楽陶の会7に続く
令和2年12月31日 晦日
みなさまお元気でお過ごしでしょうか。
・・・私は相変わらずコロナ自粛の日々を山小屋で送っております。
私、もともとクールな性格ですが、はっきり言って、世の中のアレヤコレヤなんかもうどうでもいい。
すべて興味なしです。

でも、コロナ収まってほしいですね。
・・・・・・・では良いお年をお迎えください。

令和2年12月30日 楽陶の会
楽陶の会は長く続いています。こんなに続くとは正直思いませんでした。
その理由の一つに安上りの会を心がけてきたことがあると思う。
陶芸を趣味とする人は、私を除けば皆さんリッチでいらっしゃる。
案外そう見えるだけということも無きにしも非ずだが、私の目にはリッチに映る。
だから、旅行も、食事会、宴会もお金かけ放題であるはずなのに、誰いうでもなく、みみっちくいくという基本方針があり、一円でも安くあげてきた。皆さんリッチだというのは、半分がお世辞、半分はひがみであって、あるようにみえてないのがお金、無いようにみえてあるのが借金。
人の懐はのぞいてみるまではわからない。
だから一円でも安くあげてきたのである。

令和2年12月6日 山口洋子
人はいずれか死ぬ。生物である以上いかなる手段を持っても、不老長寿はかなわぬ願望である。
としたら人間には、はっきり「死にどき」というものが、存在するのではないか。
永遠といわれる老樹でさえ生命に限りがあるのだから、春秋を重ねてごく自然に枯れ朽ちるのが人としての命運だ。
キザにいう訳ではないが、死は怖くない。が病苦は厭だ。ボケはなおさら恐ろしい。
病んで三年寝て三月。願わくば最小限で失礼したい。

令和2年11月8日 出久根達郎
父が亡くなり墓を興した。公園と誤るような芝生の明るい墓地である。
死んだ私はこの位置で毎日この風景を眺めるわけだ。が、私は生来景色というものに関心がない。従って数分で飽きてしまうだろう。
死ぬと本が読めないのは寂しい限りである。そんな話をすると、「時々、本の差し入れをするわ」と妻が応じた。
その時いつぞや読んだ高峰秀子さんの短い随筆を思い出した。高峰さんは老境とともに身辺の整理を始めた、と書いていた。
彼女には子供がない。死期を悟ったら主人と手を取りあって舟から飛び込むのだ、と書いていた。
百科事典を背負って飛び込む、そう主人と誓った、と事もなげに書いていた。
「なんの百科ですって?」と妻が聞き返した。
「なんでもない」と私は口をにごした。
私達にも子供がいない。いずれは無縁仏、死後に開く本は自分で背負っていくしかない。

令和2年10月18日 歳月      佐藤英一
丹波から神戸に帰る高速道路はすいていた。そうだあの時は救急車だった。
恩師のF学長は意識がなく危篤状態になった。
「どうせ助からないなら、このまま穏やかに自宅の畳の上で死なせてやりたいと思います」
涙ながらの奥様の声を、医師になりたての若さと気負いが無情にも振り切った。生命だけはどうにかとりとめた。
しかし、手術も出来ず、その後痴呆が酷く出現し、家族さえも見分けがつかず、自宅近くの老人医療センターに転院した。
「・・・・・Sさんあなたは人間の顔をした鬼です。母や私が望んだ父の穏やかな死を無視して父をあんな姿にしてしまいました。大学の学長として威厳のあった父は、用便も自分で出来ずおしめをあてています。見舞いに参るたびにこんな辛いことがいつまで続くのかと思うと地獄の毎日です・・・・・」
F学長のお嬢さんは私の学生時代の憧れのマドンナだった。紙背に夜叉が浮かんで消えた。
それから月に一度の私の丹波詣でが始まった。あれから十年になる。
「君は何回僕の試験を受けに来るのかね。単位もとれないで医者になろうなんておこがましいよ・・・・・なに、果物で僕を買収しようとはけしからん」その日も突然怒り出した。目は虚ろだ。
 偶然十年ぶりに病院の玄関でマドンナにあった。二人の小学生を連れていた。男の子は学長によく似ていた。
目礼してすれ違った。子供が尋ねたのだろうか。
「あの方はお祖父ちゃまの大学時代の古い教え子で、今は大学病院の立派な先生なのよ」
 歳月は怨みをそよ風のように流して爽やかにする。
  五月雨に 怨みを流す
  十年(ととせ)かな    英

