バールフットやサンチーと同時期の紀元前2世紀から開削が進められて、紀元7世紀まで約800年にわたり芸術活動が続けられたアジャンタは、内部は暗くてよく見えないが、豪華絢爛で素晴らしい。
この写真は日本の飛鳥時代と同時期に製作された涅槃像(第26窟)で、日本人の感覚にぴったりくる優しさがある。
では皆様ご機嫌よう。
ベトワ川の此岸には沐浴をする人たち、対岸には昔から王族が沢山の墓所を建設しました。サマになる風景ですね。
一人の若い女性が沐浴の為、岩に飛び移りました。彼女のショールの色がなんとも素敵です。
2月20日 オルチャ
16世紀に造られたという
王様のお城は荒れはててい
て、ちっとも感心しなかっ
たけれども、それでもこの
オルチャという町は魅力が
ありますね。ヒンズー教の
聖都だというので、町のバ
ザールの真ん中に白と橙の
ピカピカのお寺があって、
そのお寺にお参りする前に
信者は、ガンジス川の支流
ベトワ川で沐浴するのです。
朝のベトワ川です。雨期にはこの橋は水没します。
東門の「女神とマンゴー樹」の裏面です。彫刻師の素晴らしい力量を窺うことができます。まるでヤクシーが空中を飛翔しているように見えますね。
「女神とマンゴー樹」は俗に樹下美人像とかSalabhanjika(シャーラバンジカー)と呼ばれる作品群のひとつで、古来のインド伝説に基づくイメージなのです。でもこんなに美しいヤクシー像はほかに見あたりません。インド彫刻の最高傑作だと思います。
第一ストゥーパ北門の内側。
とても有名な第一ストゥーパ東門持ち送りの「女神とマンゴー樹」。
右が第一ストゥーパ、左が第三ストゥーパ。
そこでいよいよサンチーなのですが、こここそ私が永年夢にまで見た仏教芸術の源なのです。元々のサンチーのストゥーパは小規模で、アショーカ王がお釈迦様入滅後120年経ったころに(紀元前260年ころに)作られたのですが、シュンガ王朝(紀元前180年頃−紀元前68年頃)のときにストゥーパの規模の拡大があり、欄楯(らんじゅん、ストゥーパの回りの玉垣)が作られ、紀元前50-25年にトラーナ(ストゥーパへの門)が作られたようです。芸術的に素晴らしいのはこのトラーナなのです。
今回の一行の記念写真。たった8人の少人数のパーティーでまとまりが良かった。
世界遺産ビーマベトカの岩絵でした。
皆一斉に何を眺めているかというと
2月19日 ビーマベトカ/サンチー
最後に素敵なインド舞踊のおまけつき。気がきいていますね。
岩山のなかにこのような精密な構造物を「たがね」だけで掘り出したのですから、気違い沙汰ですね。次のレポート(2)で当時の洞窟掘り職人の姿を紹介します。
遺跡には先生引率で小学生が観光にきています。中央のピンク色の子の近接写真が次。
容貌も深いし、着ている服もハイセンス。素敵ですね。
インドの観光客の姿ですが、この色彩感覚は日本人には真似ができませんね。エキゾチックでとても美しい。
2月18日 エローラ/アジャンタ
昨日の延着で時間が足りなくなり、早朝7時からエローラの見物を開始。
バザールで売っているパパイヤの巨大なこと。私達はコンダクターからきつく申し渡された。「果物は現地人が調理したものは食べないこと、下痢をしますから」だって。
私が大学でインド美術の大家に美
術を教わってから、実に50年目。やっと仕事から解放されて念願のインド美術探訪の旅に出ることができました。
インドは前に一度試みたのだが、
同伴者の痛ましい下痢症状で観光どころではなくなり、今回は再度のチャレンジとなった。
前で懲りたので、今回は西遊旅行
のツアーに乗ることにしたが、これは正解だった。美人のコンダクターが付き添ってくれて、交通機関の心配もなく、ホテルの選択も必要なく、care freeの大名旅行で、大満足
だった。
イ ン ド 旅 行 (1)
2011/02/16〜20
2月16/17日 オーランガバード
到着翌日はデリーに深い冬霧が立ちこめ、オーランガバードへの飛行機の出発が大幅に遅れた。だから、オーランガバードに到着はしたが、見物は市内のバザールだけになってしまった。
男達のシャツとズボンは世界共通であるが、女性は例外なく薄い布のサリー姿で「異国」そのものだった。