4. サンゴール

シャーラバンジカー


(抜粋引用文)

 ・・・・女性像は丸彫りで、塔門の柱と最下の横梁のあいだに、持ち送り装飾として美しい姿を見せている。官能的で曲線美を誇る刺激的な彫像の1体が、マンゴー樹の下に立ち、彼女は右手を幹に掛け、左手で果実をつけた枝を握っている。

 ・・・・吉祥という意味を超えて、樹木と女性の結びついたモティーフには、新たな意味がつけ加えられていった。それは女性が触れることで樹木に花が咲き、果実をつけるという広く信じられていた古代インドの信仰に基づくところが大きい。・・・・後世の文献は、女性の仕ぐさを正確に分類して、さまざまな種類の樹木からどんな反応が引き出せるか、樹木と女性の結びつきに関する主題をまとめている。女性の足で触れられると反応するアショーカ樹、女性の歌声に反応するピヤーラ樹、口づけで赤く色を染めるケーサラ樹など。サーンチーの女性像が立つマンゴー樹は、女性の笑い声で花が咲くと信じられていた。サーンチーの像は一般にヤクシ-と呼ばれるもので、聖樹に住む聖霊的な神だが、彼女たちは人間にも等しい存在でもあった。

Ackland美術館websiteの説明文の翻訳)

この彫像はマトゥーラ彫刻と同じ斑地の砂岩でできている。にもかかわらず、様式的な特徴からするとこのヤクシ-はあのクシャン朝の様式から外れている。パンジャブ州サンゴールから発掘された彫刻に似ていて、アックランド博物館の欄楯のヤクシ-は比較的浅い浮彫であり、痩身で、手足は筒状で、装身具は身体から高く浮彫されている。1.

三日月型の髪型、彫刻された腕輪、格子模様のベルト・バックル、腰帯、分厚い足首飾りなどの特有の様式と装飾は、これまたサンゴールの様式である。加うるに、突きだした枝と長い細長い葉、広い鼻孔と鋭く描かれた眉毛、小さな丸い胴と凹んだ臍の処理はその場所(サンゴール)で発掘された他の欄楯の人物にも共通している。2.

ヤクシ-は常に体姿が透けてみえる服を着て描写されていて、美しく官能的である。彼女は頭の上で右手で木の枝を楽しそうに引き寄せている。サンゴールで発見される大部分の女性像と似て、彼女は小さな動物の上に立っている。が、それはやや危なげなバランスの取り方であるように見える。この動物は雄牛であるが、尾が長く、足には蹄があり、前足が特別に長い。3.

画像Āmra アームラ. Mangifera indica (Mango tree)

画像:
仏塔図 Relief of Stūpa アンドラ王朝 2世紀末
石灰石 高さ 188cm アマラヴァーティー出土 マドラス博物館
大塔の姿を今に伝える仏塔図で、南インド独特の形式で建てられた壮大な塔であったことが精緻な浮彫で示されている。
原色世界の美術 第13
編集 後藤茂樹
小学館 1970
P68

 くだくだと長たらしい説明を引用してしまいましたが、これら五例のヤクシー像を注意深く眺めてみると、気付くことは、

 それは、サンチーのヤクシー像のみが際立って美しく芸術的なことです。しかもサンチーのトラーナの彫刻は芸術的な技巧と精密度が一定しており、高水準で、他の四例に見られる投げやりな「野卑さ」がまったく見あたりません。

 どうみてもサンチー・トラーナの彫刻はひとりの天才芸術家が独力で、しかも短期間に集中して彫り上げた作品群だと考えざるを得ません。

 譬えば、日本の天才版画家棟方志功が独力で作り上げた作品群の芸術水準に酷似するところがあります。

 ・・・・都ヴィディシャーから数マイル離れた丘の上に位置したサーンチーの繁栄は、べートワ-河とベース河との合流点にあって、河を利用した交通網で容易に行くことができるという地理的に重要な位置にあったことによるところが少なくない。そこはまた東インドと西海岸の港を結ぶ大陸横断道路上に位置し、さらに北インドからのルートとも合流する、重要な幹線ルートの十字路でもあった。だから、僧院はキャラバンで定期的に国中をわたる多くの商人や貿易業者たちと容易に関係をもつことができたのである。仏教僧院は必ずこうした交易ルート上に位置したことから、商人世界と絶えず関係をもち、寄進を求めることができた。インドの西海岸にはアラブの貿易商たちの倉庫があって、彼らは地中海世界から贅沢品を持ってきて美しいインドの布や高価な香辛料、香料と交換したのである。インドの商人たちは貿易によって十分な利益を獲得し、寄付金を寄進して、僧院を支えるほどの資金を所有した。・・・・

