陶芸教室5に続く

令和5年12月31日 晦日
陶芸家は土をこね、窯の薪木が燃えるのにすべてを託し、まさに天然自然の産物である窯変に一喜一憂する。

百八は ちと多すぎる 除夜の鐘   
もう少し 突いておくれよ 除夜の鐘  妻

冬本番となり寒さ日増しに強くなりますのでお体を大切にお願い申し上げます。

令和5年12月24日 無常
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
奢れる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
(世の中すべて、移ろい変わらぬものなんかないのだ。飛花落葉を見ればわかる。)

令和5年12月17日 陶芸
老境に入った今美しく老いることの難しさに思い至り、生かされているうちは気張らず楽しく生きたい。
陶芸は我が人生の杖であると思っております。

「さらさらと流れに沿って生きるにも 風も立ったり花も咲いたり」

令和5年12月10日 おしゃれ
「せぬところが面白き」 世阿弥
 「せぬ」ということは即ち余白であり言葉少なであり、そしてとてもおしゃれなことです。
皿いっぱいに盛ると田舎料理になり、皿にちょっぴりおくと上品な懐石料理になります。
少しの文で用を足すなら、きびしい省略が必要です。だらだらとつまらない文は到底おしゃれではありません。
古来日本に 「粋」 という言葉がありますが、粋はおしゃれの極致です。
左右対称の数学的理詰めでなく、少しひずんで狂いのあること、歌舞伎の七・三のアンバランスがおしゃれです。小唄に
「粋なからすは夜明けにゃ鳴かぬ
 野暮なからすがめちゃに鳴く」

令和5年12月3日 詭弁 出久根達郎
詭弁とは、いかなるものか。簡単にいえば、ごまかしの論である。
例。「酸素は可燃物である。水素も可燃物である。水は酸素と水素とから成る化合物である。故に水は可燃物である」
大正十年の国民新聞によると、「木賃宿」なる名称は不快であるから、これを軽便宿、または大正宿、簡易宿、準旅館、貸宿のいずれかに改めたいという声が出た、とある。それだけではない。「従来の 『女中』 なる名称には、下げすんだ侮辱的な伝統的観念が伴うからそれを取り去る為に」次のように変更してはどうか、と提案された。
その言い換え語だが、家庭手、家庭婦、家事取締役、保母兼家事婦、主婦の助手、家政補助者。
お手伝いさん、は入っていないが、家政補助者と変わらぬ。大正十一・ニ年頃にすでに問題になっていた、というのが面白い。
そして適当な名称に改まったとしても、内容が変わらぬ以上また改称問題が起きよう、と著者はコメントしている。
詭弁にあらず、正論である。

令和5年11月26日 私の青空
名訳詞家、堀内敬三訳による「私の青空」。1927年にアメリカでヒットし、日本では翌年ヒットした。
大正生まれの私の父はよく歌っていた。

 
夕暮れに 仰ぎ見る 輝く青空
 日が暮れて たどるは 我が家の細道
 狭いながらも 楽しい我が家 愛の日影のさすところ
 恋しい家こそ 私の青空

令和5年11月19日 紅葉
紅葉した木々に粉雪が降る。
妖しくも幻想的な風景。
秋から冬へ移りゆく季節の節目を飾る、自然の祭典ともいうべき紅葉の風景には、人をはるかな思いに誘う不思議な魅力がある。
野山の色もいよいよ深く、初霜の候となりました。
冬夕焼け 追えば逃げゆくものばかり

令和5年11月12日
秋が深まるとともに、樹木類は落葉し、草花類もほとんど地上部は枯れてしまう。
ことに樹木類は早くも葉芽を付けるなど、来春に向けて着実に準備態勢にはいっているのが見て取れる。
人間はそうはいかないけれども、老年に達しても、いきいきとした柔軟さを失わず、晴れやかな明るさを保ち続けたい。

令和5年11月6日 誕生日
七十六歳になりました。
おやじが昔、 「疲れるからナニナニ・・」といいだした時は、まるでそれが人間性の欠陥であるかのように見做して、
(ダメだなあ) と心中、舌打ちしていた。
ところがどうだろう、自分がおやじのその年頃になると、飲み会に行っても 「今帰ると、明日が楽だなあ」という気がしてくる。
若い頃は健啖家だったが、頓に小食になった。食欲もあり美味しいと思うが、「そう食えなくなった」。
もういちいちメモに頼らないといけない。一を聞いて十を悟った自称神童の世界ははるかに遠くなったのだ。
何でもお見通しのように思っていた昔がなつかしい。
好むと好まざるにかかわらず、人はみな、こうして先達のあとを追うのであろうか。
今や、私自身、自分の歳におもいいたると驚き呆れ、恐懼する段階に入ってしまったのだから、まったく 「時代は変わる」 というほかない。

