令和8年1月18日 新宮 晋 造形作家
滝ノ水音を聴くのが好きな男がいた。ずっとこの音を聴きながら暮らしたくてね滝の落ち口の頑丈な岩場に家を建てる決心をした。その男とはデパートを経営していたエドガー・カウフマン。依頼を受けた建築家はフランク・ロイド・ライト。この特別な自然環境を深く愛していた施主の気持ちに共感した彼は、滝の上にコンクリートのプラットフォームを乗り出すように置き、室内も石や自然の素材を多用することで、周囲の自然と融合するように心掛けた。カウフマンはこの家が大変気に入り、生涯週末をここで過ごした。歴史に残る名建築は、施主、環境、建築家の奇跡的な出会いによって生まれた。

令和8年1月11日 夏井いつき
たった一度会ったきりの見ず知らずの人が、心に強く刻まれることもある。
三十代の作品を集めた句集「伊月集 龍」を上梓した頃のこと。
目の前に立っているのは、黒衣の女性。「サイン」を求められた。私にとっては第一句集だし、サインする行為そのものが不慣れだし、そもそもサインって自分の名前を書けばよいだけかも分からない。有り難くもおずおずと本を受け取り、何を書くかと迷いつつ「句集中の一句を」と呟きつつ、こんな句を認めた。
抱きしめてもらへぬ春の魚では 夏井いつき
彼女はにっこりと本を受け取り、句を見つめた。じっと見つめている。しばらく身動きしないので、気に入らない句を書いてしまったか・・と後悔し始めたとたん、彼女の目から涙が零れた。ぽろぽろと落ちる涙に、私は絶句してしまった。
俳句は、あくまでも自分のために書くのだ、と思う。が、自分のために書いた小石のような十七音詩が、誰かの心の波紋となり、真実の涙となる。黒衣の女性の涙を見るまで、私は俳句の力を見くびっていたのかもしれない、とさえ思う。

令和8年1月4日 小山岑一
川喜多半泥子はプロの作陶家ではなく、銀行の頭取などを努める傍ら作陶を志し主に茶碗を作った。生涯に焼いた茶碗は三万五千余に及ぶという。アマチュアがこれだけの数を作るというのは大変なことである。しかもその作域の広いこと、種類の多いこと。私が今までに見た半泥子の茶碗は多くはないが、それでも百椀は超えていると思う。茶碗の表情はみんな違う。それでいて「ああ、半泥子だ」と思わせるものがある。
父、富士夫が京都でやきものの修行をしていた三十代のころ、グループ展で父だけが一点も売れずにいたら、最終日に半泥子が全部買ってくれたそうだ。以来交流が始まり、津に窯を築いた時は父がレンガを積んだ。
今更に我が身愛しき初湯かな

令和8年1月3日 新宮 晋 造形作家
風が地球の呼吸だとすれば、大気圏を循環し多種多様な生命を繁殖させる水は、この星の血液といえるかもしれない。
この地球独特の存在である水をてなずけ、身近なものにするために、人類はその歴史の中であらゆる努力を続けてきた。

京都・東山の山ろくにひっそりたたずむ詩仙堂の庭。
ししおどしは、茂みの中に隠れるように仕掛けられている。コットン、乾いた音が庭いっぱいに響く。
水に濡れ、石をたたき続ける竹筒は、一年と持たないので、その都度新しいものと取り換えられる。打たれ続ける石は、長年の間に深くえぐられている。これは音そのものを聞かせるというより、音と音の間の静寂を聴かせるための装置だ。

武勲の家に生まれ、自身武勇で名をはせた石川丈山が三十代で文人の道を選び、五十代の終わりに建てた隠棲の住まい詩仙堂。
世俗を離れ、清貧の中で漢詩と隷書を楽しみ続けた丈山は、九十歳の天寿をここで全うした。

令和8年1月2日 夜明けのタクシー 佐々涼子
若くしてお母さんになってしまった。上の子を産んだのは二十三歳の時で夫はもっと若くて二十二歳。子供たちは体が弱かった。夜に喘息になっては、夜間診療のお世話になった。上の息子がゼイゼイしだすと、遠い町の当番医まで、タクシーで行かなければならない。家にはお金がなかったので、タクシーを呼んだら、次の日には食べ物が買えなくなるような困窮ぶりだった。
当番医の名を告げるとタクシーの運転手は「はい」と言って車を走らせ「うちにも、孫を産んだ娘がいてね・・」と一言。
救急病院につくと、「吸引の間、待っててやっから、待ってる間、お金かかんないから」とほほ笑んでくれた。
吸引が終わると子供を抱えてタクシーに戻った。運転手は、車を走らせながら、こんなことを言った。
「お母さん、今は大変だろうと思う。でも、必ず、子供を持ってよかったと思う日が来る。子供が大きくなるのはあっというまだ。四十歳になる頃には、うんと楽になっているよ」
二十代の私には、四十代なんて、遠い未来のように感じられ両手の幼い子供たちのぬくもりだけが確かだった。
もう運転手の顔も覚えていない。もちろん二度と会う人ではなかった。
私は四十代、息子たちはふたりとも成人した。彼の言う通り、振り返ってみると、二十年なんてあっという間だ。
私は四十を目前に、ノンフィクションライターになった。
拙書二冊には、現場で働く運転手の証言が収録されている。私はあの日以来、運転手の語る人生が好きなのだ。

令和8年1月1日 団塊世代
昔の人は言いました。
「人生は 五分の真面目(まじめ)に 二分侠気(きょうき) 残り三分は 茶目に暮らせよ」
侠気とは男気 茶目はユーモア

笑って笑って七十八歳の団塊世代、合言葉は、
"心臓とめるな タクシーとめろ"
正月や千の煩悩ほしいまま