令和5年9月5日
写真交換会
岡谷市虎の羽で照光寺檀信徒会空海ゆかりの地を訪ねる、高野山奥の院と奈良・京都(智積院)の旅の写真交換会が行われました。
料理も美味しい。酒もうまい。二時間はあっという間です。

照光寺檀信徒会空海ゆかりの地を訪ねる
高野山奥の院と奈良・京都
旅の記録5 奈良・京都の旅
令和5年8月23日
下諏訪 6:00発    11:45 信貴山観光ホテル(昼食) 12:50 信貴山朝護孫子寺 13:50  14:15 西大寺 15:10   15:30 東大寺真言院・東大寺大仏殿17:00 ホテル日航奈良17:10 
コロナは収束しました。通常通りの生活に戻ります。
身も心も建て直しまして、清い心で菩提寺の
空海ゆかりの旅に出ることにいたしました。
  手を引いて 引かれて老いの夫婦旅
旅行は適切な道案内があった方がいい。あとでガイドブックを読んでも始まらぬ。
行く前に目を通しておけば、見逃さなかったものを、知らなかったために肝心の場所を通り過ぎてしまった。
こういう思いは誰でも経験があるだろう。
せっかく旅行に行っても駆け足で要所だけ巡っておしまい。それでは旅の意味が薄れてしまう。
今回は、真言宗・空海ゆかりのお寺を菩提寺 真言宗智山派・照光寺の御住職様とお二人の御坊様の案内で
ゆっくりとお参りしました。
初日は真言宗十八本山 毘沙門天王信仰の総本山 朝護孫子寺と 真言宗十八本山、真言律宗の総本山 西大寺、真言教学の拠点、東大寺の塔頭寺院 真言院 と奈良の代名詞・東大寺大仏殿 (空海が授戒し、のちに住職を務めた) に、歴史にもふれながらお参りしました。
バスの中で照光寺御住職様(高野山に20年暮らしていました)から真言宗と高野山のこと、宮坂宥峻さんからこれから訪れるお寺のことを、その都度お話しいただき、弘法大師空海ご誕生1250年の今年大変意味ある旅となりました。

真言宗十八本山 信貴山真言宗の総本山。 朝護孫子寺(本尊、毘沙門天は聖徳太子が刻んだといわれる) は587年創建、病であった後醍醐天皇が治癒したことから天皇によって「
廟安穏、守国土、子孫長久」の祈願寺とされ、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。国宝『信貴山縁起絵巻』は平安時代後期の作。院号は歓喜院。信貴山とは信ずべき貴ぶべき山。寅まつりは二月下旬。
信貴山は(社)日府展の理事長・青木先生からお話を聞いているお寺です。寅が境内いたるところにあり寅のポストは可愛い。
戒壇巡りは真っ暗の内部を、前の人から離れないようにして幸運の鍵に無事たどり着きました。一人では恐くて入れません。
坂はここが厳しいといわれましたが、三日目の石山寺の方がきつい。妻は丑年、虚空蔵菩薩の前で写真を撮る。
三日間の天気は曇り予想でしたが、初日は少し雨がぱらつき、蒸し暑い一日でした。


真言宗十八本山、真言律宗の総本山 西大寺(本尊は釈迦如来)、は765年創建、西大寺はいうまでもなく、奈良で有名な「東大寺」に対するもので、四天王像が造立され西大寺が創建された。四天王は今も安置されるが各像が足元に踏みつける邪鬼だけが創建当時のもの。西大寺は明治28年真言律宗を組織した。真言律宗に属する寺院は京都・浄瑠璃寺、鎌倉・極楽寺、などがある。愛染堂、四王堂など。
四王堂と本堂・愛染堂を観る。四天王像はどのお寺にもあるがここはすばらしい。
木造の十一面観音菩薩像は高さ6メートル、大茶碗、とにかく大きい


