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| 陶芸教室7に続く |
| 令和7年12月31日 | 大晦日 |
| 令和7年もやがて逝こうとしているこの頃、この国の一年を回顧すると、未だ経験したことのない誠に多事多難の年であった。 例年の師走以上に、多くの人々が走り廻っている。 寄せる波あれば引く波去年今年 |
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| 「先生はえらい」のです。 たとえ何ひとつ教えてくれなくても。 「えらい」と思いさえすれば学びの道はひらかれる。 内田樹著 「先生はえらい」より |
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| 令和7年12月28日 | 阿久悠 |
| 父は退職の時宣言するように、「わしはもう働かないぞ、誰が何と言おうがいっさい働かない。猫のように暮らす」 と言って、その通りにした。 ぼくの作品については、たった一度、どういうタイミングであったか、おまえの歌は品がいいね、と言ったことがある。 |
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| 令和7年12月21日 | 早熟 |
| 次男に三人目が生まれるとき、皆で名前を考えた。 「エリカちゃんがいい」と言ったら、幼稚園児の孫が恥ずかしそうに、 「それはだめ、ボクが結婚する子だから」 四十歳独身の長男に爪のあかをせんじて飲ませたい。 日野市・老い先心配な女・66歳 |
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| 令和7年12月14日 | 試す |
| 市内のスーパーで温水洗浄便座のキャンペーン販売が行われていた。 商品には「ご自由にお試しください」とはり紙がしてあった。 唐津市・試さずに帰ってきた主婦・35歳 |
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| 令和7年12月7日 | ジャガイモ |
| 私は寮の調理員。ジャガイモが残り少なくなったので、八百屋さんに電話で注文した。 「今日のメークインはひん曲がってあまりようなかよ」 そこで私、「そんなら私んごたるね」 すかさず八百屋さん、「そこまでひどうなかばってん」 長崎県 メークインに負けた寮のおばさん・56歳 |
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| 令和7年11月30日 | 愛妻弁当 |
| 妻「えーっ、今日はお弁当いらないの。もう作っちゃったわよ」 私「いいじゃないか、お前が昼に食べれば」 妻「いやだ、あんなの」 宝塚市・ 俺はいつも食ってるぞ・34歳 |
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| 令和7年11月23日 | 手遅れ |
| うちのおじいちゃんは『ボケにならない本』を買ってきた。次の日、また買ってきた。 兵庫県・うちのおじいちゃんだいじょうぶかな・15歳 |
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| 令和7年11月16日 | 藝術 |
| 藝術と芸術。 簡単の方の芸は「くさぎる」「刈る」という意味で、難しい方の藝は「植える」「増やす」、つまり正反対の意味です。 もともと芸術も、農業や工業と一緒で、なにか、人にいいものを植えたり増やしたりする仕事なのである。 |
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| 令和7年11月9日 | 仏像 |
| 私たちがお寺や博物館で見るのは何時代の作でもキレイな仏像が多いので、つい「仏像って丈夫」と誤解してしまいそうになるが、石でできている西洋彫刻と違って、日本の仏像の九割が木製である。実はとても壊れやすい。 仏像が壊れる原因はいくつもある。 先ず温度や湿度、太陽光など。気温が急に上がったり湿度が急に下がったりすると、仏像の体幹部がひび割れたり折れたり、漆や彩色が剥がれ落ちたりしてしまう。 次に生物。ネズミやタヌキはお供えをねらって仏像をかじったり糞尿で木を腐らせる。虫は木を食べ、像の身体にもぐって巣をつくる。カビ、細菌、バクテリアも大敵だ。 さらに天災、地震、風水害、落雷。東日本大震災では多くのお寺で仏像が倒れ、壊れた。 そして人災。昔は平清盛や織田信長のように「言うことを聞かないから」と寺社を焼いたり壊したりする権力者がたくさんいた。下っ端の足軽や農民も、どさくさまぎれに寺の財宝を盗んだりした。近代になっても、漏電で法隆寺金堂の壁画が、放火で金閣寺が消失してしまった。1960年には、広隆寺の弥勒半跏思惟像が、シャレで抱きついた大学生によって右手の指を折られるという事件もあった。 |