令和5年11月5日 道祖神
十一月になった。 今年もあと二ヶ月を切ったと思うと、毎年のことながら、月日のたつ速さに驚き、にわかに慌ただしい気分になる。
ただひとり 風の音聞く 道祖神
雲のゆく 萩のこぼれて 道祖神

令和5年10月29日 ジャン・クリストフ・グランジェ
人は皆、あらかじめ定めた目的を達成することで 『完璧』 になれる、ようやくあるべき自分になれると思っている。
けれども本当はその逆に、もともと人間は守られなかった約束からできている。
わたしたちは皆、破れた夢の残滓なのだ。

令和5年10月22日 推敲
爽やかな季節になった。
人生の秋から冬になり、のびのび元気に過ごしたいものです。

推敲とは、昔、唐の詩人賈島が自作の詩の中で、「僧は推(お)す月下の門」 か 「僧は敲(たた)く月下の門」かのどちらがよいのかと大いに迷ったという故事から生まれた言葉です。推すか敲くか。これは文章一般に言えますが、推敲という作業は大切です。

令和5年10月15日 日本人だけが知らない日本人のうわさ 石井光太
国旗のワッペンというのは、旅行者には意外と知られているアイテムです。
以前インドネシアの島にいた時、韓国人女性に出会いました。
彼女は帽子にも、シャツにも・ズボンにも韓国の国旗のついたワッペンをつけていました。
一体なぜそんなことをしているのかと尋ねると。
「日本人に思われると、地元の変な男が次から次にナンパしてくるの。声をかけられるのを待ってホイホイついていく日本人女性と思われるのよ。私はそれが嫌で、一目で韓国人だとわかってもらうようにしているの。韓国人はコワいって思われているから安心なの」
この話を聞いて、思わず 「我が国の女性がだらしなくて面目ない」 と謝ってしまいました。
東南アジアのビーチなどでそういう日本人女性を何度も目撃しましたから。

水無月や何はなくとも冷やし酒

令和5年10月8日 貝原益軒
 越し方は 一夜ばかりの 心地して
  八十路あまりの 夢を見しかな

儒学者にて医者。死ぬ前年の八十三歳に著した 『養生訓』 は 「身体の養生」 のみならず 「こころの養生」 が大事であるという。
「老後は一日も楽しまずして空しく過ごすは惜しむべし、老後の一日、千金にあたるべし」 というのも高齢化社会を迎えた時代の心の養生だろう。その益軒が、過ぎ去りし八十年余のわが人生、あたかも一夜ばかりの夢を見たような気がする・・・とは、どういう心境か若輩の私には推し量りかねる。

令和5年10月1日 辞世の句
辞世とは世を辞すること、つまり死ぬことで、死の際に遺す言葉が辞世の句。
人は、生まれ、やがて死ぬ。人生半ばにしての非業の死か、または天寿をまっとうして迎えた死か、いずれにせよ死ぬ。
死ぬ運命にあるのだから、死ぬまでの間をどう生きるか…。
そのことを考えさせるために、辞世の句という教材があるような気がする。
人は知性あってこそ人間として生きられる。知性ある人間として生きられれば、その死も、また美しい。
 飲まれずに 飲んで卒寿や 酔芙蓉   棟田正史  福井県 九十歳
二十歳の年から飲んで酒歴七十年と意気軒昂である。思えばよく飲んできたもんだ。
しかし、楽しい酒で、酒の上の失敗がなかったのが自慢だ。
これからどれだけ生きられるのか神のみが知る。
末期の水も生命の水(酒)と行きたいものだ。人生万歳。

令和5年9月23日 秋分の日
猛暑で弱った心身が癒され、元気が回復したら、秋の夜長、ゆっくり読書にふけりたいものです。
霜葉とともに一杯、一杯また一杯と酌みかわすもいいが、私は庭の紅葉に目をやりながら、ゆっくりミステリーを読みたい。
白露、秋分と、日ごとに秋の深まるなか、机に積んだまま、なかなか読めずにいる本を、気の向くままゆったりとめくるのも悪くない。

