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以前の「ひとこと」 : 2019年10月前半



10月1日(火) カギのない数独系パズル

 半年ほど前、4月11日のひとことで、「おいしい数学」(ジム・ヘンリー:岩波書店)という本から

 こんなペンシルパズルをご紹介していました。

 このパズルの話を、例によって(つづく)としたまま放置していました。(すみません)

 最近、タブレット端末でよく遊んでいるサムナンプレ(8月26日のひとこと参照)

というパズルと、ジム・ヘンリーの「カギのない数独系パズル」の解き味がよく似ているのです。ジム・ヘンリーのパズルのほうが制約が多いため、ユニークな解をもつパズルの問題を作るのが難しいですが、なんといってもカギとなる数字が全く盤面に存在しない、というのはたいへん美しいと思います。

 今日はジム・ヘンリーのパズルの解き方の最初の部分を解説してみたいと思います。



 まず最初に、盤面は6×6で、各行各列には1〜6が1回ずつ使われますから、盤面全体の数字の和は

(1+2+3+4+5+6)×6=126

です。パズルの盤面は9領域ありますから、126を9で割って、1領域の和は14だということがわかります。まず、盤面の左下の縦3マスの領域に注目します。 1〜6の数字のうち、3つを足して14になる組み合わせは

6+6+2, 6+5+3, 6+4+4, 5+5+4

の4通りありますが、「タテヨコの列には1〜6を1回だけ使う」ルールより、3つの数字はすべて異なっていなければなりません。そこでここに入るのは3,5,6の組み合わせだけということになります(図1)。

図 1

 次に今記入した一つ上のマスを含むL型の3マスの領域について考えてみます。この3マスも合計は14ですから、先ほどの4つの組み合わせのうちの1つになるはずです。

 左端の縦の列で、すでに3,5,6を使っているので、その上のマスに入るのは4しかないことがわかります(2を入れてしまうと、残りが2つの6になって縦2列目に6が2つになってしまう)。

 横に4が並ばないようにしないといけないので、このL字型の3マスに入る数字が図2のように決まります。

図 2

 さらに、左の縦の列の残り2マスは1と2ですから、この1と2を含む4マスの残りは5と6以外あり得ません(合計が14なので)。縦の2列目には6が使われているので、5と6の位置が定まります(図3)。

図 3

 こんな風に理詰めで数字が決まってゆきます。これがものすごく楽しいのです。

(つづく)

<おまけのひとこと>
 気が付いたらもう10月です。






10月2日(水) カギのない数独系パズル(その2)

 昨日、「おいしい数学」(ジム・ヘンリー:岩波書店)の第3章に出ていた、枠を持つ数独系のパズルの解き方をご紹介しました。著者らがみつけたもう1つの例、5×5マスの問題もご紹介しておきます。こんな問題です(図1)。

図 1

 5×5なので、各行各列には1〜5が1回ずつ使われますから、盤面全体の数字の和は

(1+2+3+4+5)×5=75

です。パズルの盤面は5つの領域がありますから、75を5で割って、1領域の和は15だということがわかります。一番上の行の領域は1〜5が1つずつ使われているはずです。3つある4マスの領域は、以下のうちのいずれかです。

5+5+4+1, 5+5+3+2, 5+4+4+2, 5+4+3+3

 (4+4+4+3も15になりますが、4マスの領域の幅が2ですから、同じ数字が3個というのはルール上成立しません。)

 …このように考え始めたのですが、これはなかなか理詰めで数値を確定してゆくのが難しい、仮置きして試行錯誤を要求する問題のような気がします。問題そのもの(5×5マスでも、カギとなる数字を1つも明かさずに解がユニーク(一意)に決まる問題があった!ということ)を鑑賞する問題のような気がしました。

(つづく)



 先日、名古屋に行ったとき、帰りの特急列車までの時間が1時間ほどありました。(特急「しなの」は、昼間は14時ちょうど、15時ちょうど、といった正時に発車するのですが、16時ちょうど発の次が100分後の17時40分なのです。) 駅の本屋さんに行こうと思ったら、隣のビルに移転していました。窓から駅前を見下ろしたらこんなおもしろいオブジェが見えました。

図 2

 きれいです。

<おまけのひとこと>
 今朝、更新しようと思ってカウンタを見たら666663でした。自分が666666を引いてしまうかも…






10月3日(木) カギのない数独系パズル(その3)

 「おいしい数学」(ジム・ヘンリー:岩波書店)の第3章の、枠を持つ数独系のパズルのご紹介、いったん最終回です。この章の最後に、こんな美しい「問題」が紹介されていました。