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| 令和7年11月6日 | 誕生日 |
| 喜びの遊び (どんな状況であっても喜ぶことを探す遊び) ですが、私が陶芸と出会い、陶芸によって生活を楽しみ、陶芸によって人生を支えられる経験をした時、ああ、陶芸は喜びの遊びだと思いました。私たちは、喜びと哀しみの波間に生きています。風のような怒りに苛まれる時、真っ黒な森に迷うかのような悩みに押し潰される時もあります。辛いことがある時、苦しい状態に喘いでいる時、何でも喜ぶゲームなんて出来る筈がない。誰だってそう思います。 心が内へ内へ向き始めると、自分を卑下したり、周りの人を非難したり、社会を恨んだりします。そんな生きづらい日々の中にも、小さな喜びがある。陶芸はその見つけ方を教えてくれます。人生に起きる出来事を、是は是とし、非は非として受け入れる。そこから新しいものの見方が生まれてくるのではないでしょうか。 火はわが胸中にあり寒椿 |
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| 令和7年11月2日 | 佐藤久子 遠野市 52歳 |
| コーヒーを沸かしてポットに注いだ。「いざ出発」 晴れ渡った日曜日の昼下がり、私は夫を誘っていつもの場所へと車を走らせた。 山頂近くの牧場では、放たれた牛の群れが草山に引っ付くようにしながら草を食んでいる。 来て良かった。・・・。私はコーヒーをおいしそうに飲んでいる夫の横顔を見ながら安堵した。 いつも不規則な仕事に追われているうちに、夫は体調を崩した。それ以来、薬を常用しなければならなくなっている。 ある日、所用で夫の職場に出向いた。階段を上りきると、ドアの隙間から夫が見えた。何かを懸命に書いている。 私と子供に接する時の優して顔はそこにはなく、仕事に取り組んでいる厳しい顔つきの夫がいた。 私は胸が熱くなった。夫を愛おしいと思った。同時に、自分のことだけを考えている勝手さを恥じた。 「お父さんを大切にしなければいけないな」 帰りがけに夫との好きな大福を買った。 本来ならば豪華なステーキでもと思うところだが、貧乏性の私の頭に浮かんだのは大福だけだった。 |
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| 令和7年10月26日 | 花火 |
| 祭りの花火が終わり、辺りはすっかり暗くなった。人々は三々五々、その場を離れていく。いよいよ諏訪も秋だ。 毎年繰り返される諏訪の花火。見るものも、焼き付けるものも、こうして秋を迎え、日々、年老いていく。 無意識に人は花火に自分の人生を見ているのかもしれない。 |
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| 令和7年10月19日 | 父 阪田寛夫 内藤啓子 |
| 男一対女三で、どうしても家内では分が悪い父だったが、どちらかと言えば、母と私、父と妹で気があった。 父も妹も根は真摯で頑固な人間だったと思う。が、自分がまじめな努力家であることを表立たせるには、羞恥心が強すぎたのかもしれない。父は好色なダメ人間と名乗っていたし、妹は自らナマケモノと称していて、二人ともこんなに努力しているなどとは決して言わないし、見せなかった。 |
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| 令和7年10月12日 | 紅い花 |
| 作詞 松原史明 作曲 杉本眞人 唄 ちあきなおみ 昨日の夢を 追いかけて 今夜もひとり ざわめきに遊ぶ 昔の自分が なつかしくなり 酒をあおる 騒いで飲んでいるうちに こんなにはやく 時は過ぎるのか 琥珀のグラスに 浮かんで消える 虹色の夢 紅い花 想いを込めて ささげた恋唄 あの日あの頃は 今どこに いつか消えた夢ひとつ 悩んだあとの 苦笑い くやんでみても 時は戻らない 疲れた自分が 愛しくなって 酒に唄う いつしか外は 雨の音 乾いた胸が 思い出に濡れて 灯りがチラチラ 歪んでうつる あの日のように 紅い花 踏みにじられて 流れた恋唄 あの日あの頃は 今どこに いつか流れた 影ひとつ |
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| 令和7年10月5日 | 花 |
| 花はいくら美しく咲き誇っていてもいずれは散る。その散り方にもいくつかの種類がある。 桜は美しいままに花弁がちりぢりになって舞い落ちる。 ちるさくら海青ければ海へちる 高屋窓秋 椿などは、美しい形を保ったままの状態で、花全体がぽたりと落ちる。 ほったりと椿落ちけり水の紋 安藤橡面坊 牡丹は花びらが一枚ずつ落ちて下に重なってゆく。 牡丹散りてうちかさなりぬ二三片 蕪村 花の咲いている時間も様々であるが、いずれにしても花は咲初めが美しい。 今朝咲きし山梔子の又白きこと 星野立子 くちなしが散る時は、美しく咲いていた花の花弁の色が少しずつ変わり、形もしおれてから土に落ちる。 |
