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パッヘルベル「第1旋法によるマニフィカト」と
「フーガの技法」の比較


- 目次 -
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  1.調性
  2.主題
  3.応答
  5.主題の変形
  6.フーガの様式や対位法的技術
  7.2声部の作品と曲の配列
作品の宗教性



総括
目次
バッハの「フーガの技法」とパッヘルベルの「第1旋法によるマニフィカト」は、
いずれも1つの主題に基づくフーガの連作となっています。
またどちらも実質同じ調で作られており、主題も類似しています。
さらには作曲技法などにもいくつかの類似点が見られます。

バッハの父アンブロジウスとパッヘルベルが親しい仲にあり、
また幼いバッハの面倒をみたバッハの兄クリストフが
パッヘルベルの弟子であるなどの事実と考え合わせると、
バッハはパッヘルベルの「マニフィカトによるフーガ」を知っていた
可能性があり、あるいはそれが「フーガの技法」作曲上の
参考にされたのかもしれません。

ただし、両曲集に類似点が見出されたとはいえ、
「フーガの技法」が宗教作品であるとは考えられません。
バッハの宗教作品にはその旨が明示されていますが、
「フーガの技法」にはそうした記載がないためです。

これは両曲集の根本的な相違でもあります。
パッヘルベルの「第1旋法によるマニフィカト」において
フーガは作曲上の「手段」であり、バッハの「フーガの技法」は
様々なフーガの作曲が「目的」となっているのです。


パッヘルベルとバッハ
目次
パッヘルベル(Pachelbel,J. 1653-1706)は、ドイツはバイエルン州の
ニュルンベルクの生まれです。ウィーン、アイゼナハ、シュトゥットガルトなどで
オルガニストを勤め、晩年(1695〜)は故郷ニュルンベルクに戻りました。
アイゼナハでは時の町楽師にしてバッハの父、ヨハン・アンブロジウス・バッハ
(Bach,J.A. 1645-1695)と親しく交際しました。またアンブロジウスの長男、
ヨハン・クリストフ・バッハ(1671-1721)の音楽教師にもなりました。

クリストフはアンブロジウスの死後、幼いバッハを引き取り、
彼に音楽を教えました。バッハはパッヘルベルの作品をクリストフを通じて
知ったものと思われます。あるいはパッヘルベルとバッハは
面識があったのかもしれません。バッハの作品のなかでも特に
オルガンコラールにおいて、パッヘルベルの影響が色濃くみられます。
「パッヘルベル形式」と呼ばれるオルガンコラールの形式は、
バッハの作品に数多く見られます。BWV668も「パッヘルベル形式」です。



「マニフィカトによるフーガ」
目次
「マニフィカトによるフーガ」は、パッヘルベルが1695年にニュルンベルクの
聖ゼバルト教会オルガニストに就任中、つまり彼の晩年に作られました。

マニフィカトをテーマとした鍵盤作品は、その多くが
古くから伝わる聖歌の旋律に基づいています。
しかしパッヘルベルの「マニフィカトによるフーガ」は、
曲集全体で95曲にも上るフーガの大半が自由な主題に基づいています。

8つの教会旋法による8つのマニフィカトが作られ、
それぞれ数曲から十数曲のフーガによって構成されています。
とりわけ規模の大きいのが、これからここで論じる
「第1旋法によるマニフィカト」です。第1旋法すなわちドリア調と呼ばれる
教会旋法で作られており、全部で23曲のフーガからなります。

どの旋法のマニフィカトにおいても、何曲かは同じ主題に基づいて
作られています。特に曲数の多い「第1旋法によるマニフィカト」では、
その半数以上が同じ主題に基づいており、曲ごとに主題が
変容していく様子を見て取ることができます。

以下、便宜上「第1旋法によるマニフィカト」を「マニフィカト」と呼びます。



「マニフィカト」と「フーガの技法」の比較


1.調性
目次
「フーガの技法」はニ短調で作曲されています。
また「マニフィカト」は第1旋法=ドリア調で作曲されています。
第1旋法はレを主音(第1音)とする音階に基づいており、
調律の詳細と調号を除けばニ短調とほとんど変わりありません。
つまり、両者は実質同じ調で作られているのです。


2.主題
目次
「フーガの技法」「マニフィカト」ともに レ−ラ に始まる主題が
第1曲に提示されます。下の楽譜にその両者を示します。
両者の冒頭の音形は、音の長さを除けばほぼ一致しています。


上は「フーガの技法」よりContrapunctus1の主題、下は「マニフィカト」より第一曲の主題です。

ただし、この程度の類似であれば、ほかにも見つけることができます。
たとえばイタリア出身の作曲家スカルラッティ(Scarlatti,D. 1685-1757)の
フーガ(K.93)の主題は、「マニフィカト」第1曲の主題によく似ています。