図 1

 4×4の盤面に、タテヨコ全て1〜4を1回だけ配置しなさい、ただし枠で囲まれた領域の数字の合計は等しいです、という問題です。この問題では盤面の数字の合計は

(1+2+3+4)×4=40

で、たった2領域ですから、各領域の数値の合計は20です。あとはタテヨコの列には同じ数字は使えないこと、数字はそもそも1〜4しか使えないことから、なんとこの問題はユニーク(一意)な解が決まるのです。

 解を色で表した図2も用意したのですが、直接表示はしないことにします。ちょっと考えればすぐにわかると思います。これはすばらしい「発見」だと思いました。



 昨日(10/2)、出張で特急しらゆき号に乗りました。おそらくプライベートで利用する機会はまずなさそうです。これから乗車するしらゆき3号がホームに入ってくるところの写真です(図3)。

図 3

 私は典型的な長野県人なので、海を見ると嬉しくなってしまいます(海が珍しい)。柿崎〜柏崎間は車窓から日本海がよく見えるので、喜んで写真を撮りました。出張に同行した若い同僚がたまたま同じ車両の2列後ろの同じ窓側の席だったのですが、下車後に彼から「熱心に写真を撮っていましたね」と言われました。

図 4

 帰りの「しらゆき8号」がホームに入ってきたところです。

図 5

 帰りは夜になってしまって、海はよく見えませんでした。

<おまけのひとこと>
 出張そのものはたいへん充実していました。出張報告に書きたいことがたくさんあります。久しぶりに純粋に楽しい出張でした。(別に「しらゆき」に乗って日本海が見えたからではなくて、本来の目的が達せられたという観点で、です。出張報告には乗車した車両や車窓の写真はもちろん載せません(笑)。)






10月4日(金) カギのない数独系パズル(解答編)

 このところご紹介していた枠を持つ数独系のパズルですが、一昨日の5×5マスの問題(再掲図)、「太線の枠で囲まれたマスの数字の和が等しくなるように、数独のルール(タテヨコの行・列で入れられる数字は1回だけ)で1〜5の数字を入れてください」という問題の答を「おもしろかったよ」という感想を添えて息子が送ってくれました。

再掲図

 驚きました。このページを見てくれて、この問題を解いてくれたのがとても嬉しいです。 手書きの画像なので、解の画像を公開してしまうことにしました。

図 1

 こういう問題を解くには、やっぱり「紙と鉛筆」が有力な武器になりますね。



 先日、名古屋に行ったときにこんな年季の入った歩道橋がありました。

図 2

 同行した人に「ちょっと渡ってみたいので私は歩道橋で渡ります」と伝えて(彼はもちろん地上の横断歩道を選択したので、ささやかな別行動になりました)、実際に渡ってみました。

図 3

 少し前の時代の歩道橋だなと思った理由は、そこここに錆びが浮いているということよりも、手すりの低さです。今時の歩道橋はもっと手すりが高かったり、ネットで囲われていたりして、何かを落としたり人間が乗り越えたりできないようになっていると思います。

図 4

 こういうものもいずれ新しいものに変わってゆくのだろうと思います。きっとどこかのお役所とかでリストとかで管理されていて、定期的な検査や点検があって、老朽化の程度や危険度の判定とかがされていて、予算等の関係で「来年度はここを修繕しましょう」とかいう判断が下されて、業者に見積もりや入札をして…なんていうプロセスがあるのだろうな、と想像しました。

 こういう道幅があって交通量が多い道路の歩道橋を撤去して掛け直すというのはとても大変そうですから、基本構造の強度が足りていれば、しっかり養生して補強と塗装だけみたいな判断になるのだろうか、工事期間や費用はどのくらいになるのだろうか、部外者には想像もつかないな、などと思いました。

<おまけのひとこと>
 今日は簡単な更新です。明け方、外は強い雷雨です。雨脚が弱まってきたところで、そろそろ出かけようと思います。






10月5日(土) 「サピエンス全史」と山本夏彦のコラム

 10月5日〜6日の週末は、用事があって出かけた以外の時間は、出先の空き時間も含めてずっと「サピエンス全史」(ユアル・ノア・ハラリ)を読んでいました。

 本当に面白いです。引用したり紹介したりしたくなる箇所が多すぎて、まだ内容を十分に消化しきれていないです。この本を読んで、その内容について改めて自分の言葉で語ってみようとすることが、自分の興味や知識を再確認することになると思いました。レビューするのが怖い本だと思います。

 とりあえず第5章「農耕がもたらした繁栄と悲劇」の一節だけ引用します。

 歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。人々は、ある贅沢品にいったん慣れてしまうと、それを当たり前と思うようになる。そのうち、それに頼り始める。そしてついには、それなしでは生きられなくなる。

