ラ  ン  ス  (3)

              2014/05/18

 駅で帰りのTGVの切符を買い、駅近くのHotel Bristolの路上レストランで遅い昼食をとり、帰りました。また、ムール貝を食べたのです。

4. 藤田礼拝堂

 藤田礼拝堂については、沢山の訪問記が公表されていますので、煩瑣な説明は割愛することにします。

 ただ、ランスの藤田礼拝堂とランス駅の中間地点、ブラングラン(Boulingrin)に2018年に新しい美術館が新設され、そのなかに藤田嗣治特別室が設けられることになっているようです。(新聞記事) これが完成するとランスはフランスのなかで藤田美術のメッカになり、美術館と藤田礼拝堂をつなぐ新しい観光ルートができあがることになります。楽しみです。

 このように、カトリックの真髄である「神秘的な光」を啓示的に見た人が藤田嗣治であり、このような経験を報告する人はそんなに多くないから、そしてそれを見た場所がこともあろうに、バシリカ・サン・レミ聖堂であったからたまらない。

 藤田嗣治は、「クロヴィス一世の1500年後の)甦り」と受け取られているのかも知れません。だから、フランス・カトリックの原点である大聖堂で特別扱いを受けているのでしょう。

こういうフランス・カトリックの視点で注視すると、藤田は将来、「列福」あるいは「列聖」される可能性が充分にあると思われる。

 神秘体験の際に経験する「神秘的な光」は、アウグスティヌスも『告白』のなかで記載している。

わたしはこれらの書物から自分自身にたちかえり、あなたに導かれて私の心の最奥に進んでいった。……わたしは進んでいったとき、……まさしくこの魂の目の上に、わたしの精神の上に、普遍の光を見た。…………この光は、油が水の上に、あるいは天が地の上にあるようにわたしの精神の上にあったのではなく、私を造ったからわたしの上にあり、わたしはそれによって造られたから、わたしは その下にあったのである。真理を知るものはこの光を知り、この光を知るものは永遠を知る。それを知るものは愛である。

 アウグスティヌスばかりではなく、『新約聖書』ヨハネ伝福音書第一章のなかでヨハネが述べる「太初(はじめ)に言(ことば)あり」のロゴスも「光」であった。

 藤田嗣治は195910月、この由緒正しきサン・レミ・バシリカ聖堂を友人ジョルジュ・プラード氏(ランスのシャンパン業界の大物)とたずね、「神秘的啓示」を受けた。その結果、改宗するにいたったのであるが、その「神秘的啓示」とはどのようなものであったのだろうか。


jun-gloriosaによれば、

エコール・ド・パリの画家藤田嗣治は1959年、この聖堂を訪れた。

祭壇のロウソクを灯そうとした時、辺り一帯に神秘的な光が広がるのを体験したという。その経験を機に、彼はカトリックに改宗し、この地に礼拝堂を建設することになる・・・

画像:
サン・レミの生涯を描く表紙板、ランスの工房、9世紀末(?)、象牙、18.3 x 12.2 cm、ピカルディー美術館、アミアン。
これは、クロヴィス洗礼で知られているもっとも古い作品であり、聖アンプルの奇蹟も描かれている。
出典: “Reims”, Connaissance des Arts.

注:聖アンプルの奇蹟:サン・レミには「瀕死の異教徒の洗礼伝説」として知られている初期伝説がある。この伝説によれば、一人の瀕死の異教徒が、サン・レミの手によって洗礼されることを願った。だが、洗礼式を正しく執り行うために必要な公教要理油も聖油もないことが分かった。このとき、サン・レミは二本の空のガラス瓶を祭壇に置くように命じた。そして、彼がその前で祈ったとき、二本のガラス瓶は不思議なことに、それぞれ必要だった公教要理油と聖油で満たされた。

ここにフランスのカトリック化が開始され、クロヴィスの王権によるカトリック教会の権威づけが確立され、アウグスティヌスの世界が広がった。

 つまり、フランスにおけるカトリックの原点がここに発生した。

三位一体という同質性、聖霊(白鳩)、などという概念がこのサン・レミ聖堂からフランスに広まったのである。

(注:アタナシウス派三位一体論、ならびにエドワード・ギボンによる現代的考察を参照されよ。)

 クロヴィス一世はフランク族の最初の支配者(メロヴィング朝)であった。彼は西暦48115歳で父親の跡を継ぎ、486年にソワソンの戦い、496年にトルビアックの戦いなどで勝利し領土をひろめた。西暦4961224日、彼は妻クロティルダのすすめで、サン・レミによりランスで洗礼を受け、アタナシウス派(カトリック教会)に改宗し、498年にランスで戴冠式をおこなった。

 では、皆様ご機嫌よう。

写真:隣席にいた女性です。知り合いではありません。

 藤田嗣治がこのような神秘的啓示を受けたのは、彼が73歳のときでした。同じ画家である上村松篁が神秘体験を受けたのは51歳のときだったことはご記憶されているでしょう。また、林武は早熟で1回目はわずか14歳のとき、そして2回目は25歳のときでした。画家が画業にたいして発揮する精神的な集中力は、坐禅の際の集中力に匹敵しているのかも知れません。

3. サン・レミ・バシリカ聖堂

画像:キリスト降架 1959 (切抜き)
油彩・キャンバス 112 x 144 パリ市立近代美術館
藤田嗣治画集 講談社 2002 P156

 「神秘的啓示」を受けた直後に藤田が描いた作品です。直(じか)にご覧いただくとお分かりいただけると思いますが、深い精神性が読み取れます。彼の作風が「神秘的啓示」のあとで一変しているのです。

画像と説明
 この教会には、名前の通りサン・レミ(聖レミ)の遺体が安置されている。彼は初代フランフ国王クロヴィスに洗礼を授けた司教。これによってフランク王国はキリスト教の国となるわけだ。また、この儀式の最中に聖霊を意味する白い鳩が現れて聖油をクロヴィスに運ぶという奇蹟が起こった。つまり、フランス 建国に際し、神の意志が働いた教会とされ、後に国王の戴冠式はランスで行われる決まりとなったという。