カフェ・プーシキン
Кафе Пушкин(カフェ・プーシキン)
プーシキン生誕200周年を記念してつくられた店の1階(ロシア料理)。2階 はフランス料理がメインらしい。いずれにせよ、まずは地下のクロークへ行き、階段またはエスカレータで上る。内装がシックで、帝政期の代表的な百科事典 「ブロックハウス・エフロン」は本物が飾られていたり、古時計やオルゴールが部屋にうまく溶け込んでおり、日本ではとても真似のできないようなもの。プーシキンの時代とはいわないが、19世紀後半の雰囲気がうまく醸し出されている。椅子、テーブルはレトロながら居心地のよいものだし、カトラリーも重みがある。サービス陣はしっかりと訓練されたプロ。ただし来て欲しい時にテーブルの担当者が気がつかない一方で暇につったってる者もいる。料理はほどほどに手の 込んだもの。キャラメル・トルトは上品な甘さだし、クレープ.シュゼットは最後の仕上げが見もの。内装、料理、サービスとも西側の水準だが、ビジネスマ ン、観光客、暇をもてあまし談笑に忙しい駐在員夫人、と客は外国人ばかり。あるいはすわったまま携帯電話でうるさい会話をする新ロシア人。総合では☆☆レベルだけど、そうした減点が重なり、結局は星ひとつ。日本語メニューもあるので旅行者には便利。12時〜16時のランチは前菜・スープ・メインで12ドル。(2000年2月)
クリントンが2000年6月にモスクワに来た時ここに行ったと新聞にでていました。
なお、同店のwebsiteはCafe "Pushkin"
Address: Tverskoy Boulevard 26a
Tel:(495)739-0033
当日の上演バレー演目は:
Concerto Barocco
(Johann
Sebastian Bach)
Tchaikovsky
Pas De Deux
Agon
(Igor Stravinsky)
Sylvia
Pas De Deux (Leo Delibes)
Symphony
in C (George Bizet)
いずれもジョージ・バランシンの振り付けによるものでした。
ボリショイ劇場
説明:[ロシアが世界に誇るオペラ・バレエの殿堂]
一般に“ ボリショイ” といえばこの劇場を指す。起源は1776 年3 月の劇団創設にさかのぼり、1780 年には現在の場所に劇場が建てられている。現在の建物は1856 年に建築家カヴォスの手によって再建されたもの。2005 年7 月から長期改修工事に入っている。数年間は閉鎖される予定。現在は隣に建てられた新館で上演されている。
Елисеевский(エリセーエフスキー)食料品店
説明1:
ロシア帝政時代の商人エリセーエフが1901年に貴族の豪邸を購入、改装して食料品店にしました。内装が豪華で素晴らしい!
説明2:
モスクワの中心赤の広場からそう遠くないツベルスカヤ大通り14番地にあるエリセエフスキー高級食品店は、その内装の豪華な装飾でロシアの最も有名な食 品店として100年以上も前からモスコビッチ達に知られている。1898年開業でおいしいソーセージを買うならエリセエフスキーと親しまれていたようだ。 1930年代にモスクワでパイナップルが買えるのはこの店だけだったそうだ。ソビエト時代は食品店#1と番号がつけられていた。3年前に行った時はあまり 買いたいような食品はなかったが、2003年9月に全面改修工事をされ新装オープンし、今やところ狭しと高級食材が店いっぱいに並んでいて、その店内の美 しさに観光客が多く訪れる。
大砲の皇帝
説明: [一度も発砲されなかった]
1586 年にアンドレイ・チョホフによって鋳造されたブロンズ製の大砲で、口径890mm、重量40 トン。当時としては世界最大の口径を誇っていた。初めに赤の広場の高台に設置され、後にクレムリン内のスパスカヤ塔に通じる道に設置されている。しかし、 今まで一度も発砲されたことがない。また、大砲の前に置かれた弾丸は飾りだ。
ウスペンスキー大聖堂
説明:[かつてのロシア帝国の国教大聖堂]
クレムリンの中心に建つ大聖堂。かつてロシア帝国の国教大聖堂とされ、ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付された場所である。大聖堂の 壁と屋根はイコンとフレスコ画で飾られているが、イコンをここに描き残した僧の数はおよそ1000 人に及ぶ。かつて「ウラジーミルの聖母」もこの大聖堂に保存されていた。
その内部は、
お菓子の家みたいなかわいらしいデザインと色彩
の聖ワシリー寺院
説明:[不均衡に天に伸びる玉ねぎ屋根]
赤の広場の南側に建つ大聖堂で、モンゴルへの
戦勝を記念して、イワン雷帝によって1560 年に建
てられた。一般には、雷帝に大きな影響を与えた
ワシリー修道士にちなみ、「聖ワシリー聖堂」と
呼ばれている。現在は国立歴史博物館の分館とな
っていて、内部は迷路のような構造になっている。