東大寺真言院は東大寺の塔頭(たっちゅう)寺院です。真言院は南大門から大仏殿に向かう参道の西側(左側)に建立されています。真言院は平安時代前期の810年に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が第14代東大寺別当に任ぜられ、822年に太政官符によって東大寺に灌頂(かんじょう)道場を建立し、鎮護国家の為に息災増益の法を修したのが始まりです。真言院は南都における真言教学の拠点です。なお真言院には大師堂・地蔵堂などが
ここからガイドさんがつきましたが、お坊様が三人いますので釈迦に説法と大変緊張して、また全力でガイドしていただきました。14年間東大寺のガイドをしているが、真言院は初めてとのこと、空海像の前で全員で般若心経を唱和した感動は忘れられない。

華厳宗大本山 東大寺大仏殿(本尊は廬舎那仏)、8世紀前半創建 開山は良弁。
ガイドさんの名調子で見学、如意輪観音は金運に恵まれますが、皆さんもうすでにお持ちのことと言われ私は苦笑い。
東大寺の大仏様は金属でてきているためカメラのフラッシュに堪えられる。それで写真を撮れます。
ホテル日航奈良で宴会。この旅は朝から夜まで三日間呑み続け、食べ続けの豪華な旅でした。

菊の香や 奈良には古き仏たち   芭蕉


老夫婦は一人でいるかように気楽、なのに一人ほど心細くない。

令和5年8月24日
ホテル日航奈良 8:10発    10:30 高野山 壇上伽藍(金堂・根本大塔など) 金剛峯寺  12:10 一の橋でお昼 1:00 奥の院「弘法大師御廟」  14:30  岸和田和泉IC 鴨川西IC  18:00 料亭 左阿彌 20:30 タクシー 智積院会館
”春秋の争い”という言葉があります。
文人墨客の皆さんが「春、秋いずれが勝や」と雅やかな論争を遊ばすわけで、学者先生のご研究によりますと、日本の詩歌、俳句では、秋をテーマにしたものが圧倒的に多いんだそうですね。
やはり、物思う秋の風情は、日本人の心情を打つのでございましょうか。
旅行というのは、場所を移動することです。旅へ出るという改まった気持ちでわが陋屋を後にしなければならない。

金剛峯寺は京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海 (弘法大師) が修禅の道場として開創した真言密教の聖地。
今回は高野山育ちの宥洪住職の解説付きで高野山真言宗 総本山 高野山金剛峯寺 (本尊は薬師如来)、816年創建、開基は空海を観ました。空海入定信仰(835年)の山を、壇上伽藍 (根本大塔、金堂、御影堂)、金剛峰寺、奥の院をゆっくりと参拝し、「弘法大師空海」(お大師様)とともにあるという「同行二人」の祈りを捧げてまいりました。
壇上伽藍の根本大塔は真言密教の道場。中央に胎蔵界曼荼羅、四方に金剛界四仏、周囲十六本の柱に堂本印象の菩薩が描かれている。三鈷の松、松の葉は二本ですが運がよければ三本の葉が拾える。御影堂、金堂を見学。
経蔵では大勢で力を合わせて経蔵を廻します。一周すると中に入っているお経を全部読んだことになるそうです。

空海は高野山を開くのにまず、昔からここにある明神社を大切にしたという。
次に金剛峰寺を見ます。金剛峰寺は高野山の総称。奥の院弘法大師御廟を信仰の中心として結成された高野山末寺3600ヵ寺、信徒一千万の総本社です。屋根の上に水桶が火事に備えておかれています。別殿で曼荼羅を見て、土室で二千人の食事を作るかまどを見ました。
一の橋で昼食後、
小雨が時々降る中、弘法大師御廟のある奥の院へ。
約二キロの参道の両側には、何百年も経た老杉が高くそびえ二十万基を超える墓碑が並んでいる。戦国武将から、大戦の兵士、現在の作家・企業の慰霊碑などがある。 中の橋近くの姿見の井戸で顔が映って一安心。
織田、豊臣、徳川、明智などのお墓を見ると生きている時の争いは何なのだろうと思えてくる。
悲しみも喜びも過ぎてしまえば夢のようです。誰が言ったか、人間、百年たったらみんな骨。

