「チャイコフスキーと白鳥の湖」


2007年6月25日

                               室 田 


 私がチャイコフスキーという作曲家の好きな理由は、まったく月並みと言われても仕方がない。私にとっての魅力はやはりその惜しげもなく「これでもか」とばかりに紡ぎ出されるメロディーの美しさにある。その中でも子供の頃から耳に親しんでいたのは「白鳥の湖」だろう。しかし私はバレーにはそれほど興味はなく、ただレコードで音楽を聴いていたにすぎない。


 そんなわけで「白鳥の湖」のバレーを観ることもなく年をとってしまったが、最近ふとした切っ掛けからチャイコフスキーの交響曲やバレー音楽を聴くようになってみると、改めてその魅力にとり憑かれてとめどがない。そうなると私はそれにまつわるさまざまなエピソードまで、今更のように読み漁るありさまだ。


 さて、人間にとって音楽はどのようにして入り込んでくるものだろうか?音楽を聴いて何かを感じ取るということはどういうことなのだろうか?

同じ音楽を聴いているのに、或るときはそこから何も感じ取ることなく通り過ぎてしまったのに、或る時聴いてみると止めどない感動が押し寄せてくる、といったことが起こるのは何故なのだろう。それは音楽を聴くときのその人間の心のありようによるのだろうか?あるいわ、例えばチャイコフスキーの「悲愴」を思春期のような時期に聴いたとすると、チャイコフスキーという作曲家や「悲愴」という交響曲に関する知識が入る込むことによって、その曲の印象までが知識とともにに形作られてしまう場合もあるだろう。中には知識そのものが音楽の印象になっている人だっているかも知れないし、私はそういう、知識を愛することと音楽を愛することとが同一線上にある人を何人か知っている。


 チャイコフスキーの「白鳥の湖」といえば、そこにちりばめられた数多くの主題となる旋律を、美しいと認めない人は少ないのではないかと思う。しかしそれは美しいと言う前に、その旋律があまりにも情景的であるが故に、多くの人たちがそれを美しいと感じている場合だってあるだろう。しかも次々に現れる主題の美しい旋律が「これでもか」と登場し、私などはそれらの旋律を子供の頃に聴いて、そのほとんどを憶えてしまったが、それはその旋律が美しかったからなのだろうか?それとも憶えてしまったから、今、美しいと感じるのだろうかとも考えてしまう。でもやっぱりそれは、それらの旋律が美しかったから覚えてしまったのだと思いたい。


 そしてそのことともう一つ考えるのは、このチャイコフスキーの「白鳥の湖」のような音楽は、もちろん私だけでなく多くの人々も同様に美しい音楽だと感じているのだろうか、ということだ。「もちろん、そりゃそうだろう!あの音楽は美しいに決まっているだろう!」という判定はもちろんあるだろう。しかしこの「白鳥の湖」の歴史は必ずしもそうは云っていない。1875年にチャイコフスキーが、当時のボリショイ劇場の支配人から作曲を依頼されたとき「お金も欲しかったし、かねてからこの分野の音楽を作曲してみたかったから・・・」と友人のリムスキー・コルサコフへの手紙に書いているらしいが、ともかくその翌1876年の4月には全曲を脱稿しており、かなり短期間にあれだけの三幕ものをつくりあげている。


 ところが、その翌1877年2月にモスクワのボリショイ劇場で行われた初演は、聴衆・批評家ともに不評だったとされている。曲は良かったが演奏が酷かったのか、バレーの方の振り付けが拙かったのかなど、さまざまな憶測がなされているが、ほんとうの所は分からない。しかしそれでも、現代の我々がこの曲を聴いて喜ぶようには当時の人々は喜ばなかったことはどうやら事実らしい。チャイコフスキーは初演の悪評に非常に失望して、この楽譜は彼の机の中に16年間も入れられたまま、1893年11月6日ついに彼はコレラで他界してしまう。ところが、チャイコフスキーが死んだ直後、サンクトペテルブルグにあるマリインスキー劇場バレエ団の振り付け師マリウス・プティパがボリショイ劇場の記録を調べていて、この曲の存在とその初演の事実を知り、プティパはマリインスキー劇場の監督官に、チャイコフスキー追悼公演にこの「白鳥の湖」を登場させるように説得したとある。


 マリウス・プティパが何故この曲の初演の事実を探し出そうとしたのかは分からないが、そのようにして「白鳥の湖」は作曲されてから実に19年目にして、マリンイスキー劇場で再演され空前のヒットとなった。この辺りの歴史は美談や奇跡のように「蘇演」というコトバで語らているが、私は必ずしもそうは思わない。なぜならば、もし不評を買った初演の数ヶ月後に再演が行われてもしヒットしていたら、そんなに奇跡的には見えなかったに違いないからだ。私はそれよりもむしろ、チャイコフスキーの失望の度合いの方に心が向いてしまうのである。初演失敗のショックで、それから彼が死ぬ1893年までの16年もの間、この曲を演奏すまいとしたチャイコフスキーの気持ちに私は強く魅かれるのだ。


 チャイコフスキーは恐らく、この「白鳥の湖」のキラ星のように輝く曲想は、彼がそれまで作曲してきたすべての音楽の中で「最も美しいもの」という自負があったのではないだろうか?初演の行われた後、チャイコフスキーは何回も何回も自分の作曲した「白鳥の湖」を心の中の楽器たちに歌わせていたに違いない。そして心の中でオーボエが、ファゴットが、ハープが、クラリネットが、フルートが、ピッコロが、チェロが、その旋律を奏でれば奏でるほど、ますます「白鳥の湖」は美しく、この曲が人の心を動かさなかった理由が思いつかなかったに違いない。作曲者であるチャイコフスキー自身にとっても「白鳥の湖」は狂おしいほどに美しく、この美しさを世が認めなかったとするならば、自分一人で死ぬまでこの楽譜を護り通そうとしたのではなかったか?

自筆の楽譜を16年間も自分の机の引き出しにしまって出そうとしなかったのは、自身にとって最も美しいと思われるこの「音楽」を、自分ひとりで護ろうとしたのではないのだろうか、と私は思いたいのである。


 私が少年の頃に聴いた「白鳥の湖」、そしていま齢七十を超えてからこうして聴いている「白鳥の湖」。この曲が語りかけてくる美しい旋律たちは、むかしも今も変わりなく、この曲が作曲者のチャイコフスキーの心を動かしたのと同じように私の心を動かしているように思れるのと同時に、作曲者のこの曲に対する愛と哀しみとが、同時に私の胸にも伝わってくるように感じられてならない。