令和5年9月17日 仲秋
敬老の日の一週間前は仲秋の名月。
私もそれなり人並みに曲折に富んだ長い歳月を過ごしてきた。さまざまな苦い経験を味わい尽くして老境に入った。
いろいろな思いを深く胸の底に織りたたんで、ひんやりした秋の夜風に吹かれ、冴え冴えとした満月を見上げながら、ことごとしく語るともなく、ただゆったりと
「さわやかないい秋だ」 などと呟いてみたい。

令和5年9月3日 初秋
いかに暑さがつづいても、季節はめぐり、九月に入るや二十四節気の一つ、白露がやって来る。
この頃から、秋の気配が深まって夜が長くなり、空気もひんやりしてくる。
石膏型を作りました。

令和5年8月16日 暑い
昔に比べて夏は信じられないほど暑くなり、日本は熱帯になったのかと思われるほどだが、そんななかでも植物はすくすくと育ち、そのたくましさに驚かされる。

令和5年8月15日 藤原正彦
平成二十一年の春、お茶の水女子大を定年退職した私のために、かってのゼミ生が数十名集まって祝ってくれた。
驚いたのは二十六歳から三十六歳までの参加者のうち約三分の二が独身という事だった。
私の圧倒的魅力を未だ忘れられずにいるのかとも思ったが、実際は単に結婚しだがっていないようだだった。
学生時代の彼女たちには「君達のような才色兼備の人こそお国のためにどんどん産んでくれ」と言っておいたのにだ。
実は偉そうなことを言う私の御膝元でも三十歳を頭とする三人の息子が一向に結婚しない。もてないのだとしたら私の責任だ。
「結婚や出産は個人の自由だ」などと考えているとしたら、軽薄な舶来思想に染まっている女房のせいだ。
いよいよ救国のため私自身が立ち上がる時が来たようだ。
女房に「祖国への最後のご奉仕としてこれからじゃんじゃん子供を作るぞ」と宣言したら、「頑張ってくださいね、外で」と励ましてくれた。
浅薄だがよくできた女房だ。さあ困った。

令和5年8月14日 二人の空 群馬県 小林光枝
大きな入道雲のうしろに、太陽が隠れた。さわさわと涼しい風が吹き始めたので少し外に出てみたくなりました。
真っ青な空を見上げていると、西から東へと、真っ白い飛行機雲が伸びていきます。
大空を真っ二つにして、その白い線は、はるか雲のかなたへと続いていきました。
夫が仕事から帰るなり、「今日、飛行機雲を見たぞ!」 と、自慢げに話しかけてきました。
「見た!見た!私も見たよ!」 なんだか、そんな偶然だけど、二人して笑ってしまいました。
性格が陽性の人はどんな時でもくよくよ思い悩んだりしない。
人生は常にバラ色、と信ずること。

令和5年8月6日 猛暑日
夏真っ盛りである。子供の頃は真っ黒に日焼けして遊びまわっていたけれど、今やそんな元気はさらになく、ただ夏バテしないよう、静かに過ごすばかりである。
暑い暑いと言ううちに、暦のうえでは立秋になり、お盆がやって来る。八月には精霊との交感をはかる行事が多いのが目に付く。
春や夏を支配した陽の気がしだいに衰え、陰の季節である秋や冬へと移行する境目の時期に、精霊と生者が出会うということなのであろうか。人は長い生命の連鎖を受け継いで生きるものだとしみじみ思う。

令和5年7月23日 大きな作品
大きな作品に10人が挑戦しました。

令和5年7月9日 チャーチル
「犬はわれわれを見上げ、猫はわれわれを見下すが、豚はわれわれを同等に扱う」 ウィンストン・チャーチル

令和5年6月25日 アジサイ
六月の花といえばアジサイである。私はアジサイが好きなので、アナベル・山紫陽花を加えると相当な数を育てている。
花木と共に暮らしていると、せっかちな私も気が長くなり、たとえ開花しなくても、植物時間の経過のままに、静かに見守っていようという気になる。