 ずっと昔、愛読していた山本夏彦の本でこの論理は読んだことがありました。本棚を探してみました。

この、「茶の間の正義」(中公文庫:昭和54年2月)の中の、「繁栄天国というけれど」というコラムのなかに、こんな一節があります。

 古人が夢想した天国は、すでに地上に実現している。
 冗談言っちゃいけないと、言う人もあるだろうが、(中略)

 ローマの貴族は、寝そべって飲食しながら、力士と獅子との格闘や、芝居見物をしたそうだ。読者も茶の間で寝そべって、あるいはお茶づけさらさら、上目づかいで名所見物、プロレスやスリラーをご覧だろう。

 (中略)

 ほかに洗濯機、掃除機、自動車、航空機のたぐいがあって、古人が夢みた、あるいは夢にもみなかった極楽は、地上のものになったのである。
 それなのに、この不満はなんだろう。(中略)

 買うべきものが、追いかけて、追いぬいて、際限がない。ひと通り揃えて安心するわけにいかないのが、この極楽の特色である。人はとこしなえに飢え、餓(かつ)え、ついに満足することがない。心はいつも貧乏だ。

 (後略)

 この、文庫本でわずか4ページ半のコラムの後半では、著者はこんなことを言っています。

 何をかくそう、私はテレビを自動車を電気を、その他もろもろのメカニズムを認めないものである。いかにもそれらは便利である。
 けれども、世には便利に代えられないものがあるのである。十年以前、我々の家庭にテレビはなかった。なかった当時、我らは今より不幸だったか。生活は貧弱だったか。
 痛くもかゆくもなかったじゃないか。テレビがそうなら、ラジオもそうだ。順ぐりにさかのぼれば、ガス水道電気にいたる。電気は行灯の十倍明るく便利だとすれば、日清日露の昔より今は十倍幸福か。
 テレビが福祉と全く無縁だとは承知しても、電気までとはあんまりだと、尻ごみする人は多いだろう。
 けれども電気を許すなら、自動車も飛行機も許さなければならない。これらを創作した工夫の「極」である原水爆も許さなければならない。
 末端のテレビや自動車を享楽して、極だけ否定するのは辻褄があわない。あわない辻褄をあわせようと、世界はいま大騒ぎしている。
 (後略)

 この「茶の間の正義」の単行本が発刊されたのは昭和42年ですから、このコラムが書かれたのは昭和40年ころ、今から50年以上前です。文中の「十年以前」というのは昭和30年くらい、昭和39年(1964年)の東京オリンピックでテレビが一気に普及したと言いますから、ちょうどそのころ書かれたコラムです。

 検索してみると、この「茶の間の正義」、今でも中公文庫で出版されているのですね(こちら)。50年以上前に書かれたコラムが、今なお色褪せず読むに値するというのは本当にすごいことだと思います。



 以前にも書きましたが、高校1年生のときの夏休みの政治経済の科目の宿題が、指定された100冊の本のうちから50冊を選び、それぞれについて原稿用紙1枚以上のレポート(感想でもコメントでも)を書け、というものだったのです。昔から長野県は夏休みが短くて、7月末からお盆休み明けの3週間しか夏休みがないのです。さらに最初の1週間は午前中に学校の厚意で自由参加の補習授業があって、それにも出席していました。100冊のリストは6月に公開され、地元の本屋さんには「指定100冊」が平積みされたコーナーが設けられ、宿題の提出の10月1日までの3ヶ月で、50冊に目を通して最低でも50枚の原稿用紙を埋めなければなりません。

 山本夏彦の「毒言独語」「茶の間の正義」は、そのリストの中でも特に面白く読んだ2冊でした。3ヶ月で50冊のレポートを書くというのはとても大変です。同級生の何人かから、最初は冗談で「なんでもいいから代わりに書いてくれない?」とか言われて、「いいよ」とゴーストライターを引き受けたりもしました。こういったコラム集は、自分のレポートで取り上げなかったコラムについて書けば、すぐに3つ4つは全く違う内容のものを書くことができました。(御礼は確か60円の自販機のジュースだったと思います。) まともに取り組んだらとても時間が足りないような状況で多くの本に目を通してレポートするということを、高校に入学したばかりの時に体験できたのはとても有益だったと感謝しています。また、中学生のころまでは、本と言えば自然科学系の本か、文学や小説しか読んでいなかった私にとって、こういったコラムや、人文科学系の有名な本をたくさん読む機会を与えられたことは本当に良かったと思います。

<おまけのひとこと>
 引用してみましたが、横書きだと印象が違いますね。






10月6日(日) べんがる

 美食家の「文豪」も愛した“老舗洋食店”が復活 路地裏に名物カレーの香りが再び 長野・上田市という記事を読みました。

 美食家の文豪というのは池波正太郎のことです。「真田太平記」を書いた池波正太郎が、上田を訪れたときに贔屓にしていたのが、蕎麦の「刀屋」とカレーの「べんがる」なのだそうです。