 サーンチーで雇われた美術家や工人たちの人数やその費用を考えると、前例のない規模の石材を使ったこの大胆で新しい企ては、王侯や貴族の寄進なくしてはありえなかったと考えるのが当然であろう。しかし、実際はまったくそれとは逆に、資金提供はもっぱら地域の人々によってなされた。サーンチーでは、主婦や家長、漁師や庭師、商人や銀行家といった一般の人々であって、彼らは631もの寄進銘を石に刻み残している。・・・・

 彼女の髪の結い方が面白い。額の上で髪に半円形の割れ目が作ってある。中央部で分けられ二つの葉っぱの形に梳られている。残りの髪は櫛を入れられ、背中に垂れ下がるままにしてある。頭の上で髪の毛をリボンで結び、垂れ下がる髪を三個の円形クリップで留めている。彼女は薄いサリーを纏っていて、サリーの上部を丸めて木の枝に投げかけてある。折り曲げた左上膊部のところをご覧ください。彼女は丸めたサリーを左右の手で持ち、枝を引張っているのです。彼女の背後に見える曲がった幹がこれを示しています。

(同書の説明文の翻訳)

 ここに示されているのは、若い乙女がアショーカの木にもたれているところです。彼女の右足の足裏は幹に触れています。彼女は、ヌープラ、カンカナ、ヴァラヤ、エカ-ヴァリ、メカラーやクンダラのような装飾品で着飾っていますが、しかし彼女の自然な美しさはそれらをほとんど必要としていません。造形は目立たないようにおさえてあり、彼女の身体の明るさを通してシャーラバンジカーの内的な美しさをひきだすように配慮されています。

画像:
Asoka Dohada
Size: 102cm (H); 16.5cm (W); 15cm (D)
ACC. No.113
Kushāna
Sculptures from Sanghol (1st-2nd Century A.D.)
Volume 1
Edited by S.P. Gupta
National Museum, Janpath, New Delhi, 1985
P10

 さて、樹下美人像、シャーラバンジカーについて各地の作例を調べておきましょう。付随する説明文は所蔵する博物館がwebsiteに載せた説明文の翻訳、あるいは文献のなかに載せられてある説明文の翻訳です。ご参考まで。

1.    マトゥラー
画像
the Ackland Art Museum, North Carolina

 だから、樹下美人像というカテゴリーは摩耶夫人から開始された、と私のような仏教徒は信じ込んでしまうのだが、しかし実際には違う。樹下美人像は仏像が出現する前から存在していた。

 というより、仏誕図はインドの樹下美人像の形式を踏襲しているにすぎない。

 Dr. S.P. Guptaのこのような説明を聞くと、仏教徒ならばまず思い起こすのは、ルンビニ園における仏の誕生の場面であろう。木に寄りかかった摩耶夫人は右手で木の枝を掴んでいるが、その右脇から仏が誕生されるのである。

更に彼は言葉を続けて、

翻訳:

 ある見方によれば、この言葉はシャーラの木が沢山生えるビハール州北部のテライ地区と南ネパールで生じたものだという。ここのルンビニ(現在はネパール領)の園でゴータマ・ブッダは、驚くべきことに、彼の母親であるマーヤ夫人の脇から生まれた。この場面はガンダーラ美術、マトゥラー美術ならびにサールナート美術で繰り返し描写されている。これらすべてに共通することだが、王妃はtribhańgaトリプハンガの姿勢をとっている。すなわち、シャーラの木にもたれ、花の咲いた枝の一つを掴んでいる。だから一般的に、「シャーラバンジカー」の形式と姿勢は、すくなくとも部分的には、このイメージ映像を思い起こさせるのである。

翻訳:

 字義的に「シャーラバンジカー」という単語の意味するところは、「シャーラの木を手折る女性」である。(サンスクリット語でśālaシャーラの木 + bhañjikā手折る女性) しかし、芸術上では、シャーラバンジカーは木を手折ることでもなく、また、その木がシャーラであることを示すものでもない。彼女は単に花木の枝を掴んでいるだけで、その木は普通はアショーカ、カダンバ、チャマプカ、あるいはアーマなのである。