令和5年6月18日 黛まどか
   春の暮れ 老人と逢う それが父     能村研三
春の夕暮れ、どこかの老人のシルエットが近づいてきました。・・・

が、間近にくると、それは紛れもなく自分の父だったのです。
親の老いは子供にとって寂しいものです。
ある日ふとそれに気がついた時、子供は愕然とするものですが、揚句はその衝撃を静かにかつ鋭く表しています。
いつの間にかこんなに年老いていた父。今まで懸命に自分たちを支え続けてくれた父の姿です。

令和5年5月28日 韓国の新聞より
野球選手だった在日韓国人の張本勲氏が「いつまで日本に『謝罪しろ』『カネを出せ』と繰り返さないといけないのか。恥ずかしい」と語った。張本氏は「当時はわれわれが弱くて国を奪われたが、今では自負を持って日本と対等に手を組み、隣国として進んでいってはいけないのか」と述べた。「私は韓国人で、私の祖国だから言うこと」だとし、多くの韓国国民も、今や韓国は先進国になったのに、いつまで日本と非正常な関係を引きずりながら「謝罪しろ」「カネを出せ」と言うのか−という思いを抱いている。外部勢力に侵略されて植民地になった国は多い。だが韓国のように、80年も謝罪と賠償を要求し続けている国はない。ベトナムはフランスの統治と日本軍の進駐、米国との戦争などで800万人の国民を失った。だが相手国に賠償を要求する代わりに「未来のために協力しよう」と言った。金大中政権が「韓国軍のベトナム良民虐殺疑惑」に対する補償の意志を明かすと「必要ない」と答えた。ポーランドはドイツとの安全保障協力を強化した。過去は忘れないが、未来へ向かったのだ。1965年の請求権協定には徴用被害者の補償が明白に明示されており補償もなされた。盧武鉉政権も「日本に再び賠償を要求することはできない」と結論を下した。そのとき文在寅前大統領も政権に参加していた。ところが大統領になると反日攻勢に利用した。慰安婦合意も事実上破棄した。尹錫悦政権が困難の中で徴用被害者への第三者弁済案を打ち出したが、革新系最大野党の「共に民主党」は「屈従外交」だとの非難に忙しい。何の代案も提示しない。ひたすら国民感情を刺激し、政治上の利得を狙う計算あるのみだ。今、大韓民国は世界第6位の輸出大国で、国民1人あたりの国内総生産(GDP)は日本に並ぶ。国家競争力の順位は日本を上回った。そんな韓国が絶えず「カネを出せ」と言ったら、国際社会はどう思うか。歴史の教訓を忘れてはならないが、被害意識からは抜け出すべきだ。反日攻勢をカネ稼ぎと政治に利用する勢力も、もうそんなことはやめなければならない。

令和5年5月21日
死を考えるとは、生を考えることである。
自分自身の死の場合、余命が短いとわかったとき、いかに生きるかとか、延命治療を試みるか、尊厳死を望むか。
せっぱつまった状況に追い込まれる前から、自分なりの "死に方の美学"を考えておくことが重要になってくる。
肉親・恋人・親友の死においては、死が避けられなくなった愛する人の "人生の完成 "をいかに支援するか、そして愛する人を喪失した自分自身をいかに癒し、再生させるかということが重要になってくる。
知人・他人の死においては、一般には同情や哀悼の対象でしかないが、医師や看護師にとっての患者の死は特殊な意味を持っている。
患者の闘病を支え、よりよい最期を迎えられるように力をつくす職業的な責務を担っているのである。

令和5年5月7日 三木成夫
人間の体は内臓系と体壁系の二つに分かれる。
内臓系は吸収と排泄をつかさどるもので、肝臓(吸収)と腎臓(排出)がその二本柱であり、全体の代表は心臓。
いっぽう体壁系というのは感覚と運動をつかさどるもので、その代表は脳髄。
そして、こころは内臓の動きにあり脳にはないと言う。つまり、内臓を見直せ・内臓のいうことも聞けと言う。
頭は鼻・耳・目といった感覚器を統御する脳からなり体壁系だが、顔は、栄養の入り口である口と呼吸の入り口である鼻から構成されている内臓系である。
表情は内臓運動すなわち、『はらわたの動き』が、文字どおり『目・鼻をつけて』飛び出し、白日のもとに曝されたものに他ならない。
ヒトの胎児は、受胎三十二日からのわずか一週間の間に、五億年におよぶ脊椎動物の進化の歴史を象徴的にドラマチックに再現してみせる。受胎三十二日間のヒトの胎児の顔は、古代デポン紀のサメ類の顔を連想させる(三木氏の命名では半鮫半人)。三十五日目にはデポン紀後期〜石炭紀の原始硬骨魚類や両生類の顔に似て来て(半魚半人)、三十六日目には中生代三畳期のムカシトカゲを思わせる顔になり(半竜半人)、三十八日目には新生代第三紀の原始哺乳類の顔になる(半獣半人)・・・という。