 「べんがる」は、40年くらい前、高校生の頃に何度か行きました。郊外にお店が移転してからも何度か行ったことがあります。その後、子供たちを連れて郊外のお店に寄ろうとしたときに、お店が閉まっていたのですが、脇の家から当時の私より少し上の世代の女性が現れて、「ごめんなさい、シェフが身体を壊して入院してしまって、しばらくお店はお休みしているんです。せっかくきてくれたのにごめんなさい。」と言って、子供にお菓子をくれました。かえって申し訳ないことをしてしまったなあと思ったのです。おそらく初代のシェフだったのだと思います。

 上記の記事を見ると、2代目のシェフが今年の2月に病気で入院されて閉店されたようで、この10月1日から3代目のシェフがお店を引き継いだそうです。今度また行ってみようと思いました。

<おまけのひとこと>
 週末なので昔話を書かせてもらいました。






10月7日(月) 上越・中越・下越

 先週、出張で特急「しらゆき」に乗ったのですが、目的地は中越地方でした。

図 1

 初めて「上越」「中越」「下越」という言葉を聞いたとき、当然(?)新潟市がある北東側が「上越」なんだろうなと思ったものです。だいたい、新潟市に向かう新幹線が「上越新幹線」ですし。

 でも、「越前」(石川県)、「越中」(富山県)、「越後」(新潟県)という言葉も、都である京都から近い順に「前・中・後」なのだそうで、越後の国の中の「上・中・下」も京都に近いほうが「上」ということなのだそうです。新潟県はとても広く細長くて、新潟県と富山県との県境あたりから見ると、同じ新潟県の北の端まで行く距離と、富山・石川・福井・滋賀を越えて京都まで行く距離と、あんまり変わらないということがわかります(図2)。

図 2

 青春18きっぷを使って東海道本線を移動すると、乗れども乗れども静岡県、という話をよく聞きますが、こうして地図を見ると、その静岡県を東西に横切るよりも新潟県のほうがずっと長いことがわかります。

 ちなみに「上越新幹線」は、もともとあった在来線の上越線に由来する名称で、「上州」(群馬県)と「越後」(新潟県)を結ぶということに由来する名称で、新潟県の「上越地方」とは全く別です。

<おまけのひとこと>
 最近忙しくて新ネタを仕込む時間がない上に、週末は本にはまってしまって、今日は地理の小ネタになってしまいました。






10月8日(火) ふしぎな歩行者用信号機

 昨年撮った写真です。街で横断歩道を渡ろうと思って歩行者用の信号が青になるのを待っていたのですが、向かい側のお店のショーウィンドウに映っている信号機の表示は青なのです(図1)。

図 1

 待っていた信号機が青になったら、映っている信号機は赤になりました(図2)。

図 2

 いったいこれはどういうことでしょう? ここは交互通行の横断歩道なのでしょうか?

(つづく)

<おまけのひとこと>
 今日(10/8)は、会社の職場のレイアウト変更(席替え)があります。年に1〜2回組織変更があって、そんなときにレイアウト変更があったりなかったりするのですが、3回前と2回前のレイアウト変更のときには、自分が出張だったり不幸があって忌引だったりして不在で、職場の若手が机をまるごと運んでくれたので、自分では何もしませんでした。前回、今年の4月のときは自分もいたのですが、やっぱり机ごと移動で、みんなで運んでもらったので簡単に終わりました。

 今回は机を残して荷物だけ移動ということで、昨日はこれまで数年間ため込んだ古い書類などをこの機会にと廃棄したのですが、とても大変でした。最後は時間も無くなって、整理しきれずに残った分はまるごと箱に放り込んで、新しい机の引き出しにとりあえず入れて置こうと思います。まあそれでも、全部はできなかったにせよ、こういう整理の機会があって良かったと思いました。






10月9日(水) ふしぎな歩行者用信号機(種明かし)

 昨日、直接見えている信号機と、ガラスに映った信号機の表示が違っている歩行者用信号機の写真をご紹介しました。この写真を撮った場所はこんな交差点でした。(図の画像はこちらに置きます。)

 昨日の写真は図中の赤マルのあたりで撮ったものです。要は向かいの建物のガラス(図の青い太線)はまっすぐこちらを向いているのではないのです。そのため、信号機(図の黄色い四角)が赤い矢印のようにガラスに映って視界に入ってくるのです。

 歩行者用信号機は車用の信号よりもはやく赤になりますから、同じ場所でどちらも「赤信号」という写真も撮ることができたはずです。今度行ったら撮ろうと思っていたのですが、その前にここは別の建物になってしまいました。