令和2年9月27日 出久根達郎
日本人より日本を愛した小泉八雲ことラフカデォ・ハーンは、好き嫌いのはっきりした人だった。
好きなものは、夏、夕焼け、西(書斎は西向きに構えた)、さびしい寺、怪談、煙草、などである。
明治三十七年九月十九日、夫人はハーンが胸に手を当てているのを見つけ、どこか悪いのかと聞くと、「私新しい病気得ました」と答えた。何の病気か、と案じると、「心の病です」と言った。そしてこう続けた。
「この痛みも、もう大きいの、参りますならば、多分私、死にましょう。そのあとで、私死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶買いましょう。私の骨を入れるために。そして田舎の淋しい小寺に埋めてください。悲しむ、私喜ぶないです。あなた子供とカルタして遊んでください。如何に私それを喜ぶ。私死にましたの知らせ、要りません。若し人が尋ねましたならば、はああれは先頃なくなりました。それでよいのです。」(小泉節子「思い出の記」)
一週間後に静かに逝った。

令和2年8月23日 宝くじで一億円当たったら何をする   三浦しおん
 先ず、一億円という金の単位にピンとこない。
1位 銀行に預ける。しかも普通預金で。投資とか気の利いたことはできない。六本木ヒルズの住民になる道のりは遠い。遠くてかまわん。
2位 日々の生活費に充てる。少しづつ引き出し、スーパーでお肉を買う。牛肉を買う頻度が上がるかもしれない。(うっとり)
 そして、「好きなおかずベスト5」
1位 揚げ物(特にエビ)
2位 天ぷら(特にエビ)
3位 刺身(特にエビ)
4位 豚の角煮
5位 なんでもいい。
だから太る。ええい、うるさいぞ自分。
5位の「なんでもいい」は、考えるのが面倒になったとかじゃなく、本当に何でも好きなのだ。食べられるものなら。
だから太る。ええい、うるさいぞ自分。
新型コロナの自粛で納涼会、第13回楽陶の会展、下諏訪町総合文化祭は中止になりました。

令和2年8月16日 出久根達郎
戦没学生の手記を集めた『きけわだつみのこえ』に、文字に飢えて古新聞はおろか、薬の効能書まで、幾度も読み返す記述が出てくる。ただし、これは兵営での不自由な生活だが、当時の学生は死に直面していたせいか例外なく読書家だったようだ。
ある学生は田辺元の『哲学通論』の余白に遺書を記した。
これがこの世における最後の本である。この本は無味乾燥の自分の生涯に最後のいこいと意味を添えてくれた。
そして彼はさりげなくこう結んだ。私の死んだ日よりは私の誕生日を仏前で祝ってほしい。
「私は死んだ日を忘れていたい」。

令和2年8月15日 澤地久枝
ムンクに、裸体の少女を描いた一枚の絵があります。
女の人生は基本的に受け身なところがあります。
近づいてくるまぬがれがたい運命を待ちかまえている少女の絵に、わたしはときには涙をおさえかねています。
人生とはいわば出会いのことで、人々との出会いもあればあるいは難病との出会いもあります。
出会いたくない出会いは避けたいと思っていても、選択の余地なく向こうからやってきます。
どんなに非凡な人生であろうとも、また平凡な人生であろうとも、それぞれに余儀ない出会いの連続のなかを生きることで、人生の暦はのこされてゆき、その暦はひとつひとつ異なった顔をもちながら、どこかでよく似てもいます。

令和2年8月14日 積み木    檀ふみ
兄や妹と、ああでもないこうでもないとみんなで積み木の「お片づけ」した日を思い出す。
すべてがおさまるべき場所におさまり、ピシリと蓋を置くことの出来たときの、ささやかな達成感。
 最後に、あの蓋を閉めたのはいつだったろう。
子供はそうした小さな「卒業」をいくつも経験して、大人になっていく。
そうした卒業に式はない、証書も出ない。
ずっとあとになって、ふと振り返ってみたとき、「ああ、いつの間にか卒業していたんだな」と気づくだけである。

