仏教においては、かならず、

      「生滅」を観じてから「死滅」を吟味せよ
      「世俗諦」に到達してのち「勝義諦」に至れ
      中夜の偈」は「初夜の偈」の後にくる

と、読者が好むと好まざるにかかわらず、神秘体験
の体験順序を既定してある。
「まず
Aを体験し、しかる後にBを体験せよ、そして
さらに熟考せよ」と命じているのである。

さて、の説明のなかで筆者は(*
マークをつけておいたのだが、私たち仏
教徒が仏典から学ぶ


    「死滅」(『勝鬘経義疏』)
    「勝義諦」『中論』
     縁の消滅(『自説経』中夜の偈)

は、つねに対比語の一つであった。

    「生滅」に対する「死滅」
    「世俗諦」に対する「勝義諦」
    縁起の法」に対する「縁の消滅」

である。

私たちが問題にすべきは、B onlyの場合である。それ
B1ではなく、B2の場合である。この場合は、「どうな
るか、どう対処すべきか」が本人にとって最大の問題と
なる。
西欧にも日本にもそのためのテキストブックがな
い。仏典にも記載がない。

実になんと天才William Jamesはこの点に目をつけたの
だ。

それが「自らの魂の悲痛な叫びを記録したにすぎない」
としても、この点に関するかれの記述は、正確で、流麗
で、しかもひとの心の核心をたくみに衝いている。

画像:
http://art.pro.tok2.com/B/Boeklin/z012.htm死の島、メトロポリタン美術館

B only の 場 合 の 対 処 法

『宗教的経験の諸相』上 P205
『宗教的経験の諸相』上 P207
『宗教的経験の諸相』上 P210
『宗教的経験の諸相』上 P211
『宗教的経験の諸相』上 P213
『宗教的経験の諸相』上 P214
『宗教的経験の諸相』上 P219
『宗教的経験の諸相』上 P224
『宗教的経験の諸相』上 P230
『宗教的経験の諸相』上 P231
『宗教的経験の諸相』上 P245
『宗教的経験の諸相』上 P247
『宗教的経験の諸相』上 P248

彼が、B経験者の受ける感情を詳述した箇所を読んでみよう。次の箇所である。

「閾」                         
ひびのはいった鐘          
失敗、また失敗!  
あらゆるものの背後には「死」と「暗黒」
髑髏が歯をむき出して                 
血も凍りつく寒さ                     
どん底の不幸                         
積極的で能動的な不安                 
憂鬱症患者の心象風景                 
形而上学的な解決                     
まったき絶望、恐怖の塊               
悪の事実こそ実在の真の部分           
密林の虎                             


このようにB経験の兆候を集中的に収集し、解説した本は世界でただ一冊であ
り、
Bを詳説するはじめての本であることに注目しよう。

 では、仏教が定めるB after A以外の場合、すなわちA only
A after BB onlyの場合は、何が起こり、どのように人間は
対処すべきなのであろうか。

ジェイムズはAの経験者ではなかったから、『宗教的経験の諸相』のなかで見いだされるAにかんする記述はきわめてお粗末である。また、Aに立脚する哲学とか宗教にたいする理解も極めて不完全で、見当違いが多い。A onlyA after B、の場合にたいする筋道立った対処法など書かれていない。

  にもかかわらず、この書物にたいして一方的で断罪的な最終評価を与えるまえに、慎重に、客観的に考えていただきたいのだが、

   A onlyは、生命を体感し、喜悦の感情にふれるのであるから、それが万一他人に共感されることはなくても問題はない。本人が自己満足するだけだからだ。

   A after Bも、(イグナチオ・デ・ロヨラの場合を考えてほしいのだが、)地獄経験をしてもがきまわっている間は苦痛に悲鳴をあげるのだが、その後で、突如、Aに到達するのであるから、これも問題は残らない。イグナチオのような狂信的な伝道者になるだけだ。

ところが現実に、生身の人間に生じる事態はこの仏教の公式通りには
進まない。人間は選択権をもっていないから、
Aが先になったり、Bが先
になったり、
Aだけで終わったり、Bだけでおしまいになったりする。記
号で書けば、

              A only  (A体験のみで終わる)
              A after B (はじめにB体験をし、そののちA体験にい
                   たる)
              B only    (B体験のみを経験する)
              B after A (はじめにA体験を経験し、そののちB体験
                   をする)


  少なくとも、上記の四つのケースが生じ得るのである。


  筆者はすでに『神秘体験』のなかで、「体験の履歴」という箇所でこ
れらのパターンを説明した。仏教が私たちに命じるパターンは、このう
B after Aである。