 でも、こんな写真が撮れそうな場所は探せば全国至る所にありそうな気もします。

<おまけのひとこと>
 週末、台風が来て天気が悪そうです。プライベートで大事なイベントを12日(土)に企画していたのですが、それを延期しようかなという話が出てきています。そのほうがよさそうです。






10月10日(木) 紙の自明な結び目の格子パターン

 職場の机を引っ越しのために整理していたら、こんなものが出てきました。

図 1 図 2

 出来が悪いので捨てようかと思ったのですが、一応ご紹介しようかと思って写真を撮りました。

 これは昔、2005年5月20日あたりで作ったもののさらに小型版です。

図 3
再掲図 1

 ポストイットから適当に切り出して作ったものです。いつ作ったのか思い出せません。

 久しぶりに過去のページを見たら、この手法で絡み目(複数の輪が存在するもの)について提案していました(再掲図 2)。でもこれ、まだ設計したことがなかったです。

再掲図 2

 久しぶりに考えてみようかなと思いました(そんな時間が取れるかな…)。 なんでこれの実物を作っていなかったかというと、外側の黄色い格子の部分があんまりおもしろくない(絡んでいる感じが少ない)からだったなあと思い出しました。まあでも考えてみようと思います。



 今日は結婚記念日です。銀婚式も過ぎ、子供たちも成人して家を離れ、このサイトも20年近く継続しています。時の経つのは早いなあと感慨深いです。

<おまけのひとこと>
 吉野彰氏がノーベル化学賞受賞だそうです。素晴らしいです。おめでとうございます。日本が、今の若い世代の方たちも継続して素晴らしい成果が出せるような国であって欲しいと思いました。






10月11日(金) 迷宮水槽

 今朝は時間が無いので、自分の「かたちがおもしろいもの」リンク集から1つご紹介です。

図 1 図 2

 Labyrinth Aquariumという、球を連結した形状の水槽です。よく見えないのですが、球は床面に3つ、スタンドで支えられた、高さがあるものが3つのように見えます。連結が何本あるのかはよくわかりません。上下の三角形と、斜めが3本の合計9本かなあとも思いますが…

 こうやって外から見ると、「ラビリンス(迷宮)」と呼ぶにはややシンプルかなあとも思いますが、例えばこの構造が宇宙ステーションで、宇宙の無重力空間にあったとして、自分がその中を遊泳するとしたら、6つの球状の部屋のどこにいるのか、目的の部屋に行く適切なルートはどこなのかを把握するのは簡単ではないかもしれないな、と思いました。

 こんな構造をCGで再現して、水槽の中から見た画像を作ったら面白いかもしれないな、と思いました。

 実際にこの水槽を購入したとしたら(しませんが)、お掃除とか水の交換とかものすごく大変そうだなと思いました。昔、30年くらい前に水槽を買って熱帯魚を少しの間飼ってみたことがあったのです。1年間くらいだったでしょうか。最初はよかったのですが、いつも水槽をきれいにしておくのは自分には無理でした。まだデジタルカメラが普及する前だったので、写真とかはほとんど残っていません。今だったらたくさん写真を撮ったと思います。



 「大型で」「非常に強い」台風19号が近づいていて、心配です。予想進路がだいぶ狭まって来て、上陸する可能性は非常に高いようです。

図 3

 まだまだ私たちはこういった自然災害を克服することはできないのだなあと思います。

<おまけのひとこと>
 朝夕は急に涼しくなってきました。朝、車に乗った時の温度計の数値は、一昨日(10/9)の朝は9℃、昨日(10/10)の朝は7℃でした。






10月12日(土) 迷宮水槽の構造のCG

 台風なので家に閉じこもりつつ、昨日のラビリンス=アクアリウムを参考に、CGを作ってみました。

図 1 図 2

 (±2,0,0)、(0,±2,0)、(0,0,±2)の6点を中心に、半径1の球を配置して、その間を半径0.4の円柱でつなぎます。正八面体ならば稜は12本ですが、今回は8本だけ繋いでみました(図1)。これを回転して、3つが床に接するような向きにしてみました(図2)。古典的なCGにありがちですが、床面を市松模様にしてみました。

 せっかくCGなので、この構造の内部に入ってみようと思います。図3、図4の赤と青の点を定義して、赤の地点から青の方向を見た画像、逆に青の地点から赤の方向を見た画像を作ってみることにしました。

図 3 図 4

 こんな感じです。図5が赤→青、図6が青→赤、です。

図 5 図 6

 面白いです。微妙な映り込みなども素敵です。ああ楽しい。

<おまけのひとこと>
 台風、とても心配です。被害がないことを祈っています。






10月13日(日) 「サピエンス全史」と山本夏彦のコラム(その2)

