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「八ヶ岳の神様」

平成十二年一月二十八日

私が八ヶ岳を最初に見たのは山梨県の清里村からだった。当時は清里といっても清泉寮以外には何もなく、灌木が多く霧がよくかかる高原地帯だった。
その当時の私は、八ヶ岳の向こう側に住む人や村のことは考えてもみなかったが、自分がいまその向こう側の原村の住人となって暮らしてみると、八ヶ岳は少し違って見え始めたような気がする。

「八ヶ岳のあの岩場をスキーで降りたら凄いだろうね」。イタリーのスキー場の凄さ思い浮かべてこう尋ねた私に、原村に住むスキー名人の友人はこう答えた。
「神の山でそういうことをするとバチんあたるぞ!」。笑いながらの話だったけれどもこの原村の友人のコトバが胸に残った。

山梨の人が八ヶ岳のことを「神の山」というのはあまり聞かないし、もしそれを言うならそれは富士山のことであるらしい。しかし例えば甲府の人が富士を「神の山」と呼ぶのと、原村の人が八ヶ岳を「神の山」と呼ぶのとは少しニュアンスが違うような気がする。

この辺りの家はたいてい南を大切に建てられている。日光を十分に家の中に取り入れるためだけれども、その結果人は家の中からだいたい南を見て暮らしている。
原村では八ヶ岳は北又は東の方に在るから、私たちは神さまと面と向かって暮らさなくても良いわけだ。
そうすると神さまは私たちを後ろから静かに、しかししっかりと見守っているかたちになる。

だいたい人間が神さまと正面から向き合う時というのは、罪滅ぼしをするときや感謝をするとき、あるいは願いごとをするときぐらいで、あとはたいてい神さまにお尻を向けて暮らしているというのが普通ではないだろうか。

こういう人間の暮らし方と自然の形とが、うまく共存している原村という土地柄は、原村人の何となくおっとりとした性格や暮らしぶりと、どこかで繋がっている、というのが私の見定めなのだが。