令和2年7月19日 綾小路きみまろ
チリンチリーン。風鈴といえば、夏の風物詩。耳に心地よい音色とともに、涼やかな風も運び込んでくれる一服の清涼剤です。
ところが最近では、この風鈴の音をうるさいといって、隣近所に文句を言いに来る人もいるそうです。
風鈴の音色がうるさいとは、不肖きみまろ、ちょっと残念でございます。
人々に心のゆとりがなくなってきたのかな、と思ってしまいます。
風鈴だけではありません。セミの鳴き声もうるさいと、最近は少なからぬ人が思っているようです。
  閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声
芭蕉師匠は、草葉の陰でいまの日本人の感性を嘆いているかもしれません。

令和2年6月7日 新型コロナ
新型コロナの自粛で3月4月5月の教室は休みました。(*6月から再開しました)
4月の花見、5月の窯焚きと6月の旅行は中止しました。
老人ホームの教室再開はいつになるのか分かりません。
新型コロナが収まれば、秋の窯焚きをしたいと思います。

人間老齢の域に達すると誰でも同じだそうだが、過去がつい昨日のことのように時間の長さが縮まってしまう。

令和2年5月6日 誰がために鐘は鳴る  ジョン・ダン
ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の扉に掲げられている詩
  なんぴとも一島嶼(とうしょ)にてはあらず
  なんぴともすべからにして全きはなし
  ひとはみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)
  本土のひとひら そのひとひらの土塊を
  波のきたりて洗いゆけば
  洗われしだけ欧州の土の失せるは
  さながら岬の失せるなり
  汝が友達や汝みずからの荘園(その)の失せるなり
  なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
  みずからを殺(そ)ぐにひとし
  そはわれもまた人類の一部なれば
  ゆえに問うなかれ
  誰がために鐘は鳴るやと
  そは汝がために鐘は鳴るなれば
 

令和2年5月5日 くやしい    井上ひさし
  墓は死ななきゃ立ちやせぬ (馬鹿は死ななきゃ治りゃせぬ)
墓地の出物があったので買おうと思ったら、女房が反対した。「あなたが死んだらわたしが心がけますよ」だってやがら。
おれより長生きする気だな。くやしい。

  シンパイはナイコーのもと (失敗は成功のもと)
変なおできが足のあちこちに出たので皮膚癌かと思い心配した。その心配がたたって初期糖尿病になった。
医師の話では心配やストレスは肥りすぎや過労と並んで糖尿の三大原因だという。
それにしてももう米の飯を腹いっぱい喰うことはならぬ。くやしい。

令和2年5月4日 藤沢周平
『蝉しぐれ』のお福さま
「うれしい。でも、きっとこういうふうに終わるのですね。
この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中・・・・・」

令和2年5月3日 感謝の言葉      匿名
さわやかな日曜日の朝。私は一人で庭の花の手入れをしていました。
お隣は小学生三人の子供さんの居られる三十歳代のご夫婦です。
仲良くガーデニング用のフェンスを組み立てて居られました。しばらくして私の耳に入ってきた言葉は、
「お父さん、せっかくのお休みの日に手伝ってくれてありがとう」
結婚生活四十年の私が、すっかり忘れていた夫に対しての感謝の言葉。
若い奥さんに教えられ反省した朝のひとときでした。

令和2年4月26日 綾小路きみまろ
おしゃれをするお金を与えることもできず、着古した洋服ばかり長年着ていた女房に、私は言いました。
「マーガレット、これまで支えてくれてきてくれてありがとう、耐え忍んできたこれまでの人生。
これからは思いっきり発散させていいんだよ。ほしいものは何 ? シャネル ? グッチ ? ルイ・ビトン ? トラック一台分買っておいで」
「ありがとう、うれしいわ、でも、気持ちだけいただいておくわ」
そうです、妻はすでにブランド品の似合わない姿になり果てていたのです。

