ラ ン ス (2)
2014/05/18
これで終了と思っていたら、一枚の掲示板がみつかりました。
写真:「微笑む天使」大聖堂左入口
画像:ランスにおける藤田嗣治の洗礼
日本人の画家・版画家である藤田嗣治はランスの大聖堂で1959年10月14日、洗礼を受けた。義父はレネ・ラルー(Mummシャンパン製造会社社長)、義母はフランソワ・テッティンジェであった。彼の洗礼名はレオナール・藤田である。ここには彼の妻、堀内君代が写っている。
画像:ジャンヌ=ダルク像、トー宮殿
この大聖堂は歴代のフランス王が戴冠式を挙げた由緒正しい寺院でありますから、この寺院で藤田嗣治が洗礼を受けることも大変な名誉なのでしょうが、その洗礼の事実がことさらにこの大聖堂に掲示されることは、まことに異例なのであろうと考えます。大げさに考えれば、隣接するトー宮殿に展示されているジャンヌ=ダルクの立像に次いで歴代二番目の栄誉を担っているのかも知れません。
1964年から1966年にかけて、ひとつの礼拝堂を建てた。
そこはノートル・ダム・ドラペ(平和の聖母マリア)という名前がつけられた。
80歳と4ヶ月のとき、藤田はすべての壁にフレスコ画を描いた。
10月1日、この礼拝堂はベジョ猊下によって祝別された。
10月18日、この礼拝堂は完成し、そののちランス市に贈られた。
1959年10月14日、
藤田はベジョー猊下の手によりランス大聖堂で洗礼を受けた。;
彼はレオナール、夫人はマリーという洗礼名を受けた。
彼はランス大聖堂に作品「聖母子」を奉納した。
ジョルジュ・プラードが藤田とともにサン・レミ聖堂を訪ねた:
「私はキリスト教徒になりたい。」
ダニエル神父とマイエ猊下が彼の長い歩みに付き添った。
1886年11月27日、藤田嗣治が生まれた。
1913年、画家藤田がパリに出発した。
彼の洗礼はとても長い精神的巡礼の帰結である。
(1917年に、彼は磔刑を描いた。)
藤田の洗礼
2. 大聖堂
正面の修復工事中でした。残念。
興味深かったのは、堂内のステンド・グラスにシャンパーニュ地方の葡萄酒製造工程が描かれていることでした。