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| 令和7年9月28日 | 八世 坂東三津五郎 七五年フグ中毒で急逝 |
| 三十年ほど前、私が初めて「勧進帳」の弁慶をやった時、もちろん先代幸四郎さんのところへ稽古に通った。三度目に行ったとき、高麗屋の小父さんはたいへん喜んでくれて、三度来たのは俊ちゃんお前だけだ、君はこの次やる時は滝流(能の『安宅』の特殊な演出法)を是非やりなさい、と言ってくれた。 そして終戦の翌年、京都の南座でやった時は、父はたびたび見に来てくれて、いろいろ駄目(注意)を出してくれた。そして千秋楽になってからの叱言は、「お前さんのは一生懸命がむき出しだからいけない。一生懸命にやっても、それが一生懸命に見えないように、心掛けなさい」と言われた。 近頃になって父の言っていたことの意味は、実によくわかるようになったが、そんな役者になるなんて大変なことだ。父の芸を本当に好きだった人に、岸田劉生がいた。その岸田さんも生きている間は不遇だった。自分の絵が正しく評価されないことを、常に怒っていた。そして遊印に「隠世造宝」を使っていた。死んでしばらくたってから高く評価されるようになった。 絵は残る、役者の芸は死んでしまえばそれっきりだ。 |
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| 今朝秋や見入る鏡に親の顔 村上鬼城 | |
| 令和7年9月21日 | キューブラー・ロス 「死の受容への五段階」 |
| 第一段階「否認」予期せぬ衝撃や事態を直視できず、「そんなはずはない」と否認する。心理的緩衝装置である。 第二段階「怒り・恨み」否定の感情を維持できなくなり、怒り、恨み、ねたみ、憤りの感情が表面化し、なにごとに対しても怒りや不満を抱く 第三段階「取引」延命や苦痛のない日々の保証を得るために、神や治療者と見返りを約束して取引を行う。 第四段階「抑うつ」病気に対する自覚が高まり、喪失感が増す。愛する人々との別離、残した仕事への未練、死への恐怖などから抑うつ状態になる。 第五段階「受容」嘆きも悲しみもなく、静かな状態で近づく自分の終を見つめることができる。受容には感情がない。患者は衰弱し、嗜眠(強い刺激を与えないと睡眠から覚醒しない状態。これが進むと昏睡に至る)となる。 また一人友達逝きて秋彼岸 |
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| 令和7年9月14日 | 名嘉あゆみ (東京都 30歳) |
| 「主人は沖縄出身ですの・・」この上なく穏やかな笑顔を浮かべながら母はそう言った。朦朧とした意識の中で母は新婚時代の夢でも見ていたのだろうか。目を半開きにしながら必死で息をしているはずなのに「主人は沖縄出身ですの・・」。黒砂糖によって母は確かにそう言った。それをはっきりと耳にした父の目から溢れ出た涙が、握った母の手にぽたりぽたりとと落ちていくのを、私はそっと見ていた。生まれて初めて見た父の涙だった。 「どんな薬よりも沖縄の黒砂糖がカラダに一番いいんだ」と言って、自慢の黒砂糖水を染み込ませたティッシュを、母の口元に必死に添えた父。最後にあの言葉を発したのは、間違いなく母が黒砂糖を味わい、そして父の思いが通じた瞬間だったと思う。そして、その言葉が母の最期の言葉になった。49歳だった。 あれから十年、結婚をして新しい家庭を持った私の元に、一人暮らしをしている田舎の父から、時々大量のお米や果物が届く。そして大きな箱の片隅に、いつも入っているのは黒砂糖。 父はあの時のことをおぼえているのだろうか。私は、未だに黒砂糖を口にできないでいる。 |
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| まだ手を振っている一本道や鰯雲 | |
| 令和7年9月7日 | 鈴木真砂女 |
| 笑い茸食べて笑ってみたきかな 鈴木真砂女は銀座「卯波」の女将として、恋に忠実に生きた女流俳人。 仏頂面ばかりしていると鏡を見る度に我ながら思うが、仕事も忙しけりゃ、世間の風も冷たい、暢気に笑っている余裕も暇もない。落語に出てくる仏頂面の仏頂さんみたいに、たまには笑い茸でも食べて思い切り笑ってみたいものだよ。 |
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| 令和7年8月31日 | 花冷え |
| 癌らしき友の便りに花冷えと 亡き妻の小箱の中の桜貝 夕やけや路地に幸せ不幸せ |
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| 令和7月8月24日 |