上はスカルラッティのフーガK.93より冒頭部分です。

しかし、「マニフィカト」第1曲の主題に対主題が組み合わせられると
状況は一変します。主題の前半と対主題の後半をあわせたものが
「フーガの技法」の主題と重なってくるのです。


上は「フーガの技法」よりContrapunctus1の主題、
下は「マニフィカト」第1曲の主題と対主題(5小節〜)です。

このため「マニフィカト」第1曲は「フーガの技法」の
Contrapunctus1と似たイメージを耳に与えるのです。
こちらにその「マニフィカト」第1曲を紹介します。



3.応答
目次
「フーガの技法」と「マニフィカト」のどちらも調性的応答が多用されています。
興味深いのは、調性的応答と同様の変形を受けた主題が曲の冒頭に示され、
その曲の提示部においては主題として扱われる曲がある事です。

例えば「マニフィカト」の第1曲では調性的応答がなされており、
主題の d’-a’(5度音程)の音が応答では a−d’(4度音程)となっています。
その部分を下の楽譜に青い音符で示しました。


「マニフィカト」第1曲の冒頭です。

そして「マニフィカト」第2曲では、最初に示された主題が a−d’
(4度音程)で始まり、その調性的応答が d−a(5度音程)になります。
その部分を下の楽譜に青い音符で示しました。


「マニフィカト」第2曲の冒頭です。

以上の二曲を比較すると、両者の主題と応答の調性的関係が
逆転しているように見受けられます。

※ただし、バッハであれば「マニフィカト」第2曲の応答を以下の青い音符のようにしたでしょう。
主題の主音と第六音の音程間隔を維持するために。ここが両者の相違と言えます。


同様のこの「変格主題」の呈示が「フーガの技法」にもみられます。
下の楽譜は「フーガの技法」のContrapunctus34の冒頭です。
Contrapunctus3の冒頭に示された主題と、Contrapunctus4
5小節〜に示された調性的応答は、まったく同じ形をしています。


「フーガの技法」よりContrapunctus3と4の冒頭です。

この調性的応答型主題は、「マニフィカト」では第2曲、第7曲および
第8曲にみられ、「フーガの技法」ではContrapunctus3のみにみられます。

バッハ、パッヘルベルとも、同様の例を他の鍵盤フーガから
見出すことは困難です(バッハの平均律クラヴィア曲集には
わずかながら同様の主題が見られます)。したがって、
この調性的応答型主題は両曲集に共通する特徴と見る事ができます。


4.対主題
目次
「マニフィカト」と「フーガの技法」のどちらも、
曲集中のいくつかのフーガには、呈示部から対主題が示されます。
その形は、いずれもあまり厳格には維持されず、装飾・変形されていたり、
断片的だったります。時として1つの対主題が分割され、
複数の声部にまたがって提示されることがあります。

「マニフィカト」では6曲のフーガに明瞭な対主題の分割が見られます。
中には声部の交差を回避する程度の分割もありますが、
第22曲などは分割された対主題が3声部にまたがって示されています。


「マニフィカト」第22曲の部分。対主題を青い音符で示しました。
2小節〜で示された対主題が、28小節〜では3つに分割されています。

また「フーガの技法」ではContrapunctus2に対主題の分割が見られます。
こちらも対主題が3声部にわたって受け渡された例があります。


「フーガの技法」Contrapunctus2の31小節〜。対主題を青い音符で示しました。

この対主題の分割も他の作品にはあまり見られない特徴です。


5.主題の変形
目次
曲集の第1曲に示された主題が、姿を変えながらほかの曲にも示される。
これは「マニフィカト」と「フーガの技法」に共通する最も大きな特徴であり、
かつパッヘルベルとバッハの似て非なるセンスを浮き彫りにする部分です。

「フーガの技法」における変形主題は、原型となる主題を骨格として
装飾されており、例外なくその骨格をとどめています。
一見まったく別の主題に思えるものでも、音符をたどれば
必ず主題の原形が浮かび上がってきます。


「フーガの技法」の Contrapunctus1 と Contrapunctus inversus a 3 C の主題比較。
後者が変形主題で、その中にある主題の原形を青い音符で示しました。

これに対して「マニフィカト」では、主題の骨格は維持されず、
特徴的な部分のみを継承し、曲ごとに次第に変容していきます。
あるいは最初の主題の要素から着想された主題といえるかもしれません。


「マニフィカト」の第1、7、13、17曲の主題です。
ただし第7曲の主題は調性的応答型変形主題でもあります。

また「フーガの技法」には、第1曲に示された主題の反行形を
主題としている曲があります。4つの単純フーガにおいても、
Contrapunctus34の2曲は反行形の主題のみを用いています。


「フーガの技法」よりContrapunctus1と4の主題の比較。Contrapunctus1に示された主題が
Contrapunctus4において上下ひっくり返した形になっています。

