「フーガ」はある規則に従った模倣様式で、一定の形式をもちません。逆にフー
ガ様式を様々な音楽形式・様式に持ち込むことができます。すなわちフーガに よるソナタ、フーガによる舞曲などを作ることが可能です。「フーガの技法」の中 にも、フーガ様式とカノン様式の融合が見られます。フーガは2声部以上の多声 部で作曲され、主題はその声部間で相互に模倣されます。
フーガは、「主題」と呼ばれる旋律の模倣によって構成されます。主題の長さや
音域に制限はありませんが、後に述べる応答の導入をスムーズにするため、多 くの主題は主音または属音に始まります。また主題の多くは、いくつかの特徴 的な旋律の組み合わせで構成されています。
主題は曲の冒頭に単旋律で示されます。アンサンブルフーガでは例外的に曲
の冒頭の主題に対して自由な対旋律がつきます。
曲の冒頭に示された主題に続いて、その主題の模倣である「応答」が示されま
す。応答は必ず主題が示されたのとは別の声部に示されます。応答では、基 本的に主題の旋律に含まれる主音が属音に、属音が主音になる様に模倣され ます。応答には以下に示すいくつかのタイプがあります。
曲の冒頭に示された主題が、完全に属調に転調して模倣される応答を真正応
答と呼びます。真正応答では主題の主音のみが応答で属音に反映されます。
主題の主音を属音に、属音を主音に反映する応答です。従ってほとんどの場
合、旋律の音程進行が若干変更されます。「フーガの技法」に含まれるフーガ の多くは調性的応答をしています。
第3音を軸に上下転回された応答です。転回の結果、主題の主音は応答の属
音に、主題の属音は応答の主音に反映されます。
下属調に示される応答を変格応答と呼びます。主として属音に始まった主題の
応答について、属音が主音に反映され、かつ音程進行を忠実に模倣した結 果、調性が下属調になったものです。フーガの技法で変格応答が見られるのは Contrapunctus10の1曲だけです。
「変格」とは、旋法音楽における変格旋法を示し、変格応答は本来はその旋法
の音階における応答をさしていましたが、調性音楽において変格の概念はなく なり、下属調に置き換えて考えられたものと思われます。
曲の冒頭で応答に添えられた対旋律が、以降複数回にわたり主題・応答に伴
って示される場合、これを「対(つい)主題」と呼びます。旋律上、明確な定義は ありませんが、強拍にフレーズの開始音を持つことは少なく、またしばしば主題 に足りないリズム・ビートを補います。
時として、曲の途中で主題に伴って現れた旋律が、それ以降の主題に再度伴
う場合があります。この場合にもその旋律を対主題と呼びます。
一部の例外を除き、全ての声部に主題が呈示されるまで、1つの声部に再び主
題が呈示されることはありません。また、複数の声部に同じタイミングで主題が 示されることは無く、順次主題・応答の交互呈示を繰り返していきます。全ての 声部に主題が呈示されるまでの過程を「呈示部」と呼びます。
呈示部以降、主題は一定のルールに縛られること無く自由に模倣されます。こ
れを展開部と呼びます。調性にも制限は無く、時として遠隔調で主題が呈示さ れることがあります。展開部には主題の模倣だけでなく、様々な要素が見られ ます。
主題は時として曲の途中で様々な変形を受けます。シンコペーションによってず
らされたり、装飾されたり、あるいは反行、縮小、拡大などの変形をされたりし ます。
また、主題の冒頭にのみ装飾が見られることもあります。
さらに、主題の変形に伴って対主題も変形されることがあります。
複数の主題が折り重なって呈示されることを言います。すなわちひとつの主題
が呈示され、その主題が終了しないうちに、他の声部にも主題が呈示される状 態です。フーガの技法のContrapunctus5、6、7では、呈示部にもストレットが見 られます。主題を複数持つフーガでは、各主題が同時に示される場合にもスト レットと呼ぶことがあります。
主題の冒頭など特徴的な音形が断片的に現れることがあります。主題全体に