 先週の土曜日に、「サピエンス全史」と山本夏彦のコラム、と題して、サピエンス全史の第5章と山本夏彦の「繁栄天国というけれど」というコラムの一部をご紹介しました。その後、「サピエンス全史」の第16章:拡大するパイという資本主義のマジック を読んでいて、また山本夏彦のコラムを連想したので、ご紹介しようと思います。

 まず、「サピエンス全史」第16章の冒頭のページ(3つめの段落)を引用します。

 歴史の大半を通じて、経済の規模はほぼ同じままだった。たしかに世界全体の生産量は増えたものの、大部分が人口の増加と新たな土地の開拓によるもので、一人当たりの生産量はほとんど変化しなかった。ところが近代に入ると状況は一変する。西暦1500年の世界全体の財とサービスの総生産量は、およそ2500億ドル相当だった。それが今では60兆ドルあたりで推移している。さらに重要なのは、1500年には一人当たりの年間生産量が550ドルだったのに対して、今日では老若男女をすべて含めて平均8800ドルにのぼる点だ。どうしてこのような途方もない成長がおこりえたのだろうか?

 このあと、この章では具体的な例を示しながら、「成長」を前提とした「信頼」「信用」の仕組みがこの成長をもたらしたことを説明しています。検索してみると、こちらの【サピエンス全史】資本主義がいかに人類に発展をもたらしたのかという記事にていねいにまとめていただいてありました。(なので自分で書くのはさぼります。)



 私はこれを読んで、山本夏彦が手形について書いていたのを連想したのです。「あのビルもそのビルもみんな手形で建ったものである」みたいな文を読んだ記憶があって、手持ちの文庫本をひっぱり出してきて探してみました。

図 1

 そうしたら面白くてつい読んでしまったのですが、何冊も目を通して、ようやく「ダメの人」(文春文庫)のコラム「手形の時代」をみつけました。最後のほうの段落を引用します。

 私は(中略)、ふとあたりを見わたして愕然とした。 (中略) 見れば私の周囲は一変している。蛇穴を出てみれば周の天下なり、の思いがある。最新式のビルが林立している。ホテルがある、マンションがある、このビルたちはすべて手形で建っている。現金では建っていない。私が紙屑でありフィクションだといったもので建っている。うそから出たまことである。

 約束手形というのは銀行がお墨付きを与えてくれた「期限までに現金化します」という借用証書のようなもので、手形を振り出すことで資金を手に入れることができる仕組みです。 この手形を落とせない(約束したお金を払えない)と「不渡り」になって倒産します。 私の父は小さな自営業を営んでいました。子供のころの私は資金繰りの大変さを知りませんでしたが、長じて振り返ってみると、大変だったのだろうと思います。

 私は金融や経理には疎いのでよく知らないのですが、今はさらに取引の仕方も多様化しているようで、昔ほど手形は用いられないそうです。でも、「将来の成功を見越して(信用して)資金を手に入れる」という資本主義の本質をよく現しているなあと思うのです。

<おまけのひとこと>
 台風19号、風よりも河川の増水が大きな問題になったようです。私の実家のほうは、数キロ上流で川の水が堤防を越えた、さらにその数キロ上流では千曲川にかかっている橋付近が一部崩落して車が3台川に落ちたという報道もあり、心配で昨夜遅く実家に電話してみました。いったんは大丈夫のようでした。 私は結局、一晩中ほぼ起きていました。起きていたからといって何ができるわけでもないのですけれども。朝になったらもう少し情報があるかなあと思います。






10月14日(月) ピタゴラン

 最近では、ゲームと言えばスマートフォンでやるゲームが一番主流なのだと思います。主流ということの意味は、プレイしている人の総延べ人数や、人・時間(人月とか人日という言葉がありますが、その時間のほうの単位を1ヶ月とか1日ではなく、1時間として計算した数値)が一番大きいだろう、ということです。これは、ゲームを消費している側の、主に時間的な観点での見方ですが、逆にサービスを提供する側の経済活動の規模を考えても、やはりスマートフォンというプラットフォームの上で提供されるゲームが一番なのだろうと思います。

 私は昔から「ゲーム」と名前が付くものには興味があって、古典的なボードゲームやカードゲームはもちろん、テレビゲームやコンピュータゲームも好きです(好きでした)。最近のスマートフォン用のゲームを見ていると、物理演算を内部で行ってオブジェクトの振る舞いを決めているようなゲームが増えてきて、感心しています。昔だったらこんな演算はとてもできなかったろう、という計算がリアルタイムで実現できることに感動するのです。