石造りの壁に描かれたフレスコ画が見ものだ。
最後に彼女が案内してくださったのは、ボリショイ劇場で、ボリショイ劇場が改築休館となる直前のいわば「さよなら」公演でした。ロシア人ジョージ・バランシン振り付けによるモダーンバレーでした。ロシアのバレーもニューヨークのバレーもロシア人が造り上げたことを如実に思い出させてくれる立派なステージでした。なんという素晴らしい配慮をしてくださったのか、と今でも彼女に感謝しております。
その他いくつかの写真と説明を載せておきましょう。場所の説明は大部分「地球の歩き方」websiteよりの借用です。
彼女は忙しい時間を割いて、市内の見所を半日かけて連れて回ってくださったので、私はエリセエフスキー高級食品店もカフェ・プーシキンも、ついでにカフェ・プーシキンで上品なキャビアも、庶民的なクワスもすべて経験することができました。
私は彼女にモスクワを案内しても
らいました。従って、モスクワ見物
は彼女の想い出でいっぱいです。
経済学博士ですから、外国語もペ
ラペラで、英語も話せるが、イタリ
ヤ語なら母国語並みの流暢さだそう
です。日本にも行ったことがあって、
日本の食料品の流通経済を調査した
ことがあり、「築地市場を見学した
こともありますよ」だって。
インテリだから、外国人には普通
は見かけない慎ましやかさがあって、
まったく憎めない。E-mailでお付き合
いしても「ほどほどの」距離感をお
いていて、しかも優しさがある。こ
んな美人を娘一人つけて離婚するロ
シア人男性の心が知れませんよねえ。
つまりロシア人のなかでも超インテリだったのです。
モスクワで撮った写真を一葉載せておきますけれど、素晴らしい美人でしょ。ロシア人の女性観は小柄でぽっちゃり型が最高なのだそうですから、若いときなら、ミス・ロシアになれたでしょうね。
話してみたら、驚いたことにロシア人で、女性なのにモスクワ大学出身の経済学博士で、しかも外務省所属の経済学研究所にお勤めになっている現役ばりばりのお役人だったのです。あとでのことですけれど、私は彼女が出版したイタリヤ語/ロシア語経済学用語辞典を頂戴しましたよ。
1997年頃の話なのですが、リヨン
から鉄道でグルノーブルの日帰り観
光に出発して、グルノーブルでバス
ティーユ城塞へtelepheriqueで登り高
見の見物をしていたら、彼女に出会
ったのです。
向こうはいかにも暇そうにしてい
て、話し相手を物色している気配が
あったので、話し始めたのがきっか
けなのですが、どうせもうお昼なの
だから、昼食でも一緒にどうですか
ともちかけて、展望台のレストラン
で簡単に食事をした。
いまから五年も前にモスクワへ
旅行しました。サンクト・ペテル
ブルクの帰りに立ち寄ったのであ
るから付け足しみたいなものだが、
しかし大国の首都でもあるからそ
れなりの期待はしていました。
だが、私にとって稀なケースな
のですが、実はモスクワに知人が
一人いたのです。しかも女性の知
人でした。
この人と私はフランスのグルノ
ーブルで知り合ったのですが、
赤の広場
(私の訪れた当日は広場全体が閉鎖されていました。)
説明:(地球の歩き方websiteより転載)
[幾度となく歴史の舞台となった]
モスクワを訪れる観光客の大半が、まず足を運ぶ場所。クレムリンの正面、ポクロフスキー聖堂やグム百貨店に囲まれたその広場は、ソ連時代には5 月1 日のメーデーと11 月7 日の革命記念日に必ずパレードが行われる場所であった。「赤」が社会主義を連想させ、まさにソ連の象徴としてのイメージをもっていた人も多いだろう。
クワス
説明:
クワスとはライ麦と麦芽、あるいは残った黒パンを発酵させた飲み物です。黒ビールを砂糖水で薄めたような味です。そのまま飲用するだけでなく冷たいスープ(アクローシュカ)の材料にもなります。コ−ラなんかより健康に良いと思います。
鐘の皇帝
説明:[不運をかこった鐘]
高さ6m、重さ200 トンの世界最大の鐘である。18 世紀の鋳造技術の粋を集めて製作されたが、この鐘は未完成のままに終わった。鐘を鋳造中に火災が発生し、あわて者の誰かが火を消そうと思わず水をかけたた め、鐘にひびが入り、一部分が欠け落ちてしまったのである。いまだに誰もこの鐘の皇帝の音を聞いたことがない。
左手にバーバリーの店が見えますね。
グム百貨店
説明:[モスクワ最大の百貨店]
赤の広場に面してクレムリンの反対側に建つ、立派な百貨店。「グム」とは「ガスダールストヴェンヌイ ウニヴェルマーグ国立百貨店」のロシア語の頭文字を並べたもので、1921 年にレーニンの命によって開設されている。現在の建物は、1893 年に建てられた工場を1953 年に大改装したもの。館内各所にカフェがあり、観光客に人気。
モ ス ク ワ
2005/06/25〜27
2010/04/10作成
いや、お疲れ様でした。
では皆様ご機嫌よう。
写真:
写真:La Bastille, Grenoble