よるストレットが困難だったり、ストレットにした時に主題が判別しにくくなるよう な場合、主題と主題の断片が別々の声部に近接して示され、擬似的なストレッ トを形成します。Contrapunctus5には、こうした目的を離れた主題の断片のみ によるストレットも見られます。
モチーフが1つの声部、あるいは複数の声部に続けて繰り返し示されることを言
います。モチーフが繰り返されるたびに、その音高が変わって行きます。俗に 「バッハ・ゼクエンツ」と呼ばれる典型的なものは、Contrapunctus9に見られる ように、2声部が同じモチーフの掛け合いをし、他の1声部が別のモチーフを繰 り返します。
4声部全てがそれぞれ別のモチーフを繰り返した例もあります。
10度のカノンにおいては演奏者に即興的カデンツァを要求しています。
曲の終盤において、多くの場合バスに、主音ないし属音の保続音が見られるこ
とがありますが、これをオルゲルプンクトと呼びます。オルガン曲にしばしば見 られることからこの呼び名がつきました。
フーガは、主題の数や主題の変形などによっていくつかに分類され、その特徴
的な技法を示す名称によって呼ばれることがあります。1つのフーガに複数の技 法が見られる場合、複合した名称を用いるか、あるいはもっとも強調すべき技 法によって呼ばれます。
主として1つの主題によるフーガで、応答が反行形で示されるものを言います。
呈示部以降、曲の途中から反行形の主題が示される場合にも、反行フーガと 呼ぶことがあります。フーガの技法ではContrapunctus5〜7などが反行フーガ です。
曲の中で、音の長さが全体にわたって一定の割合で縮められた主題が現れる
ものを言います。縮小された主題が曲の途中から現れるものや、それぞれの主 題が個別の呈示部をもつものがありますが、フーガの技法では、縮小された主 題と、もとの長さの主題が、呈示部から混在しています。Contrapunctus6で は、音の長さが1/2に縮められています。
曲の中で、音の長さが全体にわたって一定の割合で伸ばされた主題が現れる
ものを言います。縮小フーガ同様、フーガの技法では、拡大された主題と、もと の長さの主題が、呈示部から混在しています。Contrapunctus7では、音の長さ が2倍に伸ばされています。
主題が2つあり、その2つが結合、すなわち同時に別々の声部に示すことが可
能であるフーガです。最初に示された主題を第1主題、次に示された主題を第2 主題と呼びます。曲の構造としては、最初に第1主題の呈示部があり、そのの ち第1主題と第2主題が結合して示されます。結合の前に第2主題の呈示部を 置く場合もあります。バッハのフーガでは、曲の冒頭で2つの主題が結合される ことはありません。フーガの技法ではContrapunctus9、10が2重フーガです。
主題が3つあり、その3つが結合、すなわち同時に別々の声部に示すことが可
能であるフーガです。3番目に示された主題は第3主題と呼ばれます。基本的な 構造は2重フーガと同様ですが、各主題の呈示の仕方で様々なヴァリエーショ ンが考えられます。Contrapunctus8、11が3重フーガです。
なお、バッハの時代にはまだ3重フーガという語は定着しておらず、「3主題によ
るフーガ」などと呼ばれていました。
バッハ本人は「転回対位」(Contrapunctus inversus)と呼んでいますが、今日
では一般に「鏡像」と呼ばれています。主題の扱いに関わるものではなく、転回 対位法によって曲全体を上下転回できるように作られたフーガを言います。フー ガの技法においては第3音を軸として転回されるため、転回後もフーガとして成 立するためには、調性的応答でなければなりません。Contrapunctus12、a3が これに当たります。
以上のような各種フーガの技法が一曲の中にいくつも盛り込まれることがあり
ます。例えばContrapunctus7は反行、縮小、拡大の各技法が見られますし、 Contrapunctus11は3重フーガで、かつ反行形も見られます。これらすべてを分 類上の名称にすると呼びにくいため、通常Contrapunctus7は反行フーガ、 Contrapunctus11は3重フーガ、などとシンプルに呼ばれます。
