『大唐西域記』玄奘著
水谷真成訳
中国古典文学大系 第22
平凡社 1971
P266

ア ジ ャ ン タ 2

                   2011/02/18

17窟前から前方の眺め

 第17窟、内陣の壁画の一例。大変に豪華である。

この洞窟は開削年度がはっきりしていて、ヴァカタカ(Vakataka)王ハリセナ(Harisena)(在位475-500A.D.)によって開削されたマーハーヤナ寺院だということです。多くのジャータカが描かれているのです。

玄奘が記した石象は第一六窟の門にあるこの象でしょう。右側にも似たような象がいるのですが。

第十七窟

ストゥーパ表面に残る絵画。

(翻訳)

これがアジャンターでは最古のチャイティヤ(至聖堂)(30.5 x 12.2m)で仏教のヒナヤマ派に属している。洞窟内に残された銘刻によれば、この窟はVisisthiputra, Kanahaka of Bahada, Dharmadeva僧による寄付金で開削された。絵画類は種々の篤志家による。

 木造建築様式が優勢であること、ならびに古写本学上の証拠からすると、この窟は紀元前2世紀にまで遡る。この聖堂は平面図では後陣形で、身廊が39本の列柱により隔てられて二つの側廊ではさまれている。後陣の奥に置かれたストゥーパはアジャンタでは最大の規模であり、飾りがなく半球形の形をしている。この窟の重要性は、インド初期絵画の見本を保存していることである。絵画は二つの時期に分かれていて、前期のものは紀元前2世紀で、後期のものは紀元4世紀である。平板な八角形の柱、天井ならびに壁面は仏教徒のテーマ、デザインとジャータカの絵が描かれている。しかしこれといって重要なものはない。(オーランガバード地区の考古学調査出典)

第九窟

「宮廷」図。中央に王妃がありとあらゆる装身具を着けて立っている。王妃に傘蓋を差し掛ける侍女。これが王妃だとすると、前図の王様がかき抱く女性ははたして何者か?

左が未完成ですが、

ここは外壁の装飾がよろしいようで。右が、

修学旅行の学生でいっぱいです。内部は初期の質素なストゥーパ。

もう一つおまけに。

天井の絵画

続く。

柱廊に描かれた絵画

 入口ヴェランダにある「王宮の歓楽」、5世紀 

壁画(時代が下がってから描いたもの)もあるのですが、もうひとつですね。