1. その際は、こらえにこらえよ。死ぬな。
2. B体験が生じるまでこらえよ。
3. B体験が生じたとしても、それは決して現実の
 「死」を意味しない。

4. B体験が生じたら、それ以上進めないことは自
  分でもわかるから、一切を放棄して、安楽にし
  て、そこに存在しうる道理を考えよ。

5. B体験が生じたら、お釈迦様が菩提樹の下で、
  そうしたように、少女からミルクを貰って飲め。
  既成観念をすべて棄てて、頭の構造をきりかえよ。

と仏教は教える。

A経験をすでに体験している人なら、しばらくしてから、A
験と
B体験の類似点に気がつくのだが、それでも類似点の自覚ま
でに半年はかかろう。その間に、
B体験の反復性のゆえに、幾度
も似た経験を繰り返す人が多い。そのたびに恐怖感に震えあがる。

ジェイムズの記した『宗教的経験の諸相』には、このようなB
体験は僅か一例しか記録されていない。ジェイムズ自身の経験と
されている、フランス文で書かれた憂鬱病者の手記がそれである。

    

このような視覚
の変化が生じる
ことも多い。

写真:次のように読める。

「確言はできないが次のように言ったほうがよいかも。
 人間は神の生き写しなのだ。
 なぜなら、人間はその存在と行動につき神を模倣して
いるからだ。

 なぜなら、神が大きな世界を支配しているように、人
間は、
小さな世界、すなわち、かれの身体を支配してい
るからだ。

 さらに加えて、神と同じく、人間は言葉を造るからだ。」

画像:

Edvard Munch
"The Scream" 1893
Nasjonalgalleriet, Oslo
Ragna Stang
"Edward Munch,-The Man and the Artist"
Gordon Fraser, London 1979

B の 前 兆 現 象 (2)

西欧人にとって(我々にとってもそうなの
だが)、一見異常なこれらの心理状態の経過
は、実際に多くの人たちに生じている現象で
あり、ジェイムズは『宗教的経験の諸相』の
なかで、次のようにたくさんの例を挙げた。

「病める魂」のなかでは、

4. カトリックの哲学者グラトリ神父 上 P221
5. 19歳になる教育のない女中 上 P223
6. トルストイの『わが懺悔』 上 P232
7. ジョン・バニヤン 上 P238
8. 福音伝道者ヘンリ・アリーン 上 P241


「病める魂」以外の箇所に出てくる憂鬱患者の手記は
次の通りである。

9. フランスの哲学者ジュフロア 上 P266
10. 哲学教師ラニョ―教授 下 P50
11. 十字架の聖ヨハネ 下 P225(単なる禅定の状態
の説明)


 抜き書きしておいたので、ざっと読んでおいてほし
い。
これらはすべて、B体験ではなく、その前兆とな
る前段階なのである。

写真:エアフルトの聖アウグスティン修道院に残されたルターの自筆注釈

だから、仏教徒であるわたしたちにはしっ
かり理解できる。

だが、西欧人にはこのようなテキストは与
えられていない。

だから、ジェイムズは、(私たち仏教徒の
観点からすれば)「逃げた」のである。博士
課程の勉学中、神経衰弱で倒れたのち、大西
洋を船で渡り、フランスの保養所(というよ
り精神病院)にはいり、もっぱら精神を休ま
せることにしたようだ。


ルターはジェイムズと違い、貧乏だったか
ら、「逃げる」余裕がなかった。だから、ヴ
ィッテンベルクの城内教会の黒い塔のなかの
狭い一室で考えに考えた。そして、
B体験に
到達したのだが、(その頃は、デカルトが出
現する以前であったから)心に生じる神秘的
現象は、すべて「神」の業(わざ)と考える
よう訓練されていた。だから、ルターは
Bを、
「自分の固有の体験」と考えずに、結局のと
ころ、「神」(「死神」)の現前だと認定し
たのである。

B体験とは、聖徳太子が『勝鬘経義疏』のなかで教
える、死の四聖諦のうちの

           「死滅」
であり、竜樹が『中論』のなかで説く
           「勝義諦」
であり、お釈迦様が御自ら説かれた『自説経』のなか
中夜(ちゅうや)の偈に現われる
            縁の消滅
なのである。*

このB体験については、西欧では記述例がほとんどない。

旧約聖書にえがかれている「恐るべき神」とか、ルターの
「黒い塔の経験」の基礎となるものなのだが、イエス・キ
リストが、荒野で経験した「悪魔」の表現と処理方法を弟
子たちに教えなかったことが主たる理由で、西欧人には
B
験の処理の方法論が存在しないのである。

聖テレサは自叙伝のなかでB体験につき明快に説明した
が、彼女の自叙伝を読んで理解できる人は現在の西欧人の
なかにはほとんどいない。

たいていの人は、このような場合、悩み、うろたえ、絶望し、
諦めてしまうのだが、
ここで、死なずに、更にひと踏ん張りす
るのである。こらえ続けるのである。

 するとまもなく、ある日、あるとき、突然にB体験があらわ
れる。

まことに異様な世界である。恐怖感もすごい。当人の世界観
がこの一瞬で一変する。

 初めはこの経験がなにを意味しているのかわからない。「死」
の世界なのだ。