「マニフィカト」においては、第1曲に示された主題の反行形は見られず、
様々な主題の変容はあっても全て正置形となっています。

なお、「マニフィカト」の第19曲以降の主題は、第1曲の主題から
変容を遂げたものではなく、新たな主題であると思われます。


6.フーガの様式や対位法技術
目次
「フーガの技法」はその名のとおり、様々なフーガの様式、
あるいは二重対位法などの対位法技術を駆使して作曲されています。
対して「マニフィカト」は宗教曲であり、フーガは作曲の手段に過ぎません。
このため、「マニフィカト」に含まれるフーガのほとんどが、
様式上は単純フーガとなっています。

ただし、曲集の中央に位置する第12曲だけは2重フーガです。
特に第2主題の呈示部はストレットを交えた反行フーガになっており、
その曲調はContrapunctus11に似た緊迫感に満ちています。


「マニフィカト」第12曲の部分です。青い音符で示したのは第2主題です。
63〜65小節では各声部に反行形の主題が示され、65小節〜の正置形の主題がそれに続きます。

第12曲は規模も大きく、ほかの曲はすべて50小節以下ですが、
この曲だけは100小節を超えています。

また第7曲には10度の2重対位法による主題の重複が見られます。
ただし、ほかの特定の旋律との組み合わせはみられず、
2重対位法というよりも主題を強調するための手法と見られます。


「マニフィカト」第7曲に見られる主題のストレット。主題を青い音符で示しました。
32小節の主題に続き、33小節には2つの主題が10度の間隔で同時に示されています。

これに対して「フーガの技法」のContrapunctus10では、
10度の2重対位法による主題の様々な組合せを追求しています。
ここでは2重対位法の駆使が、手段ではなく目的になっているのです。


「フーガの技法」よりContrapunctus10における第1・第2主題の組合せ。
青い音符で示した主題のうち、上の2声部が第2主題で、2重対位法により重複しています。

なお、「フーガの技法」「マニフィカト」の双方において、
主題以外の特定のモチーフが模倣されることがあります。
「フーガの技法」のContrapunctus10には主題に次ぐほどの
個性をもったモチーフが連続模倣される例があります。


「フーガの技法」Contrapunctus10の部分。モチーフが模倣され、カノンのようになっています。

「マニフィカト」の第4曲においても、個性的なモチーフが繰り返し示されます。
8分音符の上行音階に始まるモチーフは、
先ほどのContrapunctus10のモチーフに似ています。


「マニフィカト」第4曲の部分。上の2声部に青い音符で示したのは主題で、
10小節〜の下声部にある青い音符が繰り返し示されるモチーフです。


7.2声部の作品と曲の配列
目次
「フーガの技法」「マニフィカト」のどちらも多くの曲が4声部ですが、
2声部の作品がいくつか含まれてます。

「フーガの技法」には2声部の作品が4曲含まれており、
それらは全てカノン様式で作られています。


「フーガの技法」より10度のカノンの冒頭。

曲の順序にも示しましたが、これら4曲のカノンは曲集の最後にまとめて
配置され、最初の4つのフーガと一対を成すグループになっています。

「マニフィカト」には2声部の作品が3曲含まれています。そのうち
2曲はフーガ、もう1曲はインベンション風の模倣曲になっています。


「マニフィカト」より第10曲の冒頭。この曲は唯一フーガ様式に従っていません。

そして「マニフィカト」では第3曲、第10曲、第17曲が2声部となっており、
それぞれ6曲ずつ間に挟んで配列されています。
(2曲)
2声の曲
(6曲)
2声の曲
(6曲)
2声の曲
(6曲)
1-2
3
4-9
10
11-16
17
18-23
配列の意図は明らかではありませんが、一定の規則性があるのです。

また先ほども示しましたが、「マニフィカト」の第12曲は曲集中唯一の
2重フーガとなっており、曲の規模も群を抜いて長大です。
(11曲)
2重フーガ
(11曲)
1-11
12
13-23
こちらはどうやらシンメトリーをなしているようです。

以上のように、「フーガの技法」「マニフィカト」のいずれも、
曲の配列には一定の規則が見出されます。



作品の宗教性
目次
「マニフィカト」は、多くの曲が自由主題に基づくフーガになっており、
能動的ではないにしても様々なフーガの技術が見出されますが、
そのタイトルが示すとおり、あくまで宗教作品です。

これに対して「フーガの技法」は宗教作品ではありません。
バッハの宗教作品には、例外なくその旨が明示されています。
例えば、「フーガの技法」同様に対位法的技術を駆使して作った
いわゆる「カノン風変奏曲」(BWV769)においては、
原曲となったコラールのタイトルを記しています。
もしも「フーガの技法」に宗教的意図が盛り込まれていたのなら、
その意図が何らかの形で示されていたはずです。

つまり、「フーガの技法」には上記のような「マニフィカト」との類似点が
見いだされましたが、それはあくまで作曲様式上のものであり、
「フーガの技法」が宗教的作品である可能性を
示唆するわけではないと考えられます。


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