今回の「NOVA」に続く「ジオス」の破綻は波紋を広げているが、一般的に学習塾
は「教育機関」だと認識されていることが多い。これらの破綻騒動を機に、我々もそろそろこの「学習塾」
なるものは学校とは違う「利潤を第一とするサービス産業の一業種(経済産業省所轄)」であることを再認
識した方が良い時期ではないだろうか。
(原稿6枚)
年を取るということ自体が保守的なことであるらしい。七十代になって気がついた
ことだけれど、若いときに革新的であることと、年を取ってから保守的になることはどちらも易しいらしい。
(原稿3枚)
朝青龍が地方巡業をサボって里帰り。そこでサッカーに興じていたんで相撲協会が
カンカンになって怒っているという。まことに我が国特有の「甘やかし文化丸出し事件」、これどう思う?
(原稿4枚)
年を取ってエネルギーがなくなってきたせいか、街を闊歩する「おばさんパワー」が
やたらと気になる今日このごろ。日本の「衣について」というほど大げさな話じゃないけど、夏に見かける
おばさんについての「ヒガミ眼」の考察。
(原稿6枚)
中越沖地震の揺れはここ長野県の原村でも相当に強く感じられた。こういう時に私は
いとも簡単にテレビに釘付けとなってしまう。そして映像やコメンテーターのコトバの隅々にまで神経を
とがらせる、これはクセみたいなものだ。今回特に注意深くなったのは柏崎原発があったからだ。そして
そこから伝わってきたものは、「いずれ日本には原子力発電所の大事故が発生する。それは時間の問題だ」
という予感だった。
(原稿16枚)
チャイコフスキーといえば誰でも知っている「白鳥の湖」の音楽。私も少年の頃から
聴き親しんできた、余りにも有名なこの音楽を齢七十歳をこえてから改めて聴き返し、この曲の辿った運命
と、「白鳥の湖」についてのチャイコフスキーの哀しみにあらためて想いを寄せた一文。
(原稿8枚)
1990年当時、勤務する会社の社内報に掲載したエッセイを加筆したものです。
当時、会社の命令でルマン・24時間レースを買い切り、金額交渉、看板設置、スポンサー・ケアーなどの仕事で
何回かル・マンのACOを訪れ、スムーズに業務ができるよう奮闘した思い出がある。しかし業務にはさておき、
私はこの自動車レースの魅力にしだいに引き込まれ、ヨーロッパの自動車レースを文化として眺める楽しみを
みつけたのでした。
(原稿10枚)
これは私のものではない友人の20年前のエッセイである。パリダカール
・ラリーが始まったばかりの日本人の出場も数少なかった時代で,このラリーの考案者のテリー・サビーヌ氏
も健在で、ラリー自体その純粋さを失っていない。そのためか筆者自身とても純粋な筆力があり、今読み
返すと何かストレートに強く訴えてくるものを感じます。どうぞご一読ください。
(原稿16枚)
これは「伊藤のお父さん」の続編。明治生まれが殆どいなくなり、大正生まれの人も
少なくなりつつある。そんな中で「江戸っ子らしい人」はもう皆無に近いだろう。明治や大正の時代が何でも良いと
いう訳ではないが、あの時代の男にはそこはかとない色気と、惚れ惚れするような潔さがあった、と私は思うのだが・・・。
(原稿23枚)
空気銃片手にほっつき歩いて、偶然に撃ち落としたヒヨドリ。夢中で
獲物を探しに入り込んだ孟宗竹の竹林。少年時代に経験した小さな殺生と心の痣。
(原稿6枚)
長野県の原村に移り住んで八ヶ岳がぐっと身近な山になった。
その八ヶ岳を毎日眺めているうちに、この山と原村の村人との面白い関係が見えてきた。
(原稿3枚)
戦災で焼かれてなくなった二歳の時の写真が、
後になって親戚から出てきた。その写真を眺めていると、もうすっかり忘れ去っていた少年時代の信じ
られないような想いが蘇る。
(原稿1枚)