画像:
Mother and Child
Kushana Sculptures from Sanghol
S.P. Gupta
National Museum, Janpath, New Delhi, 1985
P46

Wikipedia-“Sanghol”を参照のこと。サンゴールの住民は土地の古名をSangla-deepだと言っている。
玄奘による地名「奢羯羅」(シャーカラ)も参考になる。
参考文献:
『アレクサンドロス大王東征記』上下
アッリアノス著、大牟田章訳
岩波文庫 2001
下 P66

 なお、マウリヤ王朝の直前、紀元前326年(仏陀入寂後57年目?、アショーカ王即位の58年前)、アレクサンドロス大王はマケドニア・ペルシャ連合軍を率いてパンジャブ地方に侵入した。 彼が東征して到達した最東端の地「サンガラ」は現在のサンゴールだと筆者は考えている。独立自治の気概を有する地元のカタイオイ人は低い丘の回りに荷車の防塞を引き回し、煉瓦でできていた城壁のなかに立て籠もったが、一万七千人の死者を出し、七万人の捕虜とともに降参した。

Female with Flute and Wine Flask
Kushana Sculptures from Sanghol
S.P. Gupta
National Museum, Janpath, New Delhi, 1985
P47

『大唐西域記』
玄奘著、水谷真成訳
中国古典文学大系 第22
平凡社 1971
P95

The Stupa at Sanghol

“Kushana Sculptures from Sanghol”, National Museum, Janpath, New Delhi, 1985のなかに載せられているM.S. Nagaraja氏の論文”The Stupa at Sanghol”の抄訳

サンゴールという土地の古名はsangupuraであったから、サンゴールという名は多分これに由来する。サンゴールストゥーパの発掘は1968年から開始された。このストゥーパは紀元前3世紀に最初の建設が行なわれた。多分アショーカ大王による建設であったと思われる。しかし玄奘による629-641年の巡礼の際には既に衰えていた。

この衰退は、多分紀元5世紀半ば、エフタルの王トラマーニャ王による攻撃、ならびにそれに引き続く彼の息子であり後継者であったミヒラクラ王による破壊的攻撃によるものである。

野蛮な白フン(匈奴)族は、もともとは中央アジアの種族なのだが、インドにはグプタ朝スカンダ王(Skanda Gupta, A.D. 455-457)のときに西北部から侵入し、仏教徒の施設を破壊し略奪した。このとき、タキシラの大仏教施設が白フンによって破壊されたからサンゴールも同じ運命を辿ったのにちがいない。ありうることだが、サンゴールの仏教徒達はタキシラやその他の仏教中心地で白フンによって引き起こされた事態に気付き、ストゥーパ周辺の石造りの柵を取り外して地中に埋めたのに相違ない。

発掘の結果、ストゥーパのすぐ側の地下から多数の彫刻された柱、スーチーと俗称される欄楯、笠石などが見つかった。これらは、欄楯に彫刻された円花飾りや、柱の人物彫刻や、笠石のchaityaモチーフで装飾されていた。

こういうわけで、白フンがサンゴールに到着したときには、彼らはストゥーパだけを発見したので、それを破壊した。

説明:

 三つの大きなストゥーパが『大唐西域記』に記述されているが、どのストゥーパが現在のSanghol Stupaであるかは分からない。

世親の作製したという勝義諦」(しょうぎたい)の意味についてはすでに説明しました。仏教の肝心のポイントです。

法顕

 法顕がここを訪れた記録はない。パキスタンのバンヌからマトゥーラまでの記録が欠失している。

説明:

インド全体から見るとインド西北部でパキスタン国境に近い。デリーからパキスタンのラホールに向うと、国境の手前である。昔はここが商業ルートになっていて、アショーカ王はこの町にストゥーパを造った。

画像:
Kushana Sculptures from Sanghol
S.P. Gupta
National Museum, Janpath, New Delhi, 1985

地理

 パンジャブ州中部Ludhianaルディヤーナーの東方50kmにある小村。

Sangholに関する資料をまとめておきました。参考にしてください。

なお、白フンのミヒラクラ王について『大唐西域記』に次の記述があります。

画像:いずれも“Kushana Sculptures from Sanghol”から

19852月の映像

以上。

引用:
『大唐西域記』
玄奘著 水谷真成訳
中国古典文学大系 第22
平凡社 1971
P97 P320

玄奘

 玄奘は往路でサンゴール(磔迦国)を訪れた。

サ ン ゴ ー ル