令和5年5月5日 花 埼玉県 池内美也子
気がつくと下を向いて歩いている。
大金が落ちているわけでもないのに下を向いて歩いている。
これではつまらない。
今の季節、花が美しい。
その家々に咲く、左の雪柳、右のこぶしを眺めながら歩くことにしよう。

令和5年5月4日 怒っても好き 四日市市 浅田真理子
四歳の息子を必要以上にきつく叱ってしまった。
あとで心がズゥーンと痛む。
息子を抱いてあやまった。すると息子が微笑んで、
「うん、いいよ、ぼく、ママが怒っても好きだから」
わっと涙が目にあふれ、私は息子をもう一度強く抱きしめた。
彼の髪の甘い香りが、つかれた私をふんわり包んでくれた。

令和5年5月3日 ビートたけし (平成十二年の本より)
98年に、おいらが連載している「新潮45」が堺の十九歳「通り魔」のことを実名入りで書いた
シンナーを吸った男が近所の五歳の幼女に馬のりになり、包丁でめった突きに刺し殺したという、救いのない事件だよ。
その「通り魔」が、新潮社と編集長を訴えた。
十九歳は少年だ。名前と顔写真を出すのは少年法違反である。プライバシーを侵害され、著しい精神的苦痛を味わったから慰謝料を払え。おいらにはブラック・ジョークとしか思えない内容だよ。
その一審判決では、新潮社側が負けた。
この判決を下した女の裁判長は、この判決がどんな意味を持つのか、本当にわかっているのかと思ったね。
この「通り魔」には「人権派弁護士」といわれる連中がついている。勝訴して賠償金が得られたら、そのカネは被害者への弁償にあてる。
という念書を本人に書かせている。だけど、常識で考えれば、そんなカネを被害者が受け取るわけがないだろう。
「人権派弁護士」には、その程度の常識さえないんだ。
一審みたいな判決がまかり通るとしたら、まさに、「石が流れて木の葉が沈む」 時代になったとしか言いようがないもの。
もっとも、二審の大阪高裁では、新潮社側が逆転勝訴したけどね。
今もそのてのヤツが「民主主義」だとか「平和」「反戦」「人権」とか言いますが、ほんと胡散臭いね。
最近被害者側の人権が言われるようになりました。

令和5年4月23日 生達人
今年の春は天候不順で寒暖の差が激しく、日替わりで冬と春がやって来るような日が続いたが、桜は例年にもまして美しく咲いた。新緑の季節となった今、ようやく天候も安定して、木々の若葉が爽やかな風にそよぎ、私は散歩に出かける。
北宋の大文人 蘇東坡は、いついかなる時も楽しく生きる術を見出す 「生達人」 だった。
蘇東坡には及びもつかないとしても、美しい花に心躍らせ、おいしい旬の食物を求めながら、こころゆたかな日々を過ごしたいものです。

令和5年4月16日 親子の会話 VOWより
知人から聞いた話ですが、火葬場で遺骨拾いのとき、若い母親が子供に「ほら、おじいちゃん"ドクロ"になっちゃったよ」。
ドクロってアンタ・・ (岡山県 19歳 ・男)
(編集人 あのー、ちょっと思うんですけど、火葬場の人って「この魚の形した骨がどうで・・・」
とか、やたらやきあがった骨について詳しく説明しない?あれもやはり"喪の仕事"の中の芸なのでしょうか。)

街で見かけた居酒屋さんの看板。「酒は古酒 女は年増」 (千葉県 34歳 ・女)
(編集人 辞書には [年増] 娘盛りを少し過ぎた婦人。江戸時代には二十歳過ぎ、今は三十〜四十歳の婦人。
てことは、この看板にオレは何の異論もないということです。)

