ベルニーニ。彼は彫刻家である。「ベル
ニーニはローマのために生まれ、ローマ
はベルニーニのためにつくられた」と賞
賛されている。そして、彼の彫刻の最高傑
作とされるのが、先に示した写真「Ecstasy
of St. Teresa」である。制作年は1645-52
年ころ。
通常私たちはローマのサンタ・マリア・
デルラ・ヴィットリアで彫刻の実物を拝観
するばかりで、気付きもしなかったのだが、
どうやらその当時の彫刻家は大理石を彫刻
する前に粘土で雛形を作っていたらしい。
その雛形をエルミタージュで私は偶然に見
つけてしまったのです。
テレサが述べた事実は簡単に説明すると、
私たちの精神の内奥には、アウグスティヌスの述べる輝かしい神秘体験(A)もあるが、その直後には「死」を希求する地獄体験(B)が出現する。その両者ともに真実である。そして、それらの相矛盾する二つの体験を経験することにより私の魂は切り裂かれ、救われようのない事態に逢着する。これが「魂」というものの実在の姿である・・・というもの。
つまり、ルターの地獄体験も「真実」だと認める立場なのである。
そこで、急遽テレサは列聖された(1622年)。 三十年戦争という宗教戦争が継続中なのに列聖されたという事実が、その当時の西欧世界の事態の深刻さを物語る。また、この時点でカトリックの本質はテレサ主義へと変質したと考えられる。
フェデリーコ・コルナーロはヴェネツィア総督の息子にして枢機卿であった。スペインの聖女であったテレサが創設した跣足カルメル会の教会、サンタ・マリア・デルラ・ヴィットリアを彼が自分の墓所に選んだのは、その当時の『イエズスの聖テレジア自叙伝』がその当時の西欧世界に与えた衝撃を雄弁に物語っている。
考えて見よう。
1618年にはチェコのプラハで三十年戦争がはじまり、カトリックと新教との間の宗教理論の立て方の違いが、その当時のドイツの人口を半減させた荒廃戦争への引き金となった。西暦390年にアウグスティヌスが建てた「聖霊思想」は新教によって否定されたのである。
カトリックは直ちにアウグスティヌスの単純な「聖霊思想」を越えて、ルターの
「地獄体験」思想に対抗できる宗教理論を求めたが、西欧で革新的で正統的な思想の持ち主は、スペインのアヴィラのテレサしかいなかった。
写真:Rostraは屋外結婚式のカップルで賑わう。
では、ローマで作られた、スペインの聖女アヴィラのテレサの彫像の雛形が、なぜロシアのサンクト・ペテルブルクのエルミタージュにあるのか?
さて、その雛形が作られてから100年ほど経ったころ、突然ベニスにこの雛形が現われた。なぜでしょう? 彫像の注文主のコルナーロがベニスの人であったこととも関係するのでしょうか。
写真:Ecatherina Palace
アヴィラのテレサについては、website「神秘体験」で充分に説明しておりますから、繰り返しません。聖テレサは1515年スペインのアヴィラで生まれ、1582年同じアヴィラで亡くなりました。彼女の主著『イエズスの聖テレジア自叙伝』は1565年に著述され、その当時の大ベストセラーになりました。これが主たる理由で彼女は亡くなってから40年後、列聖されました。1622年のことです。
フェデリーコ・コルナーロ(Federico Cornaro)については、石鍋真澄『ベルニーニ』バロック美術の巨星、1985 吉川弘文館からの引用文をお読み下さい。
P109
ヴェネツィアの名家の一つコルナーロ家出身のフェデリーコ・コルナーロは、ヴェネツィアの大司教をしていたが、晩年職を退いてローマに移っていた。1647年に彼は、好意を寄せていたアヴィラの聖女テレサが創設した跣足カルメル会の教会、サンタ・マリア・デルラ・ヴィットリアの左翼部の権利を取得する。そこを自分の墓所と定めて彼は、その装飾をベルニーニに依頼したのである。
エルミタージュでパジリク・カーペット
とGold Romeを見終った私は晴れ晴れとした
気持ちで、通常の展示品を見て歩いたので
すが、この美術館の蒐集品は多数のCollectionの積み上げであって、ひとつひと
つの作品にCollectionの名前を提示してあり
ます。ですが、素人にはなかなか頭に入っ
て来ないようです。
例えば、エルミタージュにあるミケラン
ジェロの唯一の彫刻は、新エルミタージュ
230号室に置かれてある『うずくまる子供』
(Crouching Boy)なのですが、これはエルミタ
ージュ創成期の1770年頃に、にエカテリー
ナ二世が、イギリスのイングランド銀行の
頭取をしていたJohn Lyde-Brownから買取っ
た膨大なLyde-Brownコレクションの一部な
のです。
そういうわけで、1647年、まだ三十年戦争は終結していなかったが、フェデリーコ・コルナーロは(既に枢機卿という職を降りていたが)、跣足カルメル会への支持を自らの墓所の獲得という形で明らかにした。自らの旗幟を鮮明にしたのだ。コルナーロがカトリックの改革を実現した本人なのかもしれない。
写真:Peterhof
写真:建築家は不詳だが、左がPalazzo Loredan、右がPalazzo Farsetti 。
13世紀初頭、ベニスの大運河中程。