「カノン」は、フーガとは違い、後続声部が先行声部を忠実に模倣し続けます。
原則としてその模倣は曲の最後まで続けられます。「フーガの技法」「音楽の捧 げ物」などいくつかの曲集の中で、バッハは多くのカノン技法を駆使しています。
カノンの中ではもっとも単純なものです。後続声部は先行声部を一音も違わず
に模倣します。「輪唱」も同度カノンの一種といえます。
後続声部が上下音程間隔を置いて先行声部を模倣します。その間隔に応じ
て、「5度のカノン」、「8度のカノン」などと呼ばれます。いわゆる「ゴルトベルク変 奏曲」BWV988 においてバッハは、先行声部と後続声部が1度から9度までの 音程間隔をとったカノンを作っています。
後続声部は先行声部を上下転回して模倣します。バッハの反行カノンでは、多
くの場合、後続声部が第3音を軸に上下転回されます。どの音を軸にして上下 転回するかによって、さまざまな音程間隔が生じることになります。
逆行カノンとも呼ばれます。一方の声部が他方の声部を最後から最初に向かっ
て模倣します。すなわち、お互いに逆行する形になっています。
後続声部が先行声部の音の長さをすべて一定の割合で伸ばして模倣します。
これに反行形などが組み合わせられる場合があります。カノンではフーガと違っ て、縮小カノンはありえません。音の長さを縮めると、後続声部が先行声部を追 い越してしまうからです。
同時に演奏される2つの旋律が、それぞれ後続声部に模倣されるカノンです。
反行カノンなどと組み合わせられる場合もあります。
同時に演奏される3つの旋律が、それぞれ後続声部に模倣されるカノンです。2
重カノンと同様に、反行カノンなどと組み合わせられる場合もあります。
これはカノンの様式ではなく、特定の記譜法で書かれたカノンのことを言いま
す。すなわち楽譜にはカノンの先行声部のみが記され、そこに後続声部の開始 点や音程間隔、反行、逆行などを示す記号、キーワードなどが添えられます。 演奏者はそれにしたがって後続声部を加え、曲を完成させます。
リピート記号によって繰り返され、後続声部が先行声部をずっと追いかけ続ける
カノンを言います。曲の終点は記号が記されている場合とそうでない場合があ り、曲の終点が明確でない場合には、演奏者に任されます。
同時に示された2つの旋律が、その上下位置を入れ替えることが出来るように
作られたものを、2重対位法と言います。
また、同時に示された2つの旋律について、両旋律の音程間隔を変える事が可
能ものも2重対位法といいます。音程間隔を3度変えられるものを「10度の2重対 位法」、5度変えられるものを「12度の2重対位法」と呼びます。この場合でも、 上下位置の入れ替えが行われます。
これに対して先に述べたような、上下位置の入れ替えのみ可能なものは、「8度
の2重対位法」になります。
転回したあとの終始和音や和音の第2転回形の発生に留意する必要がありま
す。また半音階進行の使用はあまり好ましくないなど、作曲上さまざまな制約 が付きまとう高等な技法です。
これも仮にリズム補完としてみました。フーガについて言えば、曲頭の拍子記
号に関わらず、呈示部の終了までに刻まれたビートないしリズムが、部分的な 例外を除いて、いずれかの声部によって常に刻まれ続けます。カデンツなどに よって断絶することがあります。
フーガにおいて原則として呈示部以降、新たな声部が追加されることはありま
せん。ただし、例外的に曲の末尾において声部が増加することがあります。
呈示部に示された声部は曲の最後まで維持され、消失することはありません。
声部が交錯し入れ替わったまま放置されることはありません。また、声部の交
錯が長く続くこともありません。
4声部の曲においては、各声部が一定の音域を守って示されます。
3声部の曲では中声部にかなりの自由が許されます。
2声部では両声部にかなり自由がみとめられますが、互いの音域を侵害しあう
ことはあまりありません。
どの声部数においても、原則として最高音、最低音が守られます。転回対位法
など技術的な理由によって例外的に上下音域が破られることがあります。 |