この本を読むと絶望感でいっぱいになります。日本に未来はあるのでしょうか。
下諏訪美術会陶芸講習会の作品を皆さんに渡しました。

令和5年4月9日 一番窯の窯焚き
6日〜9日に岩田さんが窯焚きです。
私は7日AM9:00〜PM4:00、8日PM2:00〜PM5:00、9日AM9:00〜PM3:30終了まで、応援に行きました。
ご近所の陶芸家・西井さんは毎日援に来ていました。
YouTubeのライブ映像 炭を30Kg投入

令和5年4月2日 三面記事はおかしな記事が多い VOWより
「雑居ビル火事。二階女性用トイレから出火。この火事で、火元とみられる女性用トイレ内にいた男性一人が顔面にやけどを負った、放火による出火と思われる」
(投稿人コメント。 こいつが犯人としか思えないんですが)
(編集人コメント。 ぎゃはは、投稿人のスルドイ推理に頭が下がる思いです)

令和5年3月26日 幸せ家族 VOWより
私は20歳まで、国内旅行にもパスポートがいると思い込んでいました。
夫はつい最近34歳になりましたが、ちょっと前までは、「ヨーロッパ」という国の名前があると信じ込んでいました。・・・
私たち、けっこうお似合いの夫婦ですか。(千葉県 33歳・女)

最近、疲れ気味で「風呂入るの面倒臭いな」と義母と話していたら、横で新聞を読んでいた義父が、一言「ワキとタマだけ洗っときゃいいじゃないか」と爆弾発言。そりゃ、臭いのはそこかもしれないけど、一応嫁だよ。
聞いたこっちが恥ずかしくなってしまった。ちなみに旦那は、常にヘソから異臭を放ってます。
(静岡県 35歳 ・女)

令和5年3月19日 春風亭柳朝
春風亭柳朝は破天荒な落語家だった。師匠から何度も破門を申し渡される。生きてはいけないと悲観し柳朝は遺書を書く。
「長々お世話になりました。私は駒形橋から隅田川に身を投げて死にます。探さないでください」
師匠 (林家正蔵。晩年にこの名を海老名家に返上し、林家彦六と改名) は柳朝を呼び出し、苦虫をかみつぶした顔で言う。
「こんど死のうと思った時は黙って死んでおくれ。遺書に場所まで書くこたあない」

令和5年3月12日 万作
紅万作の花が咲きました。
浅い春に、色のない庭に、灯をともすかのように咲くこの花は、季節の魁のひとつです。
彼岸前 寒さも一夜二夜かな

令和5年3月4日 下諏訪美術会陶芸講習会
寒さが人一倍こたえる身には、花の蕾が膨らむ春の訪れがことのほかうれしい。
我が家の小梅は五分咲きです。

下諏訪美術会の陶芸講習会で講師を務めました。
新型コロナは治まってきましたので、四年ぶりに一般の方たちも募集して開催しました。
会場は満員でしたが、和気あいあい、それぞれ個性あふれる作品が出来ました。

皆さん、土をこねているだけで、とても気持ちが安らぐようで楽しく作品作りをしていました。
今年は楽陶の会の生徒さんにも参加していただき、岩田さんの一番窯 (穴窯) で焼くことになりました。
参加者  会員 10 名・ 一般 2 名・ 学生 1 名

令和5年2月19日 黒田杏子
恐れ多いことですが、柳家小三治師匠と私はペンフレンドです。
あるとき、
「これは提案ですが、今後は黒田杏子様、柳田小三治様ということで、先生ということはお互いに中止してはと考えます。そうしましょうや、柳家小三治」 というお葉書をいただき、即実行に入りましたので、以来必ずそうなっております。
「俳句の玉手箱」 という本をお送りしたときのことです。
「生まれてはじめて、玉手箱というものをいただきました。もったいないので、まだ開けてはおりません。ありがとうございました」
そして一週間ほどのちにまた同じ和紙風のハガキをいただきました。
「玉手箱の中味は実にたのしいものでした。とても幸せな気分になりました。お元気で」
つまり、柳家小三治師匠の二枚続きのシリーズハガキを受け取っている、私は果報者です。
春よこい 明るい話題 連れてこい

令和5年1月2日 初詣
この先もふたりで行こう初詣で
妻がいて 冬には冬の 花が咲き


令和5年1月1日 正月
年頭に 孫の笑うを みやげ哉 一茶
子供が孫をつれてやって来た。孫の笑い顔が何よりのみやげだという。