芭蕉の句があります。 父母のしきりに恋し 雉の声
いよいよ弘法大師御廟です。御廟橋を渡ると写真は撮れません。内部は荘厳で身の引き締まる雰囲気。ここで帰る人がいるそうですが、ご住職の案内で裏へ行くと、弘法大師のお墓があります。蝋燭を灯し線香を立てて、全員で般若心経を唱えました。地下に入ると弘法大師のお墓に一番近く厳粛です。感動です。外に出ると小雨もやみ、バスへ帰りお土産を買います。宥俊さんのアドバイスをいただき高野山の紋章がついたネクタイピンを買う。

諸行無常、諸法無我、有為転変は世の習い。
"南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛"

老いの身を 雲に託して 高野山
六時までに京都丸山公園の 料亭 左阿彌(さあみ)に行かなくてはと急ぐが、第二京阪道路は大渋滞。
皆さんの努力で何とか無事六時に左阿彌に到着しました。そこでサプライズ、舞妓さんが来てくれたのです。
照光寺様のご配慮でした。宥峻さんには、皆さんが今日はお客ですと気を遣っていただきました。
舞妓さんと美味しい料理と楽しい話で二時間が過ぎました。宥峻さんも楽しそうです。
月はおぼろに東山 霞む夜毎のかがり火に 夢もいざよう紅桜 しのぶ思いを振袖に 祇園恋しや だらりの帯よ
祇園小唄

令和5年8月25日
智積院会館 6:00 朝勤行 御祈祷 7:20 朝食 8:30 真言宗智山派総本山 智積院の庭園・宝物館見学 10:00    10:10  東寺(講堂・金堂・五重塔)  11:10    11:45 石山寺(洗心寮にてお昼)本堂 お昼 13:40    下諏訪 18:30
三日目は真言宗十八本山の智積院、真言宗十八本山の東寺、 石山寺を巡り岡谷市に帰りました。

真言宗十八本山 真言宗智山派総本山 智積院(本尊は金剛界大日如来) 寺号は根来寺
智山派の大本山としては、成田山新勝寺、川崎大師、高尾山薬王院があります。
朝五時起床。朝勤行に参加しました。70人くらいの御坊様が広い金堂に並びお経を唱えます。壮観です。
黒染めの若いお坊さん足がしびれて倒れました。ご住職のお話の中で照光寺さんの力の大きさを知りました。
その後、明王殿で御祈祷をしていただき、照光寺先代ご住職のお墓で般若心経を唱え朝食です。
八時半から講堂、新しく作った障壁画がありますのでここで写真が撮れます。
名勝庭園を見て、宝物館で
長谷川等伯の国宝・障壁画を観ました。
出発には智積院のお偉い方々がお見送りに来てくださいました。

真言宗十八本山東寺、東寺真言宗の総本山 (本尊は薬師如来) 教王護国寺とも呼ばれる 、真言密教の根本道場。講堂の立体曼荼羅は須弥壇中央に大日如来を中心とする五体の如来像、東方に金剛波羅蜜多薩を中心とする五菩薩、西方に不動明王を中心とした五体の明王像、五大明王、東西端には梵天、帝釈天。四隅には四天王像。全部で21体の彫像が安置されている。
東寺はとにかく暑い。五重塔は高さ55m、日本の古搭中最高の搭です。宥峻さんに金堂の薬師如来、講堂の立体曼荼羅の解説をして頂きました。
身は高野 心は東寺に おさめをく