 そんな中でも面白いなと思ったのが、ピタゴランというアプリです。簡単にご紹介します。

 最初に、正方格子のマスの上に、自分で一筆書きのルートを描きます(図1)。分岐はありませんが、マスで直交交差することはできます。出来上がって[かけた]ボタンを押すと、シンプルな部品のレイアウトが自動生成されます(図2)。

図 1 図 2

 自動生成で選択されるのは、図2のようなドミノ倒しパターンか、黄色い2本のレールの上をボールが転がるボールサーカスパターンのどちらかになるようです。

 自動生成で選択された部品をタップすると、置き換え可能な部品の候補が表示されます(図3)。こうして1つずつ部品を選んでゆきます(図4)。

図 3 図 4

 出来上がったら[スタート]ボタンを押すと、装置が動き始めます。ゴールまで到達したところの画面です(図5)。

図 5

 静止画で見ていてもよくわからないと思うので、公式の動画を埋め込んでおきます。

 とても楽しく遊ばせていただきました。いろいろと思うことがありました。まず、こういった三次元の物理シミュレーションが簡単に実現できることが感動です。また、個々のシーンは完全に決定論的に動作しているわけではなく、同じ装置の振る舞いは1回ごとに微妙に異なります。その結果、成功したり失敗したりする場合があります。

 また、このアプリはこういった「ピタゴラ装置」の楽しさのエッセンスのある一面を確かに大変上手に再現していると思うのですが、最も面白い部分はユーザーではなく開発者が担っているのだな、と思います。

 どういうことかというと、有名になった本家の「ピタゴラ装置」は実世界で実現されています。成功率が極端に低いものもあるそうで、何度も調整してやり直して、たった1回の成功例の動画を大切に使う、ということもあるそうです。ボールなどの動作が意図通り連続してゆくために、モノの位置や傾き具合をはじめとして、いろいろと微調整をしてテスト動作を繰り返して、ようやくちゃんと動作する(場合もある)のです。

 昔、この「あそびをせんとや」というサイトの公開を始めたときの最初のコンテンツの1つに、BoyonGoloというブロックでボールコースを作る玩具があります。

 こういった、あらかじめパーツが準備されているブロックですら、ボールがコースアウトしないように微妙にはめ合わせ具合を変えて少しだけパーツを斜めにしたり、という工夫が必要なことがありました。そういう工夫をするのがとても楽しいのです。

 「ピタゴラン」の部品を開発しているプログラマは、それぞれの部品の質量や摩擦係数、反発係数や寸法や傾きなどをいろいろと調整して、成功率が高くて安定して動作するようにしているはずです。仕事で納期があってやっているとかなり大変だとは思いますが、それでもその開発作業は楽しいはずです。 難しいのは百も承知で言いますが、本当はこの調整作業をゲームとして楽しめるようにするほうが望ましいのではないかと思いました。でも、アプリのコメント欄で低い評価を書いている人のコメントを見ると、そんなゲームを作ってもきっと受け入れられないのでしょうね。

 また、このアプリは子供の知育用と言われていますが、ドミノにしてもボールコースにしても、可能であれば実物を自分で作って動かすことができるほうが良いだろうなあと思うのです。苦労して作って、たった1回でもうまくいったという経験は、頭と心に残ります。このアプリでお手軽に作ったコース、確かに初めて見たらびっくりすると思うのですが、びっくりするのはたぶん最初だけでしょうし、現実のものの振る舞いをよく体験していない小さな子供が見たら、驚きや感動は薄いのではないかなあと思うのです。

 それにしても、今のスマートフォンのアプリの世界では、ユーザはお金を払わずに広告を見る、というスタイルが定着しているのですね。そして、それ(広告)に対して苦情を言う人も多いのですね。ソフトを開発しているメーカーも大変だな、と思います。



 台風19号の被害が深刻です。あれほど事前に警戒が呼びかけられていましたが、それでも各地で亡くなった方、行方不明の方が数十名も出てしまいました。過去の同程度の台風の被害の規模と比較すると、確かに改善される方向にはなっていると思うのです。関係する方々の努力には頭が下がります。それでも被害がゼロにはできませんでした。

 私の住む長野県は高い山に囲まれていて、台風の被害はそれほど大きくならないだろうという思い込みがあったのですが、今回の大雨では千曲川が大変なことになりました。地元の上田電鉄の鉄橋が落ちてしまっています。胸が痛みます。

図 6 図 7

 復旧するのだろうか、費用はどのくらいかかるのだろうか、いろいろと心配です。長野の新幹線車両基地の水没で、北陸新幹線10編成が水没というのも悲しいニュースでした。

 また、もう少し上流の東御市の田中では、千曲川にかかる橋の橋脚の手前の部分の道路が崩落して、車3台が転落して今も3名が行方不明だそうです。この橋はつい先日、9月末に車で通りました。よもやこんなことになるとは思いませんでした。

