最後には芸術のための肥料にする強靱さは持っている。