5. 19歳になる教育のない女中 

『宗教的経験の諸相』上 P223


 いつまでもアンヘドニアにかかっている人、あるいは、少なくとも、
誰もがもっている生きたいという欲望喪失にかかっている人がいる。
自殺に関する記録が次のような実例を提供している。――

 十九歳になる教育のない女中が服毒自殺して、そういう行動をとる
にいたった自分の動機を説明した二通の書置きを残した。両親にあて
て、彼女はこう書いている。――


 「生きることは、ある人にはおそらく楽しいのでしょう。で
もわたしは、生きることよりもっと楽しいことを選びます。そ
れは死ぬことです。ですから、お父さま、お母さま、永久にお
いとまします。誰のせいでもありません。この三、四年の間、
果たそう果たそうと思いつづけてきた、わたし自身の強い願い
だったのです。いつかそのわたしの願いを果たす機会にめぐり
合えるだろうという期待を、わたしはたえずいだいてきました
が、いまその機会がやってきたのです。
……こんなにも長くそ
の願いをのばしてきたことが、不思議に思えるほどです。しか
し、少しはまた元気が出てきて、死のうというような考えをす
っかり頭のなかから追い出せるかもしれない、と私は考えたの
かも知れません。」兄にあてて、彼女はこう書いている。「い
つまでも、さようなら、愛するお兄さん。この手紙を受けとら
れた頃には、わたしは永久に旅立っていることでしょう。自分
のしようとすることが申訳のないことだということは、よく知
っております。兄さん。
……わたしは生きてゆくのがいやにな
ったのです。ですから喜んで死にます。
……生きることはある
人には楽しいかもしれませんが、わたしには死ぬことのほうが
もっと楽しいのです。」

S.A.K. Strahan : Suicide and Insanity, 2d edition, London,
1894, p. 131.

4. カトリックの哲学者グラトリ神父 

『宗教的経験の諸相』上 P221


 船酔いがながびくと、たいていの人が、一時的にアンヘドニアの状態を起こし
がちである。善という善が、地上的なものであろうと、天上的なものであろうと、
どれも胸にむかついて顔をそむけたくなるようなものに思われてくる。この種の
一時的な状態は、知的にも道徳的にも稀に見る高尚な性格が宗教的進化をとげて
ゆく過程に結びつけられて、カトリックの哲学者グラトリ神父によって、その自
伝的回想録のなかでみごとに描かれている。工芸学校の学生であった時、精神的
孤独と過度の勉強の結果、グラトリ青年は神経衰弱の状態に陥ったが、そのとき
のさまざまな徴候を次のように述べている。――


「わたしは何もかもを恐がるようなはげしい恐怖病にかかって、パンテオ
ンの神殿が工芸学校の上へ倒れかかってきたとか、校舎が燃えているとか、
セーヌ河が地下墓地に流れこんでいるとか、パリがいまにも洪水に呑みこ
まれようとしているとか、と考えて、夜中にはっと驚いて目をさました。
そういう印象が消えてしまうと、私は、終日、間断なく絶望すれすれの癒
やしようのない耐えがたい寂寥感に悩まされた。事実、私は自分が神から
見放され、地獄に堕され、永劫の罰を受けている人間なのだと思った。私
は地獄の苦しみに似たものを感じた。それまで、私は地獄のことなど思っ
てもみたこともなかったのである。私の心がそういう方面に向かったこと
も決してなかった。どんな議論も、どんな反省も、そんなふうな印象を私
に与えたことはなかった。地獄のことなど私の眼中にはなかった。それが
いま、そして突然に、私は地獄でしか受けられないような苦しみを多少な
りとも味わったのである。

「しかし、おそらくもっと恐ろしかったことは、天国の観念がすっかり私
から消え去ってしまったことである。私はもはやそういう種類のことを考
えることができなくなった。天国へ行くなどということは、価値のないこ
とのように私には思われた。それは空虚な場所のようであった。神話にあ
る極楽、この地上ほどにも実在性のない影の国のようであった。そこに住
んだとしても、喜びや楽しみがあるとはとても考えられなかった。幸福、
歓喜、光明、情愛、愛――こういう言葉がすべていまや意味をもたなくな
った。なるほど私はそういう事柄について口にしようと思えば口にするこ
とはできたが、しかし、そこに何かを感じたり、それについて何かを理解
したり、それから何かを期待したり、それらが存在することを信じたりす
ることはできなくなった。そこに私の大きな慰めようもない悲しみがあっ
た! 私はもう幸福とか完全が存在することを認めもしなければ考えもし
なかった。裸の岩をおおう架空の天
穹(てんきゅう)。それが、そのとき
私に考えられた永遠の住居であった。(1)

(1) A. Gratry : Souvenirs de ma jeunesse, 1880, pp. 119-121 (abridged).
出版年は1874の間違い
http://www.catholic.org/encyclopedia/view.php?id=5338

B の 前 兆 現 象 の 例 (1)