令和2年4月19日 綾小路きみまろ
アメリカ女性の名前なら、「マーガレット」「スーザン」「ナンシー」、食事は広い庭でブレックファースト。
フランスでは「カトリーヌ」「ミッシェル」、クロワッサンとカフェオレ。
イギリスでは「キャサリン」「ダイアナ」、洒落たティーカップに、カリカリに焼けたトーストですか。
日本なら「トメ」「ウメ」「トラ」、男は「権兵衛」「与太郎」「助左衛門」、納豆に漬物、みそ汁が並んでいます。
そんなこんなで、私たち夫婦は、「マーガレット」「ウィリアム」とお互いを呼び合っているのです。
「マーガレット、この服どう ? 似合うかい」
「ウィリアム、素敵な半纏ね、ステテコととってもよく似合うわ」
「マーガレット、今夜のおかずは何 ? 」
「ウィリアム、あなたの好きなオカラにネギぬた、それから、芋の煮っころがし、きんぴらゴボウもつくったわよ」

令和二年4月12日 お花見
新型コロナが蔓延しております。
11日に予定したお花見は中止しましたが、赤砂崎のコヒガン桜は満開です
老年の植木職人が、ゆっくり開いた花はゆっくり散るが、慌ただしく咲いた桜は長持ちしない、と話してくれたのを思い出す。
    夕桜 仰ぎて思う すぎし日々
    悔い多き 人生なれど 春は春
山小屋も5月初めのカスミ桜から、大山桜・ソメイヨシノ・八重桜・しだれ桜が美しく咲くと思います。

令和2年2月2日 父 八回忌
「会者定離」の人の世に、大切な人を失った悲しみは、長い間の軋轢を経て、複雑なものがあります。

 在りし日は すでに遠かり 酒好まぬ
  父の供養の酒席にぎはふ


令和2年1月25日 新年会 二班
下諏訪町 万治野 十軒堂茶屋で昼食会。
美術会の中山さんの実家でした。原村の米蔵を三年掛かりで移築したそうで素晴らしい。
有機野菜使った体に良いものをいただきました。

令和2年1月20日 新年会 一班
岡谷市「ごはん屋 ふきや」で昼食会。柔かいローストビーフがとてもおいしい。
久しぶりに一緒に食事、全員集合です。


令和2年1月1日 元旦
今年も福寿草が咲きました。クリスマスローズも咲いています。
「人生八十年」として、すでに残り八年となった今、「生きる喜び」を何に見つけるか。
   若き娘の 姿態愛でつつ 古希過ぎの
    男は歩く 健康のため


今年は良いことありますように。
工房の福寿草

令和元年11月16日 忘年会
下諏訪 笑間で忘年会をしました。
11人出席。和食の美味しい料理、飲み放題でたくさんお酒を飲みました。

令和元年10月13日 バーベキューパーティー
秋の窯焚きをしないので、生徒さんに感謝のバーベキューパーティーをしました。
前日の12日に、台風19で記録的な雨でした。千曲川は氾濫しましたが、諏訪は警戒警報だけで被害はありませんでした。
8人参加。生ビールと焼肉、キノコ鍋で一日騒ぎました。
山小屋は赤とんぼがうるさいほどです。

青木雨彦は云う 「酒は、月・水・金と火・木・土にしか飲まない、というのが私の生活信条だ。そして、日曜日は週にいっぺんしか飲まない」と。
今日はおいしいお酒をたくさん飲みました。

令和元年9月5日 『第11回楽陶の会展』
『第11回楽陶の会展』が会期9月5日〜9月9日まで、下諏訪総合文化センターで始まりました。
参加者は21人、穴窯作品・写真建て、お地蔵さん、急須、縄文土器・徳利とぐい飲み・陶灯・盆栽鉢・花器・食器など、
自分の使いたいものを、丈夫で使いやすい、そして飽きのこないものを楽しんで作った個性あふれる逸品です。
山小屋のピラミッド紫陽花を飾りました。
参加者   宮坂邦子、加藤節子、 小松真弓、増沢ふみ子、中澤智寿、宮坂美奈恵、宮下茂、
       小松利実
、林智子、
武井梢、平林靖久、長岡美由紀、野沢文子、伊藤とし子、
       宮坂由紀子、井上寿子、原瞳、五味訓子、宮島八重子、藤村修二増沢道夫