東寺真言宗大本山 石山寺、は747年創建 開山は良弁。琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰岩という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている。
清少納言の「枕草子」、藤原道綱母の「蜻蛉日記」に記述があり「更級日記」の菅原隆標女は参拝している。
紫式部が「源氏物語」の着想を得たのも石山寺だといわれ、本堂には「紫式部の間」が作られている。
「和泉式部日記」には彼女が寺に籠った様子が描かれている。
洗心寮にて昼後、石山寺に向かう。
来年のNHK大河ドラマが紫式部とかでブームが来ています。「源氏の間」の紫式部の人形は大きくてびっくりです。
鐘楼、経蔵で疲れました、がガイドさんの多宝塔がメインだという言葉で登りました。
月見亭ではお月見は水に映ったものを見るのだと教えていただきました。

帰りのバスの中で、妻が高野山壇上伽藍の三鈷の松の水引の根付をビンゴでいただきました。私はそうめんです。
多くはない賞品を夫婦で当たりましたので、申しわけなくて岡谷に着くまで首をすくめていました。

夫婦旅 ボランティアよと 妻が言い
われ鍋が とじ蓋つれて バスツアー

この世の中に、生きていてよかったと思う事を列挙せよと言われたら、その何番目かに智積院・高野山の旅が・・たぶん?番目に挙げるだろうと思います。照光寺さま本当にありがとうございました。

囲炉裏の宿を訪ねて 旅の記録4 長野県民支えあい観光クーポン券
令和2年7月14日
下諏訪 AM9:30発    ・・・・・AM10:30 みはらしファーム AM11:00  ・・・  AM12:00 かんてんぱぱ 着 お昼 PM2:30   マルスウイスキー PM3:30     PM4:00 ホテルやまぶき 
県民支え合い観光クーポン券は、一万円で二万円の長野県で使える宿泊券と四千円の観光券がついています。
クーポン券を生徒さんに分けて頂きましたので、善は急げ、前方注意、出発進行です。
みはらしファームで新鮮野菜などを買う。
かんてんぱぱのさつき亭でお昼。山野草園で山アジサイを見て、植物細密画館で山シャクヤクとリンドウの作品買う
かんてんぱぱホールで一水会郷土作家展を見学。知っている作家さんは大分居なくなった。
海藻で作った肥料を買う。秋野菜がおいしくなるらしい。
マルスウイスキーを見学。南信州ビールとワインドレッシングを買う。
ホテル到着。早速温泉へ。誰もいない大浴場。新型コロナで客同士が接触しない様にしているらしい。
早太郎温泉の由来。
今よりおよそ700年程も昔、光前寺に早太郎という山犬が飼われておりました。
その頃、遠州府中見付天神社では田畑が荒らされないようにと、毎年祭りの日に白羽の矢の立てられた家の娘を、生け贄として神様に捧げる人身御供という悲しい習わしがありました。早太郎は娘の代わりとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を退治しました。

豪華な会席料理と夫婦二人の気楽なおしゃべりで一杯飲む。

令和2年7月15日
 AM9:00 光前寺  AM10:00 ・・・・ AM10:30 かんてんぱぱ AM11:00  ・・・・AM11:00 グリーンファーム ・・・・・ AM12:00 下諏訪 
熟年夫婦の旅は必要最小限の会話でひっそりと寄り添っています。
まず、すぐ近くの光前寺にお参りします。
天台宗(比叡山延暦寺末)、開基年代貞観二年(西暦860年)山号宝積山、寺院名光前寺
今なお樹齢数百年の杉の巨木に囲まれた境内には、十余棟の堂塔を備え、南信州有数の祈願霊場として広い信仰をあつめています。
光前寺はヒカリゴケで有名ですが、裏山から水が大量に出ています。山アジサイが満開です。
大田切川はものすごい水量で荒れた河原は霧がかかっています。

グリーンファームで新鮮野菜を買い帰宅。

万葉の大和路を訪ねて 旅の記録3 紅葉の談山神社
令和元年11月28日
下諏訪 AM6:30発     AM11:00 東大寺南大門 着 ・・・・・ 大仏殿 ・・・・ 二月堂・三月堂  ・・・・・ 若草山  12:30 お昼 1:30
・・・・・PM1:30 春日大社 PM2:30 

