![]() |
![]() |
![]() |
令和2年12月31日 | 晦日 |
みなさまお元気でお過ごしでしょうか。 ・・・私は相変わらずコロナ自粛の日々を山小屋で送っております。 私、もともとクールな性格ですが、はっきり言って、世の中のアレヤコレヤなんかもうどうでもいい。 すべて興味なしです。 でも、コロナ収まってほしいですね。 ・・・・・・・では良いお年をお迎えください。 |
令和2年12月30日 | 楽陶の会 |
楽陶の会は長く続いています。こんなに続くとは正直思いませんでした。 その理由の一つに安上りの会を心がけてきたことがあると思う。 陶芸を趣味とする人は、私を除けば皆さんリッチでいらっしゃる。 案外そう見えるだけということも無きにしも非ずだが、私の目にはリッチに映る。 だから、旅行も、食事会、宴会もお金かけ放題であるはずなのに、誰いうでもなく、みみっちくいくという基本方針があり、一円でも安くあげてきた。皆さんリッチだというのは、半分がお世辞、半分はひがみであって、あるようにみえてないのがお金、無いようにみえてあるのが借金。 人の懐はのぞいてみるまではわからない。 だから一円でも安くあげてきたのである。 |
令和2年12月6日 | 山口洋子 |
人はいずれか死ぬ。生物である以上いかなる手段を持っても、不老長寿はかなわぬ願望である。 としたら人間には、はっきり「死にどき」というものが、存在するのではないか。 永遠といわれる老樹でさえ生命に限りがあるのだから、春秋を重ねてごく自然に枯れ朽ちるのが人としての命運だ。 キザにいう訳ではないが、死は怖くない。が病苦は厭だ。ボケはなおさら恐ろしい。 病んで三年寝て三月。願わくば最小限で失礼したい。 |
令和2年11月8日 | 出久根達郎 |
父が亡くなり墓を興した。公園と誤るような芝生の明るい墓地である。 死んだ私はこの位置で毎日この風景を眺めるわけだ。が、私は生来景色というものに関心がない。従って数分で飽きてしまうだろう。 死ぬと本が読めないのは寂しい限りである。そんな話をすると、「時々、本の差し入れをするわ」と妻が応じた。 その時いつぞや読んだ高峰秀子さんの短い随筆を思い出した。高峰さんは老境とともに身辺の整理を始めた、と書いていた。 彼女には子供がない。死期を悟ったら主人と手を取りあって舟から飛び込むのだ、と書いていた。 百科事典を背負って飛び込む、そう主人と誓った、と事もなげに書いていた。 「なんの百科ですって?」と妻が聞き返した。 「なんでもない」と私は口をにごした。 私達にも子供がいない。いずれは無縁仏、死後に開く本は自分で背負っていくしかない。 |
令和2年10月18日 | 歳月 佐藤英一 |
丹波から神戸に帰る高速道路はすいていた。そうだあの時は救急車だった。 恩師のF学長は意識がなく危篤状態になった。 「どうせ助からないなら、このまま穏やかに自宅の畳の上で死なせてやりたいと思います」 涙ながらの奥様の声を、医師になりたての若さと気負いが無情にも振り切った。生命だけはどうにかとりとめた。 しかし、手術も出来ず、その後痴呆が酷く出現し、家族さえも見分けがつかず、自宅近くの老人医療センターに転院した。 「・・・・・Sさんあなたは人間の顔をした鬼です。母や私が望んだ父の穏やかな死を無視して父をあんな姿にしてしまいました。大学の学長として威厳のあった父は、用便も自分で出来ずおしめをあてています。見舞いに参るたびにこんな辛いことがいつまで続くのかと思うと地獄の毎日です・・・・・」 F学長のお嬢さんは私の学生時代の憧れのマドンナだった。紙背に夜叉が浮かんで消えた。 それから月に一度の私の丹波詣でが始まった。あれから十年になる。 「君は何回僕の試験を受けに来るのかね。単位もとれないで医者になろうなんておこがましいよ・・・・・なに、果物で僕を買収しようとはけしからん」その日も突然怒り出した。目は虚ろだ。 偶然十年ぶりに病院の玄関でマドンナにあった。二人の小学生を連れていた。男の子は学長によく似ていた。 目礼してすれ違った。子供が尋ねたのだろうか。 「あの方はお祖父ちゃまの大学時代の古い教え子で、今は大学病院の立派な先生なのよ」 歳月は怨みをそよ風のように流して爽やかにする。 五月雨に 怨みを流す 十年(ととせ)かな 英 |
令和2年9月27日 | 出久根達郎 |
日本人より日本を愛した小泉八雲ことラフカデォ・ハーンは、好き嫌いのはっきりした人だった。 好きなものは、夏、夕焼け、西(書斎は西向きに構えた)、さびしい寺、怪談、煙草、などである。 明治三十七年九月十九日、夫人はハーンが胸に手を当てているのを見つけ、どこか悪いのかと聞くと、「私新しい病気得ました」と答えた。何の病気か、と案じると、「心の病です」と言った。そしてこう続けた。 「この痛みも、もう大きいの、参りますならば、多分私、死にましょう。そのあとで、私死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶買いましょう。私の骨を入れるために。そして田舎の淋しい小寺に埋めてください。悲しむ、私喜ぶないです。あなた子供とカルタして遊んでください。如何に私それを喜ぶ。私死にましたの知らせ、要りません。若し人が尋ねましたならば、はああれは先頃なくなりました。それでよいのです。」(小泉節子「思い出の記」) 一週間後に静かに逝った。 |
令和2年8月23日 | 宝くじで一億円当たったら何をする 三浦しおん |
先ず、一億円という金の単位にピンとこない。 1位 銀行に預ける。しかも普通預金で。投資とか気の利いたことはできない。六本木ヒルズの住民になる道のりは遠い。遠くてかまわん。 2位 日々の生活費に充てる。少しづつ引き出し、スーパーでお肉を買う。牛肉を買う頻度が上がるかもしれない。(うっとり) そして、「好きなおかずベスト5」 1位 揚げ物(特にエビ) 2位 天ぷら(特にエビ) 3位 刺身(特にエビ) 4位 豚の角煮 5位 なんでもいい。 だから太る。ええい、うるさいぞ自分。 5位の「なんでもいい」は、考えるのが面倒になったとかじゃなく、本当に何でも好きなのだ。食べられるものなら。 だから太る。ええい、うるさいぞ自分。 |
|