令和元年8月2日 第76回下諏訪美術展授賞式
第76回下諏訪美術展授賞式が中川旅館で行われました。
気持ちよくお酒を飲みました。

令和元年7月29日 第76回下諏訪美術展
第76回下諏訪美術展が始まりました。7月28日〜8月4日まで。
猛暑です。これが普通なのでしょうか。
楽陶の会では13人が「下諏訪美術展」に入選し、内4人が入賞しました。
下諏訪町長賞 (想像) 宮坂美奈恵、さん
三輪良三賞 (地錦) 宮坂由紀子さん
長野日報社 (erosion) 岩田信一さん
奨励賞 (天の河の灯) 五味訓子さん
 (鎌倉の思い出) 井上寿子さん、 (飾り付き伊賀花器) 長岡美由紀さん、 (令和の初皿) 宮下茂、 (壺) 中沢智寿、
 (信楽壺) 増沢ふみ子、 (雨月) 阿部真紀子、 (令和の息吹) 林啓子、  (大皿) 小松真弓、 (緋色壺) 増沢道夫。

令和元年7月20日 納涼会
岡谷市「若松寿司」で納涼会をしました。
今年は梅雨寒で長雨、夏野菜の出来は良くない。こんなに寒いのに生ビールで乾杯しました。

令和元年年5月19日 第11回 楽陶の会  鎌倉の旅 
 第11回 楽陶の会  鎌倉国宝館、鎌倉吉兆庵美術館、鎌倉古民家ミュージアムの旅
  会長 井上 寿子   会計 原 瞳    講師 増沢 道夫    柿木バス 
AM5:30  赤砂崎       永田・平林・藤村・宮坂由・長岡・増沢2・宮下・中澤・宮坂美・原・井上・林
AM5:40  ハーモ美術館   小松真・武井・阿部
AM6:00  諏訪IC
AM6:10  原SA    五味・ご主人
AM9:40〜AM10:00   鎌倉 鶴岡八幡宮
AM10:00〜AM10:30  鎌倉国宝館
AM10:50〜AM11:20  吉兆庵美術館
AM11:20〜PM1:00   小町通り  買物
PM1:15〜PM2:15    昼食 御代川
PM2:40〜PM3:30    北鎌倉古民家ミュージアム
PM3:30〜PM7:20    下諏訪着

鎌倉 鶴岡八幡宮    
 古都鎌倉を象徴する由緒ある神社。大石段脇には樹齢千年の大銀杏がある。
 前日から雨。旅行当日は大雨と強風予報。傘と長靴・着替えの靴下を持って出発。
 雨の中を下諏訪から3.5時間と時間通りに到着。しかし、高速道路を降りてからは予想通りの大渋滞。
 鎌倉は紫陽花が咲いていて渋滞は覚悟でしたが、一寸刻みの渋滞には何時に着くのか心配しました。

 鶴岡八幡宮は広い敷地にいくつもの門があり、大勢の観光客が居ました。
 大銀杏は途中で折れているが新芽が芽吹き、「頑張ろう大銀杏」の看板がある。
 記念写真は土砂降りの雨の中で撮る。


鎌倉国宝館
 鶴岡八幡宮境内の一角にある校倉つくり風の建物。鎌倉各寺社の文化財を一堂に集め展示している。
 鶴岡八幡宮の境内の一郭にある。途中でリスを何匹も見かける。
 特別展示 「知られざる円覚寺の至宝」を鑑賞。
 あたかも仏堂の中にいるような雰囲気の中で、すぐ近くで鎌倉の仏像を拝し感動でした。


吉兆庵美術館
 小町通りにある和菓子の名店。北大路魯山人の作品を展示している。
 大勢の観光客と雨の中を歩く。
 1・2階は祝いの器「ボンボニエールと雅な世界展」。
 皇室から贈られた下賜工芸品や大名家に伝来した工芸品を見学。本当に素晴らしい。
 3階はお目当ての北大路魯山人。美食と共に歩んだ人生を学ぶ。雨降りやまず。


小町通り  買物
 若宮大路の横にある小道
 大勢の観光客の中には合羽を着ている人が多い。
 阿部さんの案内で、有名店を見て歩く。生徒さんたちは、甘いものをたくさん買い、バスに持ち込む。


