『宗教的経験の諸相』上 P242


 もっとも悪質の憂鬱は、圧倒的な恐怖という形をとるものである。次にかか
げるのはその優れた実例で、それをここに載せるのを許して下さったことを、
私はその憂鬱病者に感謝しなければならない。原文はフランス文である。それ
を書いたときの筆者は神経過敏な悪い状態にあったことは明らかであるけれど
も、この文章はそのほかに、極端に単純だという長所をもっている。



「こうして、哲学的な厭世主義の状態におちいり、将来の見通しにつ
いてすっかり気持が陰鬱になっていた頃のある夕方のこと、私はある
品物を取るために、薄暗がりの衣裳部屋へはいっていった。
そのとき
突然、なんの予告もなしに、まるでその暗闇から現われたかのように、
私自身の存在に対する
身の毛もよだつような恐怖心が私を襲った。そ
れと同時に、かつて保養所で見たことのある癲癇病患者の姿が、私の
心に浮かんできた。それは、緑がかった皮膚の色をした、髪のくろい
青年で、まったくの白痴だった。彼はよく、膝を立てて顎をのせ、彼
の一枚きりの着物である粗末な灰色のシャツを全身をくるむようにし
て膝の上にかぶせて、一日中、ベンチか、あるいはむしろ、壁にもた
せかけた棚板かの一つに坐っていたものだった。彼は、彫刻のエジプ
ト猫か、
ペルー人のミイラのようにそこに坐っていて、黒い眼だけし
か動かさず、まったく人間とは見えなかった。その姿(イメージ)と
私の恐怖とが、一種独特なふうにお互いに結びついた。もしかすると、
あの姿が私なのだ、と私は感じた。あの青年と同じように、私にもあ
あいう姿になり果てる時がきたら、私のもっているどんな物も、その
運命から私を守ることはできないのだ。まるでそれまで私の胸のなか
でがっしり基礎を固めていたものがまったく崩れてしまって、私自身
が恐怖におののく塊になったように思われたほど、私は彼を恐れ、ま
た彼と私との相違はほんのつかの間のことでしかないことを感じた。
それ以来、
宇宙は私にはまったく一変してしまった。毎朝毎朝、私は、
みぞおちにぞっとするような恐ろしさを感じながら、そして、私がそ
の前にも知らなかったしその後でも感じたことがなかったような、人
生についての不安感を覚えながら、目をさました
(1)それは啓示のよ
うであった
。そして、そういうじかの感情は消え去ったけれども、そ
の経験によって、それ以来、私は他人の病的な感情に共感できるよう
になった。その経験は次第に色あせていったが、数ヵ月というもの、
私は一人で暗闇のなかへ出かけることができなかった。

「とにかく、私は一人で置きざりにされるのを恐れた。人生の表面の
下に隠されているあの不安定の奈落
に気づかずに、どうして他の人々
が生きていられるのか、どうして私自身がこれまで生きてきたのか、
と不思議に思ったことを、私は覚えている。ことに私の母が、たいへ
ん陽気な人で、危険を意識しないのは、私にはまったくの謎のように
思われた。しかし、
私自身の精神状態の秘密をもらして母の気持を乱
さないようにと、私がたいへん用心した
ことは、あなたにも十分信じ
ていただけるだろう。私のこの憂鬱症(メランコリア)の経験には宗
教的意味がある、と私はいつも思っている。」

(1)  バニヤンの次の言葉と比較されたい。「そこで私はおそろしく大きな戦慄に陥ってしま
って、その結果、数日の間、赦されることのないもっとも恐ろしい罪を犯した人々にくだる
べき神の恐ろしい審判のことを思って、私の身体も私の心も、しばしば慄えよろめくのを感
じたのであった。この恐怖のために、私はまた、特にある時などは、まるで自分の胸骨がば
らばらになったのではないかと思われるほど胃のあたりが重くなって燃えるのを感じたので
あった。・・・・こうして私は、自分の上に置かれた重荷の下に敷かれて、曲がったり、よ
じれたり、縮んだりしていた。そして、その重荷が私をぐいぐい抑えつけるので、私は、立
っていることも、歩くことも、横になって休息したり、じっと静かにしていることもできな
かった。


 この最後の言葉はどういうことを言おうとしたものなのか、もっと詳しく説
してほしいと、この手紙の筆者にたのんだところ、次のような答えを書いてよ
こしてくれた。――


「もし私が『永久(とこしえ)にいます神は、わが避所(かくれどこ
ろ)なり・・・・』『すべて労する者、重荷を負う者、われに来(き
た)れ・・・・』『われは復活(よみがえり)なり、生命(いのち)
なり・・・・』などという聖書の言葉にすがらなかったならば、私は
ほんとうに気が狂ったにちがいない、と思われるほど、それほど強く
その恐怖が私を襲ったことを言おうとしたものです。
(1)

(1) 同じように突然襲ってくる恐怖の例としてHenry James : Society the Redeemed Form
of Man, Boston, 1879, pp. 43 ff
を参照

筆者注:

 この引用文は神秘体験Bであると考えられます。
 その理由は、

1. 突然、思いがけなく、それは始まる。
2. 身の毛もよだつような恐怖心が伴うこと
3. 受動性
4. 思考はその働きを停止する。
5. イメージを見せつけられる。
6. これが私の本質である、と当人が感じること。
7. その瞬間が去ったあとも、イメージはくっきりと記憶
  に残る。

だからです。


    A体験の記述例なら掃いて捨てるほどありますが、B体験の
   記述例は世界でもきわめて数少ないのです。引用例の多い
   『宗教的経験の諸相』ですが、この本にもたった一例しか記
      載されていません。上記がその貴重な一例なのです。

フ ラ ン ス の 憂 鬱 病 者