プラトン主義神学の根本原理に対し、使徒
ヨハネがすでに聖なる承認をあたえていたと
いう事実は、やがて第二、第三世紀の新入信
神学者たちをして、もっぱらこのアテナイ賢
人の著作類を研究、かつ礼賛させるようにな
った。というのは、プラトンこそはかくキリ
スト教の黙示を逸早く先取りするという、驚
くべき創見の一つを提示した人物だったから
である。そんなわけでプラトンの名は、正統
派によっては真理の、逆に異端派によっては
謬見の、それぞれいわば共通支点として利用
されもし、また悪用されもした。しかも巧妙
きわまる幾多注釈者たちの権威や弁証論家ど
もの学識が、本来プラトンの見解とははるか
に遠く逸脱した結論をまで、これを正当化す
るために利用され、霊感を受けた神学者たち
が慎重な沈黙を守っていた問題にまで、これを補足するために援用されるようになったのだ。たとえば例の三位一体(トリニタス)論なる神秘的教説が持ち出す三神格の本質、生成、さては差別か同格か、といったごとき深遠微妙な問題までが、アレクサンドリア市の哲学者たちやキリスト教神学者たちの間で大変な論争になった。(ギボン自注によれば、もともと、Triad,あるいはTrinityなる観念は哲学論議から生まれたものだが、それをキリスト教神学に導入したのは、二世紀後半アンティオキアの司教テオフィルスが最初だとある)。
(ギボン『ローマ帝国衰亡記』第21章、
中野好夫訳、筑摩書房)
使徒ヨハネがはたしてキリストの精神を間違いなく理解していたのかどうかは疑問であるが、彼はすくなくとも神秘体験Aをキリストの精神であると理解したのだ。神秘体験Aを西洋世界ではじめて価値基準として取り上げたのはプラトンであったから、後世では一括してプラトン主義者とよばれるが、ヨハネは別にプラトンの思想の信奉者というわけではなく、神秘体験Aを経験し、これを「言(ロゴス)」と表現したにすぎない。
太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬(よろず)の物これに因りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る、而(しか)して暗黒(くらき)は之を悟らざりき。神より遣(つかは)されたる人いでたり、その名をヨハネといふ。この人は證(あかし)のために來(きた)れり、光に就きて證(あかし)をなし、また凡(すべ)ての人の彼によりて信ぜん為なり。彼は光にあらず、光に就きて證
(あかし)せん為に來れるなり。
(『新約聖書』 ヨハネ伝福音書第一章、
日本聖書協会、1992)
神秘体験Aは「神」である、全てのものの「根源」である、それは「生命」である……と読めばよい。この述懐が神秘的であろうがなかろうが、神秘体験Aの特質をあますところなく伝えている。
これをヨハネ伝では(別の箇所で)聖霊であると述べている。 ヨハネの述べるところは従ってきわめてはっきりしている。
アウグスティヌス(二) - ロゴス
画題:青木繁(1882-1911)
『輪転』1903
油彩 カンヴァス
ブリジストン美術館
『現代日本美術全集7
青木繁/藤島武二』
集英社1973
異論が出てくると思うも、
青木繁は、21歳の頃に
ロゴスと会合した、
と感じる。
内部から湧き出すような光。
渦巻く光の束。
アルル時代のゴッホよりも
迫力がある。
とすれば、
之に生命(いのち)あり、
この生命は人の光なりき。
ということになるのだが、
どうだろう?