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鵯(ひよどり)

平成十二年二月二十日

ヒヨドリというと私は静岡の少年の頃を思い出さずにはいられない。中学の頃、友人の空気銃を借りては屋根の雀やら缶カラやらを手当たり次第に撃っては遊んでいた、そんな頃だった。

家の近くの女学校の庭に栴檀(せんだん)の木があり、秋から冬にかけてその栴檀にヒヨドリ達が来ては「ピーーーっ」と良く響く甲高い声で鳴きあっていた。
ヒヨドリは女学校の庭から遙か向こうの竹やぶに渡って行っては鳴き、又女学校へ戻って来てはは鳴いていたが、たいていは数羽がともに行動しているらしく、うるさいほどの賑わいで、あまり美しいという風情ではなかった。

そんな冬のある日、私は友達から借りた空気銃を持ち出し、電柱などを撃って所在なく一人遊んでいると、向こうの女学校がにわかに騒がしくなった。見ると数羽のヒヨ(静岡ではそう呼んでいた)が女学校の庭で大声で鳴きあっている。私はすかさず空気銃で狙いをつけ、動き回る一羽が枝にとまるのを待って引き金を絞った。
弾はその一羽の足元の枝に「パツンッ!」と命中した。その小さく鋭い音で、ヒヨたちは「キーッキーッ」と鳴きながら私の頭上をかすめ、向こうの竹やぶに飛んでいった。向こうの家にも女学校にも高い板塀が巡らされており、私は板塀と板塀の間の人通りのない小路で、空気銃片手に腰をかがめた変な格好でうろついていた。

女学校側の塀に背中をつけるようにして背伸びをし、ずっと向こうの竹やぶを見ると、さっきの奴らしい一羽のヒヨが竹の枝につかまって風にゆっくりと揺れているのが見えた。空気銃で撃つには遠すぎ、私は遠くの方で揺れているヒヨを、撃とうとするでもなくその揺れる様を見つめていた。
一人っきりでその様子を眺めていた私は、何となく引き金を引いてみたくなった。そこで、所在なげに空気銃を腰だめに構え無造作に引き金を絞って見た。
空気銃の威力のないパツンという音がした。が、手応えらしきものは何も返っては来なかった。ただ竹やぶがざわざわと風に騒いでいるだけだったが、竹とともに揺れていた一羽が突然ポトリと落ちたのがハッキリと目に入った。

これが大勢で遊んでいる時なら、全員で一目散に誰の家でもお構いなく進入し、庭を横切り、塀をのり越え夢中で竹やぶに飛び込んで行ったことだろう。武勇伝の証拠品を手に入れるためならきっとそうしていたに違いない。ところが私は空気銃を片手に一瞬立ちすくんでしまったのだ。当時の悪ガキにしてはそれは信じられない行動だった。
「信じがたいことが起こったぞ!」という思いと「探しに行ってもどうせ見つかりっこない」という思いが入り交じって、しばらくの間ぼんやりと風に揺れる竹やぶの梢のあたりを眺めていた。私は何となく「拾いに行かなくちゃ!」という気持ちだったが、こんな弾んだ場面で私がこれほど萎えたような気持ちになるのは初めてだった。

私はのろのろと塀をのり越えて竹やぶに降りた。夕方ではあったが、竹やぶの中は気味がわるいほど暗く、その上中に分け入ると、ヒヨがとまっていた竹がどの竹なのか見当のつけようもなかった。
白っぽい竹の葉が落ちてできた厚い絨毯。その絨毯がうねうねと続く地面。そこらじゅうにしぶとく張りめぐらされた竹の根っこ。歩くのも難しいくらいに生い茂る孟宗竹の林。そんな中で一羽の鳥が死んでいようと見つかるはずもなかった。

小さな昆虫でも生きて動いているときは見つけだすのもそう難しいことではない。しかし半矢(はんや=手負いのこと)になった動物は、目の前にあってもなかなか見つからないものだ。目を皿のようにし、どんなにじっくりと探しても、プロの猟師でも見つけだすことはなかなか難しいものなのだ。

私は内心はもう探すことをあきらめ、今し方目に焼き付いた光景を、薄暗くなった孟宗竹の竹林で何遍も思い起こしていた。突然だった。私がたたずんでいる足元にそのヒヨの姿があったのだ。竹の葉の絨毯の上に首から一筋の血をながして動かなくなっているヒヨをたった一人で見つめたとき、私の心の片隅で何か小さな爆発が起こった。

私はその鳥を拾い上げしっかりとそれを見た。間違いない、それはあのヒヨだ。
弾はその首筋を貫通し、小さな傷口から赤く細い筋が流れていた。即死だったに違いなかったが、そのからだはまだ少し暖かかった。
その瞬間、私は何かをかみしめた。何をかみしめたのかはよく分からなかったが、左手にヒヨドリを右手に空気銃を持ったまま、何時までもその場に立ちつくしていた。