昼食 鎌倉御代川
 若宮大路にある老舗料理店
 お昼は鎌倉弁当。飲み物は鎌倉ビール。乾杯の音頭は永田さん。
 素材を生かした最高の料理を、店内の陶器・書画を見ながらいただく。雨降りやまず。


北鎌倉古民家ミュージアム
 古い鎌倉を散策できる北鎌倉。鎌倉時代の陶器などを展示するミュージアム
 ここは以前古陶磁美術館でした。紫陽花展とカッパさん展を見学。
 雨の中、庭の紫陽花を見ながら古備前の大甕を見る。


 下諏訪着

 梅雨時で、天気予報は大雨でしたが本当に嵐のような風と雨でした。
 紫陽花には雨が似合いますが、今回は記憶に残る旅になりました。
 高速のSAで最後の買い物をして、4時間で下諏訪に帰着。
 雨が上がり、すっかり暗くなった駐車場で全員バスを降りて家に帰りました。

令和元年年5月19日 『第66回 日府展』
『第66回 日府展』は東京都美術館で5月19日〜5月27日まで展示されます。
                       6月12日〜19日まで愛知県美術館ギャラリーで展示されます。
楽陶の会の参加者は5人、うち3人が入賞しました。
東京新聞賞  増沢道夫  参事 『緋色壺』 
入選      小松利美  会員 『山かげ』
努力賞    増沢ふみ子 会員 『夕景』
入選     長岡美由紀  一般 『連理の枝』
新人賞   岩田信一    一般 『幽玄』
『第66回 日府展』は作品数も多く、とても見ごたえがありました。2階ミューズで授賞式。
出光美術館で、和のやきもの『六古窯』を見ました。

平成31年4月15日 お花見
Tokusanで昼食会。赤砂崎のコヒガン桜は先日の雪で開花が一週間遅れました。


平成31年4月14日 下諏訪美術会美術鑑賞の旅
東京国立近代美術館「The 備前〜土と炎から生まれる造形美」で備前を堪能しました。
お昼は「レストラン三国」で「芸術と料理」をテーマにフレンチとイタリアンの融合をアートしたおいしい料理。

平成31年1月2日 仲間
私が師匠のところに入門した頃は、造ることが楽しく、ただただ没頭していたことを思い出します。
しかし、今見ても出来はひどいものでした。たいして上達もしませんでしたが、それでも続けてこられたのは、仲間の励ましと、師匠の「急ぐな、休むな」という言葉でした。
陶芸との出会いは、私の後半の人生を楽しませてくれるものとなりました。

平成31年1月1日 元旦
「楽陶の会」は楽しい人たちと、のどかなときを過ごすというのが主な目的です。
しかし、このところ私はたいへん忙しい。(96歳の認知症の親の介護もありますが)
そして忙しいのと人生が充実しているのは関係ないそうです。
今年は忙しいだけの生活を見直し、充実した日々を送りたいと思います。

ベルグソンは、笑いというものを、機械的な"こわばり"から生命力が自由を取り戻すこととして、とらえているそうだ。
あとすこし、なんとか心にこわばりのない人生を送ってみたい。
工房の福寿草

平成30年12月31日 大晦日
こんにちはと云う時には、やがて訪れるさよならを考えているところが、確かにあります。
        人生いつか黄昏て わずかに残る薄明り

平成30年12月8日 下諏訪美術展授賞式
下諏訪門前広場「食祭館」で授賞式をしました。
70周年記念式典には町長、教育長、賞を提供している社長さん(諏訪ガラスの里・岩谷画廊・アドプリント)
諏訪郡の美術会会長さん(諏訪・茅野・岡谷・上諏訪)が招待されました。
諏訪大社の演奏、日本一の木やりの余興があり大変盛り上がりました。
審査長総評 (増沢道夫)
皆様今晩は、第75回下諏訪美術展の総評をいたします。今回の出品数は日本画6点、洋画27点、彫刻5点、工芸21点の合計59点で一般応募は11人でした。なお洋画には高校生の2点が含まれております。
「創立70周年記念賞」の大和百合子さん「湯釜薄暮」
湯釜の雰囲気がよく出ています。ぼかしの活かし方がとてもうまく、温泉に入りたくなります。審査委員全員一致で最高賞となりました。
「下諏訪美術会賞」の 増沢ふみ子さん「茜雲」

