ジャータカ・仏伝図 (2)

引用:
『大唐西域記』
P204
ブッダガヤの内、ムチリンダを参照。

17.に関する引用文:『インド美術』P60

上は ブッダの前世譚 「サーマ・ジャータカ」、下は蛇王の 「ナーガ・ムチャリンダ」。
仏像のなかった時代、ブッダの姿は 傘蓋を戴く菩提樹として描かれ、人々に礼拝されている。

説明

 ムチャリンダ樹の根元に住む龍王。釈尊は、はじめて現等覚(abhisambuddha)を得てから、ウルヴェーラー(uruvelA)村を流れるネー ランジャラー(neraJjarA)の川辺にある菩提樹(bodhi-rukkha)の根元に座し、七日間解脱の楽を受けつつ三昧(samAdhi) に入っていた。そののち三昧から醒めた釈尊は菩提樹下より出てアジャパーラニグローダ(ajapAla-nigrodha)樹に赴き、そこでまた七日の間入 定、その後、同じようにアジャパーラ樹の下を去り、ムチャリンダ樹下に向かったのであった。そこでまた七日の間解脱の楽を受けつつ三昧に入っていたのだ が、このとき不意に大きな雲が立ちこめて七日の間雨を降らせ、寒く、風も強くなってきた。このときにこの樹下を住処とするムチャリンダ龍王は、自らの住処より出て釈尊の体を蜷局で七そうに巻き、大きな首を上げて頭上を覆って立ち、このように思念した。「寒気も世尊を害することなく、熱気も世尊を害することなく、虻、蚊、風、熱、蛇の接触も世尊を害することなかれ(mA bhagavantaM sItaM, mA bhagavantaM uNhaM, mA bhagavantaMdaMsa-makasa-vAtA-tapa-siriMsapa-saMphasso ti PTS Vinaya,1.3)」と。龍王は七日を過ぎてから、雨が止み、晴れ上がっているのを見て、蜷局を解き、若者の姿に化作(けさ)して (abhinimminitvA)、釈尊の前に出て合掌し、帰依したという。
 以上は基本的にパーリ律(Vinaya)の大品(mahA-vagga)における仏陀成道の説話のうちの、「ムチャリンダ樹話(mucalinda- kathA)」の要約であるが、このほか漢訳『四分律』『五分律』(大正、22巻)においても同様の説話が収録されている。
 龍王とは原語でナーガラージャ(nAga-rAja)といい、その名の通りナーガの王である。ナーガ信仰は特に南インドで盛んなもので、シャータヴァー ハナ(zAta-vAhana)朝関連の遺跡からはナーガ像が多数発見されている。北インドの、クリシュナの生誕地とされるマトゥラー(mathurA) でもナーガ像は発見されているが、何れもキングコブラの姿をしているか、背中にコブラを背負った形で描かれている。よってナーガとはコブラであるというこ とになるが、仏教では神通力ある修行者を龍に喩えることがあるから、そういった存在なのかもしれない。

17
降魔成道
サンチー第一塔 西門第3横梁前50 – 25年頃

画像:
ニューデリー国立博物館

Naga Muchalinda
Sunga, 2nd Century B.C. Pauni, Maharashtra,
Ht. 100.0cm, Wd. 54.5cm, Dep. 47.5cm
Stone, Acc No. L.77/1

引用文:『大唐西域記』P153

出典:
丸山勇
『仏陀の旅』
岩波新書1072
岩波書店 2007
P44

18.に関する引用文:『大唐西域記』P61

出典

27.
ナーガ・ムチャリンダ
1ストゥーパ西トラーナ北柱(南面の最上段と 2段目)

出典:
『大唐西域記』P206

26.
カーシャパ三兄弟の帰仏???
サンチー第三塔 南門第3横梁外側

出典:
『大唐西域記』P109
仏陀上天の伝説(三道の宝階)から

注:上天されるときはひとつの階段で、降下されたときは三つの階段であったことに注意すること。

25.
忉利天への昇天
サンチー第一塔 北門西柱

24.
仏への供養
サンチー第一塔 北門西柱

23.
降魔成道
サンチー第一塔 北門第2横梁内側

22.
アシタ仙人の予言???
サンチー第一塔 西門南柱

出典:
丸山勇
『仏陀の旅』
岩波新書1072
岩波書店 2007
P52

21.
四門出遊??
サンチー第一塔 東門南柱

20.
分舎利の戦争

サンチー第一塔 南門第3横梁内側 前50 – 25年頃

19
蘇達拏本生図の左翼???
サンチー第一塔 北門第3横梁内側左翼

18.
蘇達拏本生図
サンチー第一塔 北門第3横梁内側 前50 – 25年頃