東大寺南大門・大仏殿・二月堂・三月堂・若草山・春日大社
朝 6:30 バス出発。今回も大いに歩くつもりでジョギングシューズを履く。
中央道から名古屋高速、東名阪から名阪国道を天理まで順調に走る。
南大門から春日大社までガイドさんに案内していただく。ガイドさんがいるといないでは見る目が天と地ほど違う。
何も知らずに東大寺を巡るより、色々なうんちくをユーモアと共に学べば一層楽しめます。
原村の山小屋では厄介者の鹿が、ここ奈良には本当にどこにでもいる。小鹿を一頭孫の土産にどうですか ? (冗談、鹿は神様の使いです)
大仏殿で廬舎那仏を見ている時、小雨がパラり。その後曇り空。
中国人の観光客が多い。
若草山の春日野でお昼。鹿皮(陶芸用)と葛切りを買う。

    駅前に借りける傘をいかるがの 里の時雨にかたむけてゆく         吉野秀雄
墨絵を見るような閑寂な世界だ。冷え冷えとした外気に、時雨の細やかな線。旅人はうつむき加減に傘を広げる。
吉野秀雄は米を担いで(それが宿代であり、食料だった)奈良を歩きまわったという。
3
  興福寺 PM2:30〜3:50   PM4:00 ホテルサンルート奈良   
興福寺・国宝館
興福寺の国宝館で20数年前に東京で観た懐かしい国宝阿修羅像を見学。
国宝東金堂の薬師如来坐像に手を合わせる。
ホテルは猿沢の池の傍で、興福寺の五重塔が正面、池の近くの土産物屋さんに修学旅行の子供達が多数。
4時から゛もちいど商店街で買い物。夕食は和風レストランで、生ビールを飲む。

        奈良まちしぐれ
2 勝ったらあかん負けなはれ   いずれお世話になる身なら  若いもんに花持たせ
  一歩下がってゆずるのが    うまく上手なコツですわ    いつも感謝を忘れずに   どんな時でも へぇおおきに
4 昔のことはみな忘れ       自慢話はしなはんな      わしらの時代はもう過ぎた
  なんぼ頑張り りきんでも  体がいうことききまへん    あんたはえらい わしゃあかん  そんな気持ちでおりなはれ
令和元年11月29日
ホテル AM8:00発    9:00着 談山神社 AM10:00   AM11:00 お昼  PM0:00 
談山神社 (大化の改新発祥の地)
朝 8:00 バス出発。
大和多武峰(やまととおのみね)に藤原鎌足を祭る談山神社着、紅葉の赤が素晴らしい。
談山(たんざん)と書くといかめしいが、かたらいやまと聞けば親しみが湧いてくる神社である。
十三重の塔は珍しい。
乙女山茶花が咲く境内は広く、観光ルートから外れているのか中国人はいません。落ち着いて見学できます。

お寺は五十年ぶりの参詣となり、以前訪れた時のことを思い出しながら、年月の経つのは早いものだと、深い感慨を覚えました。
奈良を訪れた時の自分の年齢を思い描き、その時から今まで、本当に夢のように過ぎ去った時間を考えると、ある種の恐ろしささえ覚えます。
また、一方では、時の経つことにひるんでいる自分を尻目に、以前自分が訪れた時と変りなく、いや、それよりも数百年、千年以上も昔から変わりなくそこにある、仏様や建物の時を超えた存在に心打たれました。
過ぎてしまえば一体人生なんて、歴史なんて何だったんだろうなあ、と思います。時は常に、永遠に流れて留まる所を知りません。
しかし、一人ひとりの人間にとっては、自分の死が時間の終点になります。
なぜならば、客観的時間が幾ら流れようが、亡くなった人にとっては関係がないからです。
言い換えると、我々一人にとっての時間はやがて終わります。だからこそ時間の経つのが怖いのです。
けれども、その時間の終わった後が、最高の権力を持った人でも、この奥の院の墓に見るようなことになるのだとすると、生きている間の諍いや、悩み、苦しみ、不幸、さらには楽しみや幸せまでが、取るに足らないことに思えます。
    英雄も 貴人も 同じ石の塔