画像:
Kushāna
Sculptures from Sanghol (1st-2nd Century A.D.)
Volume 1
Edited by S.P. Gupta
National Museum, Janpath, New Delhi, 1985
P7

シャーラバンジカーについてはこれでおしまい。


では皆様ご機嫌よう。

画像Chamapaka

画像Kadamba

背後から見ても素晴らしい美しさですね。

左の写真は、私が本年225日にマトゥーラ国立博物館で入手した本で、題名をKushāna Sculptures from Sanghol (1st-2nd Century A.D.)という。インドの考古学会会長を永く務められたDr. S.P. Guptaの編集によるものなのだが、この本の冒頭で彼は次のように述べている。

岩波 世界の美術 『インド美術』
ヴィディヤ・デヘージア /宮治昭・平岡三保子
岩波書店 2002
P65

詳細画像:

画像Aśoka

画像: Sala tree
       Sa La: Sala (skt)—Cây Ta La—Sala tree
             —The teak tree.
 (チーク

 最後になりますが、この引用文のなかに述べられている植物について調べておきましょう。アショーカ、カダンバ、チャマプカ、あるいはアーマの四つでしたね。通常これにサーラも加わりますからこれも加えて。

 インドに残るストゥーパは他に南インドのアマラヴァティもあるのですが、アマラヴァティの欄楯は円形メダリオンの細密彫刻が多くて、樹下美人はありません。19世紀に盗掘されて散逸したせいかもしれませんが、アマラヴァティ彫刻が多い大英博物館を調べてみても樹下美人像は見あたりません。アマラヴァティはチェンナイ国立博物館蔵に残るストゥーパ浮彫に見られるようにトラーナが作られなかったのが理由なのかも知れません。

画像:
持ち送りの女神とマンゴー樹
サンチー第一塔 東門
50 – 25年頃
岩波 世界の美術 『インド美術』
ヴィディヤ・デヘージア /宮治昭・平岡三保子
岩波書店 2002
P65

5. サンチー

 描写の仕方は幾分型破りです。曲げている右足の柔らかい鋭角は、折り曲げられた右手によって作られる鈍角と完全にマッチしており、その右手は彼女が立っている台座とほぼ平行になっている。これは引張りを最大にしようとするときのポーズである。木は背が高く、細く、シャーラバンジカーの身体つきに似た曲がり方をしている。長方形の台座は縁取りがしてあり、四つの花弁の花二個で装飾されている。裏側の装飾は蓮の円形浮彫である。

画像:
Kushāna

Sculptures from Sanghol (1st-2nd Century A.D.)
Volume 1
Edited by S.P. Gupta
National Museum, Janpath, New Delhi, 1985
P37

翻訳文

バールフートのストゥーパの欄楯にあるヤクシ-。ヤクシ-は木ともつれ合っている。「創造」の内関連性を表わすインド初期の表現である。若い女性が触れると、木に花が咲き、果実が実る。

トラ-ナの棟木の持ち送り部分の女性。
 上体を起こした象の上で身体を傾げている。
 花が咲いた木の天蓋の下で大胆な姿勢で美しさを誇示している。
 サリーを身にまとい、重い足首飾り、腰帯、ならびにビーズのネックレスで飾っている。
 左手で木の枝を掴んでいる。
 マトゥラー様式。
 イメージの姿勢と特徴はサンチ-とバールフットのヤクシ-像に酷似。

3. バールフット
 画像

画像:
Shalabhanjika, J. 595
Red sand stone, 82.5 x 25.5 cm
1st cent B.C., Kankali mound, Mathura
“Masterpieces in the State Meseum Lucknow”
Dr. S.D. Trivedi
The State Museum, Lucknow 1989
P37

2. マトゥラー

Possibly Sanghol, Punjab
First to second century CE
Sandstone; 58.4 x 11.6 x 11.4 cm
(23 x 4-9/16 x 4-1/2 in.)
Gift of Clara T. Yager and Mary N. Morrow in honor of Gilbert J. Yager and J. Charles Morrow, 2000.12
Provenance: Acquired 19 June 2000 from Doris Wiener Gallery, LLC, New York.

画像:
仏誕 Buddha’s Birth
イクシュヴァーク王朝 3世紀 
石灰岩 全高
179cm  86.3cm 
ナーガールジュナコンダ出土
ニューデリー国立博物館
原色世界の美術 第13
ニューデリー国立博物館ほか
編集 後藤茂樹
小学館 1970
P18