18世紀の中頃、ベニスのAbbot Filippo Farsetti (1704-1774)が当時の法王Pope Benedict ÕIVの許可を得て、当時の著名な古美術品の石膏モデルを作製することに
なったのですが、彼は並行的に有名彫刻
家による作品の雛形テラコッタの蒐集も
開始し、1755年に大運河の中程にあるFarsetti宮殿にFarsetti美術館を開いたので
す。当時西欧でのFarsetti Collectionの評判
は上々でした。
このFarsetti宮殿は現在も残っていて、
現在は、市民ホールとして使用されてい
るのです。
写真:Rostra。捕獲した船の舳先
写真:
写真:Ermitage Theatre, Ballet Giselle
写真:Rostraから眺めるWinter Palace
画像:
サンクトペテルブルク(2)
2005/06/21~24
(2010/03/29作成)
蒐集品の中には、
Gian Lorenzo Bernini (1598 - 1680),
Alessandro Algardi (1598 - 1654),
Domenico Guidi (1628 - 1701),
Camillo Rusconi (1658? - 1728),
Pierre Legros (1666 - 1719),
Pietro Bracci (1700 - 1773)
の作品が含まれている。
不幸にもパウル一世はその翌年毒殺されてしまうのですが。
今回は横道にそれてくどくどと面白くもない説明をしましたが、説明をしている本人はこれで結構楽しんでいるのです。
せっかくですから、海岸からのエルミタージュの写真も載せておきましょうか。
では皆様ご機嫌よう。
Russian Grand Duke Pavel Petrovich (1754 –1801)
さあ、これらの雛形をエルミタージュに持ってきた人物にやっとたどりつきました。
さて、このFarsetti美術館が開館してから、27年後の1782年、帝政ロシア王家のパーベル・ペトロビッチ大公夫妻はベニスのFarsetti美術館を訪問し、展示品の譲渡を交渉したのだが、その時は断わられた。
更に15年後、彼がロシア皇帝パウル一世となったとき、再度このコレクションの譲渡を申し入れた。このときは、Farsetti家の子孫であったAnton Francesco Farsettiが譲渡を決断し、西暦1800年にペテルスブルクに運ばれ、芸術アカデミーに搬入された。
では、このAbbot Filippo Farsettiという人物はどのような人物なのでしょうか。いろいろ調べてみたのですが、分かりません。どなたか碩学の方がおられないものでしょうか。お尋ねいたします。
(シカゴ美術館が1998年に発行した次の本に手懸りがあるのかも知れません。)
写真:Petropavrofsk
Abbot Filippo Farsetti (1704-1774)
Farsettiとは一体何者でしょう。実はその雛形の下に写真の通り説明書きが付いていたのです。
一番下に”From Farsetti collection”と書いてありますね。元々はFarsetti氏が所蔵していた蒐集品だというのです。このあたりの経緯はHermitageのwebsiteで読み取ることができます。
しかし、なぜEcstasy of St. Teresaの雛形がエルミタージュにあるのでしょうか?
調べてみると、本件にかんする関係者は次の五名です。
1.
アヴィラのテレサ
2.
ヴェネツィアのフェデリーコ・コルナーロ
3.
ローマの彫刻家ベルニーニ
4.
Abbot Filippo Farsetti
(1704-1774)
5.
Russian Grand Duke Pavel
Petrovich
テラコッタというのは素焼きの陶器のことです。17世紀の彫刻家達は、作品の彫刻に入る前に、陶土で原型を作り、軽く焼いてテラコッタにしたのです。
でも、現在ローマのサンタ・マリア・デルラ・ヴィットーリア教会にあるベルニーニの彫刻と比べてみると、一位の天使の首がもげていますし、右手に持つ金の矢先のついた矢が右手もろとも失われています。
せっかくですから、「Ecstasy of St. Teresa」のある同教会のコルナーロ礼拝堂の写真を載せておきましょう。
クローズアップの写真は下です。
素晴らしい作品ですね、と褒めたいのですが、鬱病の患者のように丸まった姿勢で顔の表情も読み取ることが出来ません。果たしてミケランジェロの作品なのかどうかも、今一つ断定材料に欠けているようです。
写真を載せておきますが、見て頂きたいのは、Crouching Boyではなくて、埋木細工の床です。素晴らしく美しい細工ですね。ルーブルでもこのような豪華版はありません。さすがにWinter Palaceだけのことはあります。
さて、そのあたりの部屋をぶらぶら見て歩いていたら、青い寝室と称せられる307号室で、テラコッタの小さな像が目にはいりました。なんと私のwebsiteで紹介した「Ecstasy of St. Teresa」ではありませんか。