図 8 図 9

 私の住んでいる市でも5,000戸ほどが昨日から停電していて、まだ復旧していないそうです。幸い我が家は停電は免れていますが、関東甲信から東北にかけて、至る所で大変なことになっています。

<おまけのひとこと>
 家にいるので、つい長々と書いてしまいました。災害の写真、いろいろな報道機関のサイトから借用させていただきました。






10月15日(火) スマートフォン用ゲーム:ポケットゲームメイト(輪投げ)

 もう1つ、懐かし系の物理シミュレーションゲームをご紹介します。昔々、トミーのウォーターゲームという玩具があったのですが、その中で「輪投げ」というシンプルなものが大好きでした。今でも地下室にありますが、水を入れる部分のキャップの素材が劣化してしまって使いものになりません。

図 1

 Youtubeに、実際に遊んでいる動画がありました(こちら)。なつかしいです。

 先日、Androidアプリのポケット ゲームメイトというのを知って、ダウンロードして遊んでみました。

図 2

 ボタンを押すとポンプで水が押し出されるのですが、そのときのリング(輪っか)の振る舞いがなかなか良い感じです。スマートフォンの本体を傾けると、それに応じてちゃんと振る舞いが変わります。

 自分のタブレット端末に動画レコーダーをインストールして、動きをキャプチャしてYouTubeに上げてみました。

 これもやっぱり現物が楽しかったですが、こうして携帯端末の中でソフトウェアで再現されているというのは感慨深いです。



 台風19号の被害はやはり大変大きくなってしまいました。台風の大型化、激甚化の原因として、地球温暖化に伴う海水温の上昇があるのではないか、という説をきいて、少し検索してみました。

 少し古いですが、1993年の京都大学防災研究所の年報に北西太平洋における海面水温と台風の発達の間の関係(藤井建、光田寧)という論文がありました。

 この論文では、基礎データとして海面をメッシュでエリアに分けておいて、各エリアごとの海水温度と、台風の発生件数を分析しています。その結果、海水温が28℃〜30℃の範囲にあることが熱帯低気圧が台風の規模まで発達するのに適した条件であるという結論が得られています(1958年〜1992年の35年間の観測データに基いているようです。)

図 3: 上記論文 Fig.2

 また、こちらの海水温上昇が警告する地球異常気象の活発化(山形俊男:2014.09.26)という5年前の記事では、熱容量の大きい(=温まりにくく冷めにくい)海水が、これまでは熱を吸収してくれていた結果、地球温暖化が「中断」したように見えていたが、その結果海水温が上昇し、これからは海水は「冷却水」ではなく逆に空気を「温める」ことになっていると論じられています。

 従来、南洋で生まれた熱帯低気圧が海水温からエネルギーをもらって台風に発達し、北上してくると日本近海の温度が低い海水からはエネルギーが少ししか得られないため徐々に弱まっていたのが、日本近海の海水温が従来よりも高いため、あまり勢力が衰えず、むしろさらに発達して「非常に強い」「大型の」台風として日本を襲う、という構図です。

 こちらの気象庁のページには、海面水温の長期変化傾向(全球平均)(気象庁:2019年2月15日発表)というデータが公表されています。

図 4: 海面水温の平年値(℃)の変化

 ミクロに見ると上がったり下がったりしていますが、100年あたり0.54℃の温度上昇がみられるとのことです。でも、直近の30〜40年くらい、1980年あたりからの変動を見ていると、明らかに赤い近似直線よりも傾きが急傾斜になっているように見えます。

 こういうのはあまり細部にとらわれると大局を見誤りますが、でも、ここ数十年の温度上昇の傾向がそれ以前から変化しているのか、それとも1980年から2080年までの100年間では温度上昇は激しくなるのか、このデータからだけでは判断はできないと思います。

 地震というのが地下の地盤・岩盤の「ずれ」によって「歪み」として蓄えられたエネルギーの放出というかたちで発生しているように、海に蓄えられた熱エネルギーが激しい台風というかたちで放出されているのですね。広い意味で言う「ストレス発散」です。 年ごとの変動はあるにせよ、今後、こういった激しい天候というのは、過去数十年間の経験からは想定できないくらい多発するのだろうな、と想像できます。そういうことを前提に、住まいとか暮らしを考えなければいけないかなあと思いました。 これからの日本は人口も減ってくるし、インフラも老朽化してくるし、科学技術に託された期待や義務はますます大きくなるだろうと思いました。

<おまけのひとこと>
 我が家の庭には大きく育ったモミの木や樫の木があるのですが、これは伐採したほうがいいかなあと思い始めています。






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