ベテランらしい風格のある作品。釉薬をかけず自然の力で、素朴で単純な美を表現しています。
「下諏訪町長賞」の高木ちずこさん「2020・そして」
ダイナミックな中にも繊細な色遣いが美しい作品です。
「下諏訪町教育委員会賞」の藤森志乃さん「鏡花水月」

主体的に統一のとれた画面で、画面構成も良い作品です。
「三輪良三賞」の 林啓子さん「想花道」
独創的な形状と釉の色に優しさが感じられる力作です。
「大和作内賞」の 中村政道さん「涼やか」
真摯な取り組み姿勢がうかがえ、具象を追求した秀作です。
「下諏訪市民新聞社賞」の 中山直子さん「ある日の医学生N
小品ながら気持ちの良い作品です。
「長野日報社賞」の 中沢知寿さん「脱皮」
大胆なフォルムで動きを感じさせます。素直な気持ちが表れ好感が持てます。
「彩美堂賞」の 八幡祐矢さん「或るペンギンの夢(月面)
宇宙的な画面に、ペンギンとの対比が面白い。
「岩谷画廊賞」の  山田美登里さん「流転」
静寂なしっとりした画面は詩のような印象を受けます。
「諏訪ガラスの里賞」の 岩田信一さん「四角な函」
形が美しいし釉の色も良い、技術的完成度の高い作品です。
「奨励賞」の 小松真弓さん「丸皿」
釉薬を工夫し落ち着いた深い色で素晴らしい作品にしている。
「奨励賞」の 唐沢響生さん 「リコリスラジアータの夢幻」
高校生の応募であり、新鮮な驚きがありました。
まとめとしまして、
賞にもれた作品にも素晴らしい作品があり、意欲作、力作も多く、一般の応募もあり、今後に期待が持てました。尚、日本画で増沢直子さん、洋画で石井宏子さん・小林進さん、彫刻で小山由美子さん、工芸で黒沢明さんが賞候補として名前が上がりました。下諏訪美術展は私たちが自分の作品を発表する場であり、自分のテーマを追求していく場です。継続は力なり、一年一度のこの展覧会を全員で盛り上げてほしいと思います。受賞者の皆様、本日はおめでとうございます。

平成30年12月5日 楽陶の会10周年記念作品集
「楽陶の会」10周年記念作品集が完成しました。
会員の思い出が詰まった写真集です。
下諏訪町立図書館に寄贈して町民の方にも見ていただきます。

平成30年12月2日 第75回下諏訪美術展
第75回下諏訪美術展が始まりました。12月2日〜9日まで。
楽陶の会では17人が「下諏訪美術展」に入選し、内5人が入賞しました。
下諏訪美術会賞 (茜雲) 増沢ふみ子さん
三輪良三賞 (想花道) 林啓子さん
諏訪ガラスの里賞の(四角な函) 岩田信一さん
長野日報社 (脱皮) 中沢智寿さん
奨励賞 (丸皿)小松真弓
 (南瓜 ) 武井梢、 (月を待つ夜 ) 阿部真紀子、 (織部皿 )宮坂邦子、 (備前の花入れ )加藤節子、  (松釉花入 )宮坂美奈恵、
 (花器 )原瞳、 (花器 )井上寿子、 (壺 )小松利実、 (こぶね)野沢文子、 (聖と童 )宮坂由紀子、 (水縹の華)長岡美由紀、
 (緋色壺 )増沢道夫。


平成30年11月24日 忘年会
下諏訪門前広場「食祭館」で忘年会をしました。
15人出席。しゃぶしゃぶと和食の美味しい料理、めずらしく二次会に行きました。

平成29年9月30日 下諏訪文化祭
9月28日から9月30日まで下諏訪文化センターで文化祭が行われました。
楽陶の会は25名が多彩な作品を出品しました。

平成30年7月14日 納涼会
岡谷市「韓国料理 真礼」で納涼会をしました。
毎日暑い日が続きます。二人は夏バテです。私のように太っている方が体力はあるのでしょうか。