     室生寺 PM0:00〜1:30     PM5:30 下諏訪
女人高野 室生寺
紅葉最後の週末とあって、ものすごい人である。
この寺は、高野山と同じ真言宗に属していますが、古くから女人の入山を許していました。
    我が身をば 高野の山にとどむとも 心は室生に 有明の月
金堂と灌頂堂から五重塔を観る。石楠花が境内いたる所にあり、六月頃は素晴らしいと思う。
十二神将ポストカードを求める。亥は真達羅大将、丑は昆伽羅大将、皆厳めしい。

  旅に病んで 夢は枯野を駆け廻る    芭蕉

この句は、心こそが旅人だと教えてくれた私の宝物の一句です。
夢のように過ぎ去っていく人生も、また旅。
人は無限の中に生きているのだとこの句は教えてくれる。
朝ドラ「スカーレット」の舞台

信楽焼
旅の記録2
陶芸の森、宗陶苑

関ケ原ウォーランド

令和元年10月23日
  AM7:10  下諏訪   11:20  関ケ原ウォーランド 11:40   お昼・近江牛鉄板焼き 12:40
朝ドラでスカーレットが始まりました。信楽を舞台にした女性陶芸家の物語だそうです。
いろいろな人に聞かれます「スカーレットって緋色のこと?」そうです、緋色窯の緋色はスカーレットです。


朝、澄み切った青空の元、出発。
名神高速道路から新名神高速道路の信楽インターチェンジで下りて一般道へ。
100万本のロードスカーレット(赤いコスモス)は鹿に食べられて見物できませんでした。
関ケ原ウォーランドは明智光秀の戦い、戦国武将たちの駆け引き・無念さを教えてくれる。
お昼ご飯は近江牛の鉄板焼き。

  14:20  陶器のテーマパーク・陶芸の森 陶芸館と信楽産業展示館  15:00 
陶芸の森 陶芸館と信楽産業展示館の見学時間は40分しかない。
陶芸館は「没後60年 北大路魯山人」展をゆっくり見学したかったが、20分しかない、大急ぎで見学しました。
魯山人展は色々見ましたが、初めて見るものも多く、時間が欲しかった。
信楽産業展示館は信楽陶器総合展を見学。とにかく時間がない。


信楽の旅は、長い間陶芸に携わった自分の原点に出会いに行く旅だ。自分の小ささ、未熟さ、倣慢さなどを見据える旅。
古信楽の壺は、同じものを見ても、皆それぞれ感じ方が違う。
壺はもっと自然に、もっと肩肘張らずに生きてごらん、そう囁いている気がしてならない。

  15:10  日本最大規模の登り窯「宗陶苑」  16:30    21:30 下諏訪
朝ドラのロケ地「宗陶苑」は、とにかく広い敷地。昔火鉢を焼いていた大きな窯。
成型工場では3メートルの大きなタヌキが手練りで造られている。
登り窯は煙突でなくハチの巣穴の吹出しで、2月と8月に焚く。
広い敷地にタヌキがいっぱいある。
帰路は来た道ではなく、信楽インターチェンジから新名神高速道路を四日市、名古屋西、小牧へ出て、中央自動車道へ。
小黒川PAでリンゴを買い帰宅。

台ケ原宿市 17th 旅の記録1
甲州街道北斗市
 令和元年10月18日
台ケ原宿には「七賢」のお酒、金精軒の「信玄餅」を買いに来ていましたがクラフト市は初めてです。
クラフト178店、植物・農産物24店、骨董61店、飲食その他49店と、300店以上の店が出ていてとても見きれない。
当日二人とも体調が悪く、あいにくの小雨で早々に山小屋へ帰る。
その帰路、富士見あたりで事故があったが地元の人の後について行き無事渋滞を抜ける。